株式会社まちづクリエイティブが新たに立ち上げたプロジェクト「CIRCULATION CLUB」。
誰かの「いらなくなったモノ」を回収しリユースして「いらない世界を変える」──そんな「循環型物流」の道を切り開いてきた株式会社エコランドのエコランドファンドからの寄付を受け始まったこのプロジェクトでは、SDGsのうち11番目「住み続けられるまちづくりを」と12番目「つくる責任つかう責任」にフォーカス。それぞれの視点から意欲的な試みを行っているプレイヤーの方たちへ、リサーチ型のインタビュー連載を実施する。
今回は、ヨガと組み合わせた坐禅体験や、禅の精神をアートや衣食住に展開する「是是」プロジェクト、瞑想アプリ「InTrip」の開発など、現代的なさまざまなアプローチで禅の思想を伝えている京都・両足院の副住職、伊藤東凌さんが登場。前編は、ご自身が僧侶になるまでの経緯や禅の捉え方についてお話をうかがった。
Interview, Text:Yuta Mizuno
Photo:Yuto Yamamoto
Edit:Chika Goto
可能性をひらく瞬間に立ち会いたい
──東凌さんはこれまでどのような歩みを経て僧侶になったのでしょうか。
私は室町時代から続く京都の建仁寺の中にある、両足院で生まれ育ちました。臨済宗では、僧侶は結婚は許されていなかったので、たくさんいる弟子のなかから優秀な人が継いできたわけですが、現在は家族を作って、そのなかで継承されていくのが主流になっています。親から「あなたはお坊さんになるんだよ」と言われたことはなかったんですが、周りの寺の子どもたちは「僕がお寺を継いで、将来はああしたい、こうしたい」と言っていたので、ぼんやりと自分もいつか継ぐのかな、くらいで考えていました。家はお寺の境内にありましたので、キビキビとお掃除をされている修行僧の姿は、子どもながらに素敵だな、かっこいいなと思っていました。自分もあんな人になれるときがくるのかな、とちょっと想像したりもしていましたね。
学生の頃に興味のあったキーワードは「教育」です。人の可能性がひらく瞬間に立ち会える教育っていうのは素晴らしいなと。大学では教育学を専攻しました。でも教職免許を取る直前でやめちゃったんです。教育実習に行くのが嫌になってしまって。それからお寺の修行道場に入りました。3年間は道場に入って修行してこい、と父にも言われましたので、とにかく道場に行ってみようと。
修行で何かを掴んだというより、何とか耐えたというレベルでしたが、苦手だった坐禅も一応座れるようになりました。以前はまったくできなかったことができるようになったと実感したとき、なにか自分の可能性がパッと開いたような感じがして、いままで経験していないことをやってみたいなと思ったんです。それで4ヵ月ほど海外留学に行ったり、日本に戻ってからは塾講師のアルバイトをしたり。教育関係のお仕事をしながら、少しずつお寺のお手伝いをするようになりました。
──塾とお寺の仕事を同時にされていたんですね。
はい。塾でお仕事を始めてみると、そのノウハウをお寺に活用できるなと思う部分があったんです。例えば、塾の経営はいかに教室の稼働率を上げるかに注力するわけです。教室の部屋の一部でも空いている時間があったら、とにかくお試し体験として入ってもらう。そうしたら、いずれその子が入塾してもらえるんじゃないか、と。そう考えてみたら、うちのお寺って土日の数時間だけ法要のために使用していて、あとは閉鎖している。稼働率めちゃくちゃ低いなと思ったんです。
それに、当時のお寺の坐禅会って、参加するハードルがとても高いんですね。開始は朝6時から、料金はお心持ち、申し込みは往復ハガキ、終了時刻もわからない──。だから入塾体験のようなプログラムとして「坐禅体験」をつくって、ホームページを活用して参加者を募集しました。事前予約で体験料を明示し、集合時間から終了時刻までのタイムテーブルを明記する。塾の発想を活用して、お寺に来てもらいやすい取り組みを始めました。
お寺の慣習を疑う
──これまでのやり方を大きく変えることに、反発や反対意見もあったのではないでしょうか。
