フィギュアの企画・制作を手がけてきたマックスファクトリーが、伝統工芸の手仕事へと眼差しを向けて立ち上げたブランド「CERAMAX(セラマックス)」。特定のIPや産地の枠を越え、受け継がれた技と設計の知性をつなぎ、日々の道具をアップデートすることを目指し、第一弾として発表された「MIKU LINE」では、九谷焼の五彩に、初音ミクをはじめとするピアプロキャラクターズの世界観を重ねたマグカップがつくられた。プロジェクトの発起人はマックスファクトリー代表のMAX渡辺、そして松戸を拠点にまちづくりに取り組むまちづクリエイティブ代表の寺井元一、同社取締役でクリエイティブディレクターの小田雄太の3人だ。構想から完成まで、およそ5年。そのはじまりを紐解くと、さらに10年以上前の松戸へと辿り着く。第1回では3人の出会いと松戸の地下商業施設から始まったコントンタウンでのものづくりの話まで遡る。
Text+Edit:Moe Nishiyama
Photo:Ryo Yoshiya, VaistarStudio

◎松戸に「マジでコアな会社がある」——「MAX渡辺」という都市伝説との出会い
──本プロジェクトの発端について、プロダクトを作られるに至った経緯からお伺いできたらと思います。みなさんはどのようなきっかけでお仕事をご一緒にされることになったのでしょう?
寺井元一(以下、寺井):実際にお会いするよりも、相当前からMAXさんの存在は知っていたんです。だから、始まり方としては「空中戦」。僕と小田は2009〜10年頃、松戸で「MAD City」というまちづくりのプロジェクトを始めるために、まちをリサーチしていて。当時の僕らにとっては戸定邸の話になるよりも前に、「松戸には等身大のガンダムがあるらしい」「バンダイに関係する何かがあったらしい」「グッドスマイルカンパニーという会社があるぞ」ということが気になっていました。
小田雄太(以下、小田):マツモトキヨシやマブチモーターがある一方で、「松戸にマジでコアな会社がある」と。
寺井:僕自身はモデラーでもなくプラモデルがそんなに得意な人でもないので、「グッドスマイルカンパニーとは何だろう」と調べるところから始まりました。すると、その近くには「印度亭」というインド料理店があり、それもMAX渡辺という人がやっているらしい。深掘りして調べてみると、どうも印度亭はグッドスマイルカンパニーの社食的なものらしいという情報が入ってきまして。当時の松戸駅前にはグッドスマイルカフェもあって、「中華蕎麦 とみ田」と並ぶくらい、いつも人が並んでいたんです。まちを歩いている僕らからも、何かが起きていることがはっきり見えていました。さらに遡ると、松戸にはバンダイミュージアムや少し変わったゲームセンターもあった。なぜ松戸に、こういうホビーやオタクカルチャーが集積しているのだろうと調べていくなかで、僕らの仮説上の「始まりをつくっているかもしれない人」として、MAX渡辺さんという虚像というか、実像が先にありました。
小田:噂レベルです。
寺井:そう。都市伝説レベルで「MAX渡辺という人がいるぞ」と(笑)。
──まちづくりの視点からも、MAXさんという「人」が気になったのでしょうか。
寺井:まちづくりには、建物が重要だという考え方と、人が重要だという考え方があります。どちらも重要なのですが、建物が余っていると人が足りなくなるし、人が余っていると建物が足りなくなる。基本的に日本の建物は高度経済成長期やバブルの頃にたくさん建ててしまったから、古い物件は人が足りない方が多い訳じゃないですか。そうすると、人がどうやって集まるのかと考えたとき、いきなり100人来ることはなくて徐々に集まるのですが、その同心円のドーナツの奥の方、一番中心に非常に重要な人が何人かいるはずだと。僕らの中の仮説は、その始まりの一人がMAX渡辺という人だったんです。


◎松飛台の一軒家から、ピアザビル地下の「コントンタウン」へ。形成された松戸のホビーカルチャーのルーツ
──MAXさんは元々どのような経緯で松戸に拠点を設けられていたのでしょうか。
MAX渡辺:僕はもともと東京・府中市で生まれ育って、今の仕事の礎になることを始めました。当時のメンバーの1人のお父さんが不動産屋さんだったので、その方に「1軒家でもいいので工房がほしいです」という話をしたら、「じゃあ松戸に家を借りてやるから、そこで家賃を払ってやりなさい」という話になりました。松戸の松飛台という、五香という駅から徒歩で20分ぐらいかかる場所です。当時は松飛台という駅がなかったので、少し辺鄙な場所の一般住宅で、それこそ佐渡ヶ嶽部屋に歩いて3分の場所でした。
