誰かの「いらなくなったモノ」を回収し、「いらない世界を変える」───そんな「循環型物流」の道を切り開いてきた株式会社エコランドと、株式会社まちづクリエイティブが新たに立ち上げるプロジェクト「CIRCULATION CLUB」。
このプロジェクトでは、SDGsのうち11番目「住み続けられるまちづくりを」と12番目「つくる責任つかう責任」にフォーカス。それぞれの視点から意欲的な試みを行っているプレイヤーの方たちへ、リサーチ型のインタビュー連載を実施。
今回はシューズブランド「H.KATSUKAWA」を主催するシューズデザイナー / レザーアーティストの勝川永一さんが登場。ファッションギークだった10代の日々、シューズデザイナーを志し留学した本場イギリスでの経験、現在の活動に連なるニベレザーとの出会い、そして理想とする靴職人としてのあり方が描くサーキュラー的消費サイクルまで、幅広くうかがいました。
Text:Haruya Nakajima
Photo:Yutaro Yamaguchi
Interview & Edit:Shun Takeda
小学生から通った竹下通り、“本格靴”に魅せられた青年時代
──まず、勝川さんのルーツから伺いたいです。シューズデザイナーを志したきっかけはどんなものだったのでしょうか?
振り返ると衣類が好きな子どもでした。小学生から竹下通りで自分で選んだ服を買っていたし、中学生になると渋谷の古着屋さんを回ったり、今で言う「裏原」エリアで買い物をしたりしていました。

衣類には純粋なプロダクトという面に加えて、文化的な意味合いが強くあると思います。当時は“Made in USA”のデニムやシャツを好んで買っていましたが、そこから「なんでアメリカ製なんだろう?」「アメリカのコットンってこういう手触りだよな」と、深掘りすると知見が蓄積していくんですよ。そうしたことに傾倒した学生時代を過ごしていました。
──衣類の文化的な側面に若い頃から惹かれていたんですね。
それで、大学生の頃に渋谷のセレクトショップでアルバイトを始めたんですが、その店舗では主に欧米の衣類を扱っていました。その中にある「オリジナル」と言われる本物の名品を見ていると、どんどん服への洞察が深まっていきます。特に“本格靴”に惹かれました。本格靴をまじまじと見たり身につけたりしたのは、その時が初めてでしたね。
──数あるアイテムの中で、特に靴に惹かれたのはなぜだったのでしょう?
洋服屋さんに並んでいるものの中で、本格靴は最もパーツが多く複雑な工程を持つプロダクトです。徹底してつくり込まれているし、さらにそこに革の質なども関わってくる。僕がそれまで見てきた衣類の中で一番深みを感じました。そこから靴の世界に魅せられていったんです。

──アパレル業界へはどのような形で入っていったんですか?
当時のセレクトショップの店員は「着こなし合戦」をしていたんです(笑)。古着をミックスさせたり、時代やフォルムをあえてズラしたり。DJ的な感覚と言っていいかもしれません。ファッション、特にメンズファッションでは歴史的な背景が重要になるので、僕もそれを意識してスタイリングしていました。でも、心のどこかに「自分でつくりたい」という思いがあって。
──服をセレクトする楽しみだけでは飽きたらなくなってきた、と。
勝川 そう思っていた矢先に本格靴と出会いました。そこで、靴のメーカーに入って、根本的な構造から理解した上でものづくりができたらおもしろいんじゃないか、と考えたんです。しかも、服づくりをしている人に比べて、靴をやっている人は少ない。ファッションの世界で本格靴のクオリティを持ったプロダクトをつくりたい───そんな思いで靴メーカーに就職することになりました。
週に1足を制作したイギリス留学を経て、「ポールハーデン」へ

