アーティストが町を活性化する。「WEMON PROJECTS」の3つの視点|前編

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池上本門寺の門前町として、古くから栄えてきた大田区の池上地区。この町で、大田区と東急株式会社(以下、東急)は、地域資源を活用した新しいまちづくりプロジェクト「池上エリアリノベーションプロジェクト」を2019年3月より本格始動させた。

同プロジェクトの運営パートナーに選ばれたのは、横浜に日用品店「DAILY SUPPLY SSS」を営む、アーティストユニットL PACK.と、建築家・敷浪一哉を中心とする「WEMON PROJECTS(ゑもんぷろじぇくつ)」だ。競合する企業や団体を押さえ、なぜ彼らが選出されたのか。彼らの取り組みは、東急の考えるビジョンとどのように交差しているのか。

旧参道の入り口に位置する、推進拠点「SANDO BY WEMON PROJECTS(さんど ばい ゑもんぷろじぇくつ)」に、同プロジェクトの中心メンバーに集ってもらい、話を聞いた。

Text:Akira Kuroki
Photo:Shin Hamada
Edit:Shun Takeda

3つの空間を起点としたプロジェクト

Wemon

池上エリアリノベーションプロジェクト」の中で、「DAILY SUPPLY SSS(以下、SSS)」を中心にしたメンバーで組織されるプロジェクトが「WEMON PROJECTS(ゑもんぷろじぇくつ)」だ。池上エリアの情報収集、交流、発信を目的にした活動は、以下の3つの空間を拠点にしている。

1. 実空間「SANDO(サンド)BY WEMON PROJECTS」
2. 紙空間「HOT SANDO(ホットサンド)BY WEMON PROJECTS」
3. WEB空間「NEW SANDO(ニューサンド)BY WEMON PROJECTS」

それぞれが独立しつつ、緩やかに連動したメディアとして機能することで、多様な視点や、バリアフリーな空間を創出する狙いだ。

前後編に渡ってお届けする本特集の前編では、L PACK.の小田桐奨さんと、建築家・敷浪一哉さん、そして東急の社員であり「池上エリアリノベーションプロジェクト」担当の荻野章太さんに、同プロジェクトが始まった経緯と、彼らが考える「まちづくり」のあり方について、お話を伺った。

「カフェ機能を持ったスペース」ではなく、「カフェ」をつくる。

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──まず、このお店「SANDO by WEMON PROJECTS(以下、SANDO)」は、どんな場所でしょうか?

小田桐奨(以下、小田桐) 「SANDO」では、複合的な活動をしているので説明の仕方がたくさんあるんですが、一番わかりやすい入り口で説明すると「コーヒーにこだわっているカフェ」です(笑)。

コーヒーは水出しで丁寧につくっていて、ホットで出すときは日本酒のように湯煎して提供しています。まず飲食店として、当たり前のことにこだわることにはチャレンジしています。

L PACK. 小田桐奨さん
L PACK. 小田桐奨さん

敷浪一哉(以下、敷浪) オススメは、ブレンドコーヒーの2.5倍の濃さの「ストロングコーヒー」です。ウィスキーと同じ扱い方をしていて、ウィスキーのテイスティンググラス、もしくは氷を入れてロックで提供しています。最近これにハマっているお客さんが続出していて。

小田桐 週末にすごくでていますね。珈琲豆も自分たちで焙煎していて、提供するグラスも作家がつくったものを使っています。

テイスティンググラスで楽しめる「ストロングコーヒー」
テイスティンググラスで楽しめる「ストロングコーヒー」

小田桐 きちんとカフェをやるというスタイルにしようと思ったのも、「池上エリアリノベーションプロジェクト」というまちづくりの中で、この場所がどういう立ち位置で存在できるかを考えた上でのことです。

敷浪 実際この場所は、プロジェクトの推進拠点として、まちづくりの色がかなり濃い場所なんです。だからこそ、あえてちゃんと一店舗としての「カフェ」を濃く出すことで、「役所の方からやって来ました私たち」という色を薄める効果があると思います。その延長で、周りの人と仲良くなっていって、その先にこの町とやりたいことや、知りたい情報が自然と会話から引き出されてくる。

建築家、敷浪一哉さん
建築家、敷浪一哉さん

敷浪 そうではなくて「まちづくりのための情報を引き出したいから、コーヒーを出せるようにしておけば人が集まってくるよね」くらいだと、すごく弱い。

小田桐 手法としてはよくやられてますよね。

敷浪 よく見ますよね。「カフェ機能を持った◯◯」とか。僕たちがやりたいのは「カフェ機能を持ったスペース」じゃなくて、「カフェ」という空間。そこはすごくこだわってやっています。

「SSS」のようなお店が池上にもあってほしい

東急株式会社、荻野章太さん
東急株式会社、荻野章太さん

「池上エリアリノベーションプロジェクト」が「SSS」と共同するきっかけとなった立役者とも言えるのが、東急株式会社(以下、東急)の荻野章太さんだ。

同プロジェクト立ち上げのきっかけには、東急の若手社員有志によって2017年に始まった「リノベーションスクール」がある。大規模開発だけでなく、既存の地域資源を活かしたまちづくりをどのように行っていくか?を考える活動は、大田区との勉強会などを重ね、2019年3月に締結された大田区と東急による「公民連携基本協定」へとつながって行く。

──「SSS」が、運営パートナーに選ばれた経緯はどのようなものだったのでしょうか?