寺井:今の松飛台は工業団地でもありますよね。
MAX渡辺:そうです。その後、松戸駅前のピアザビルに、バンダイグループのバンプレストが入りました。当時のバンプレストの社長は、もともとポピーの社長を務め、バンダイの飛躍に大きく関わった杉浦幸昌さんという方でした。版権元との関係を横断しながらロボット作品を集めた『スーパーロボット大戦』も、バンプレストから生まれた。今のロボットやヒーローのマーチャンダイジングにつながる大きなきっかけが、当時の松戸にあったんです。
寺井:バンプレストといえば、というタイトルですよね。
MAX渡辺:そのピアザビルの地下には、「コントンタウン」という、ホビー系の店を集めた商業施設がありました。「カオスなフィールドをつくれ」と社長に命じられたのが、現在のグッドスマイルカンパニーにつながる安藝貴範です。彼が「松戸にMAX渡辺というやつがいるらしい」と僕に電話をかけてきた。「なに人を呼びつけているんだ」とイラッとしながら会いに行ったら、本当に嫌なやつで、めちゃめちゃムカついた(笑)。それで僕が、「ここに塗装ブースをつくったら、塗装教室をやってやるよ」と無理難題を言ったら、向こうもカチンときて、本当につくってしまったんです。そうなると、僕も地下に出ていかざるを得なくなりました。そこで塗装教室をしていたら、バンプレストの人たちの間で「MAX渡辺が地下にいるらしい」と噂になり、次々に仕事を持ってきてくれました。マスコットやロボット、仮面ライダー、ウルトラマンなど、ものすごい量の原型制作です。
当時、僕はアニメーション学院の特別講師をしていて、当時の生徒たちがちょうど卒業のタイミングで仕事をしたいと言うから「じゃあ来い」と言って彼らに教えながら、原型をつくらせました。みんなが実際の仕事を通して腕を上げ、今のマックスファクトリーの土台ができていった。そこで安藝とは意気投合して「会社を作ろうぜ」という話になり、出来上がったのがグッドスマイルカンパニー。マックスファクトリーをヘルプするために作った会社でした。
寺井:やっぱり、松戸のホビーカルチャーの根っこにMAXさんがいたんですね。当時のピアザビルの地下には、「メクマン」というレトロなゲームセンターもありました。伊勢エビが取れるクレーンゲームのような、歌舞伎町か松戸でしか見ないようなものまであって(笑)。僕らはずっと、「なぜ松戸に、こんなオタクカルチャーの集積があるんだろう」と話していたんです。

──寺井さんたちが足を運んでいた印度亭も、松戸での活動から生まれたのでしょうか。
MAX渡辺:印度亭も、最初から会社の社食をつくろうとしたわけではないんです。五香に住んでいた頃、妻と通っていたインド料理店の店主と親しくなり、「松戸駅前に店を出したいけれど、インド人には物件を貸してくれない」と相談されました。そこで僕の名義なら借りられるというので、共同経営者にならざるを得なくなった。ところが、しばらくすると僕が店を引き受けることになり、機材とインド人のシェフが残ったんです。それで、グッドスマイルカンパニーの最初のメンバーたちと一緒に印度亭を盛り立てて、結局15年くらい経営しました。
寺井:僕らが知っていたのは、松戸駅西口の土屋ビルにあった印度亭です。
MAX渡辺:最初は東口にあったんですよ。今、「中華蕎麦 とみ田」がある辺りです。後に印度亭が西口へ移り、グッドスマイルカンパニーも同じビルに入ってきた。それで、結果的にグループの社食のような場所になったんです。
寺井:僕らは「社食を計画してつくったらしい」と聞いていました。でも実際には、偶然がいくつも重なっていた。まちもプロジェクトも、そうやってできていくんだなと思います。
──都市伝説だったMAXさんと、どのように実際の出会いへつながったのでしょうか。
寺井:時は飛んで、2019年頃です。僕らは松戸で、アーティストやクリエイターに家やアトリエを貸しながら、徐々に店舗や商業の領域にも関わり始めていました。物件を貸して終わりではなく、「何か一緒にやりましょう」と考えるようになっていた時期です。そこへ、クラフトビールの醸造所をつくるための物件を探しているという問い合わせが「渡辺さん」という女性から、まちづクリエイティブのウェブサイトに届きました。オーナーさんに言ったら怒られますが、そのときちょうどめっちゃボロいツートップのような物件が手元に2つあって。1つは駅から遠くて、1つは駅がすごく近い。「どちらかなら良いのですが」というので見てもらい、打ち合わせをすることになったらその場にもう一人の渡辺さんが現れた。名刺をいただいたら「MAX渡辺」と書いてあったんです。「あの渡辺や!」と(笑)。
