Street ReView #12 「市民」である僕たちの奮起のために━━佐久間裕美子『Weの市民革命』

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映画や書籍など様々な作品を通じて得た「町」や「まちづくり」に関する着想をレビューする本企画。第12回目は、翻訳出版の仕事に携わりながら「マリオ曼陀羅」の名義で画家としても活動する田内万里夫さんによる、佐久間裕美子『Weの市民革命』(朝日出版社)のレビューコラム。

Text:Mario Tauchi
Edit:Chika Goto

 

「ねえ、看板を描いてよ」

この町に越してきてまずやったことといえば、商店街を中心に、酒の飲めそうな近隣の店を片っ端から試してみることだった。馬が合いそうな店もあれば、合わなそうな店もあった。

酒を出すのかどうかは分からないが、商店街の北のはずれに、ひときわ気になる怪しげな構えをした店があった。「東京讃岐うどん」とだけ大きく書かれたサインがあり、黄色い支柱に挟まれた、いかにも重そうな木製の扉の横の大きなガラス窓に「JAZZ KEIRIN」と、控え目に、とぼけた感じの手書き文字が躍っている。酒場ではないかもしれないが、ジャズと競輪を主張する店主が酒飲みでない可能性はほぼ無い。

その店に通うようになって、気が付けばもう15年が経った。この町でいいかなと思えるのは、こういう個性ある店を営む人がまだいるからだ。黄色く塗られた壁には競輪選手のジャージや、店主の思う名盤レコードが適当な額に収められ、下げられている。流れるジャズを聴きながら、腰の強い創作うどんを啜る。そう、創作うどんの店なのだ。天井から競技用自転車のフレームがぶら下がり、設置されたモニターではレースが繰り広げられてはいるが……。

一年遅れのオリンピックが大きな悶着を起こしながら開催され、店では夏のメニューの「オレンジぶっかけ」がはじまっていた。コチュジャンをベースに整えたスープの辛味と酸味の調和が絶妙なサラダうどんだ。トッピングのゴーヤの天ぷらのサクサクとした香ばしさに舌鼓を打っていると、「ねえ、投票率を上げるような看板を描いてよ、店の前に立てるから。秋に衆議院選あるじゃない」と、透明アクリル板の向こう側のキッチンから、店主のあの大きな声がしたのだった。

肥大化した経済と、なにもかも有限な生活

ちょうど、年末に出たばかりの『Weの市民革命』(佐久間裕美子著/朝日出版社、2020)という本のページをめくっていたところだった。

「この商店街もさあ、去年からもう15軒も飲食店が閉まってるんだよ。個人経営の店は給付金でどうになるけどさ、スタッフ抱えてたり家賃が高かったりしたら、もうアウト」と、店主はくたびれた顔をして、首を振る。「うちは俺ひとりだからなんとかなっている方だけど、協力金をもらうようになって実感した。抜け出せなくなるよ。政策で手厚く保護される大きな電力会社やテレビやなんかが、政権が変わったら絶対に困るっていう事情が、身に染みてよく分かった。これ間違ってる」と、店主の声が響く。

2001年に生じたアメリカ同時多発テロ事件、2008年に始まった金融危機が引き起こしたのと並ぶくらいの、またはそれ以上の規模の文化シフトが、いま起きている
佐久間裕美子『Weの市民革命』P9より

ニューヨークを拠点に市民生活の行く末について議論を重ねる著者、佐久間裕美子の切り出しだ。コロナ禍がはじまってから、いよいよその必要性が明らかになった社会の大きなパラダイムシフトについて、また街/町に暮らす人々の意識の変革について、これでもかというほどの実例を挙げながら、「市民」である僕たちの奮起を促そうとしている。

企業が利益を上げて株主に還元しても、貧富の差は大きくなるばかりで、社会全体の経済的持続性は上がらないこと。従来の資本主義のそうした限界を踏まえて、企業の存在意義を、利益を生み出すことから、ステイクホルダーを守り、繁栄させることへとシフトするアプローチ
同上 P64より

これこそがコロナ禍の有無にかかわらず、すでに環境、エネルギー、経済、金融、ありとあらゆる次元で問題を抱えた時代、市民が行き詰まったこの時代の企業に求められるべきあり方だと叫んでいる。アメリカでだって「トリクルダウン」なんて起きなかった。

とはいえ、この縮小局面は改革のチャンスでもある
同上 P141より

コロナ禍において縮小した経済の流れを好機であると、著者はそう捉えてもいる。環境について、エネルギーについて、資源について、時間について今一度、自問しながら自分たちの在り方を問い直したい、そんな人々の声をこの著者は代弁しようとしている。数字は無限かもしれないが、実際の物事はなにもかも有限なのだ。

端折ってしまえば、つまり、実態の知れない大きな“経済”から自らの身を守るためにも、個々の自覚によって地域を立て直し、地域社会を立て直すことによって日常を生きる市民の未来を作り出そうという提案の書だ。

