中島晴矢の断酒酒場 #2 錦糸町「寿ぶき」のフグ刺しとレモンソーダ

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1週間働いたあとの金曜に、のれんをくぐる行きつけの酒場。出先での夕暮れ時、ふと入った老舗の赤ちょうちん。1杯の酒は緊張を解し、客同士の何でもない会話がその町の佇まいを伝えてくれる。

酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。

町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載がスタート。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!

Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Shun Takeda

断酒者(読み:だんしゅもの)にとって最も危険な年末年始

断酒後、初めて過ごす年末年始である。

忘年会に新年会、親戚の集まりと、この時期は世間的にお酒を飲む機会が格段に多くなる。町は浮き足立って、一杯きげんの千鳥足があふれ返る。それは逆に言えば、アルコール依存症者にとって一年で最も危険なシーズンということになるだろう。

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そんな難所を目前に、通院しているクリニックの先生からは「不義理をしなさい」と言われた。おもしろい言い回しである。普通、「義理を通せ」あるいは「不義理をするな」といった形で使われる文言が、こと断酒者には「不義理をしろ」なのだ。要は、親族や友人、仕事など様々な付き合いで発生する飲みの席に、人間関係上の不義理をしてでも参加しない方がよい、ということである。

断酒中の者が何より避けねばならないのが、再飲酒=スリップだ。酒を飲まない期間がどれだけ継続していても、たった一度の再飲酒で全ては元の木阿弥。それまでの努力は水泡に帰してしまう。依存症はれっきとした病気であり、いつも飲酒欲求を抑えられるとは限らない。だから、そもそも居酒屋やバーに行かない、飲み会に出席しないなど、飲酒できる環境に身を置かないことが最大の安全策なのだ。

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ただ、言うまでもなくこの年末年始は依然コロナ禍の真っ只中だった。もちろん一刻も早く収束してほしい事態だが、誤解を恐れずに言えば、断酒者にとっては追い風になっているかもしれない。実際、僕も今年は帰省しなかったし、毎年恒例の中学高校時代の同級生による忘年会はリモートで行われた。オンラインなら、自身の環境さえ注意しておけば飲酒してしまう心配はない。

そうこうしているうち、僕は無事にこの年末年始をシラフで乗り切ることができた。大晦日や正月をシラフで過ごすなんて十数年ぶりである。前回の原稿で立川断酒を名乗りたいと書いたが、どちらかというとこれは立川しらふなのではないか。しらふ師匠としてM-1の審査などを勝手にやっていこうか……いや、そんなことはマジでどうでもいいのだけれど。

錦糸町、フグと鍋もの「寿ぶき」

緊急事態宣言のまだ出ぬ年の暮れ。錦糸町でちょっとした用を済ませた後、断酒酒場をやろうと思い至った。先述したことに対し手のひらを返す形になるが、致し方ない。錦糸町は城東地区の中でもかなり大きな繁華街である。

あまり馴染みのない町だから、駅前エリアの開発ぶりにまず驚く。パルコやマルイ、そしてショッピングモールがドーンとあり、地方都市の中心街といった趣きだ。駅周辺には富嶽三十六景のレリーフだとか、「北斎麦酒工房」と書かれた看板だとかが目につく。すみだ北斎美術館も近いし、やはり北斎推しなのだろう。

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ひとまず駅の南側を歩く。奥へ進んでいくと、“夜の町”という雰囲気になってきた。マッサージ店、パチンコ屋、場外馬券場。湿り気を帯びたほの暗い情動が町全体に漂う。ある古いビルの一階部分には、カウンターだけの小さい飲み屋が連なっていた。どこも良さそうだが、むろんそれは危険地帯を意味する。そう、酒を禁じられた僕にとってこの町は、錦糸町ならぬ禁酒町なのだ。

カウンターだけの飲み屋で酒を飲まない、という選択はなかなか難しい。店にとってもいい客とは言えないだろうし、流石に躊躇してしまった。そこで、踵を返して駅の北側へ。もう少し落ち着いた町並みを散策していると、錦糸公園の真隣にいい店構えの居酒屋を発見。どうやらフグを出す店のようだが、焼き鳥など普通のツマミも充実していそうだ。よし、ここに決めた。

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だったんそば茶でツマミの受け身をとるということ

「寿ぶき」の提灯を横目に、ガラガラと引き戸を開けてフグの描かれた暖簾をくぐる。歴史を感じさせる落ち着いた店内。老舗のようだが清潔感もあって、すごくいい雰囲気だ。

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ご夫婦二人で切り盛りしていて、カウンターには鍋の乗ったガスコンロが並ぶ。フグちりだろうか、常連らしいおじいさんが一人で鍋をつつきながら静かに杯を傾けている。テーブル席にはサラリーマン三人組。僕が入ってすぐ、「御予約席」という札の置かれた奥の座敷席に、おばあさん、お母さん、小学生の娘という三人連れが上がっていった。親子三代に渡る女性客だ。これだけで長く愛されている店だとわかる。大当たりの予感である。