──メーカーではどのようなお仕事をされていたんですか?
通っていたのが一般大学だったのもあり、企画営業に配属されました。表層的な理解で本格靴はつくれないと思っていたので、自分にとって必要な段階の仕事だったと認識しています。ただ、最終的に自分でつくれるようになるために、スキあらば靴学校の講習に通ったりしていましたね。
──いよいよ自分もつくる側に回ろう、と。
ただ、そんな悠長な話でもないんです。もともとそのメーカーは地域大手のゴム会社。そこから革靴の設備を整え、リブランディングを経てスタートした会社だったんですが、思いのほか売上が伸びなやみ、革靴の製造をやめる方向に傾いていきます。このままでは靴に関われなくなるということで、そのタイミングで思い切って会社を辞め、イギリスに留学したんですよ。
──勝川さんにとって大きなターニングポイントだったんですね。留学先のイギリスでは専門的な靴づくりを学んだそうですが、現地の体験はいかがでしたか?
滞在したのはノーザンプトンという田舎町だったんですが、靴だけでなくメンズファッションにおいてイギリスは本当にオリジンなので、服から家具から見るもの全てが嬉しくて、夢のような気分でした。留学したのはトレシャム・インスティチュートという公立学校です。イギリスの職業訓練校のような位置づけで、主に地元の方がコンピューターや大工など、手に職をつけて就職していくための学校。その中に、地場産業である革靴のコースがあったんですよ。

──なぜトレシャム・インスティチュートを選んだのでしょう?
すでに靴づくりのアイディアは自分の中にあったので、そのアイディアを形にするための訓練が必要だと考えたからです。とにかく基礎を学びたかった。技術を徹底して鍛えるその学校は、まさにうってつけでしたね。初日からパターンを切って、週に1足のペースで年間50足ほどの革靴をつくりました。
──文化的な知識やアイディアを持っていた勝川さんからしたら、願ったり叶ったりの環境だったんですね。
もちろん最初は語学で苦労しましたし、うまくつくれなかった部分もあったのですが、最終的にはクラスで一番と言っていいほどの腕前になることができました。モチベーションは高かったので、靴の構造を理解してからの上達は早かったと思います。

──そうして1年間トレシャム・インスティチュートに通い、卒業してから日本に帰られた?
いえ、卒業後もイギリスに残り、デザイナーズ・ブランド「ポールハーデン」のインターンとして、半年ほど働かせてもらいました。ポールハーデンはクラフト的にハイファッションをつくる人で、今の僕のスタイルに強く影響を与えています。彼のつくる靴や服はすごくオシャレで、たくさん売れたり万人受けしたりするタイプではないと思うんですが、オリジナリティを確立し、ものづくりで生きている。そんな本場の工房で働けた経験は、僕の大きな財産になっています。
偶然目にした素材「ニベ」=「ゴミ」から開発された独自のレザーシューズ

──帰国してから第一作目として「ニベレザーシューズ」を発表されます。そもそも「ニベ」という素材にはどのようにして出会ったんですか?
まず日本に帰ってきて、やはりポールハーデンにインスパイアされたクリエイティブなモノをつくろうと考えました。靴学校のあったノーザンプトンはドレスシューズのメッカ。ドレスシューズというのは、スーツのようにルールがかっちりと決まっています。こういうものが正しい、正しくないという基準があり、日本でも欧米式の決まりが正解ということになっています。でも、ふと「そこまでこだわるのであれば、日本でドレスシューズをつくること自体が間違いなのでは?」と思ってしまって。
──たしかに「本当にオーセンティックにいくなら、欧米でやるしかない」という結論になってしまいかねませんよね。
そうなんです。だから僕は、もちろん欧米の“ホンモノ”には敬意を払いながらも、「自分のオリジナルなモノをつくりたい」という思いをずっと抱いていました。靴づくりで重要なのは、まず革です。革にはいくつかの種類があるんですが、例えば「ベビーカーフ」は生後6ヶ月未満の子牛の革を指していて、きめが細かくて良いとされています。最初は僕もそのことに納得していたんですが、途中から「その感覚どうなんだろう?」と思うようになって。若い方が良い肌だというのも、ちょっと偏った感覚じゃないですか。
──改めて考えてみると、少しえぐみを感じてしまいますね。
語弊があるかもしれませんが、人間はずっと、美に対してはすごくエゴイスティックなことをしてきていますよね。例えばコルセットやてん足で身体を縛ることがそう。現代でもスーツはシェイプされているし、靴もシュッとした形状をしている。身体性を無視している部分があるんです。たしかにその良さもわかりますが、少し気持ち悪いと感じてしまうところもある。そこがおそらく、僕のものづくりにおける視点だったと思うんです。