活動を始める頃は、いろいろなご指摘を受けました。日本には約7万のお寺がありますが、2006年当時、ホームページを持っているお寺もまだ本当に少なかった状態でした。それに両足院では2007年くらいにヨガを組み合わせた取り組みも始めましたので、必要ないのではないか、何のためにやるのか、という声もありましたが、一方で「新しいことに挑戦するのはいいことだね」と、後押ししてくださる方もいらっしゃいました。
でも自分のなかでは、特に「新しいこと」をしている感覚はないんです。むしろ古くからあったよい部分を、現代のツールやテクノロジーと組み合わせると、このようなアウトプットになるかなというくらいで。「新しいこと」ではなく、むしろちょっと昔に戻している感覚のほうが近いかもしれません。慣習をそのまま引き継ぐより、その方法は本当に昔から続いていたのかを疑うようにしています。
──坐禅体験を始めてみていかがでしたか。
坐禅体験に来てもらう人に自分がお話ししていることって、まさに教育だったんです。自分が体験してきたことを、まったく嘘なくストレートに伝えるだけでいい。塾では「お母さん、あとひとコマとったほうが成績に伸びますよ」みたいな、本当に必要かどうかというより、営業重視のトークをするわけです。それにちょっと矛盾を感じてきて。だから、お寺で禅や坐禅を広める活動をしているときに「自分のやりたかったことって、家の中にあったんだ」って思いました。お寺というのは歴史や伝統を重視するところだと思っていたのですが、もっと可能性と関わっていける。そんな思いが確信に変わりました。それからはお寺の仕事に専念できるようになりましたね。「可能性」はこれからも大事にしていきたい言葉です。
「是非」ではなく「是是」
──その後、東凌さんはお寺で禅の思想を伝えるプロジェクト「是是 XEXE」を立ち上げられます。これはどのような取り組みですか。
まず「是是」という言葉の意味からお話しましょう。「是非とも」っていう言い方がありますよね。「是非ともお願いします」というように。是と非を裏腹な状態で相手に受け取ってもらう。例えば人が集まったりするけど環境には悪いとか、モノはたくさん売れるけど身体に負荷が掛かるとか。
世の中ってそういうもんだから、といって子どもの頃から清濁併せ呑むことを求められる。そうではなく、是となるもの同士をちゃんと組み合わせる必要があるんじゃないか。これからお寺が発信していくものは、是と是の組み合わせであるべきだと思ったんです。だから「是非」ではなく「是是」。そう言い始めたのが2017年ぐらいからです。これまでの慣例や仕組みによって、ちょっとずつ非をはらんでいるものを、できるだけ自分はしない。「是是」とはそういう思いを込めたスローガンですね。
──是是プロジェクトでは具体的にどのような活動をされているのでしょうか。
最初に打ち出したのは「忘是(もうぜ)」というプログラムです。アートによって自我の忘却を是とする。2020年には、禅をテーマとしたアート作品《Stillness》を羽田空港で展示しました。次に、食事の原点を考え直そうと始めたのが「緒是(しょぜ)」。薬食同源の考えから、自分に合った食生活を見つける緒(いとぐち)をつくるための活動です。お澄ましの味がちゃんとわかるように、昆布出汁を味わう1週間のキットをいまちょうど開発中です。
そして、オンライン坐禅会の「雲是(うんぜ)」。これはコロナの感染が拡大した2020年4月に始めました。それ以前からオンラインでの坐禅は考えていたのですが、当時、スクリーン越しに坐禅をするのはクオリティ的に納得がいかなかったんです。でもコロナが世界的に広がって、海外の友達から「つらいよ」とか「瞑想やろうよ」といった声をいただいたので、オンラインでも心が落ち着くひとときがつくれるのならと、始めました。それから毎週土曜日にいまも続けています。そのほかにも「耕是(こうぜ)」という畑を耕す農業のプロジェクトなどにも取り組んでいます。
──アートや食、農業など、ジャンルの垣根を超えてさまざまな実践を考案されていますね。
