武雄滞在記|金川晋吾

0
株式会社まちづクリエイティブが、佐賀県武雄市の武雄温泉エリアで行っているまちづくりのプロジェクト「TAKEO MABOROSHI TERMINAL」。その一環として開催されたのが、「武雄ハシゴ酒プログラム」だ。

夜の街としての顔を持つ現地で、クリエイターをゲストにハシゴ酒を行うこの企画。参加してくれた写真家・金川晋吾による日記形式のルポをお届けする。

text ,photo:Shingo Kanagawa
edit:Shun Takeda

2月14日

武田さんからメッセンジャーで、まちづクリエイティブ社(以下、まちづ社)主催の武雄市でのハシゴ酒プログラムに誘われる。撮影の仕事なのか何なのかよくわからなかったので武田さんに電話してみると、仕事の依頼ではなくて、旅費は出すので(飲食代は自腹)武雄市で一緒に飲みましょうという飲みのお誘いだと言われる。

まちづ社は武雄市で「TAKEO MABOROSHI TERMINAL」というまちづくりのプロジェクトをやっていて、このハシゴ酒プログラムもその一環のようなものとのこと。現地に宿泊可能なレジデンス施設をつくっていろんなアーティストを呼んだりもしているらしい。自分もアーティストとしてハシゴ酒に参加して、地元の人たちと交流するということかと思う。楽しそうだし、声をかけてもらったのがうれしかったので参加することにする。

2月29日

成田空港で武田さんと待ち合わせ。春秋航空の飛行機で1時間半ほどで佐賀空港に着く。空港からはレンタカーを借りて武雄へ。45分ぐらい走ると大きなこぶがふたつあってそのあいだが凹んでいる山が目に入ってくる。御船山と言って武雄市のシンボル的な山らしい。武田さんがこの山にまつわる神話を説明してくれた。

どういう物語でそうなるのかはちゃんと思い出せないが、軍神的な神様たちを乗せた船が、山のふたつのふくらみのあいだの凹んだ部分にのっかることになり、その結果、その船に乗っていた神さまたちが武雄市にある武雄神社に祀られるようになった。

この話を聞いて、蒸気船が山を越える「フィツカラルド」という映画のことが頭に思い浮かぶ。山の上の船というのは普遍的な神話的イメージとして人間のなかに存在しているのかもしれないと思う。そのイメージは奇天烈だけれども何か妙にしっくりくるところがある気がする。でも、あとでこの説明はまちがいだったことがわかる。

_MG_1652

_MG_1655

_MG_1659

_MG_1674

温泉街のなかにある、まちづ社が運営しているTAKEO MABOROSHI TERMINAL OFFICEへ。この場所は武雄で葬祭業をされている井上さんという方から借りているとのこと。通りに面したスペースはホワイトキューブのギャラリーになっていて、奥は井上さんの事務所になっている。中に入って井上さんにご挨拶をする。井上さんは髪は真っ白だが体はとてもしまっていて何歳なのかよくわからない。サーフィンをやっているとのこと。写真も好きらしくてカメラのことなどを話す。とても気さくな人。こういう地元の人がいるからこそ、こういう場を運営していくことができるのかと思う。

二階は民宿のような感じ。少し広めの広間があって、5つほどの部屋につながっている。アーティストのレジデンススペースとしても使われる。まちづ社の寺井さんと入山さんがいて、歓迎の言葉をかけられる。自分と武田さんの他には福岡のダイスという会社で不動産業を担当している木村さんという人しか来ていない。

ハシゴ酒プログラム開始の18時にはまだ少し時間があるので、広間で他愛もない会話などをしながらだらだらする。御船山の神話の話になり、寺井さんから説明を受ける。その説明によると、軍神たちを乗せた船がここに止まって御船山になったのであり、あの山自体が船であるという話だった。そう言われるとたしかにそういうかたちをしている。

その話のほうがとても自然だと思った。あの山がかつて船でもあって、あそこから神様が降りてきたのだと言われると、御船山を中心にしたこのあたり一帯が何か神的な力に守られた場所であるような気がしないでもない。なんにせよさっきの武田さんの説明とはぜんぜんちがった。武田さんは「こうやって神話というのは新しく生成されていくのですね」と言って笑っている。

