企業や組織に所属せず、活動する人の数が増えている。テクノロジーの発展や価値観の多様化など、様々な理由が可能にしたこの「可能性」はしかし、「自由に稼げる」点ばかりが強調されていないか。現代における個人の持つ“強さ”とは、果たしてその1点で語れるようなものなのか?
本連載では、組織に所属せず、軽やかに領域を横断して活動する個人をマージナルな存在として位置づけ、今の働き方に至った経緯と現在の活動を伺っていく。インタビューは、その人が日頃活動の拠点としている場所で行う。
Vol.1に登場するのは、インディペンデントキュレーターとして活動する長谷川新さん。大学卒業後、一旦はNPOに就職したという長谷川さんは、ドイツでの体験をきっかけに今の道を選ぶ。現在に至るまでの話を聞いた。
Text:Yosuke NOJI
Photo:Ryuichi TANIURA
Edit:Shun TAKEDA
ドイツの「ドクメンタ」をきっかけに本格的に美術の道へ
Q1.あなたの肩書は?
インディペンデントキュレーターです。一般的にキュレーターというと特定の美術館に所属して作品の保存や収集、調査研究、展示などを行う人のことを指しますが、インディペンデントキュレーターは、どこかに所属することなく、様々なところで展覧会の企画などをします。
2013年の6〜7月に大阪で初めて展覧会を企画したので、ちょうど今年で5年目になります。でもそのときはまだ右も左もわかっておらず、「インディペンデントキュレーターとは?」といったことを自覚的に考え出したのは、その年の秋に行われた「北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILI-交錯する現在-」という展覧会にキュレーターとして参加させてもらったときからですね。
Q2.今の肩書を使うに至った経緯は?
ドイツの「ドクメンタ」っていう世界でも最大規模の現代美術展に行ったことがきっかけです。ドクメンタは5年毎に行われるイベントで、カッセルの町全体で行われるのが特徴なんですけど、それを目の当たりにしたときに、ヨーロッパの人たちが大切にしている「公共性」って、こういうことなんだろうなと。
口当たりや耳触りの良い言葉としての「公共性」ではなく、そこには確かに「公共性」としての実体と、それに対する誇りがあった。その上で、形式とユーモアどちらも持ち合わせていた。もともと美術関係の仕事に興味はあったんですけど、自分がこれから目指す方向性が、そこで決まった気がします。
Q3.それまではどんな活動をしていた?
NPOで働いていました。環境面から社会や文化にアプローチすることで、持続可能な社会を目指している組織なんですが、僕は音楽フェスや学園祭の環境負荷を下げる取り組みについての事業などに関わっていました。
たとえば、10-FEETが主催する「京都大作戦」とかMr.Childrenの櫻井和寿さん主催の「ap bank fes」とか、そういったイベントを開催するにあたり、どうやったらごみが減るかとか、きちんと分別してもらえるかとか、出てしまったごみをどう「目に見える」ようにして、その後そのごみがどうなっていくのかを「見せて」いくのか、などを考えます。フェス当日は100人近いボランティアをコーディネートしつつトランシーバー2台持ちで、現場を駆け巡ってましたね。
すごくやりがいもあって楽しかったんですが、もともと持っていた美術の仕事への興味が抑えられなくなって一年で退職することにしました。
Q4.就職する前は何をしていた?
大学在学中は、文化人類学の勉強をしていました。その名の通り、様々な社会や地域で行われている文化的な活動を研究・調査する学問なんですが、今の日本の大学制度と恐ろしく折り合いの悪い問題点があって(笑)。
卒論を書くにあたり、よっぽど新しい理論を独自に構築できたりしない限り、フィールドワークが必須なんです。これが完全に就活とバッティングしている。教授たちも頭を悩ませていましたね。
もちろん短い期間でも良いんですが、僕の場合はちゃんとやりたいと思って、大学4年生の7月〜11月を丸々フィールドワークに充てて、香川県の直島に住んで、瀬戸内国際芸術祭の調査をしていました。つまり、就活を完全に捨てた(笑)。
同世代の人たちが就活をしているときに、島の人と夜釣りをしながら、エイが釣りの邪魔をしてくることを学んだりしていました。すごく思い出深い体験で、あのときUstream越しに聴いた「MOGRA」の1周年パーティーの音楽は忘れられないですね。
その後、頼みの院試も落ちてしまって途方にくれていたときに、知り合いにNPOで働かないかと誘っていただいて、なんとか働き出したという感じです。
Q5.本格的に美術の道に進んだきっかけは?
