松本素生の、降りたことがないのになつかしい町 | 西武多摩湖線 萩山駅

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自転車や電車に乗って通り過ぎただけ、あるいは何の気なしに立ち寄った町で見かけた、どこか郷愁を感じてしまう風景。ロックバンド・GOING UNDER GROUNDのボーカル&ギターを務める松本素生が、そんな「町」の一瞬を丁寧に拾い上げていくエッセイ連載。

初回では、連載タイトル「降りたことがないのになつかしい町」という言葉が生まれたきっかけに思いを馳せる。祖父母が住んでいたあの町で思い出す、祖父と西東京の匂いについて。

Text / Photo:Sou Matsumoto
Edit:Michi Sugawara

今は亡き祖父母の家へと通う日々

降りたことがないのになつかしい町。

そんな言葉がフッと頭に浮かんで携帯のメモに保存したのは、去年、一昨年と立て続けに亡くなってしまった父方の祖父母の家の整理へと向かう西武多摩湖線の車内。

国分寺駅から西武遊園地までを結ぶこの路線は、朝夕は仕事に向かう人や学生で混み合うが、それ以外の時間は人もまばらで、とても静かだ。

国分寺から祖父母の家がある萩山駅までは10分もしないが、そのわずかな時間でするうたた寝を密かな楽しみにしていたりもする。

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前置きが長くなってしまったが、そんな事もあって、長年の介護生活を終え、「第二の人生は好きなように生きる」と宣言して京都に移住した両親に代わり、孫の僕が時間を見つけては都心の自宅から萩山にある祖父母の家へ通う日々が続いている。

祖母は数年前から難しい病で寝たきりになってしまい、父と母、(ときには僕も)昼夜交代で介護するような生活スタイルが長く続いた。それもあって、家族共々来たるべき日は覚悟しながらも、少しずつ祖母の身の上の整理が出来たので、亡くなってからの混乱はほとんどなかった。いわゆる、「終活」と言うやつか。

一方、残された96歳の祖父は去年、突然逝ってしまった。

祖父は画家で、とても厳しい人だった。虫の居所が悪いと、食事の時に孫の僕が牛乳をせがんだだけで、親(自分の子)を二時間正座で説教するような人だった。この家では、祖父の思った事が法律だったし、それを理解出来ない者は排除した。そんな光景を見て育ったのもあって、誰も祖父に「終活して」などと言えるような雰囲気はなかった。

母屋の二階と庭を挟んだ向かいにアトリエがあり、そこはまさに祖父の聖域で、孫の僕ですら、アトリエに入れてもらったのは数えるほどしかなかった。なので、祖父のアトリエがどんな状態なのかも、亡くなるまでわからなかった。

二階のアトリエは、祖父にも家族にも、それくらい特別な場所だった。

祖父の辞書には、「終活」などという言葉はなかったのだろう。それは久しぶりに足を踏み入れたアトリエの様子で理解できた。

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壁一面の美術書、イーゼル、絵の具、筆、描きかけのキャンバスで雑然としていたが、なぜだか清々しいクリエイティヴィティで満ちていた。晩年は描きたい気力があっても、体力がついていかずほとんど絵が描けなかったと、父親から聞いた事を思い出した。

部屋の中には、何枚も描きかけの絵があり、その内の何枚かに軽く指を這わせると油絵特有のザラザラした感じがとても懐かしく、葬式では堪えたはずの涙が溢れた。日当たりの良いアトリエの窓からは、庭の新緑が心地よさそうに揺れていた。

匂いの思い出 自分にしかわからない西東京の匂い

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その日の作業を終えて萩山駅へと向かう道すがら、この町での祖父との思い出を反芻してみたが、映像として記憶された思い出のほとんどは優しかった祖母とのもので、その代わりに、匂いとして記憶された思い出のほとんどは祖父とのものだという事に気づいた。

油絵の具、朝食の焼けたライ麦パン、ホットミルク、雨の日の庭、すり鉢で擦った胡麻。これらの匂いが祖父との思い出であり、自分にしかわからない西武線沿線や西東京の匂いだと思っている。

12歳でロックに目覚めて聴いた、多摩地区出身である忌野清志郎やブルーハーツの頃の真島昌利のソロアルバムに並々ならぬシンパシーを覚えたのも、こんな匂いの記憶があるからだろうと思っている。

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松本素生 / Sou Matsumoto
1978年、埼玉県桶川市出身。ロックバンドGOING UNDER GROUNDのボーカル・ギターを務め、同バンドのフロントマンでもある。数多くの作詞・作曲を手がけている。ソロプロジェクト「SxOxU」のほか、個人名義での活動も多数。
2018年9月19日、GOING UNDER GROUNDは新アルバム「FILMS」をリリース。
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