自分の人生を前向きにするエネルギーをもらえたり、じっくり考えられる場所として、お寺の魅力を高めたいですし、そういった場所としての両足院に自分も貢献し続けたいと思っています。一方で「是是」プロジェクトはお寺という場所に縛られず、できるだけ生活のなかに入っていくぞ、という思いがあります。どうやって禅の思想を衣食住の至るところに入れられるか。思想を大切にしながらも、それを大上段に構えるのではなく、みんなが使って「いいな」と思えるものにしたいと思っています。
メソッドとしての坐禅
──ところで、禅宗は仏教の宗派のひとつですが、海外に出向いたりオンラインで発信をするときに、宗教の違いを意識されることはあるのでしょうか。
そもそも禅や坐禅は宗教ではないと自分は考えている節があります。「宗教ではない」というのは、仏様や神様といった「ある世界観を信仰しましょう」という要素がないという意味です。禅や坐禅は、宗教というより「メソッド」と呼んでいいと思います。
以前、イタリアの教会で坐禅体験をやったことあるんです。クリスチャンを相手に坐禅を指導するんですね。「キリスト教の人が仏教の坐禅をできるのか」と思われるかもしれませんが、海外の人のほうが禅は宗教だと思ってないんですよ。どうしてそういう認識になったのかはわかりませんが、先ほど私が言ったようなメソッドとしてのニュアンスをより自然に理解しています。
例えば、ずっと神様を厚く信じてきたけれど、あるとき生活がうまくいかなくなって、神様に裏切られたり、愛を感じられなくなったりする。そうして信仰心が薄れそうになったときに、坐禅をして心が整えば、もう一度神を信仰し直せる。こういうことが、ひとつのわかりやすいゴールになるわけです。だから、坐禅指導のときに「そこに観音様が」とか「盧舎那仏のなかに包まれていると思いなさい」といったことは、自分からは絶対に言わないようにしているんです。そもそも私自身、あまりそういう世界観で禅を見ていませんからね。
──メソッドとしての禅という考え方は、ご著書の『月曜瞑想』(アスコム、2021)やアプリ「InTrip」にも現れているように思いました。いわゆるステレオタイプな禅や仏教的な世界観が希薄な印象です。
仏教臭くないようにするのは私がいつも意識していることです。それを自分は「脱色」と呼んでいます。自分が打ち出すプロジェクトは、もちろん仏教の思想をベースにしながらも、それをどうやって脱色しようか。「是是」という言葉にもそんな意味を込めています。
これは自分がたまたま生まれ落ちたのが、臨済宗という禅宗だったということも関係しています。平安時代に仏教が「こうあるべきだ」と学閥主義に陥ったり、武装集団になってしまったところを、いかにしてもう一度ほぐして見つめ直すのか。禅はそうやって仏教のあり方を問い直すムーブメントだったんです。そういう成り立ちなので、ある特定のイデオロギーやモチーフ、シンボルを崇拝させよう、というねらいがないんですよ。
もし私がほかの宗派に生まれていたら、伝える話の文脈を最終的に、宗派が定める教義や信仰につなげなければいけないかもしれません。でも禅宗はそれをしない。あくまでも個人がこの内容をどうすくい取って人生に取り入れるのかは自由ですよ、といった感じです。脱色することによって禅の考え方は生活のなかに広く溶け込んでいきますし、より理解されやすくなると思います。世界的にマインドフルネスという言葉が広まって、時代の後押しもあると思います。
──「メソッド」としての禅の考え方は、さまざまなスケールや状況で応用できるのかもしれません。インタビューの後編はまちづくりやSDGsについてうかがいます。
PROFILE
伊藤東凌(いとう・とうりょう)
臨済宗建仁寺派両足院副住職
1980年生まれ。建仁寺派専門道場にて修行後、15年にわたり両足院にて坐禅指導を担当。アートを中心に領域の壁を超え、現代と伝統をつなぐ試みを続けている。アメリカFacebook本社での禅セミナーの開催やフランス、ドイツ、デンマークでの禅指導など、インターナショナルな活動も。2020年4月グローバルメディテーションコミュニティ「雲是」、7月には禅を暮らしに取り入れるアプリ「InTrip」をリリース。海外企業のウェルビーイングメンターや国内企業のエグゼクティブコーチも複数担当する。著書に『月曜瞑想〜頭と心がどんどん軽くなる 週始めの新習慣〜』(アスコム、2021)。