近年、アートを中心としたカルチャーシーンにおいて、既存の美術館やギャラリーとは異なる、アーティストを主体とした場の設立や運営が活発だ。それは立地する都市や地域とも不可分の関係にある。そういったオルタナティブな動向の最先端を実地に赴いて辿っていく。そこから見える新しい東京は、一体どのような景色なのだろうか。
第十景は東京都台東区日本堤にある「space dike」。
江戸以来の歴史が色濃く残る三ノ輪に位置するこの場所は、ご夫婦で営まれているオルタナティブスペースだ。これまでも約5年に渡り多くの展示やイベントが開催されてきた。そんなspace dikeを訪れ、これ以前に運営していた王子のスペースや、見聞してきた様々なオルタナティブスペースのことも含めて、畔柳寿宏、佐季子両氏に話を聞いた。
Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Shun Takeda
浅草裏、「悪所」としての三ノ輪を歩く
都電荒川線の終点である三ノ輪橋駅の周辺には、小さな家屋や商店が密集し、複雑に入り組んだ路地が走っていた。
まるでタイムスリップしたようで、とても令和とは思えない街並みである。小径を抜けると、映画『万引き家族』にも出てくる、小さなアーケード商店街「ジョイフル三ノ輪」に突き当たる。映画みたく、惣菜の並んだ店先でコロッケを買ってみた。一個38円、物価がおかしい。
コロッケをパクつきながら大通りに出る。吉原と山谷に挟まれたこの地域は、ある種の「悪所」と言っていいだろう。浅草の「裏」であり、隅田川の手前にある江戸の隅っこである。その周縁性ゆえ、かねてよりアジール的な性格を有していたのは想像に難くない。すぐ近くには、安政二年(1855年)の大地震でたくさんの吉原の遊女が葬られた、投込寺(浄閑寺)というちょっとぎょっとする名前の寺があり、その重々しい棟の稜線が空を切り取っていた。
土手通りを右手に折れて竜泉(旧・龍泉寺町)へ這入る。樋口一葉『たけくらべ』の舞台で、一葉記念館もある。実際、一葉一家もこの辺りの長屋に1年間ほど住んで、荒物・駄菓子屋を営んでいたそうだ。世に言う「奇蹟の十四ヶ月」の直前、明治二十六年(1894年)ごろのことである。
『たけくらべ』の主人公・美登利は花魁になっていく。隣町である吉原は「不夜城」と呼びなされた江戸期の隆盛とは差こそあれ、今でも一帯が歓楽街だ。男一人歩くと、すかさず客引きに声をかけられる。目を泳がせながら吉原大門跡をくぐって、けばけばしい彩色のガソリンスタンド脇にさびしく残った見返り柳を、何もしてないのに見返してみる。戻ってきた大通りの向こうには、スカイツリーが大きく峙っていた。
その通り沿い、5階建で縦に細長い建物がspace dikeである。
夫妻が住まいながら運営する、space dike
「職住一体型で、昔ながらの小さな町工場のような物件です」と、ここを運営する畔柳(くろやなぎ)夫妻が迎えてくれた。
1階のホワイトキューブには、先日まで開催していたという展示がまだインストールされていた。2階はラウンジのようになっており、space dikeに関する歴代の資料や作品が飾られている。据え置かれたテーブルではお茶やお菓子も頼めるし、奥には展示スペースもある。3階から屋上までは住空間になっており、実際に二人が居住しているという。
「友人に紹介してもらった物件が、たまたまここだったんです。もっと治安が悪いと思っていたんですが、思ったより普通の町でした」と畔柳寿宏は笑う。
「三ノ輪は下町になり切れない『江戸の端っこ』という印象ですね。引っ越してきてから色々と調べましたが、山谷と吉原、そして靴の町です。今では民泊がたくさんあって、家族連れの外国人観光客がとても多い」
畔柳佐季子も実感を述べる。「越してくるまであまり知らない土地でした。上野から日比谷線で二駅と近いんだけれど、入谷や北千住みたいなネームバリューはない。都心部から近いようで、やっぱり外れてるんでしょうね」
そんな三ノ輪界隈にて2014年にオープンしたspace dikeは、今年で5年目となる生粋のオルタナティブスペースである。とはいえ彼らはそれ以前から、王子で「GALLERY WAWON」(ギャラリーわをん)というスペースを運営していたそうだ。そもそも、そのギャラリーはどのような場所だったのだろうか。