行き過ぎた資本主義に取って代わるべきもの

パンデミックの実態が今よりも更に漠然としていた去年、2020年の8月、オリンピック関連のイベント会場として作られたものの、その役目を失ってしまった「JR高輪ゲートウェイ駅」の駅前広場を活用するアートイベントから声が掛かった。特設会場を囲む壁面を、12人のアーティストによる壁画で飾ろうというプロジェクトだ。「サステナビリティ」「都市」「開発」をテーマにすれば、なんでも自由に描いていいという条件で、僕も幅4メートル、高さ3メートルの壁画を描いたが、気になったのはそのテーマだった。与えられた3つのお題が、なんだかいかにもこじつけめいて感じられたのだ。

プロジェクト用のウェブサイトや冊子のために、短いステイトメントを書くことを求められ、僕は次のような形で、その違和感を示そうとした:

Moral Capitalism(モラル・キャピタリズム)やEthical Capitalism(エシカル・キャピタリズム)、つまり倫理的資本主義と呼ばれる社会システムへの移行/実験のタイミングが今まさに訪れている。もしかしたら、それはSocial Capitalism(ソーシャル・キャピタリズム=社会資本主義)かもしれないし、他のなにかかも知れない。世界を構成する生命の健全性を担保できないシステムは結局、自縄自縛に陥り、自ら本能的に破滅の道を選び取っていくのではないか。ヒトにはコントロール不能な要素が社会に大きな影響を及ぼすのは必定であり、それが地球規模の巨大なインパクトとなる可能性もある。なにが契機となり人間/社会のなにが変容するのか。その観察装置としての絵。

最も強調したかったのは、またそうしなければならなかったのは、行き過ぎた資本主義に取って代わるべき「他のなにか」というところだ。

この直後の2020年9月、マルクス経済学を軸に社会の未来の在り方を語る哲学者の斎藤幸平の『人新世の「資本論」』が集英社新書より刊行され、瞬く間に読者を広げた。既存の資本主義勢力の謳う利益誘導型の都合の良い取り組みを指し「SDGsは大衆のアヘンである!」と看破した。そして実にあっけらかんと、資本主義はもう無理ですよ、と誰にでも分かる形で言ってのけていたのだった。育まなければならないのは「コモン(Common)」つまり公共であると、斎藤幸平は述べている。

プロジェクトの趣旨に配慮した形で口ごもってしまった自分自身を恥じながら、このように優れた若い学者が確信をもって述べていることと、自分の直感とが噛み合ったことを知り、少し励まされたような気持ちも芽生えた。これから大人になってゆく子等の世代を育てながら、このような社会のままで良いと思えるはずもない。

「VOTE(投票を)」

JAZZ KEIRINから発注のあった「投票率アップのための看板」を作るのに少し悩んだ。そのタイミングでは未だ自民党総裁選のあの茶番めいた混乱は始まっておらず、タイミングとしては解散総選挙の目もあったからだ。それで「VOTE(投票を)」という文句を地模様にあしらったデザインに決めた。いざ総選挙となれば、上から詳細を書き加えればいい。

InstagramにVOTE看板の写真を投稿すると、縁のある渋谷のタイ料理レストラン(モーラム酒店)、そして下北沢のバー(浮島)から、うちにも置くという反応があり、それぞれの店のイメージに合わせ、制作した。モーラム酒店のマルちゃんは僕と同世代のアラフィフの育児世代、浮島のたっちゃんはアラサーの独身だ。投稿を目にした中部地方の寺からも、本尊をモチーフにしたVOTE看板を置きたいという発注があり驚いた。世代や地域に関係なく皆なんらかの明確な意識を持って、この危機をどうにか乗り越えようとしている。

革命は起きるのではない。私たちが起こすものなのだ。
同上 P229より

……と、『Weの市民革命』は結ばれている。
革命というとものものしく感じる人もいるかもしれない。だが、要は政治経済の在り方を変えるということだ。

人々との関係を大切にし、その人々が育むさらに幼い人々の命を大切にし、そのために町/街を、地域を、厚みのあるものにしていく必要がある。ひと手間かけてもふた手間かけても、それは価値のあることなのだ。気持ちよく働き、気持ちよい仲間たちの待っている「まち」に帰り、一息入れてまた終わりなき明日へと備えたい。人々を大切にする社会、なにも排除しない社会、コモンを大切にする「We」の社会に生きていきたい。そう考えたとき、今のこの状況は、コロナの有無にかかわらず明らかにかなり狂っている。

HACO NYC Gallery / New York 2019

 

PROFILE

田内万里夫(たうち・まりお)
日本、フランス、オーストラリア、アメリカに暮らし、各地で宗教芸術、ストリートアート、トライバルアート等に触れ、影響を受ける。2001年より独学で絵を描きはじめる。伊丹市立美術館キース・ヘリング展『LOVE POP!~アートはみんなのもの』(2012)で壁画プロジェクト【キースの願った平和の実現を願って】を担当するほか、国内外のギャラリー等での展示や、ライブペインティング/ドローイングのパフォーマンスを展開。
https://mariomandala.com/
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