──なるほど、勝川さんならではの違和感が重要だった、と。
「じゃあ良い靴ってなんだろう?」と考えて、ベビーカーフに代わる別の素材を探し始めました。すると、革屋さんで捨てられている革の裏面のはしっこに、ざらざらとした部位があった。革の裏側は「トコ面」と呼ばれます。もともと革には肉がついていて、それを梳いていってスプレッドするんですが、はいだ肉側の面はゼラチン質になっています。
──豚足でイメージするとわかります(笑)。革の裏にはゼラチン質の部分がある。
その通りです(笑)。そのゼラチン質と革のギリギリの境目に、ボサボサしているところがある。これは本来であれば靴材としては使えず、梳いて捨ててしまう部位。そのはしくれを見つけた時に「おもしろい」と思ったんです。そこで、捨てられたその部位を集めて、アッパー(甲革。足の甲を覆う部分)をつくってみた。そうしたらカッコよかったんですよ。
──ニベレザーシューズのプロトタイプは、端材からつくられたものだったんですね。
はい。当時の僕はまだ、サスティナビリティがメインテーマではありませんでした。でも、ダイバーシティというか、どうしても偏った美意識に対する違和感があった。本来は捨ててしまう革でつくった靴も美しいのではないか、と。この素材を使えば、そんな自分のイメージに合ったものがつくれそうだと考えました。

ただ、端材なので革質が固い。柔らかくしなければいけないということで、その素材を調べ始めます。今では「ニベ」と呼んでいますが、初めはコレが何なのかわからなかったんですよ。いろんな革屋さんに聞いても、「こんな革は知らない」と言われてしまって。でも訪ね歩き続けていたら、とある革屋さんが「それは『ニベ』と言って、普通であれば捨てる部分。『ニベ』というのは『ゴミ』って意味だから」と教えてくれたんです。
──それは訪ね歩いた甲斐がありましたね! そこで初めて「ニベ」という名前に出会ったんですね。
そうなんです。そこで「ニベ」について調べてみると、兵庫県に1社だけ「ニベ」を取り扱っている皮革業者さんがありました。すぐに連絡を取ってプランを説明すると、その業者さんが興味を持ってくれて、すぐに「ニベ」を送ってくれたんです。でも、それは予想していたよりも固かった。それから僕も現地に行って、なめしの方法を一緒に研究します。そうしたら割と早い段階で、思ったような柔らかい「ニベ」が完成しました。それを使って「ニベレザーシューズ」をつくったんです。
町の靴屋という存在が生み出す、クラフトワークベースのサーキュレーション
──勝川さんがマニアックに掘り下げていく中で、皮革業者さんとの出会いもあって生み出された「ニベ」とは、どのような特徴を持った革なのでしょうか?
見ての通り、自然の風合いを生かした革です。「タンニンなめし」という植物由来のなめし剤を使っているので、土に入れておけば生分解しますよ。
──もともと持っている風合いを活かすための加工だからこそ、環境にも優しいということなんですね。そんな「ニベレザーシューズ」でデビューして、メディアからニューカマークリエイターとして注目を集めます。ご自身のプロダクトが世間に届いた時のご気分はいかがでしたか?
実は、日本に帰国してからすぐ靴の修理屋さんに就職していたんです。仕事をしながらだとなかなか自分の時間をつくれなくて焦りました。週に一度の休日に、近所の駒沢公園で試作中の「ニベレザーシューズ」のカカトをガンガン打ったりしていましたね(笑)。

そのうち、やはり集中して素材づくりに没頭するまとまった時間が必要だと感じ、思い切って仕事を辞めます。それから11ヶ月ほどの自由な期間に、素材を探したり、メーカーさんを訪ねたりすることができました。だから、ある意味でラストチャンスだったんです。
──「ここでなんとかデビューしなければ」という背水の陣で制作に臨んでいた、と。
そうして、今まで感じた違和感や美学といった自分の考えを一つの形にすることを目標に、全身全霊でつくりあげたのが「ニベレザーシューズ」です。それでダメだったら「ダラダラ続けてもしょうがない」くらいには考えていました。でも、理解者や協力者の方々の助力もあって、自分の思った通りのモノをつくることができましたし、ファッション業界がSDGs的な観点ですばやく評価してくださった。すぐに事業としても成り立つようになったので、本当によかったです。
──素晴らしいです! ここ数年、サスティナビリティやエコロジーに関する話題が様々な業界で広がっていますよね。勝川さんのいらっしゃるファッション業界では、そういう風潮はどのように現れていますか?

