Belong to ME #05|建築家・佐藤研吾

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個が管理するオルタナティブな場「北千住BUoY」の魅力

Q6. 拠点の一つである東京・北千住の場所性は?

おそらく江戸時代頃までは、北千住もそういった「都市の野生性」を受け止める場所としてありました。北千住は日光街道と奥州街道の起点の宿場町で、岡場所として花街が出来上がり、一方で隅田川を越えた南千住の方には小塚原(こづかっぱら)という磔刑場があった。

江戸と地方をつなぐ境界領域として、都市からはみ出たものを受け持つ場所であると同時に、都市の内部と外部を接続する多様性をもった場所だったのではないでしょうか。

Q7. そんな北千住にある劇場やギャラリー、稽古場、カフェでもあるスペース「北千住BUoY」との関わりは?

設計と一部施工を担当しました。先述した石山さんのスタイルを自分なりに実践したのがこの「BUoY」で、壁を建てる工事の始め頃から僕は毎日この現場にいました。もともと東京オリンピックの年である1964年に住宅公団が建てた団地の低層部にかつてあったボーリング場とサウナを改修して出来上がったんです。

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Q8. 「北千住BUoY」の魅力は?

今「BUoY」は多くの劇団に使われています。その人気の理由は、東京の劇場やイベントスペースで、ここまで大規模かつ安い場所が他にないからなのではないでしょうか。都心の劇場・稽古場事情が半ば飽和しているところで、北千住というちょっと離れた場所にこういったスペースを立地できる余地があったんだと思います。

あと、民間運営であること。もちろん建築家・伊東豊雄さんが手がけられた杉並区立杉並芸術会館「座・高円寺」とか、市民図書館やギャラリー、ミニシアターからなる仙台市の複合文化施設「せんだいメディアテーク」のように、文化的な公共空間を公が提供する成功例はあります。しかし「BUoY」は芸術監督である岸本佳子さんという個人の意思から始まっていて、きちんとしたルールがない緩いハコなんです。

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だから僕も内装については極力手を入れない形にしています。特に地下の廃墟のような空間は、あえてなにもデザインしていない。そうすることで、興行をする場所として先述した「闇」や「荒れ地」という想像力の余白を残しつつ、最終的な構成や設えを劇団が毎回考えて読み解く場として、絶えず地下空間の風景が変化することになります。

個が管理するオルタナティブな場であるがゆえに自由度が上がる。その点で、人が集まる公共空間の設え方としては新規性が高いのではないでしょうか。「公共空間」の意味を更新し、実践している場所だとも思います。

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Q9. 拠点の一つとしてインドがあるのは?

石山さんの仕事でついていったことがきっかけです。そこでのやりとりの中で、まず現地の建築の大学「Vadodara Design Academy」の助教授になりました。それから毎年インドで国際ワークショップ「In-Field Studio」を主催するなど関わり続けていて、今でも大学のスタジオを持たせてもらっています。

そういった流れからインドで家を建てる仕事が来て、「シャンティニケタンの家」を作りました。施主は日本文化の研究者で、自分の集めた日本の物を展示する私設ミュージアムであり、大きい書斎でもある。設計料を大してもらわなかったからかもしれませんが、インド滞在中、僕はそこに住まわせてもらっています(笑)。

「Project in Santiniketan」(2018)
「Project in Santiniketan」(2018)

Q10. さらに福島が拠点なのは?

震災があった年に、放射能に関する研究をしていた僕の友人が、福島の「大玉村」の農家の方から相談を持ちかけられ、稲の放射線量について調べ始めたのがきっかけです。そこからその調査だけでなく、地域をどうしたら組み立て直せるか、何ができるかの話をしだしたところから僕も関わりだしました。それから、月に一回ほど現地に行って関わりを持ち出しました。

Q11. 大玉村で行なっている実践は?