BGMはテレビのみで、早い時間だからワイドショーから本日の感染者数が流れている。卓上にはアルコール洗浄液。何を隠そう、いま僕がコミットできるアルコールは洗浄液だけだ。

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お通しでほうれん草・シラス・かつお節のあえもの。メニュー表の右下に小さく縁取られたソフトドリンク欄へ目を落とすと、ジャスミン茶とだったんそば茶がある。お茶の選択肢があるのは嬉しい。早速だったんそば茶(300円)と、「国産地鶏串焼き」から、プチトマト、しいたけを前菜的に、さらにとり皮、つくね、レバー(各一本 170円)を注文する。これでオリジナルの串盛りになった。

運ばれてきたのは丸々とした立派な串焼き。タレはサラリとしていて肉の旨味がよくわかる。レバーも全くパサパサしてなくて瑞々しい。何より、つくねが絶品だ。シソが混ざっていて、ナンコツの歯ごたえがコリコリと残っている。だったんそば茶は香りが芳醇で、充分ツマミの受け身が取れる。

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腹と気分が乗ってきたので、さば塩焼き(750円)を追加。焼き加減がなんとも美しい。レモンを絞り、大根おろしと共に肉厚でホクホクの身を口に放り込む。実は断酒してから、あれだけ好きだった刺身がちょっとだけ苦手になっていた。もちろんちゃんとしたものは美味しいのだけど、スーパーの安いパックなんかだと少し生臭いと感じてしまう。だからこそ、焼き鳥や焼き魚の香ばしさが有難い。

酒断てばツマミ豊かな春の宵

その舌の根も乾かぬうちに、せっかくだからフグの刺身を頼んでみようということになった。とらふぐ刺身(3,800円)。大奮発だけど、これで二人前はある。断酒をしていると、酒代のかさむ心配がないからツマミに対してはやや強気になれるのだ。

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そういえば、恥ずかしながらフグをちゃんと食べたことがない。勢いで頼んでみたけど、初体験である。薄く透明度の高い白身に、もみじおろしとネギを乗せポン酢でいただく。いやぁ、美味い。なるほど、食感が主役か。箸で2枚一気にすくい、フグ皮も乗せて食べれば、口の中がフグでいっぱいだ。

ドリンクが切れたので、思い切ってメニューには載っていない「レモンの入った炭酸水(ノンアルコール)」をオーダーしてみると、「全然大丈夫ですよ!」と快諾してくれた。言ってみるものだ。これは下戸である寺門ジモンのYouTubeチャンネルで発見した飲み方である。出てきたのは、レモンが刺さったかち割り氷入りのグラスと、ウィルキンソンの500mlペットボトル。アルコールが入ってないだけで、これはもうほとんどレモンサワーだ。

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なんだか段々この雰囲気に酔っ払ってきた。ダメ押しで厚揚げ(400円)を注文。衣がこんがりと狐色で、切断面は真っ白に輝いている。安いのに立派。全ての仕事が丁寧だからだろう、断酒してからこんなに満足感のある居酒屋体験は初めてだ。

ガラリと引き戸が開いて、奥の座敷の女性三代の席にお父さんが遅れて到着する。外套を脱ぎながら「じゃあ、僕もヒレで」と一言。フグのヒレ酒か、いいなぁ。やっぱり居酒屋は冬が似合う。自分がもう酒を飲めないことを棚に上げ、早く非常事態が収束してほしいと改めて思う。

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満腹で店を出ると、目の前の錦糸公園の向こうではスカイツリーが虹色にライトアップされていた。アイドルグループ・NiziUとのコラボレーションらしい。アルコール抜きの居酒屋は、ミイヒ抜きで活動していたデビュー当時のNiziUみたいなものかもしれない。たしかにないとないで寂しいが、どちらも充分に成立している……と、そんなハマり切らない見立ては北斎通りに捨て置いて、大人しく錦糸町を後にする。

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PROFILE

中島晴矢(なかじま はるや)
アーティスト。1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。美学校「現代アートの勝手口」講師、「喫茶野ざらし」ディレクター。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM/東京 2019-2020)、グループ展に「芸術競技」(FL田SH/東京 2020)、アルバムにStag Beat「From Insect Cage」(2016)、連載に「オイル・オン・タウンスケープ」(論創社)など。http://haruyanakajima.com
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