他の参加者が来るのを待っているのかと思っていたが、そういうわけではなかった。18時を過ぎたあたりで寺井さんから「時間ですね。そろそろはじめましょうか」という声がかかり、武雄市の温泉街の地図が渡される。参加者は自分と木村さんだけだった。

_MG_1693

_MG_1702

温泉街を歩きながら、寺井さんが街の説明をしてくれた。「かつて秀吉は朝鮮出兵の際に佐賀から出国していて、その帰還兵たちの湯治場として武雄は利用されていた。帰還兵に朝鮮陶工も同行していて、そこから佐賀長崎の焼物が創始された」等々、こういう歴史的な事柄をふまえた街の話を、寺井さんはいろいろとしてくれた(でも、メモを取ったりしていたわけではなくてあまり覚えていないので、書けることだけを書く。写真もほとんど撮っておらず、翌日撮ったものもある)。 

駅に近いあたりから武雄温泉に向かって歩いていく。かつては温泉を中心に歓楽街として栄えていて、温泉のまわりには遊郭がたくさんならんでいた。今では温泉よりも駅に近いほうがどちらかというと賑わっているとのこと。たしかに新しいお店は駅に近いほうにある。でも、温泉に近いほうも寂れているというわけではない。

大きくて立派な温泉旅館もあるし、ひとつ道を入るとかつての名残なのか、ソープランドが二軒並んでいたりもする。「Alice」と「金の扉」。決して新しくはないが、入ってみようという気にさせるぐらいの活気は看板から感じられる。自分のなかで性産業というのは大都市にしかないというイメージがあるが、それがこんなに小さくて人口も少ない街にある。それも二軒並んでいる。「金の扉」という名前がとてもいい。実際にお店に入ってサービスを受けなくても、ここがそういうことが盛んだった街であるということを知り、そして今でも残っているそういうお店を目の当たりにするだけで、何か普段とはちがう感覚がもたらされる。普段とはちがう時間のなかにいるのだという気がしてくる。いくつかの時代を同時に経験するような感覚もある。

街が生きている気配はあるのだが、人影はものすごく少ない。人が歩いているのをほとんど見かけない。雨の日だからというわけではなくて、土日でもこの時間では全然こんな感じらしい。営業前のスナックの看板は煌々と光っているが、ほとんどの飲食店はまだ開いていない。武雄の店のほとんどは夜遅くから営業をはじめるらしい。

なぜそんなことをするのか、その理由というのは実ははっきりとわかっているわけではないらしいが、寺井さんがおそらくこうではないかと語ってくれたのは、武雄はかつては大きな温泉旅館が力をもっていたので、温泉旅館の食事の時間が終わってからでないとその他の飲食店は営業をはじめられなくて、その名残で今でもそうなっているらしいということだった。でも、今ではそんな圧力はないらしいので、実際のところはよくわからない。武雄というのはそういう街なのだとしか言えないのかもしれない。

_MG_1754

_MG_1704

ハシゴ酒プログラムの最後に行くというお店「開泉食堂」の前を通るが、やはりまだ開いていない。そもそもお店として生きているのかどうかもあやしい佇まい。開泉食堂がひらくのは21時とのこと。遅い時間から営業をはじめる食堂というのはそれだけで何か妙に期待が高まる。武雄は夜の街なのだという思いがさらに強まる。

「つゆ」と書かれた看板のある店の前を通る。この店には鍋のなかで無限につくられつづける豆腐ゆばというのがあるとのこと。もちろん実際には無限ではないけども、そんな気がするぐらい延々とゆばが生成されつづけるのだと寺井さんは言う。お婆さんが一人でやっていて、とてもいい店だが、今回のプログラムには入っていない。かんばんをみたときは「おつゆ」の「つゆ」だと思ったが、家族の誰かの誕生日が6月だったので「梅雨」ということらしい。その説明を聞いたあとでも、「つゆ」という字面からは「おつゆ」をイメージしてしまう。

武雄温泉につながる通りから一本裏道のようなところに入ると、また少し雰囲気は変わる。もう何年も前に閉鎖になったNTT西日本の支店がそのまま残されていたり、おそらく旅館として使われていたであろうとても大きな建物が丸々空き家になっていたりする。さらに進むと、何度も建て増ししたような独特な構造をもった古めかしい建物があらわれる。じっと見入ってしまうような魅力をもった建物だが、そこがかつて遊郭だったと教えられると、さらに見ることの欲望は強められる。あの建物には人々のいろんな体液がしみ込んでいるにちがいない。何か淫靡な香りが風にのって流れてくるような気さえしてくる。

