近年、アートを中心としたカルチャーシーンにおいて、既存の美術館やギャラリーとは異なる、アーティストを主体とした場の設立や運営が活発だ。それは立地する都市や地域とも不可分の関係にある。そういったオルタナティブな動向の最先端を実地に赴いて辿っていく。そこから見える新しい東京は、一体どのような景色なのだろうか。
第七景は、西荻窪にある「画廊跡地(旧・中央本線画廊)」。
建築家の秋山佑太が立ち上げたこのスペースは、2年に及ぶ活動を通して、多くの展覧会やイベントを企画してきた。そんな「中央本線画廊」がこの3月をもって閉じられ、4月から「画廊跡地」として再スタートしたという。新たな門出を切った狙いやコンセプトは何なのだろうか。
西荻窪の「画廊跡地」を訪れて、運営メンバーである秋山佑太と小林太陽に話を聞いた。
Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Shun Takeda
数多の文士や美術家が居住してきた、中央線文化圏をゆく
武蔵野台地の上、東西にまっすぐ敷かれた昼下がりの中央線に揺られ、西方へと運ばれていく。
中野を越えて、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪と、眼下に流れ去る街々を高架の線路から眺める。いわゆる中央線文化圏とくくられるこれらの街は、関東大震災後に多くの人々が移り住んで発展した、東京の郊外である。緑豊かな多摩の田園から、大衆的な新興住宅地、そして独自のサブカルチャー揺籃の地を経て、今に至る。昔から数多の文士や美術家が居住してきた、下町的な温かみを残す地域だ。
西荻窪で下車し、まずは南口を散策する。この沿線の作りの常として、街は駅を中心に南北に広がっている。駅前には、程よい道幅のアーケード、そしてそこから枝分かれして伸びる小径に、たくさんの居酒屋や小売店が軒を連ねる。ちょうどいいサイズ感だ。ある路地には、多国籍でエスニックな料理屋が、ぎゅっと犇めいていた。まるで異国の風景のようでおもしろい。
北口に回って、同様に商店街を進んでいくと、徐々に住宅街の要素が濃くなっていく。年季入った民家、アパート、マンション、大きな戸建てと、色々な家が混在している。と油断していると、ちょっとした小物屋やカフェが顔を覗かせる。住宅と商店の絶妙なブレンド、そのグラデーションが鮮やかだ。
散り際の桜を仰ぎながら善福寺川につきあたる。コンクリートで護岸された川辺に掛かる橋を渡って少し、たばこ屋の庇を被り、ひっそりと妙な空気を放っているのが、「画廊跡地(旧・中央本線画廊)」である。
建築家、美術家による実験場としての「画廊跡地」
「もともと中央本線画廊という名前は、おちょくりに近い、ちょっとした遊び心でつけた」と、スペースを運営する建築家の秋山佑太は語る。
「“画廊”という名を冠せば、既存のギャラリーを偽装して、無名でも、何でもないようなことでも、アーティストがやりたいことをできると考えたんです。しかも、狭義の中央線カルチャーに乗りたかったわけではないから、“中央本線”としました。中央本線であれば、山梨や長野にも伸びている。僕はそっちにも拠点を持っているので、それらをつなぐ明確な道の延長にここを位置付けたかった。その上で、中央線にある画廊として勘違いされたらおもしろいと思ったんですね。」
なるほど、一種のアイロニーだったわけだ。そんな秋山は、思想家の東浩紀が牽引する「ゲンロンカフェ」のスクールで、アートコレクティブ「カオス*ラウンジ」のキュレーター・黒瀬陽平が主任講師を務める「新芸術校」の卒業生でもある。在学中から、福島での「カオス*ラウンジ 新芸術祭」への参加や、江東区住吉の一軒家を丸々使った「BARRACKOUT バラックアウト」展の企画など、内外で旺盛な活動を行ってきた秋山は、スクール成果展の前に「中央本線画廊」を開いている。
「最初に開催したのは、新芸術校の1期生である弓塲勇作の個展でした。また界隈には、おもしろいのにまだあまり発表の機会がないアーティストがたくさんいた。とにかく僕は単純に、彼・彼女らの作品が展示された光景を見たかったんです。」
町場の住居つき店舗物件が持つ可能性