村内の休耕地を使って、畑で藍を育てて藍染めをする活動を「歓藍社」というグループでやっています。そこでは地元の人たちと外から訪れる人たちが協働して作業に取り組んでいます。

また、僕個人は、役場の教育委員会に地域おこし協力隊として所属しており、郷土学習の冊子や教材を作ってもいるんです。

最近では、地域に根ざした文化や、地元の方のライフストーリー、暮らしの在り方にこれまで以上に興味が湧いてきたこともあって、「おおたま春の大演芸大会」というイベントを開催しました。これは冬の寒い時期に使われていない園芸ビニールハウスの中で、村民たちが参加する座談会や講釈、大喜利、芝居、カラオケなどを行ったイベントです。

いわゆるハイソな文化、鑑賞としての演芸や演劇ではなく、地元の人たち自身がおしゃべりの延長で何かを発話する場を作りたかったんです。

「おおたま春の大演芸大会in園芸ビニールハウス」/Photo: comuramai
「おおたま春の大演芸大会in園芸ビニールハウス」/Photo: comuramai

その根っこにあるのは「BUoY」で演劇に触れたこと。特に「BUoY」では既存の形式を壊すような演劇をやっている人たちが多く集まってるので、そういった実践を目の当たりにして、地域の歴史や生活文化というものとどうにか接続できないかという動機がありました。

ある場所を、別の場所で過ごしながら考える重要性

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Q12. いくつもの拠点を有する理由は?

少なくとも三つの拠点が必要だと感じているからです。二つだとある種の二元論の限界で、居場所がどちらかに偏ってしまって、その場所と自分との関係や、自分の思考自体が惰性化する。僕の場合は東京・福島・インドと、常にどこかがサードプレイスになっているんです。今は生活環境の面で福島と東京が主になって、インドがサードプレイス化しているけれども、それも時期によって変わりますし、変えるようにしていきたいとも思っています。

やっぱり建築の設計って、ある一つの場所に新しいモノを作るから、その周辺の環境や風土を含めた場所の特性を絶対に考えないといけないんです。ただ、ともするとそういう場の要素にこだわり過ぎてしまい考えが膠着してしまうところがあるので、例えば、ある場所を、別の場所で過ごしながら考えるというのが意外と重要なのかな、と。

自分自身が否が応でも影響を受けている環境の中で、もう一つ別の場所の構想を巡らせる、そのちぐはぐな組み合わせが大事だと思っています。

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Q14. 今後の目標は?

「嫌われないコウモリのあり方」を探している感じですね。物語の中では獣族からも鳥族からもコウモリは嫌われてしまいましたが、そもそもはもちろん、羽もあるし獣でもある、異なる領域を行き来できる能力があったんですよね。

そうした往来がそれぞれの領域にとってプラスになるような存在になりたいなとは思っています。けれども単純に、嫌われたらそこに居づらいじゃないですか(笑)。ともかく、今後もいくつかの拠点を移動しながら活動していきたいですね。
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PROFILE
佐藤研吾 / Kengo SATO

1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院創造理工学研究科建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。 同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professorに就任。同年より東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。

2016年より福島県大玉村で藍染めの活動をする歓藍社に所属。同年よりインドでのデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。2017年に「インド・シャンティニケタンに同志を募って家を作りに行く」でSDレビュー2017の鹿島賞を受賞。2018年より福島県大玉村教育委員会。インド、東京、福島という複数の拠点を往還しながら、創作活動に取り組んでいる。

INFORMATION
『これからの建築を考える ―表現者と建築家による対話実験』
平田オリザ (劇作家、演出家) × 佐藤研吾 (建築家)
「これからの広場を考える」対話ファシリテーション:藤原徹平

日時:2019年4月27日(土) 18:00-20:00
場所:gallery IHA Lecture room(1F)
予約制、参加費1500円。予約と詳細は以下のリンクから。
https://galleryiha.wixsite.com/galleryiha/ivent-33

『これからの建築を考える ―表現者と建築家による対話実験』 のレクチャーシリーズの初回にて、劇作家、演出家の平田オリザさんと対談させていただきます。北千住BUoYの公共性をめぐる話から始まるかもしれません。ぜひお越しください。

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