視線を遠くに向けると、すぐ近くの山が金色に光っているのが見える。あれは御船山ではなくて蓬莱山といって、夜になるとライトアップされるらしい。そのまま進んで裏道を抜けると、目の前に桃色にライトアップされた武雄温泉の楼門があらわれ、金色に光る蓬莱山とセットになっていることに気がつく。今の自分には、目の前にある楼門、竜宮城にありそうなこういう楼門が何かエロティックなものに見えてくる。そうだったのかという思い。これまでわかっていなかったことがわかったような気になり、気持ちが高揚してくる。

_MG_1712

_MG_1717

武雄温泉のすぐ横、蓬莱山へとつながっていく道沿いにもソープランドが二軒並んでいる。手前にある一軒は品のある佇まいでまるで旅館のよう。蓬莱山と武雄温泉の入り口が同時に写る写真を撮ろうとすると、どうしても奥にあるソープランドも写ってしまうので、市の広報などでは使えないのだという話を聞く。それは現在の世界でならば仕方がないことかもしれないが、もっとそういう前提が覆ればいいのにと思う。楼門の設計は東京駅の設計もした辰野金吾。

寺井さんによるガイドツアーは終わり、武雄温泉でお風呂をいただいてから、ハシゴ酒の一軒目のお店に来てほしいとのこと。温泉の入り口には現在の湯の温度を示した電光板があり、「あつ湯45.6℃」「ぬる湯43.2℃」と表示されている。あつ湯はめちゃくちゃ熱くて、ぬる湯でも十分熱いと聞いていたが、実際にあつ湯に入ってみると意外に大丈夫だった。自分はアトピー肌なのでその刺激がちょうど気持ちよくもある。温まり方が普通の銭湯とはやっぱり全然ちがって芯から温い。のぼせ方もちがって、油断をしていると突然くらっと来るが、それも気持ちがいい。汗もつるつるしている気がする。

お風呂からあがったひとのからだは、自分もふくめてみんな真っ赤になっている。脱衣場で体を拭いていると、「いいえわたしは、さそり座のおんな お気のすむまで 笑うがいいわ」とおじさんが歌っているのを目にする。こんな光景は別にどこでも見られるものかもしれないが、でもこれを武雄の温泉で見ることができたということが何か特別なことのような気がしてくる。よく見るとさそり座の女を歌っていたおじさんは、自分とそれほど年齢が変わらないぐらいの人だった。

_MG_1750

_MG_1752

服を来て外に出ると夜風が気持ちいい。まだ十分寒いが、空気のなかに春のぬるさもふくまれている。のどの渇きと空腹を感じながら、1軒目の「TKB(武雄バーガー)AWARD」に向かって歩く。この「これから」という期待感に勝るものはないといつも思う。

「TKB AWARD」はお店も新しく、いい意味でどこにでもありそうな洒落たハンバーガー屋さんだった。イラストレーターでアニメーターのたかくらかずきさんとモデルの本山順子さんが合流する。二人は夫婦であり、本山さんが武雄の出身なので、帰省のついでにハシゴ酒プログラムに参加することにしたとのこと。そもそもたかくらさんがTAKEO MABOROSHI TERMINALの企画で武雄にレジデンスに来たことが二人の馴れ初めらしい。

飲むところから地元の人たちも参加するのだと勝手に思い込んでいたが、そういうわけではなかった。自分、木村さん、タカクラさん、本山さん、の4人のためのハシゴ酒プログラムだった。

「武雄バーガー」というのはこの店のマスターが言い出したことで、AWARDというのも、誰も賞をくれないから自分で作ったとのこと。ここでおなか一杯になってはいけないので、武雄バーガーは出てこない。ナチョス、唐揚げ、ハムカツを食べる。どれもとてもおいしい。武雄バーガーもぜひ食べてみたいと思う。

出てくる料理の写真を撮ろうかと思うが、別にもういいかと思う。面倒くさかったからというのもあるが、そういうことを求められているのではないような気がする。温泉効果なのか、酔いのまわりがとても早い。早速いい具合に酔っぱらう。

