中島晴矢の断酒酒場 #1 町屋「大内」の即席刺身定食

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1週間働いたあとの金曜に、のれんをくぐる行きつけの酒場。出先での夕暮れ時、ふと入った老舗の赤ちょうちん。1杯の酒は緊張を解し、客同士の何でもない会話がその町の佇まいを伝えてくれる。

酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。

町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を尋ねる業深き連載がスタート。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!

Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Shun Takeda

酒好きから酒をとったらどうなるか

酒と酒場が好きだった。

すると、好きが高じてアルコール依存症と診断されてしまった。そこから僕は断酒を始めている。現在、断酒して三ヶ月を過ぎたくらいである。

毎朝、抗酒剤のシアナマイドと、飲酒欲求を抑える錠剤セリンクロを飲んでいる。共に無味無臭。セリンクロが効いているのかはよくわからないが、シアナマイドは体がアルコールを受け入れられなくするらしい。もし飲酒したら体調が悪化し、倒れたり、最悪の場合は死に至る可能性もあると医者に示唆されている。だから僕の身体は今、強制的な下戸状態になっているわけだ。それで酒を飲もうとはなかなか思わない。

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二ヶ月飲まないからと言って、特に変わった点はない。たしかに二日酔いの悪夢はないが、目に見えて体がスッキリしたり、気持ちが前向きになるということもない。ただ中高生に戻ったような、アルコールのない日々が漫然と続いているだけだ。別の酩酊を求めようとすれば、あとは大麻解禁に期待するくらいしかない。

飲酒欲求はたまに強烈に湧き上がってくる。でも一杯目さえ飲まなければ、理性でもって飲まないでいられる。だってシラフだから。どうしても悶々とする時は、『ワンピース』を読み直したり、オナニーしたりするという、極力脳に負荷のかからないムーヴをすれば気が紛れると分かってきた。リアルに中学生である。

このアルコール依存症という病に完治はないそうだ。脳がアルコールの快感を忘れることはないから、「飲まない日」を一日一日積み重ねていくしかない。

酒場から酒をとったら何が残るのか

そのため僕は週に一回のペースでクリニックに通い、集団ミーティングに参加している。アルコールやギャンブルを中心とした、依存症患者の人たちがメンバーだ。ほとんどが人生の先輩で、男性も女性もいる。具体的な内容については規則として口外できないが、こうしたことを通じて、みんな依存症からの克服とその継続を頑張っている。

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他人事のように考えれば、これは落語『芝浜』の始まりだ。貧乏長屋に住む魚屋が、女房に嘘をつかれて断酒する人情噺。そして三年目の大晦日に真実を聞かされ、女房に酒を勧めらるも、「また夢になっちゃいけねえ」と断るところでオチ。そう考えると、さしあたって三年間くらいは断酒を継続してみたい。本当は勝手に亡き家元に弟子入りし、立川断酒を名乗りたいくらいなのである(?)。

ただ、僕にとって酒場巡りは大事な趣味の一つだった。酒ももちろん好きだったが、何よりも居酒屋が好きなのだ。いい雰囲気の店内で過ごす、その時間こそが醍醐味である。

そう、酒をやめたからって、僕から酒場まで奪う権利は誰にもない。では、行くしかないで
はないか。酒が飲めない状態で、酒場へ───すなわち、「断酒酒場」へ。

断酒ハザードマップが真っ赤になる町屋の名店「大内」

やはり、真っ先に向かいたいのは地元の店だ。僕の今のホームタウンは荒川区町屋。東京の下町に位置する、昭和情緒の残る町だ。南北に貫く尾竹橋通りがメインストリートで、その道沿いの商店街は今も活気づいている。

町屋には個人経営のいい飲み屋が多く、どこもツマミの質が高くて、しかも安い。ただ、そんな魅力的な町並みが、断酒することによってグルッと反転してしまった。町中が飲酒を誘発する危険地帯なのだ。そもそも荒川区のハザードマップは真っ赤だが、アルコールマップも真っ赤になってしまった。なんとも罪な病である。

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そんなレッドゾーンで訪れたのは、町屋駅前にある居酒屋「大内」。座敷、テーブル席、カウンターのある大店で、いつも大勢の客で賑わっている。老舗なのだろうが、親しみやすい大衆酒場だ。席に着くと、早速お通しでこんにゃくとキクラゲのあえものが出てくる。

