CIRCULATION CLUB

持続可能な自分であり続けるための禅。両足院副住職・伊藤東凌インタビュー【後編】

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株式会社まちづクリエイティブが新たに立ち上げたプロジェクト「CIRCULATION CLUB」。

誰かの「いらなくなったモノ」を回収しリユースして「いらない世界を変える」──そんな「循環型物流」の道を切り開いてきた株式会社エコランドのエコランドファンドからの寄付を受け始まったこのプロジェクトでは、SDGsのうち11番目「住み続けられるまちづくりを」と12番目「つくる責任つかう責任」にフォーカス。それぞれの視点から意欲的な試みを行っているプレイヤーの方たちへ、リサーチ型のインタビュー連載を実施する。

今回は、ヨガと組み合わせた坐禅体験や、禅の精神をアートや衣食住に展開する「是是」プロジェクト、瞑想アプリ「InTrip」の開発など、現代的な幅広いアプローチで禅の思想を伝えている京都・両足院の副住職、伊藤東凌さんが登場。後編は、禅の視点を通して、持続的なまちづくりやモノづくりのヒントをうかがった。

Interview, Text:Yuta Mizuno
Photo:Yuto Yamamoto
Edit:Chika Goto

インタビューの前編を読む

“ご機嫌” は設計できる

──インタビューの前編では、人の可能性をひらく「教育」への関心を通して、お寺内外の取り組みをうかがいました。他方、いま世界ではSGDsをキーワードとして気候変動や、人権問題、経済格差といったスケールの大きな課題が注目されています。

いろいろな起業家の方とお話するなかで、SDGsが話題に上ることが多くなりましたね。こうしたテーマを考えるときに大事なのは、外野の視点から地球をひとつの惑星として意識する感覚です。頭の中で考えるだけじゃなくて、頭と体がつながり、そして自分がこの地球とつながる。瞑想状態というのは、まさに外野とのつながりを意識することなんですね。頭の中の知識として、地球の裏側の問題や情報を仕入れて勉強することももちろん大事ですが、同時に感覚として一体になる。そういった感覚を日々養うための時間はとったほうがいいでしょう。

また地球規模の課題、例えば脱炭素に取り組むといっても、規模が大きすぎてぶっちゃけわかりづらいですよね。でもひとつ明確なことは「喧嘩をしてはいけない」ということです。人の争いを減らすこと。それは自分の活動すべての根本にあります。では、どうすれば喧嘩が少しでも減るのか。それは「ご機嫌でいること」だと思うんです。

──ご機嫌でいることって、意外と難しいのかもしれません。

機嫌といっても朝は調子が悪かったり、夜は上機嫌だったり。晴れていればご機嫌でも、雨が降れば不機嫌だったり……アップダウンがありますよね。でも自分のご機嫌は自分で設計できる、というのが私のモットーです。ご機嫌でいるためには、環境に左右されたり、条件任せ、人任せにするんじゃなくて、自分のポイントを知り尽くすことです。そうすればご機嫌の設計図は自分で描けるようになる。

どうやったらいつもの挨拶に少しの笑顔や明るさを加えられるか。苦しいことに直面しても、どうやってユーモアや明るさでよい方向に気持ちを向けられるか。人から足を引っ張られたり怒りをぶちまけられても、どうしたら怒りではない方法で対応できるのか──。自分のご機嫌をちゃんと自分で組み立てるためにエネルギーを割くのは、大事なことだと確信しています。そのための方法を実践して失敗しながら、アプリや書籍など、さまざまなかたちで発信しています。

“We”でつくるまち

──SDGsの目標のひとつに「住み続けられるまちづくりを」という目標があります。東凌さんにとって、持続的なまちとはどのようなイメージでしょうか。

両足院のあるここ京都のまちは特殊だとよく外の人から言われますが、京都の人のコミュニケーションは人の想像力をベースにした文化なんですね。「どうぞお好きにしなはれ」と言いながら、本当はやっちゃいけなかった、みたいなことがあるんですけど、はじめからダメだと禁じ手にしてコミュニケーションを閉じてしまうのではなく、開きながら想像の範囲で“いい加減”を見てみんなが調和し合うわけです。