お二人がスペースを運営するまで
「もともと僕は10年くらい前から写真を撮り始めました。2000年代半ばにデジタルカメラが普及しだした頃、写真界が盛り上がっていたんです。その時期に写真を撮ったり、ワークショップに通ったりするようになりました」と畔柳寿宏は振り返る。
「当時『Web写真界隈』というサイトがあって、そこにウェブ上で写真を発表している人たちを紹介する記事のシリーズが載っていたんです。それを見ていたら、『写真って色々なやり方があるんだ、面白そうだな』と思って、写真に興味を持っていきました。
そこで参加したのが、尾仲浩ニさんという写真家のワークショップです。尾仲さんは森山大道の弟子筋で、かつて森山がやっていたスペース『CAMP』のメンバーでもありました。尾仲さん自身も、様々な場所を作って展示をやってきた。そういったことを知っていく中で、自分たちでスペースを運営することに魅力を感じるようになったんです」
もともと、写真界には「自主ギャラリー」という文化がある。1970年代以降に各地に誕生した、写真家が個人や複数で自主的に運営するギャラリーのことだ。その文脈の延長線上で、同じワークショップに参加していた野村尚之と共に2009年に始めたのがGALLERY WAWONだったという。
月に1度の自主新作展示の拠点となった、GALLERY WAWON
「王子の人通りが少ない路地の突き当たりにある、普通の住宅の2階だけを借りていました。靴を脱いで階段をあがると10畳くらいのリビングと白い壁を立てて展示スペースにした6畳の和室があるようなところだったんです。そこで毎月1回、土日の2日間、僕と野村さん二人がそれぞれ展示をストイックに企画していました。初めは知り合いしか来ないだろうと高を括っていたんですが、ちょうど浸透しだしたTwitterなどで情報を得て来てくれる人が多く、びっくりしました」
月に1度の新作展示とは畏れ入る。また、その頃はまさにSNS黎明期と言えよう。さらに、その実践を続けていく中である種のコミュニティが形成されていったと畔柳佐季子が語る。
「みなさんリビングに座ってテーブルを囲むので、そこでお菓子を出したり、ZINEを並べたりするようにしたら、お客さん同士が知り合いになっていったんです。展示ももちろんですが、たまたまあったそのリビングの存在が大事だと思いました。知らない人でも靴を脱いで向かい合えば会話が生まれる。だから、もし別の場所を運営することになっても、リビング的なスペースは絶対に作ろうと考えていたんです」
その後、2012年まで3年間続いたGALLERY WAWONを諸事情で閉じてから、夫婦で立ち上げたのがこのspace dikeだった。では、その名前の由来はなんなのだろう。「土地にちなんだ名前がよかった」と畔柳寿宏が答える。
ゆるやかな連帯と、作家を慮るがゆえの入場料制
「この日本堤という地名から、『堤防』という意味の『dike』(ダイク)とつけました。DIYで作った場所でもあるから、『大工』と誤読されてもいい。ギャラリーではなく『space』なのは、写真や美術だけじゃなく、ジャンルにとらわれない表現をしている人たちにもぜひ展示してもらいたいと考えたからです。また、コマーシャルギャラリーにはできないし、かといって貸し画廊でもない。そうなると、やはりギャラリーとは違うスペースにしようという思いを込めました」
さらに、「立ち上げの頃に僕が好きだった場所は、大抵ギャラリーと名乗ってなかったんです」と、多くのオルタナティブスペースの名が挙げられる。富ヶ谷から代々木上原に移った「20202」、墨田区八広にあった「highti」、練馬区桜台の「pool」、神保町の「路地と人」、経堂にあった「appel」、あるいは大阪の「梅香堂」、「float」、「黒目画廊」……。
それらは美術や写真の展示スペースであったり、実験音楽やノイズを扱うライブハウスであったりしたそうだ。終了してしまった場所も継続している場所もあるが、いわゆるオルタナティブスペースがこれほど多種多様にある(あった)ことに、改めて驚く。