さて、まずはドリンクメニューをじっと睨まなければならない。「とりあえず生!」はもう通用しないのだ。ビール、サワー、ハイボール……それらのページをスルーする。また、大内には日本酒と焼酎の銘柄がズラッと揃っているが、そこもパス。行き着く先は「ソフトドリンク」のコーナーだ。これまで足を踏み入れることのなかったフロンティアである。

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とりあえず生、あらためジンジャーエール

悩んだ末に頼んだのはジンジャーエール(200円)。ジンジャーエールが一番安いというのもありがたい。来たのはサッポロのジョッキを添えたカナダドライの瓶で、もちろんキンキンに冷えている。酒の代替物はとりあえずシュワシュワしていればいいというのが、僕が断酒生活で学んだことの一つだ。

肝心のツマミには、大和芋いそべ揚げ(520円)タコ吸盤酢みそあえ(630円)をひとまず注文。前者は揚った大和芋を海苔で包んだもので、レモンをちょっと絞って食べる。外側のサクサク感と内側のトロトロ感がたまらない。後者はコリコリのタコ吸盤に甘辛い酢味噌が絡んだ一品だ。

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そして、やはり大内と言えば刺身。ネタごとに頼むと、それらが大皿に美しく盛られてくる。黒板に書かれるネタはその日ごとに違っているが、今回はマグロの赤身(950円)あじ(680円)をチョイス。これでだいたい2〜3人前の、たっぷりした量だ。赤身は肉厚であじはプリプリと光っている。

ツマミがおかずになる魔法

だが、ここで大きな問題が浮上する。ジンジャーエールと刺身が合わないのだ。かと言って、刺身だけだとどこか物足りない。これまで刺身の隣にはビールや日本酒がいてくれた。しかし、もう彼らがテーブルに来てくれることはない。そこで、どうしても必要になってくるのが「ご飯」になる。おにぎりやお茶漬けといった〆のためではなく、断酒酒場というリングの中で肴に対して受け身を取るためのマットこそが、白飯なのかもしれない。

メニューを確認する。おにぎり、焼きおにぎり、お茶漬けはあるが、白ご飯はない。恐る恐る店員さんに確認すると、「すぐご用意できますよ」と気安く出してくれた。ありがたい。さらにあさり汁(420円)ウーロン茶(250円)も注文。これで大丈夫だ。完璧な即席刺身定食の出来上がりである。ご飯、刺身、味噌汁の三角絞めがキマッている。言うまでもなく美味い。

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さようなら、珍味たち

夢中でそれらを食べていると、僕にお構いなく飲酒しているカメラマンは、他のツマミが欲しいという。彼女の意見を反映し、赤ホヤ(780円)を注文。なるほど、大内のホヤは臭みがなくて水々しく、しかも大きい。ただ、出されたホヤを前に僕の手は止まってしまった。ホヤのことをどう受け止めていいのかよく分からないのである。

酒がない席における、腹に溜まるわけでも、ご飯に合うわけでもないホヤ……。もちろん美味しいことには違いないから、二、三切れ食べたが、味覚的にはそれで充分満足してしまった。これまで酒場で嬉々として頼んでいた肴───ホヤや酒盗、あん肝などは、これから箸が遠のいてしまうのかもしれないと悟った瞬間だった。

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最後に、緑茶ハイならぬ緑茶(250円)をジョッキで飲み干す。ごちそうさまでした。お会計は酒を飲んだ時に比べるとやはり安めだ。断酒は懐にやさしい。結果、肴はどれも美味かったし、お腹もいっぱいだから、基本的には大勝利と言っていいのだろう。

一つ分かったのは、酒がなければ食事は定食化するということだ。定食というフォルムの強固さを再確認した。

アルコールに後ろ髪を引かれないこともないが、今はただ未練を断ち切るのみである。店を後にする足取りはしっかりしている。もちろん意識もはっきりしている。だってシラフだから

PROFILE
中島晴矢(なかじま はるや)

アーティスト。1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。美学校「現代アートの勝手口」講師、「喫茶野ざらし」ディレクター。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM/東京 2019-2020)、グループ展に「芸術競技」(FL田SH/東京 2020)、アルバムにStag Beat「From Insect Cage」(2016)、連載に「オイル・オン・タウンスケープ」(論創社)など。
http://haruyanakajima.com

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