そもそも、この物件自体は2011年から借りていたそうだ。埼玉の郊外で育った秋山は、インテリアや内装の仕事を始めた19歳の頃に、大田区大森に三人組のシェアハウス兼工場(こうば)を構える。その後独立し、板橋のスナックを居抜きして事務所にしていたが、「東日本大震災を機に、仕事がパッタリなくなっちゃった」。そこを引き払ってから、人の縁で出会ったここ西荻窪の物件に一目惚れして、新たな拠点に据えた。
「こういう住居つき店舗物件が好きなのは、二階に自分が住んだり、シェアハウス的に貸したりしながら、一階で別に儲からなくてもいいような商売ができるから。要するに、表面的に綺麗にするといったことではなく、死んでいる物件のリノベーションを通して、やりたいことができるトライアルな場所を作りたいんです。それこそ僕が建築家として一番向いている手法だと思っています。ある意味で自分にとって生きる術だから、こういうスペースを持ち続けているんですよ。」
このような顛末でオープンした「中央本線画廊」は、現在に至るまで定期的に個展や企画展を開催してきた。筆者も何度か訪れたし、一度グループショーに作品を出品したこともある。狭くとも自由な空間は、オルタナティブスペースらしいDIY精神で、毎回完成度高く設えられていた。特に、「あいちトリエンナーレ2019」にも抜擢されたトモトシの個展「tttv」は、セブンイレブンの目の前にある画廊のファサードをハリボテのセブンイレブンとして偽装し、ささやかな「社会問題」としてメディアにも取り沙汰された。
「トモトシもそうだけど、他のギャラリーが扱わないような作家を取り上げたいというのは、いつも枕にあります。全然お客さんが来なかったりもするけど、新しい作家を発掘する編集者的な目線がないと、なにより自分がおもしろくないんです。」
約2年に及ぶ「中央本線画廊」の歴史をざっくりと前期・後期に分ければ、秋山と交代で、「新芸術校」の同級だった小林太陽とcottolinkが二階に住み始めたことが分水嶺だという。宮城県石巻で開催された「リボーンアートフェスティバル 201」をきっかけに親しくなった二人を、秋山は「桃鉄で石巻に行ったら、ボンビーが二人くっついて戻ってきた感じ」と笑う。後期はこの三人が運営メンバーとなり、企画を回してきた。カオス*ラウンジやパープルーム、山形藝術界隈の作家の展示など、そこには常にオルタナティブな磁場が渦巻いていたと言える。
“すぐに見せたい”“作品の話をしたい” 作家が運営する「画廊跡地」
2017年2月から継続してきたその「中央本線画廊」が、この4月から「画廊跡地」としてリニューアルオープンすることに決まったという。経緯を聞くと、「僕が中心でやりたかったからです」と小林太陽は意気込む。
「言ってしまえば、作家としてこのスペースを運営していきたかったということに尽きます。僕はcottolinkを中心によく誰かと一緒に作品を作るんですが、たとえば渋家のようにここ自体を作品にしたいわけではなくて、自分の作品を作るための場所にしたいし、そのために人を招き、滞在してもらいたいんです。」
「最初の動機は、メタ視点を排除する形で、自分が単純に作家として使える場所にしたいということでした。今までは、せっかく作品を発表できるスペースがあるのに、自分以外の作家の企画を回すために使われてしまうという状況がありました。それでは疲弊してしまうし、あまり意味がない。あるいは招いた作家に、僕がまず作家ではなくギャラリストとして見られてしまうという問題もあった。だから“画廊”という敷居を下げて、コンセプトを明確にしたいと思ったんです。」
では、「画廊跡地」のコンセプトとはどのようなものなのだろうか。「“すぐに見せたい”と“作品の話をしたい”、この二つです」と小林は説明する。
「前者の理由は、作品を作った場合、展示スペースの確保だとか色々と手をこまねいている時間が、もったいないと思ったからです。作品を出してフィードバックが来て、またすぐに次の手を打つという一連のサイクルを回したかった。後者に関しては、展示を見に行った際に、作品の細かな話よりもキュレーションの話が多いことへの違和感があったから。それだとあまりおもしろくないし、作家のためにもならないのではないか。もちろん何でもできるスペースなので、従来通りの企画展も打っていこうと思いますが、対抗軸というわけではないけれども、選択肢として、改めて作品の話をできる場所を一箇所でも作っておきたかったんです。」
