CIRCULATION CLUB

誰も関心がないから、やる意味がある───「不要なもの」から「大切なもの」を生み出す段ボールアーティスト・島津冬樹インタビュー【前編】

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株式会社まちづクリエイティブが新たに立ち上げたプロジェクト「CIRCULATION CLUB」。

誰かの「いらなくなったモノ」を回収しリユースして「いらない世界を変える」──そんな「循環型物流」の道を切り開いてきた株式会社エコランドのエコランドファンドからの寄付を受け始まったこのプロジェクトでは、SDGsのうち11番目「住み続けられるまちづくりを」と12番目「つくる責任つかう責任」にフォーカス。それぞれの視点から意欲的な試みを行っているプレイヤーの方たちへ、リサーチ型のインタビュー連載を実施する。

今回は、「不要なものから大切なものへ」というコンセプトを掲げ、捨てられた段ボールから様々なクリエイションを生み出すアーティスト・島津冬樹さんが登場。前編では有名な「段ボール財布」のルーツを深掘りし、環境保護やサステナビリティに対する島津さん独自の視点をうかがった。

Text:Haruya Nakajima
Photo:Yutaro Yamaguchi
Interview:Shun Takeda
Edit:Yuta Mizuno

段ボールの魅力に気づいたきっかけはグラフィックデザイン

──島津さんが多摩美術大学在学中、学園祭で初めて段ボール財布を出品したというエピソードは有名です。そこからさらに遡って、素材としての段ボールに惹かれ始めたのはいつ頃だったのでしょうか?

段ボール財布をつくる2、3ヶ月前、藤沢のOKストアの前に「オシャレだな」と目に止まった段ボールがありました。当時は美大の2年生でデザインに興味があったので、その段ボールを思わず拾っちゃって。それをなんとなく取っておいたんですが、「この段ボールを何かに使いたい」という気持ちが、芸祭のちょっと前くらいからくすぶっていたんですよ。

島津冬樹さん

──その段ボールがどんなデザインだったか覚えていますか?

もちろんです。「レッドウッドクリーク」というワインの段ボール。クリーム色で、木のデザインが描かれていました。ちなみに、その段ボールを財布にする前に2つほどプロトタイプをつくっています。「お金が入りさえすれば財布になるだろう」と、半分段ボール、半分ガムテープみたいな代物でしたが(笑)。でも、それで「意外といけそうだ」と財布をつくったんです。それが段ボール財布の第1号ですね。

──最初は売り物というよりも、自分のためにつくった?

はい。新しい財布が必要になったけど、当時お金がなかったので自作しました。1ヶ月くらいで壊れるかと思ってたんですが、思いのほか長く使えて「段ボール財布って耐久性もあるんだ」と気づいた。しかも芸祭で売ってみたら反応がよかったんです。それから段ボール財布の制作が自分の活動のコアになっていきます。

段ボール財布を初めて販売した「多摩美術大学芸術祭2009」フリーマーケット

──はじめは段ボールのグラフィックデザインに惹かれ、後に素材としての強みを発見したという順序なんですね。

あと、芸祭に向けて段ボールを集めているうちに「段ボールってこんなに種類があるのか」と驚きました。さらに「財布にしてカッコいいものと、そうでもないものがある」ということもわかってきた。そこから自分のなかで段ボールに対する価値観が構築されていき、徐々に段ボール自体への興味を深めていったんです。

──全体的なグラフィックがカッコいい段ボールと、財布にしたときにカッコよく見える段ボールは違う、と。

例えば、すごくデカいナイキのロゴが印刷された段ボールから財布をつくると、ユーモラスでオリジナルなものになります。でも、企業ロゴが小さく一つ載っているだけの財布だと、あまりおもしろくなかったりするんですよ。

──なるほど。スウォッシュの全体ではなく一部分だけが入っていたりした方が、よりユニークな財布に仕上がるんですね。

「Carton workshop for NIKE」で作られた段ボール財布(2019)

広告代理店に就職するも、死ぬ前に後悔しないため独立へ

──そもそも段ボールに出会う前は何に興味を持っていたんでしょうか?

