東京オルタナティブ百景|第八景 東京都目黒区下目黒「rusu」

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東京の様々なオルタナティブスペースを巡る、現代美術家・中島晴矢による町歩き型連載コラム「東京オルタナティブ百景」が、Bug-magazineより引っ越してM.E.A.R.Lにてリスタート。

近年、アートを中心としたカルチャーシーンにおいて、既存の美術館やギャラリーとは異なる、アーティストを主体とした場の設立や運営が活発だ。それは立地する都市や地域とも不可分の関係にある。そういったオルタナティブな動向の最先端を実地に赴いて辿っていく。そこから見える新しい東京は、一体どのような景色なのだろうか。

第八景は、目黒にある「rusu」。
アーティストの石井陽平が立ち上げたこのスペースは、古民家のつくりをそのまま生かした個性的な空間だ。再開発の波をくぐり抜け東京の一等地に残るその建物では、オープンして1年あまり、多くの展覧会や演劇公演が開かれてきた。そんな「rusu」はどういった場所で、どのように運営されているのだろうか。
目黒を訪れて、石井陽平の個人史に寄り添いながら話を聞いた。

クレジット|
Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Shun Takeda

目黒の住宅地に佇む、一軒家オルタナティブスペース「rusu」

山手線の目黒駅を降りて西口に出ると、白金から続く台地のちょうど裾のところで、幾筋かの下り坂が伸びている。

その一つである行人坂を行けば、勾配が急で細長く、左手には立派な山門を構えた大円寺、「昭和の竜宮城」と謳われた雅叙園と続く。なかなかにスペクタクルな坂道だ。

有名な落語「目黒のさんま」では、殿様が遠乗りか鷹狩りかで訪れるように、江戸時代にはここら一帯は自然豊かな農村だったのだろう。明治期には、現在は府中にある東京競馬場の前身にあたる目黒競馬場もあったというが、今やターミナル駅を擁する山の手の、高級な住宅街である。

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坂を下りきるとぶつかる目黒川に架かった太鼓橋を渡って下目黒、さらに直進して山手通りを歩道橋で越え、小径を少し入ったところにあるのが「rusu」だ。

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「おばあちゃんの“留守”を守ってるスペースだから『rusu』なんです」と、ここを運営するアーティスト・石井陽平は語る。

石井陽平氏
石井陽平氏

「rusu」は、独居していた石井の祖母が老人ホームへ入居したことをきっかけに、昨年4月、「留守」になった平屋を一掃してつくられたオルタナティブスペースだ。なるほど年季入った木造建築は、今の目黒にこんな家が残っていたのか、といった懐かしい佇まい。

小さな庭にはたくさんの植物が繁茂し、昔ながらの引き戸をガラガラと開けると上がり框、奥に続く間取りでいくつかの部屋がある。

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「この家は築80年近くになります」と石井は続ける。

「建てたのはひいおじいちゃん。庭にいっぱい草木が植えられているのは、彼の趣味だったみたいです。おじいちゃん、おばあちゃん、そして母や僕も、昔からお世話になった家ですね。両親は僕が5歳の時から別居していて、仕事で母の帰りが遅いから、その間おばあちゃんが僕の面倒を見てくれていました。だから、この家には思い入れがあります。」

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親子3代にわたって受け継がれてきた家屋。そこで育った彼は、生粋のおばあちゃん子だった。では、どのような意図で「rusu」を開いたのだろう。

空き家ならではの、サイトスペシフィックな企画が目を引く

「作家としてのアプローチ方法の一つとしてスペースを持つアーティストは多いですが、rusuにはそういった狙いは全くありません。2018年4月の関優花の個展を機に、せっかくだし空き家になった物件を有効活用してみようと、妻からの助言を受け始めました。事務的な作業はだいたい妻がやってくれるので、いわゆる夫婦経営ですね。」

石井の妻・中村奈央は、特定の拠点を持たないノマドギャラリー「ナオ ナカムラ」のディレクターである。彼らは共に神保町の美術学校「美学校」にて、アートコレクティブであるChim↑Pomのリーダー・卯城竜太氏の講座「天才ハイスクール!!!!」に学んだ。その後、中村は高円寺にある「素人の乱 12号店」を中心に、各所で展覧会を企画してきた。

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「『rusu』では『ナオ ナカムラ』の企画として、こけらおとしに前述した若手アーティスト・関優花の個展、そしてアニメのキャラクターを題材にした絵画や映像を手がける相磯桃花の個展を開催しました。とはいえ、自主企画はまだこの二つだけ。基本的には貸しスペースとして運用しています。」

持ち込まれる企画は展覧会や演劇など様々だ。なかでも、古民家というこの物件ならではの特性を生かした、サイトスペシフィックな表現が目を引くという。どのような人たちがこの場所を借りるのか。

「どこかで展覧会をやりたいんだけど手頃な場所が見つからないような、美大の学生や、社会人の方が多いですね。普通、貸し画廊や同じくらいの規模のスペースでも、そこそこお金を取るじゃないですか。でも『rusu』はレンタル料が安いからか、オープンして1年、ほとんど空きがありませんでした。借りられていない月がなかったんです」と石井は驚く。

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「内容にはほとんど干渉しません。鍵も預けちゃう。オープンしてから色々な人たちが使うのを見て、ここがどういう場所なのか段々とわかってきました。今ある『rusu』の形は、ここを使う人たちのためになっているという意味で、すごくいいと思うんです。借りてくれる人がいるということは、少なからずその人たちの力になれているということですから。」

アートで食べていくこと。生活をたのしむこと。

なるほど、東京の中心地にある廉価なレンタルスペースとしての高い需要がうかがえる。そうなるとこの物件、もっとビジネスライクに有効活用していくことも考えられるのでは?