でも調和って「こういう状態だ」という定義ができないんですよね。人はつねに変化し続けます。まちの中で出会う人がちゃんと気づき、過去に捉われずに自分の固定観念をほどいていく。そうやって想像力を最大限働かせて、人と人が対話していけば、調和することができるのかなと思うんですよね。

そういえば、先日とても共感するお話を聞きました。伝統的な木桶の技術を受け継ぐ中川木工芸の中川さんが「『私がつくる』を英語で表現するとき、主語は“I”じゃなくて、“We”だという感覚があるんです」とおっしゃっていたんですね。「私」の考えや人生を表現するアーティストは“I”でいい。でも職人はそれではいけない。傑出した先代さんがいて、その人は“I”だったとしても、工房という“We”にならなければいけない、というわけです。京都のまちには、さまざまなものづくりの職人が当たり前のように何代も続いています。その感覚は、お寺を代々継いでいくときもそうだと思います。

こうした“We”の視点は、工房やお寺を超えて、まち全体にも及ぶといいなと思ったんです。いまは急に個人の時代になって、やれお前の個性を出せとか、さんざん煽られたりする。そうやって息苦しくなったときに、こうしたサステイナブルな視点のほうが、日本人に無理なく馴染んでいいんじゃないかなと思いますね。

自分を超えた存在を想像する

──狭小な“I”ではなく“We”として自分の境界線を引き直すことは、日常生活から地球規模のスケールまで、持続的であるためには重要な視点かもしれません。で、これは余談なんですが、M.E.A.R.L.編集部にはサウナ好きが何人かいまして……。

僕もです(笑)。

──サウナで「ととのう」感覚は、まさに自分の境界線が溶け出すようで、ひょっとしたら瞑想状態に近いのではないかと思ったのですが。

私もサウナのあとに坐禅をすればいいんじゃないかと考えたことがありました。実際にフィンランドヴィレッジというサウナの聖地で合宿して検証したのですが、サウナ後のととのった状態では、やっぱり坐禅はできないとわかったんです。あれはやっぱりとろけすぎる。ただしですね、サウナ前の坐禅。これは最高だったんですよ。自分の意識が入った状態でサウナに入ると、瞑想の延長としてめちゃくちゃ鋭敏になる。そのことに気づいたときは最高でした。全然関係ない話しちゃいましたね(笑)。

──なるほど、サウナ前の坐禅が広まるかもしれませんね。サウナもそうですが、コロナ禍ではメディテーションやマインドフルネスへの関心の深まっているように感じます。この動向をどのように思われますか。

そうですね。コロナによって会えるのは家族や大切な友達といった特に大切な人だけの状況になりました。だからこそしゃべる内容の密度も濃くなるし、自分に対する問いかけの質や深さも変わったと思います。そこで今後の人生を大きく左右しかねないような問いを見つけられるようになった。それは頭だけで考えてパッと回答できるものとはちょっと違う。安易に答えを出すべきじゃないということにすら、察知できるようになったという人が増えたんじゃないかと思います。

その問いに向き合うときに、もう少し自然の声にも耳を傾けてみようとか、自分を超えた存在を想像する──例えば、おじいちゃんやおばあちゃん、さらにその上のご先祖様といった、脈々とつながってきた自分の命の連関を踏まえる──ことで、これからの人生をどうやって生きていくのか。普段の生活を超えたつながりを意識する。そんなことを考えるチャンスがコロナ禍にはあったんじゃないかと思っています。それってなんだかすごく瞑想的ですよね。