昨今、SDGs的なテーマへの認知が高まったことで、環境に配慮された商品を買いたいと考える方が増えています。特にファッションや情報に対する感度が高い人ほどそういう選択をされますね。それは必然的な流れだと思うので、各メーカーも動物性の素材を使わず革の風合いを表現した「ヴィーガンレザー」を開発したりと、著しい動きを見せています。
──「ニベ」という素材は、その流れを先取りしていたとも考えられますよね。
僕も当初はそういった文脈を強く意識していたわけではありません。けれど、もともと靴屋さんって、店の奥で職人さんがつくっている靴を軒先で売る、という商売だったわけです。買った靴が壊れた時には店に持っていけば、その靴をつくった職人さんが直してくれる。靴はそうした循環の中にあるプロダクトだったんです。また、当時の靴は革と、ナイロン糸ではなくコットン糸でできていて、それこそほとんど生分解性のものできていた。
──ほぼ有機的な素材のみでつくられていた、と。
そうなんです。だからこそ僕は、そんな昔ながらの靴屋を営んでいます。なかなか明確には伝えられてこなかったかもしれませんが、自分の中の取り組みとしてはサスティナブルな循環を意識してきたんですよ。

──まさにサーキュレーション(=循環)ですね。おっしゃる通り、私たちはかつて生活圏に一つずつある小売店でモノを買い、そこでまた直すという循環の中で暮らしていました。今では大型店舗でモノを買うのが普通になってしまいましたが、靴に限らず、本来の暮らしと文化と消費のサイクルって、そういう風にできていたわけですよね。
地産地消という言葉があるように、生産と消費のバランスが無理なく取れていたんだろうな、と。小さな取り組みですが、僕の店はそんなサイクルを目指しています。
職人目線での工夫から、サスティナブルとクリエイティブをつなぐ

──なかなか難しいのは、大量生産された安くて便利なモノを気軽に買うことに慣れすぎてしまっている分、一手間かかることに抵抗感を持つ人が多いことです。そこを飛び越えるために機能するクリエイティブな工夫があるとよいのでは、と思うのですが、勝川さんはサスティナビリティとクリエイティブの結びつきについてどうお考えですか?
「ニベレザー」をつくっている時に漠然と感じてはいたものの、サスティナビリティについては自分の中で消化しきれずにいましたが、昨今こういった形でSDGs的な価値観が広まっていることで、当然、次につくるモノにも影響を与えています。例えばここにあるのは生分解性のソールです。あるメーカーさんと共同で進めているプロジェクトで、天然ゴムを発泡させたものになります。

昔から一般的なスポンジゴムは、石油由来のゴムを発砲させたものでした。それを天然ゴムで代替しよう、と。もちろん化学製品のため均一に発泡する石油由来のゴムと比べて、天然ゴムの発泡はランダムで難しいみたいですし、やっぱりコストもかかります。ただ、こうした時代になったことで、こういった取り組みが少しずつトライしやすくなっているのも事実です。
次の製品も、例えば植物由来のナイロンを使ったり、インソールはコルクだったりと、全てのパーツが何かしら環境に配慮されたつくりにするつもりです。まだ完璧にとはいきませんが、今は都市生活のギアとして、マナーを持ってプロダクトを消費するようなイメージですね。
──では、これからも循環性を意識したものづくりにトライしていきたい?
そうですね。僕にできるのは、さっきの靴屋の話のように、ある組み合わせでサーキュレーションを実現することだと思っています。次は、初めからクリーニングチケットとソール交換チケットがついてくるスニーカーを発表する予定です。ケア用品も一緒だったらいいな、なんて考えながら、なんだかんだ開発に2年くらいかかってます(笑)。
──スニーカーは履き潰したら捨ててしまう方が多いと思いますが、あらかじめ長く使うための工夫や配慮がもとからパッケージングされているわけですね。
100パーセント完璧に環境配慮されたモノというよりは、できるところから意識を高めていきたいです。そして今の時代だからこそ、かつて職人が運営していた靴屋さんがそうであったように、モノとその消費行動が循環する靴や店をつくり続けたい、そう強く思います。