MAX渡辺:そう。「ついてきてよ」と言われたから行ってみたらものすごく立地の良い所なのですね。元々は居酒屋でイトーヨーカドーの隣。前をよく通っていて、見たらめちゃくちゃボロいけれども、「本当にここいいの?」と。こんな良い場所で失敗する訳がないというか、成功しなきゃいけないというくらいの立地で。その代わり、めちゃくちゃボロい。床がなくて土が見えいるし、屋根も上トタンのスレート。ただこの機を逃しちゃいけないよね、こんな物件、絶対出てこないと思ったから「じゃあお願いします」と。元々松戸駅東口で印度亭をやっていたから、あの辺りの地の利がわかっていたんです。
寺井:MAXさんには、立地に対する嗅覚がありました。物件を借りていただいた後も、松戸ビールの経営やテイクアウト商品のつくり方について話し合うようになり、小田にも入ってもらって、ラベルのリブランディングなどを一緒に進めました。
小田:僕にとっては、松戸ビールの仕事が、MAXさんと具体的に仕事をご一緒する最初の機会でした。


◎「絶対に手を出してはいけない」と思っていた陶器。プロジェクト発足前夜、松戸を起点に有田、そして九谷へ
──松戸ビールのお仕事から、どのように陶磁器のプロジェクトへ発展したのでしょうか。
小田:僕らが九州の武雄のプロジェクトをやるうちに窯元さんと仲良くなる機会があって。その時に寺井さんから「MAXさんが窯元の仕事や陶磁器の仕事に興味がある」と聞いて、完全にMAXさんの好奇心ドリブンな感じで、そのプロジェクトにMAXさんが直接関わることはなかったけれども、見学に来ることが何回かあって。それで、九州の窯元の見学だったり何だったりと何日間かご一緒するというのが2020~21年くらいの話。
寺井:松戸ビールの経営会議の余談で、「最近、僕らは佐賀の武雄に行っていて、焼き物のまちで窯元との接点ができた。何か一緒にできませんかね」という話をしたんですよね。MAXさんは以前、島根で鬼瓦もつくっていましたし、ものづくりの話なら興味を持ってくれるのではないかと思って。
MAX渡辺:そう。そもそも僕、陶器が大好きで。でも絶対に手を出しちゃいけないと思っていたんです。始めたらのめり込んでしまうことが自分でわかっていたので(笑)。だから距離を取って、「いい器だな」と思ったら買って、並べて、ときどきそれで飲むくらいに留めていました。自分にはないものがそこにあるから、並々ならぬ興味は持っていたんです。
小田:そこで、有田の窯元を一緒に見学するようになりました。具体的につくるものが決まっていたわけではありません。色々な陶芸、陶器、陶磁器や工場の様子を見ながら、MAXさんが陶器をどう見ているのか、僕らがクリエイティブやものづくりをどう捉えているのか、ということを話す機会もあって、それがとても良かったなと。
MAX渡辺:本当にそうだよね。有田で一緒にいた時間はすごく貴重で、陶器業界や窯業のならわしのようなものにも触れることができた。たとえば、もともとある型を使えば、型を起こさずに「こういうものができる」と、倉庫のような所で色々なものを探して「この形であればこんなものができるね」といったアートピースを作る目で見ていたのだけれども、僕はそれを聞きながら「ああ、こうして過去に大事にとっておいたものを掘り起こすような仕事の流れもあるのだな」と初めて知ったのですよね。
小田:その有田で、まちづクリエイティブが手がけていたのが「転写民藝」です。佐賀県武雄市の「TAKEO MABOROSHI TERMINAL」と、有田の老舗窯元・幸楽窯が協働し、アーティストやクリエイターの絵柄を、窯元に蓄積されてきた転写の技術によって器へ展開するプロジェクトでした。具体的にどのような工程かというと、型を作って、転写シートといういわゆるシルクスクリーンのような形でシールを貼る。それを焼き付けをするのですが、いわゆるフルカラーが一発で出るのではなく、色によって版分けをしています。たとえば水色、黒、ピンクの3つの版を、細かな柄がずれないように重ねていく。それを器へ貼り、焼き付けます。陶磁器は市販品としては比較的安く売られていますが、実際には非常に精密な職人の手仕事からできている。転写シートだけでもすごいことなのだとわかったので、一から何か複雑な陶器を作るというよりかは、もう少し日用品のようなものに複雑なグラフィックを載せてコラボレーションしていく、というアイデアがベースとしてはありました。