「この辺、手頃な飲食店があまりなくランチ難民がいるみたいで、rusuに来た近所の方に『ここでランチやって欲しい』って言われましたもん。そんな需要に応えていくのもアリかな」と石井は笑う。

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「建物の一部を切り取る『ビルディング・カット』シリーズで知られる、アメリカ人のアーティスト、ゴードン・マッタ=クラークがやっていた『FOOD』というプロジェクトがあります。アーティストたちがレストランを運営し、自由な働き方の中で自分たちの収益を確保しつつ、そこでイベントやパフォーマンスといった表現も行える、というもので、あれ、いいなと思って。そもそもこの場所は、実際にひいおじいちゃんの会社の社宅兼社員食堂でもあったんですよ。この奥のアパートも空き家になっちゃうので、もしそこも使えるなら、ここの地代を払いつつ色々なプロジェクトを回すことが可能かもしれません。」

とはいえ、石井はそういった“事業拡大”に慎重でもある。「そんなに背伸びもしたくないんですよね。このスペースには相続の問題もあるから、期間限定かもしれないし、今後どう動いていくかわからない部分もあります。ただ、なくしてしまうのは寂しいので、続けてはいきたいですね。」

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そもそも石井は、アーティストとして“家族”を重要なモチーフの一つとして制作を続けてきた。石井の個展「最高に生きる」では、展示空間に介護ベッドが置かれ、習字の師範だったという祖母と共に書いた文字や、一緒に実家に帰省する映像などが展示されていた。また別の作品では、両親の離婚に際し、家族に変わりなくこれからも円満に過ごすことを誓わせる「離婚式」を執り行うなど、プライベートな関係性に潜む普遍的な愛情が主題とされている。

「家族がモチーフになることは今のところ多いですね。だからこの場所もあるんだと思いますし。社会的なテーマとかにあんまり興味がないんですよ。今やっと会社で働き始めてから社会の縮図のようなものがわかってきたので、何かしら作品には落とし込めるかもしれませんが。」

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「アートでメシ食っていくって、超大変だなと思います」と苦笑する石井は、普段、一般企業に勤めているそうだ。そんな石井に、もうじき子供が産まれるという。「まだあまり実感はありません……って言いながら、服とかベビーベッドは揃えちゃってます」と照れる。

「昔と比べれば僕にも妻にも変化があって、今はひっそりとアートをやっていますが、この生活も楽しいです。なにより、まだこれからも健康であれば長く生きられますから。“もの派”のアーティスト・李禹煥も、作品を残すより、自分が何年生きられるかを考えた方がいいって言ってましたよね。70歳で死ぬのと90歳で死ぬのは全然違うじゃないですか。だから健康でいて、現役の期間を伸ばせればいい。そんな風に思ってます。」

子供産まれるしタバコやめたんです、と去り際にこぼす石井の相貌は頼もしかった。彼は今も、もちろん「最高に生き」ているのだ。

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本日のオルタナメシ「目黒のウニ」

さて、目黒駅へ戻る道すがら昼飯を食べるところを探すが、石井が語ってくれたようにたしかに手頃な店が見つからない。往路とは違う道を行き、大きくなだらかな権之助坂を登る。と、坂の上には久米ビルがあった。

明治初期、岩倉使節団に参加して『米欧回覧実記』を書いた久米邦武、彼はその金で権之助坂上に五千坪の土地を買ったという。息子の久米桂一郎は「白馬会」を結成した洋画家で、久米ビルの8階には久米美術館がある。

目黒ゆかりの建物ならばということで、チェーン店を厭わず、半地下にあるパスタ屋「タパス&タパス」に入る。休日の落ち着いたランチタイム。メニュー最上に載っていたウニパスタにどうしても惹かれ、つい奮発して頼んでしまう。
贅沢に和えられたウニを頬張ると、濃厚で美味い。
やっぱりウニは目黒に限る。

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INFORMATION
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祖母が老人ホームへ入居してしまったことをきっかけに、留守になった平屋を一掃し、目黒にオープンした展覧会や撮影などマルチに使えるオルタナティブスペース
http://rusu-meguro.blogspot.com/Twitter  https://twitter.com/rusu_meguro

PROFILE

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中島晴矢(なかじま はるや)
美術家・ラッパー・ライター

1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。
主な個展に「バーリ・トゥード in ニュータウン」(TAV GALLERY/東京 2019)「麻布逍遥」(SNOW Contemporary/東京 2017)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN2018/東京 2018)アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat/2016)、連載に「東京オルタナティブ百景」(M.E.A.R.L)など。
http://haruyanakajima.com

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