もともとアートディレクターを目指していて、予備校生の頃は多摩美術大学のグラフィックデザイン学科が第一志望でした。結局僕が入学したのは新設された情報デザイン学科でしたが、途中までグラフィックデザイン学科への編入を本気で考えていたくらい。グラフィックデザイン学科はものづくりの授業が充実していて、一方の情報デザイン学科は長いスパンのなかチームで一つのものをつくりあげるという印象でしたね。

どうしてもチームだとペースが遅いから、ものづくりへのフラストレーションが溜まっていく。そこで情報デザイン学科で学んだHTMLの知識を生かして、まず「Sip*」というホームページを立ち上げます。「sip」というのは「一口」という意味で、「必ず1日1作品つくってアップする」というルールを決めました。知名度も何もなかったけど、親や同級生は見てくれていたし、ホームページであれば誰かしらの目につくだろうと考えたんです。

「1日1作品」というルールを設定したのは、課題がなければなかなかものをつくれない自分がいたから。ルールを決めてしまえば「何かつくらなきゃ」という気持ちになりますよね。そこでドローイングをあげたり、アドビのソフトの練習がてらにグラフィックや映像をつくったりと、スキルを身に付けつつアウトプットするということを続けました。後半はペースが落ちましたが、そのサイトは2018年までずっと更新してたんですよ。

──すごい! 「次に何をつくろうか」と常に考えながら学生生活を送ったことが、段ボール財布が生まれる要因の一つだったのかもしれないですね。

それこそ段ボール財布も、「Sip*」上でブラッシュアップしていきましたからね。

「Sip*」として制作した段ボールとファスナーを組み合わせた試作品(2009)

──その後、島津さんは大手広告代理店への就職を果たして、念願のアートディレクターになりますよね。そのときに携わっていた仕事はどのようなものだったんですか?

アートディレクター時代はグラフィック中心で、クライアントの要望をまとめながらクリエイティブディレクターの出したデザインを選び、出来上がるのをひたすら待つような仕事が多かったですね。自分で手を動かしてものをつくるといった、僕の想像していたアートディレクター像とはちょっと違っていました。学生のときに芽生えたものづくりに対するマインドをうまく消化できなかったというか、自分でつくった広告だとは思えなかったんですよ。

──アートディレクターという仕事のイメージと現実にギャップがあったんですね。それから実際に会社を辞めて独立されるわけですが、「段ボール一本でフリーランスとしてやっていけるのか」といった不安や迷いはありませんでしたか?

もちろんありました。そもそも就職したきっかけは、段ボールでやっていこうと思い始めた大学2年生の後期に、信頼している先生から面談で「君はいったん就職して世の中を知った方がいい」「社会に出てから独立しても決して遅くはない」と言われたから。先生のその言葉は脳裏に焼きついていましたし、就職してみてアートディレクターの仕事が楽しかったら続けようと思っていたんです。

ただ、就職してから「自分のものづくりとは違う」と感じたり、数年しても地に足がつかなかったり。そこで「死ぬ直前に自分の人生に悔いがなかったと言えるか?」を逆算して考えてみたら、「やりたいことを押し殺して働き続けるのは死ぬ前の後悔につながるんじゃないか」と怖くなったんですよ(笑)。

たしかに、辞める直前に開催した自分のワークショップも盛況とは言えませんでした。でも一歩踏み出さないと何も変わらないと思って。そのときにちょうど映画『旅するダンボール』の企画も始まっていたので、映画を一本つくるのは片手間ではできないとも感じていました。そういった経緯で2015年10月に独立したんです。

2015年に制作した段ボール財布

──2018年に公開された映画『旅するダンボール』は島津さんの活動を追ったドキュメンタリー映画です。この映画の影響は大きかったと思うのですが、ご自身を取り巻く状況が変わったと感じた潮目はいつ頃でしたか?

