Belong to ME #04|アーティスト 李 漢強

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企業や組織に所属せず、活動する人の数が増えている。テクノロジーの発展や価値観の多様化など、様々な理由が可能にしたこの「可能性」はしかし、「自由に稼げる」点ばかりが強調されていないか。現代における個人の持つ“強さ”とは、果たしてその1点で語れるようなものなのか?

本連載では、組織に所属せず、軽やかに領域を横断して活動する個人をマージナルな存在として位置づけ、今の働き方に至った経緯と現在の活動を伺っていく。インタビューは、その人が日頃活動の拠点としている場所で行う。

Vol.4に登場するのは、東京を拠点に活動するアーティストの李漢強(リー・カンキョウ)さん。スーパーのチラシや、週刊誌、アイドルグループなど、日本人が見慣れた日常をモチーフにした作品で第10回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞。2016年より、アーティストとして独立。

毎日ジュースを飲むセルフィーをアップするインスタグラム投稿でも注目を集め、東京のみならず台湾、韓国、中国などに活躍の場を広げている。2007年に来日した経緯から、外国籍アーティストならではの苦労、東京で活動を続ける決意まで、小平にある自宅兼スタジオで話を聞いた。

Text:Akira KUROKI
Photo:Rie SUZUKI
Edit:Shun TAKEDA

きっかけは日本のテレビ番組。海賊版のCDで日本語を学んだ。

Q1. あなたの肩書は?
肩書は、アーティストです。この前までは、片言日本語台湾人アーティスト。

Q2. いつから変わったんですか?
先週ぐらいです。「片言日本語」取りました。付き合いが長い人だと、私が片言だって分かると思います。でも初対面だと、「全然すごく日本語うまいじゃないですか!」って思うみたいです。

プロフィールは初対面、もしくは対面したこともない人に見せるものじゃないですか。だから別に片言、台湾人って言わなくてもいいんじゃないかと。

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Q3. アーティストとしての活動をはじめたきっかけは?
きっかけは、いくつかの段階があるんですけど、まず、台湾で日本の番組をすごく見てたんです。オーディション番組「ASAYAN」とか。つんく♂の前に小室哲哉がやっていた時代から見てて、初代「モーニング娘。」や、KABA.ちゃんがいたダンスユニット「dos」とか好きでしたね。

あと、ASAYANの前の「浅草橋洋品店」って番組。江頭2:50とかルー大柴が出てて、めちゃくちゃな企画いっぱいやってたんです。テリー伊藤がディレクターしてる番組とか。それをずっと見てたんです。日本のエンターテインメントおもしろいなって。

Q4. そこから日本への興味が?
そうですね。メインはテレビで、あと音楽。X JAPANとか聞いてたんですよ。昔、日本で8センチのCD がありましたよね?それは、台湾だとすごく手に入れにくくて、当時それを持ってることはものすごいステータスだったんです。

台北の西門町に、日本のCDを輸入してる老舗の小さいレコード屋さんが今でもあって。20年前はそこだけでしか買えなかったんですけど、そこに通っていっぱい買ってましたね。

でもCDはやっぱ高いんですよ、台湾人にとって。なかなか買えないんです。でも、そのCD屋さんはすごいんですよ。例えばLUNA SEA。シングルを1年間に何枚も出すじゃないですか。もし5枚出したとしたら、1枚のシングルにだいたい3曲入ってるから、全部で15曲ぐらいになる。

それを、うまく編集して焼き直すんですよ。海賊版ですね。名前は『LUNA SEA1996コンプリート』みたいな。それが300円くらい。すごい安い。だからそれを大量に買って、勉強したんです。日本のJ-POP。ぼくが14~15歳くらいのとき。

写真集の中にある「新宿」、いつかこの町に行きたい。

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Q5. 音楽以外では?
昔は、写真を撮ってたんです。台湾の大学に通っていた頃。森山大道のマネをして、スナップショットで、ノーファインダーでいろいろ撮って。森山大道、かっこいい。そのとき、森山大道と荒木経帷の『森山・新宿・荒木』(平凡社)という1冊の白い写真集を手に入れたんです。2人が新宿で撮り合う写真集。そこから見た新宿、町がすごくいいんですね。

町の中を写真家がうろうろして、それが本になって売られるっていう状況、すごく不思議。台湾ではありえないです。2人がなんだかスターみたいじゃないですか?背景もかっこいいし、丸ごとが映画の中の世界みたい。フィクションみたい。それがすごい、かっこいいんですよ。いつかこの町に行きたい。すごい日本に行きたいなって、強く思い始めた頃でしたね。大学時代。

Q6. はじめて日本に来たのはいつ?
2006年ですね。遊びに来て、その写真集に載ってるところをいろいろ見に行ったりしました。歌舞伎町の果物屋さん「百果園」、「紀伊国屋書店」とか、もちろんゴールデン街も見に行って。それが最初の東京の印象ですね。写真通りだった。

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Q7. そのときはまだ写真を撮っていた?
撮ってました。そのとき3カ月いたんですよ、日本に。東京以外もいろんなところに旅行したんですけど。当時なにかしらで情報を手に入れて、新宿三丁目の近く、写真ギャラリーが多いじゃないですか。その辺を全部まわっていろいろ見て、これ、自分がやっても駄目だなと思ったんですよ。旅行の途中で。

そのとき自分が撮ってた写真は、森山さんのスナップ写真の影響がすごい強い。森山さんは台湾だとそのとき、まだそんなに有名じゃなかったんですよ。日本の巨匠、今は誰だって知っているけど。当時、台湾では知られていないからマネする人も少ないけど、新宿に来て、この三丁目だけでこんなに森山さんみたいな人がいるのに、日本中はもっと多いじゃないですか。百万人はいるんじゃないか?それは勝ち抜いていけないでしょうと思って、写真、撮るの止めました。

それで他のことで表現したほうがいいと感じて、その旅行の後でもう一回、日本の美大(東京造形大学)に留学したんです。

Q8.現在のような絵を描き始めたのは?
その大学のときからですね。

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Q9. その後、公募展の「1_WALL」に応募したきっかけは?
大学を卒業して、デザイン事務所にいながら自分の作品を作っていたときに、ちょうど「1_WALL」の募集をみつけて。デザインと美術の中間のところにあるような公募展で、他にはないじゃないか、何となく自分がやってること、そこにあるんじゃないかと思って。

Q10. グランプリを受賞したのはいつ?
2回目の応募で、2014年です。

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