From YOUth #07|パリーシューズ 中村翔志

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コム・デ・ギャルソンで学んだ商品の扱い方

Q.8 「パリーシューズ」という店名の由来は?
先代の社長がつけた名前なんです。社長の奥さん──つまりぼくのおばあちゃんですが──の名前が花子っていうんですけど、靴屋をやるのにお洒落なイメージを付けたかったらしくて。昔はパリのことを「花の都」って呼んでたんで、おばあちゃんの名前に引っ掛けて、「パリーシューズ」にしたそうです。しかもパリじゃなくて「パリー」って伸ばしてるのは、おそらく昭和初期の人はそう間違って発音していたかららしくて。店名はその名残とも言えますね。

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Q.9 1日のスケジュールは?
朝8時くらいに起きて、10時頃出勤して、20時くらいまで仕事です。帰宅して夕飯食べて、1〜2時間ウェブのこととかSNSのチェックや更新などをして寝ます。

Q.10 どういうお客さんが多い?
商店街のこういう土地柄なので、古くからのお客さんが多いです。年齢層はすごく幅広いですね。80〜90歳のおじいちゃんおばあちゃんが来る一方で、ベビーシューズ、ファーストシューズも扱っているので、子連れのお母さんとかも来ます。あとは地元の小中学生とかですね。あまり来ない客層というのはないですね。

Q.11 働き方のモデルとする人はいた?
モデルではないですが、自分のしてきた仕事のベースを残してやりたいなとは思っていました。以前勤めていたコム・デ・ギャルソンは、シャツ一枚でも4〜5万円。商品ももちろんすごく丁寧に扱っていました。パリーシューズでは、一足600円とかのサンダルとかも売っていて、値段はすごく違うんですけど、同じものを扱う感覚でいたくて。結構昔の靴屋って、わぁ~っと適当に並べたりとか、雑に扱ったりしても売れてた時代があって、でもそういうことはやりたくない。ハイブランドの服と同じくらい丁寧に扱おうと思ってやっていますね。

商品の中には上履きや下駄、介護シューズがあったりするんで、今時の靴屋に行っても参考にならないし、かといって昔ながらの靴屋を見て勉強しすぎるのもよくない。他の靴屋に行くときは、どちらかというと接客とかを意識して見ています。

変わらない町の靴屋を目指して

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Q.12 コム・デ・ギャルソンでの接客の仕事が今に活かされている?
そうですね。商店街で働く人って、おじいちゃんとか父親のあとすぐ継ぐケースが多いんです。僕はワンクッション置いて外で働いた経験はずっと大事にしてますし、いまに活きてるとは思います。

Q.13 服飾学校時代の友人は独立している人が多い?
多いですね。ショップの店長になってたりとか、スタイリストをやっていたり、ブランドを立ち上げていたり。そういうところで刺激をもらっていますね。たまにひやかしにお店来てくれたりとか、ホームページ見て「良い商店街じゃん」って言ってくれたりとか。僕個人のインスタグラムでも商店街の宣伝ばっかりしてるんで、それをきっかけに来てくれたり。この前も友達が商店街の貸しスペース「金魚亭」でコーヒーのイベントをやってくれました。

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Q.14 今後の目標は?
人手があればもう1店舗くらい出したいですね。北区内のちょっと離れたところとかに。でもまぁ人手はないので(笑)。今は僕のお店というよりも父の、店長のお店なので、売り上げやお客さんの感じを含めてキープするのが、正直大事だと思ってます。おじいちゃんの代から40年近いお客さんもいますし、昔は赤ちゃんだった子がお母さんになって、その子供を連れて来てっていう、代々の流れみたいなものも出来ている。それをずっと続けさせてもらえたらなと思っています。

Q.15 ちなみに新しくお店をやるとしたら?
スニーカー屋とかやっても売れる気しないしなぁ(笑)。お店の中でいろんなものを売ってみたいですね。関係無いTシャツとか、ハンカチとか。友達がやっている洋服屋さんとか、好きな古着屋さんとかもいろんな雑貨とか置いてるので、そういうごちゃまぜな感じはやりたいですけどね。ここでは絶対売れないですけど(笑)。

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中村翔志 / Jouji Nakamura
1988年生まれ。駒込は霜降銀座商店街にある靴屋『パリーシューズ』の三代目。ファッション専門学校卒業後、ファッションブランドにて販売員として修行を積む。三年後、実家に戻り家業を継ぐ決意をする。三代目に就任。
現在は、霜降銀座商店街の「WEBサイト管理人」としても活動。商店街ホームページの立ち上げ、企画・運営にたずさわる。商店街に眠る歴史や魅力をインタビューで掘り起こし、霜降銀座の素晴らしさを伝えていくことに日々奮闘中。
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