_MG_1727

_MG_1728

_MG_1729

_MG_1735

1時間ぐらいでTKBを出て、次の店へ。酔いの影響もあるのかもしれないが、方向感覚がつかめなくなる。「いってみよう」というお店の看板がある。その文字面を見るだけで何か懐かしいという気持ちになる。その奥を一本折れたところにある「喜隣や」に入る。

20時を過ぎたころだが、まだお客は他に誰も来ていない。女性がひとりでやっている。いつもはこの時間は開いてなくて、営業も基本的には週末だけなのだけど、誰かが電話をくれるとそれに合わせて開けてくれて、開けたら朝まで開けてくれることもしばしばあるらしい。今日も寺井さんが電話をしたので開けてくれたとのこと。

鉄板焼き屋ということなので、ハツ、とりもも、お好み焼きを食べる。ハツも、とりももも、ものすごくおいしい。こういう基本的には焼くだけの料理でこんなにもちがいが出るのはどういうことなのだろうと思う。お好み焼きも自分で焼くのではなくて店主のママさんが焼いて出してくれる。これもびっくりするぐらいおいしい。自分はこれまでそんなにいろんなお好み焼きを食べてきたわけではないけど、今まで食べたどのお好み焼きよりもおいしいと思う。酔いの効果もないことはない。

なぜこんなにもおいしいのか、どこかのお店で修行などをしてきたのか尋ねる。ママさんは鉄板焼きのお店でかつて働いていたり、何か思い入れたあったというわけではなくて、たまたま鉄板がとても安く買えたのでとりあえずやってみることにしたらしい。でも、飽き性なので実はもう飽きてきていて、次の新しいお店をやるためのリサーチを最近はよくしているとのこと。その「新しいお店」というのは何なのか尋ねるが、ママさんは冗談なのか本気なのかよくわからない調子で、はぐらかし続ける。

「それはまだどこにもない。佐賀はもちろんたぶん東京にもない。知ってはいるけど食べたことはないもの。でも、とくに奇抜なものというわけでもない。とてもシンプルなもの。シンプルなものしか私はやらない。結局ヒットするのはシンプルなもの」と「一休さん」のとんち話みたいなことをママさんが言うので、私たちはそれが何なのか当てようといろんなことを口々に叫び、テンションがあがる。

ママさんのしゃべり方は変に大げさなところがなく、淡々としてながらもオープンでとても話しやすい。私は一目見たときから自分がママさんに何かを感じていることは感づいてはいたが、それが色気なのだということが次第にはっきりとしてくる。大人の、明るく、あっけらかんとした色気。自分も十分過ぎるほど大人と言うべき年齢だけど、大人の色気というのはこういうことなのかと思う。これまであまりわかっていなかった種類の色気。

_MG_1738

名残おしかったが「喜隣や」を出て最後のお店、「開泉食堂」へ。今度はちゃんと開いている。店内は蛍光灯の微妙な明るさというか暗さ。この微妙な明るさというか暗さがより期待感を高める。注文したのはチャーシュー麺、焼きめし、皿うどん(メニューにはない)で、炭水化物ばかり。

前評判として開泉食堂の料理は、「それが何かはわからないが、特別な化学調味料みたいな何かが入っているんじゃないかと思わせるような中毒性のある旨さ」だと聞いていた。食べてみると、たしかに妙にくせになる旨さ。調子にのって勢いよく食べ続ける。自分が満腹であることになかなか気づかないというか、そのことにそれほど注意を払えない。突然、自分が食べ過ぎで危機的な状況にあることに気づく。あわてて常備している胃薬を飲み、なんとか胃をおさめようとする。しばらくして落ち着いてくると、もう一口いってしまいそうになる。

ただ、「何か得体の知れないものが入っているんじゃないか」という言葉の意味がちゃんと理解できたのは翌日だった。営業していないお昼の開泉食堂の前を通ったときに、脳を直撃するようにあの味が強烈によみがえってきた。が、その味はよみがえったと思った瞬間つかみきれないまま幻のようにどこかに消えてしまい、また無性に食べたくなった。