荻野章太(以下、荻野) まず、大田区と東急で「公民連携基本協定」を2019年3月に締結することになり、「活動の拠点が必要だよね」という話になりました。かねてから、この建物のオーナー様からテナントを探してきて欲しいと私が所属している東急の城南センターにご相談いただいていたので、オーナー様に主旨をお伝えし賛同していただきました。

そこで2018年8月からチームが組織され、10月頃から事業者選定がスタートしました。いろいろなカフェ事業者や建築家の方などが候補に上がっていたのですが、個人的に池上の街には、あまりしっくり来ないなと思っていました。

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荻野 その時、よく通っていた「SSS」がオープンして1年たったくらいで、「ああいうお店が池上にもできたらいいな」と思っていました。L PACK.の活動もずっと見ていたので、彼らだったらまた違った地域資源の発掘の仕方、いろんな取り組みをしてくれるんじゃないかなと思い、声をかけさせてもらいました。

──最初に「SSS」を社内で提案した時の反応は?

荻野 最初は「何者なんだ彼らは?」という状況でした(笑)。まぁそれも当然で、そのほかの事業者候補は建築家、まちづくり界隈で知られた方の名前ばかりでしたから。

──荻野さんから最初に提案を受けた時の印象は?

小田桐 とにかく時間がないことだけは明らかだったかな。

敷浪 「えっ、こんな短期間で提案しなきゃいけないの?」という感じだったよね(笑)。実質12月の1ヶ月間だけでしたらから。でも荻野さんには「やりましょう!」しか言ってない。「全然やりますよー」って。

荻野 正直今初めて「時間がないと思ってた」というのは聞きましたね(笑)。当時はそんなそぶりは一切見せなかったんですよ。プレゼンは動画のものもあったり、かなりのクオリティで用意してくれていました。

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敷浪 荻野さんが、他の事業者に満足出来ていなくてここにやって来てくれたというのが、何となく伝わっていていました。でも東急の方達は僕らが何者かわからずに来ているから、相当なものを用意しないと振り向いてくれないとは思っていて。

小田桐 プレゼンの手法とか、どうやって相手の想像を超えていこうかっていうのはみんなですごい話し合いましたね。

東洋医学的アプローチで町を活性化する

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荻野 そもそも、池上という街は他のエリアと違って、町の人たちがそこまで困っていない印象を持っていました。すでに面白いお店もあり十分に楽しいし、不動産価値も高い。困っている街であれば、建築家がシンプルに課題を解決してくれたら、住民の人たちが喜んでくれるけど、池上はそうじゃないんじゃないかという仮説がありました。

それであれば、課題を解決するデザイナーではなく、アーティストがいいんじゃないか? 患部を見つけて治す西洋医学的なアプローチじゃなく、東洋医学的なアプローチ。苦い漢方薬を街に投入して、細胞を活性化させるプロジェクトがこの街には合っているんじゃないか。というこの話は、社内のプロジェクトメンバーは耳にタコが出来るくらい聞いている話です(笑)。

まず「SSS」にチームメンバーを全員を案内しました。全員が空間を体感できるまで何度も案内して、そこで彼らがプレゼンテーションをしてくれたんですが、それがかなり的を射たものだったんです。

「DAILY SUPLY SSS」
「DAILY SUPLY SSS」

敷浪 彼らが視察に来るということになって、最初は自己紹介だけしてくれって言われてたんですけど、「せっかく来るんだからなんかやってやろうぜ」ということに勝手になって、自己紹介ついでにプレゼンをぶっこんだんです(笑)。

荻野 我々東急が想像する3倍くらいの期待値のものをいきなりプレゼンでドーンと出されて。それが何度も続くじゃないですか。それで社内でもどんどん「何なんだこいつらは?」って(笑)。

それと、もともとはカフェ運営者と、まちづくり事業者の二業者を選定しようと思っていたんです。二者に依頼をしないと無理だろうという考えだった。でも彼らのプレゼンを聞いていると、どうやら一事業者でいいぞというのも、決め手の1つでした。

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荻野 そこで、すかさず事業部長を年末の営業最終日に案内しました。そのとき彼らは模型まで作って用意してくれていて、「おぉ~」という声も上がって決定しました。年末の最終日、12月28日でした。年明けから超特急で準備して、2019年の5月14日にオープンしました。

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