まさに映画を撮っている最中ですね。映画の終盤に中国での大規模なワークショップ・イベントが出てきますが、これは仕込んだわけではなく、本当にドキュメントを撮っているときに依頼された仕事。サステナビリティへの注目も含め、ちょっとずつ世の中の流れが変わってきたなと実感しました。

それまで受けていたテレビの取材は、だいたい一攫千金モノだったんですよ。「タダの段ボールがお金に化ける!」みたいな。そういうふうに切り取られることはショックでもあったんですが、映画を撮り始めた頃から状況が変わってきましたし、もちろん映画の公開もターニングポイントになりましたね。

「環境にいいことをしている」ではなく「資源の一部を頂戴している」

──SDGsという標語ができたのが2015年。いまでこそ一攫千金的な切り口ではない、リユースやアップサイクルといった考え方が浸透してきました。島津さんが段ボールに興味を持ったきっかけはグラフィックということでしたが、いつ頃から環境への視点が入っていったのでしょうか?

会社を辞める前の2014年頃には、「不要なものから大切なものへ」というスローガンを立てて活動を始めていました。単純に「グラフィックがオシャレな財布」という打ち出しではなく、「いらないものからつくった財布」というコンセプトを提示したんです。

ただ、アップサイクルやリサイクルという言葉は、あえて使わないように気をつけています。もともと段ボールはリサイクルされる素材なので、わざわざそれをさらにリサイクルする必要はないわけですよ。だから活動を始めた当初から「環境にいいことをしている」というよりは、「資源の一部を頂戴している」という感覚でいますね。

──ある種、段ボールという資源の循環に介入する行為である、と。

段ボールのリサイクルについて調べると、単純に「自分の活動は環境にいい」とは言えません。また、環境保護の主張を毛嫌いする人もいますよね。なので僕としては、まず「カッコいい財布だね」「使ってみたい」という気持ちから入ってほしいんです。もちろんSDGs的な捉えられ方をするのは嬉しいことですが、あえて自分から打ち出してはいませんね。

──その上で、島津さんにとって段ボールの魅力とは何でしょうか?

段ボールに秘められた「物語性」だと思います。多摩美の情報デザイン学科でよかったのは、付加価値について学べたこと。どんなものにも付加価値があって、情報が詰まっている。段ボールなんてまさにそうで、住所が書いてあって、デザイナーさんがいて、使っている人がいる。だたの段ボールなんだけど、実はそこには深い物語がある。僕が発見した段ボール最大の魅力です。

──段ボールが人から人の手に渡り、流通することから生まれるストーリーを重視しているんですね。

あと、他の誰も段ボールの物語に興味がないということも重要だと思っています。捨てられた段ボールを見ても、みんなただ通り過ぎるだけじゃないですか。誰も関心がないことをやっているからおもしろいし、僕がやる意味があると思っていますね。

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PROFILE

島津冬樹(しまづ・ふゆき)
1987年神奈川県生まれ。多摩美術大学卒業後、広告代理店を経てアーティストへ。2009年の大学在学中、段ボールで財布をつくったことをきかっけに “Carton”として活動を開始。「不要なものから大切なものへ」をコンセプトに、個展やワークショップ、テレビ、雑誌など幅広く活動している。2018年に自身を追ったドキュメンタリー映画『旅するダンボール』(監督=岡島龍介/配給=ピクチャーズ・デプト)が公開。SXSW(米)でのワールドプレミアを皮切りに日本でも全国ロードショー。HOT SPRINGS DOCUMENTARY FILM FESTIVAL(米)やNIPPON CONNECTION FILM FESTIVAL(独)といった各国のフィルムフェスティバルで高い評価を得る。他方で上海デザインフェスティバルなど、中国のアート・環境系のイベントに多く招聘されている。著書に『段ボールはたからもの──偶然のアップサイクル」(柏書房、2018)、『島津冬樹の段ボール財布の作り方』(ブティック社、2020)がある。

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