衣食住に禅を広げる

──ところで、「集落としての寺を設計中」だとお聞きしました。集落という言葉が気になったのですが、これはどのようなアイデアでしょうか。

中長期的な計画として、いま両足院の境内を整えています。そこではあえて「集落」という言葉を使っています。というのも、集落に一番欠かせない要素って、「お墓があること」なんですね。ちゃんと生活のなかで死を意識する。かつての集落では墓地を取り囲むように人々が住んでいましたが、人は死を山奥に遠ざけ、まちに機能性を詰め込んできました。先ほどの言葉で言えば、死を脱色することで、現代人はそれを生活から遠ざけてきたわけです。そのために、生のなかで自我が膨大に膨れ上がってしまう。

そうではなく、日々アートの表現に触れたり、自分の瞑想的な時間に触れていくなかで「あ、そういえばあそこに亡くなって埋葬された人がいるんだな」と思えるようになる。「なんだか素敵なところだな」と思って入った環境がじつは墓地であった。そんな入り方をどうにか実現できないかなと考えています。いい意味で死を遠ざけない。そんなまちづくりがこれからなされていくといいなと思っています。

──これからはどんな活動を行っていこうと考えていますか。

今後はさらに衣食住に関わる活動をしていきたいですね。いま、ホテルの地下に瞑想ルームをつくっています。2022年の3月にオープン予定です。禅でも瞑想でも、心を整えるための質の高い空間をいろんなまちの中につくっていきたいなと思っています。こうした場所づくりと同時に、禅・メディテーションアプリ「InTrip」も世界にも広げていきたいですね。メタバースのようなことも含めて、ネットとデジタル技術を活用してさまざまなかたちで瞑想的価値を届けたいと思っています。それに、個人的には服も好きなので、姿勢や呼吸に意識が向きやすくなる「禅ウェア」の開発をアパレルブランドと一緒に取り組んでいます。

──両足院ではアートの展示も積極的に行われていますね。

はい。禅を伝えていくうえで大事なことのひとつは表現です。日本語でも英語でも、なるべく簡単な言葉で、広く伝えていきたいと思っています。また、言葉を超えて伝えられる方法として、アートにも取り組んでいかなきゃいけないと思っています。アートといっても、お寺だから掛軸や襖絵、彫刻でしか表現してはいけないというわけではありません。言葉を超えた伝え方を模索するならば、新しいツールやメディアにも取り組んでいくべきだろうと思います。現代アートとのコラボレーションの可能性はもっと広げていきたいですね。

2021年11月に両足院とThe Terminal KYOTOで同時開催された「現代京都藝苑2021 悲とアニマⅡ 〜いのちの帰趨〜」の展示の様子。写真の作品は、近藤高広《坐像》。

もうひとつ大事なことは「現代の本物をつくる」ことです。古いものを保存したり活用することは、お寺の大事な活動のひとつですよね。でも、お寺だけでは蔵の管理もできないですし、博物館に本物を預けてしまって本物をお出しする機会も減ってきています。そうした状況のなかで、お寺が現代の本物の価値をつくっていくことに、これからも積極的に取り組んでいきたいと考えています。

PROFILE

伊藤東凌(いとう・とうりょう)
臨済宗建仁寺派両足院副住職
1980年生まれ。建仁寺派専門道場にて修行後、15年にわたり両足院にて坐禅指導を担当。アートを中心に領域の壁を超え、現代と伝統をつなぐ試みを続けている。アメリカFacebook本社での禅セミナーの開催やフランス、ドイツ、デンマークでの禅指導など、インターナショナルな活動も。2020年4月グローバルメディテーションコミュニティ「雲是」、7月には禅を暮らしに取り入れるアプリ「InTrip」をリリース。海外企業のウェルビーイングメンターや国内企業のエグゼクティブコーチも複数担当する。著書に『月曜瞑想〜頭と心がどんどん軽くなる 週始めの新習慣〜』(アスコム、2021)。

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