時間的にも空間的にも様々なスペースを体験してきた彼らに、ではそれらを意識的につなげたり、盛り上げたりしたいかと伺うと、「それはないかな」と畔柳佐季子が返してくれた。
「多分それは若い世代がやるべきことであって、私たちがそこに入っていってはいけないと思ってるんです。あと、私たちが好きな場所って『みんなで盛り上げようぜ』っていうよりは、独立して自分の道を突き詰めているところが多い。気になるスペースがあったら見に行って、そこを好きになれば、自然とつながっていきますから」
このように、ジャンル横断的なアーティストやスペースとゆるやかな連帯を組織しつつ、インディペンデントなスタンスを貫くspace dike。そんなdikeでは、現在年に数本の展示が行われているようだ。作り手の負担を少しでも減らそうと入場料制を取り、週末にオープンする。
あくまでギャラリーや美術館からこぼれ落ちてしまう表現を扱うという理念がベースにあるため、決して運営は楽ではないそうだが、継続して刺激的な展示が行われているのは筆者もよく知るところだ。今後の方針について伺うと、畔柳佐季子は「この場所じゃなければならない、というこだわりはないんです」と語る。
「やっぱり重視したいのは、時代時代によって様々な表現をする作家、その一人ひとりに向き合って、その表現について語り合えるスペースを続けていくこと。時代の情勢が変われば、どんなジャンルであれ自ずと表現は変わっていくと思います。その変化を見てみんなで話すことが一番大切なのではないでしょうか」
「その上でここのスタイルを楽しんで、信頼関係を築いていけるような人と展示を作っていければいいですね。今はいろんな場がたくさんあるから、別に無理してウチでやってもらわなくても、別の場所を探せるでしょう。もっと言えばスペースの運営だって、僕らでもできるんだから、やってみれば誰でもできると思いますよ」と畔柳寿宏は謙遜して笑った。
取材後に屋上まで案内してもらう。小高い視点から眺めるこの一帯は低くなだらかに建物が連なって、空には羽田からの飛行機が妙に近くを飛んでいた。
本日のオルタナめし「大八」の生アジフライ、泥鰌の唐揚げ
三ノ輪橋駅近くに戻って今宵の河岸を探す。少し彷徨ってから、黄色い看板を掲げる「大八」へ。暖簾にでかでかと「とんかつ」と書かれているが、手書きの立て看板に細々並んだ肴を見ると、どうやら飲み屋でもあるようだ。
なんせ酷暑である、カラカラの喉を早速ビールで潤すと、頼んだ生アジフライがすぐに出てくる。これが今まで食べたアジフライの中でも抜群に美味い。身が刺身のようにとろけるのだ。繊細な衣もサクサクと軽く、やはりとんかつ推しの店、揚げ物が当たりだった。
さらに泥鰌の唐揚げを齧って路面電車で帰路につく。さながら夏のひと時の時間旅行だった。
住所:東京都台東区日本堤2-18-4
Webサイト:https://spacedike.blogspot.com
Twitter:https://twitter.com/spacedike
togetter:https://togetter.com/id/spacedike
<展示情報>
FABULOUZ「Don’t Cry TOKYO」
2019年9月21日(土)、22日(日)、23日(月祝)、28日(土)、29日(日)
入場料:300円
https://spacedike.blogspot.com/2019/08/fabulouz.html
中島晴矢(なかじま はるや)
美術家・ラッパー・ライター
1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。
主な個展に「バーリ・トゥード in ニュータウン」(TAV GALLERY/東京 2019)「麻布逍遥」(SNOW Contemporary/東京 2017)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN2018/東京 2018)、アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat/2016)、連載に「東京オルタナティブ百景」(M.E.A.R.L)など。
http://haruyanakajima.com