寺井:ただ、有田では、僕らがやりたかったことと、窯元の生産体制や価格がうまく噛み合わなかった。「このやり方なら、この価格です」という既存の仕組みに当てはめると、こちらが考えていたものは難しかったんです。それで一度、プロジェクトは立ち消えになりました。
MAX渡辺:僕らがやりたいことに合わせていただくのは難しかったので、「それなら無理だね」と。そこから別の産地を探してもらい、次に出会ったのが九谷でした。
──九谷とは、どのようにつながったのでしょうか。
寺井:以前、松戸で一緒に仕事をしていた尾形くんという人が、地域おこし協力隊として鹿児島で農業に関わった後、石川県へ移り、九谷セラミック・ラボラトリーなどを通して焼き物に詳しくなっていたんです。彼はもともと柏出身で、松戸へ遊びに来るようになり、まちづくりやファシリテーションに関わっていました。そこから各地へ移り、石川では土地と建物を借りて、器を選べるギャラリー兼レストランまで始めた。ちょっととっぽいというか、抜けているところもあるけれど、なぜか大人に愛される。地方でおじさんに愛されて、お金まで借りてしまう「小さい借金王」のような、かなり独特なバイタリティーのある人です(笑)。有田で難しさを感じていた頃に彼ともう一度連絡を取り、「俺、焼き物のことは詳しくなっています」と言われた。それなら九谷へ行ってみよう、と。何ができるかもわからないまま、MAXさんを誘い、関わってくれそうな職人さんたちを訪ねるツアーのようなところから始まりました。
小田:有田の時から「何か一緒にやりたい」という気持ちは3人にあったけれど、九谷へ行った時にも、まだ答えがあったわけではありません。ただ、「転写民藝」で知った手仕事の精密さを、日用品のなかでもっと生かせるのではないか、という感覚は共有していました。
寺井:それで3人で話していくなかで、「では、まずマグカップをつくりませんか」となったんです。
<第2回に続きます>
Art by KEI © Crypton Future Media, INC.www.piapro.net
Art by iXima © Crypton Future Media, INC.www.piapro.net
MAX渡辺
1987年ガレージキットメーカー、有限会社マックスファクトリーを設立。当初からマニアを唸らせる完成度の高い製品をリリース、多くのホビーファンに高い支持を得ている。現在は株式会社マックスファクトリー代表取締役。パームサイズアクションフィギュア「figma」や美麗なスケールフィギュア、そしてプラスチックモデルPLAMAXシリーズを展開、多くのホビー商品を提供している。MAX渡辺自身は、マックスファクトリーの代表であると同時に、自身もプロモデラーとしてホビー専門誌に連載を持ち、モノづくりの楽しさを発信し続けている。
MAX渡辺のプラモ大好きスーパーモデリングマニュアルVol.1〜2
ホビージャパンMOOK MAXWORKS
Ma.k in SF3DアーカイブVol.1〜6 他多数
2024年4月より株式会社ウェーブの代表取締役に就任、マックスファクトリー代表と兼任している。
寺井元一
株式会社まちづクリエイティブ代表取締役/アソシエーションデザインディレクター、NPO法人KOMPOSITION代表理事。ストリートカルチャーに関わる表現者支援を出発点に、エリアブランディング、行政と民間の官民連携、ローカルビジネスの起業支援から空家再生、さらには公共空間の利活用まで、まちづくりに必要な多様な事業やプロジェクトを立ち上げてきた。主な参画事例は、千葉・松戸駅前エリア「MAD City」「松戸アートラインプロジェクト」「PARADISE AIR/STUDIO」、佐賀・武雄温泉エリア「TAKEO MABOROSHI TERMINAL」、埼玉県埼京線沿線「SAI-KYO DIALOGUE LINE」、東京・渋谷「ササハタハツまちラボ/ササハピ」「ALLDAY 5ON5 TOURNAMENT」「リーガルウォール」等。
小田雄太
デザイナー、クリエイティブディレクター。株式会社まちづクリエイティブ取締役/COMPOUND inc.代表。多摩美術大学非常勤講師平面領域のデザインを軸足にしながら、メディアやファッション、VR領域、エリア開発、まちづくりまでのリードデザインを手掛ける。最近の主な仕事にMADcity(まちづくり)、100BANCH(インキュベーション)、BONUSTRACK(エリア開発)、Newspicks(メディア)、STARTBAHN CERT(ブロックチェーン/NFT)、STYLY(VR)、COMME des GARCONS noir kei ninomiya(服)など。