_MG_1740

_MG_1742

22時を過ぎたところでハシゴ酒プログラムはおひらきに。ただ、武雄での飲みは基本的にはこれぐらいの時間からはじまるものということなので、もう一軒行くことにする。武田さんもたかくらさんも「ぐれいす」というお店が最高なのだと繰り返し言っていたが、今日は残念ながら営業していないということなので、「BAR AMIGO」に行くことに。「死ぬ前に何をしたいかと訊かれたら自分はAMIGOに行きたい」と言った武雄市役所の職員の人がいるという話を聞く。実際に行って見ると、「BAR AMIGO」はメキシコから来た九州なまりの日本語を話すエネルギッシュな女性がやっていて、たしかに悪い店ではなかった。ただ、死ぬ前に来たい、死ぬならここで死にたいと思うのはどういうことなのかはよくわからない。お客は私たちしかいなかった。

0時過ぎに本当におひらきに。武雄に「GET FUNK」というクラブがあるということなので、私は一人で行ってみることにする。佐賀市内にあるのならわかるが、武雄にクラブがあるということに興味がわく。まだ帰りたくないというのもあった。何かイベントをやっているだろうと高をくくっていたが、イベントは今日ではなくて来週ということもあり、お客は誰もいない。その後もお客は自分しかおらず、おかげでお店の人と話しこむことができた。

3月1日

朝10時ごろに起きて、武田さんとふたりで朝風呂に入るため武雄温泉へ。温泉に入るととてもいい具合におなかが空いてきたが、空腹をキープしたまま武雄神社に行く。武雄神社の奥にある細い坂を下ると、木々に囲まれた細道があり、それを抜けると大楠があらわれる。大楠は大きい。思っていたよりもだいぶ大きい。距離感が狂う感じがあるが、さらに樹齢3000年以上というキャプションを見ると、眉唾じゃないのかと思いながら時間の感覚もおかしくなってくる。いつまでも見ていられる。全然見きれない。

しばらくして、少し奥まった竹林のなかに女性が大楠と向き合って立っていることに気づく。それまでにも視界には入っていたはずだが、その存在に急に気がつく。女性はずっと大楠を見つめている。たまに腕をひろげたり、目を閉じたりしている。ときたま、口元が動いているようにも見える。大楠と対話しているにちがいない。あるいはもう彼女自身が大楠になっているのか。そういうことをしたくなる気持ちはわかる気がした。これがパワースポットというものかと思う。やっぱり何でも実際に行ってみないとそのよさはわからないものだと思う。

_MG_1917

極限までお腹が空いた状態で、お昼ごはんに「TKB AWARD」で武雄バーガーを食べたあと、寺井さん入山さん武田さんと自分の4人でレンタカーに乗って佐賀空港まで向かい、東京に戻る。

私はこれまで「まちづくり」という言葉がいまひとつどういうことなのかよくわかっていなかったし、どこか訝しんでさえいた。なので、少し前の飲み会の席で、寺井さんが「『まちづくり』という言葉って漠然としすぎていて、よくわからないというか、どこか胡散臭いでしょ」みたいなことを酔っぱらいながら言っているのを聞いたときには好感をもった。

今回武雄でのハシゴ酒プログラムに参加してみて、自分のような人間を東京から呼んで武雄でおいしいものを食べさせるという(旅費は出すが飯代は自腹)、それがどういう結果をもたらすのかよくわからないことにお金を使うということ、そういうことも寺井さんたちがやろうとしている「まちづくり」のなかには含まれているのだと思った。そして、それはとてもおもしろいことだと思った。費用対効果みたいなことを考えるのであれ、私よりももっと他にいい人はいたんじゃないかということがずっと気にかかっていたが、そもそも寺井さんたちはそういうことをそれほど考えていない、重視していないのだろうと思った(もちろん、ちゃんと考える場面もあるのだと思うが)。

_MG_1838

_MG_2032

_MG_1849

_MG_1806

PROFILE
金川晋吾 / Shingo Kanagawa

1981年京都府生まれ。神戸大学卒業。東京藝術大学大学院博士後期課程修了。2016年青幻舎より「father」刊行 。最近の主な展覧会、2019年「同じ別の生き物」アンスティチュ・フランセ、2018年「長い間」横浜市民ギャラリーあざみ野、など。

晶文社のウェブサイトでの連載「写真のあいだ」|
http://s-scrap.com/category/kanagawashingo
詩人の大崎清夏との往復書簡〈不安なことば〉|
https://note.mu/osakisayaka/m/m8b34e0a6a5db

0
この記事が気に入ったら
いいね!しよう