やっぱり、ドイツの「ドクメンタ13」が衝撃的でした。いまだに僕のなかでは人生ベストの展覧会ですね。「ドクメンタ」のあり方というのは、常に僕が仕事をする上で参考にしたり目標にしているものです。
美術館と同じことをしても存在意義がない
Q6.インディペンデントキュレーターとしての初仕事は?
初仕事は先ほど言った大阪での小さな展覧会だったのですが、より本格的に、という意味では2013年の「北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILI-交錯する現在-」という展覧会です。ドイツから帰国してすぐに一緒にやらないかと誘ってもらって、同世代の作家10人と運営メンバーで開いた展覧会なんですが、ある意味では「同世代のグループ展」ってありがちじゃないですか。
だから、そのときは展覧会のカタログにキチンと書籍コードをつけて流通させ、日英バイリンガルの表記にし、10人の作家全てに対して批評家による批評を6000字ずつ書いてもらったりしました。また、東京一箇所だけじゃなく、大阪に金沢にと巡回した。
おそらくインディペンデントな展覧会で、ここまでの取り組みをしたのはほとんど例がないんじゃないかと思います。そのとき僕はたまたまチーフキュレーターでしたが、展覧会を作りながら周りからすごく色々学ばせてもらったと思っています。
Q7.そこまで突き詰めた展覧会を行った経緯は?
数少ない先行世代のインディペンデントキュレーターの方々に、口酸っぱく「やりたいからやるだけじゃ意味がない」と言われていたのが大きいかもしれません。
インディペンデントキュレーターと対置する存在として美術館があると思うんですけど、インディペンデントを名乗る僕らがそこと同じことを縮小再生産しても全く意味がない。
Q8.美術館に対する対抗意識みたいなものはある?
今は美術館に絶対的な権威のある時代でもないので、そういった意識はありません。そもそも美術館って展覧会を開くためだけの存在じゃなくて、作品の保存・管理・研究・調査っていう極めて重要な役割がある。「若冲展なんて何回やってるんだ!」って思うときもなくはないですが、そういった動員が見込める展示をやることにも意味がある。
対して、僕らは作品を所蔵しているわけじゃない。でも、だからこそ美術館の中にいたら見えない角度から作品を見ることができるし、彼らにできない新しい取り組みをしないと存在意義がないと思うんです。
Q9. 影響を受けた人は?
影響を受けた人、というと先行世代のインディペンデントキュレーターの方々には大なり小なり影響を受けていると思います。展覧会ベースで話すと、日本だと「実験場」展を手がけた鈴木勝雄さんや、サイモン・スターリングの個展を手がけた神谷幸江さんには影響を受けていると思います。
あとは最初のインディペンデントキュレーターと言われるハラルド・ゼーマンや、なんども言及している「ドクメンタ13」の芸術監督だったキャロライン・クリストフ=バカルギエフもいつも気にしていますね。
Q10.活動のモチベーションとなる感情は?
単純に好奇心かもしれません。ただ、インディペンデントキュレーターって仕事自体の歴史が浅いから、文化としての強度が弱いんですよ。だから、まだまだ未開拓な領域が大きいし、選択肢の数も多くは発見されていない。
そこを、僕らの世代が新しい取り組みをすることで、選択肢の数を増やしたい。冒頭にドクメンタで感じたと言った「正しい公共性」って、要は選択肢が充実した状態だと思うので。
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