秋山が続ける。「“画廊”という名前をつけてしまったことによって、いい面もあったけど、同時にしっくりこない部分もありました。若手発掘のギャラリーとして注目してもらえた一方で、他のコマーシャルギャラリーの劣化版のように扱われることが癪っていうか、全然違うのに、って。じゃあ、自分はここで本当に何をしたかったんだろうか。もちろん今までの流れはすごく価値があることだと僕自身が分かっているからこそ、なおさら一度、“画廊”というレッテルから距離を置かないと、答えが出ないと感じたんです。」
そうやって立ち上がった「画廊跡地」は、文字通り、いわゆる「画廊」ではない、アーティストのための空き地 / 野原 / 広場としての「跡地」なのだろう。「画廊と名付けて画廊っぽくなった後に跡地になる。それが結果的に、ギャラリーがなくても作家は自活できるし、おもしろいスペースができてしまうということにつながる可能性を帯びればいい」と秋山は目論む。
「何より、アーティストが欲望を発露するきっかけをつかむ場にしてほしいんです。そのために必ずしも展覧会がベストとは思いません。アーティストとしてどう生きるか、その生活全体に対して、僕は純粋に関心があります。」
その意味では、昨今、アーティスト自身が場の運営を行うアーティストランスペースやオープンスタジオなど、オルタナティブなギャラリーとも異なる、アーティストを主体とした新しい形態のスペースが増えてきている潮流に、連なるようにも思える。とはいえ、もっと混沌としていそうだが。
「ここにレジデンスとして地方や海外からアーティストが滞在し、僕らもたまに来て、飲んだりしているうちに作品ができて、議論をする。しかも、そこにあたかも展覧会のように人が来る流れもできちゃう。そこから『こういう風にブラッシュアップして個展やったらよくない?』『じゃあ場所を探そう』とか『これグループ展にしよう』みたいな話になったり、『なんでこんな面白い展示ができたの?』『実は半年前に画廊跡地でこういうことがあって……』となったりするような、そんな場所が理想です」と秋山は悪戯っぽく笑った。
取材を終えて駅南口、例の“エスニック通り”にある秋山おすすめのタイ料理屋「ハンサム食堂」に赴く。まるで屋台のような雰囲気で、細くて急な階段を上がって3階、屋根裏みたいな小部屋に通されてちゃぶ台を囲む。とりあえずパクチーハイだ。竹で編まれた筒に入ったタイのもち米・カオニャオを、手で摘んで食べるのがたのしい。小窓から路地を一望する。
シーンの表層を飾るのではなく、シーン自体を生み出すコアの熱源を生成すること。ラジカルで実験的な場としての「画廊跡地」は、今後どのように胎動していくのだろう。
そんなことを思いながら赤提灯をすり抜け、再び東へと揺られ帰る。
画廊跡地(がろうあとち)
西荻窪にある美術拠点。若手作家の欲望を発露させる空間装置。2017年に中央本線画廊として活動開始し、2019年に画廊跡地となった。世からコマーシャルギャラリー(画廊)がなくなったときにアーティストはどのように自活していくのかの実験場である。運営は、秋山佑太、小林太陽、cottolinkの三人。
http://chuohonsengarou.tvvt.tv
中島晴矢(なかじま はるや)
美術家・ラッパー・ライター
1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。
主な個展に「バーリ・トゥード in ニュータウン」(TAV GALLERY/東京 2019)「麻布逍遥」(SNOW Contemporary/東京 2017)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN2018/東京 2018)アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat/2016)、連載に「東京オルタナティブ百景」(M.E.A.R.L)など。
http://haruyanakajima.com