酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。
町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載がスタート。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!
Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Chika Goto
世間全体が「断酒酒場」化する現実
断酒を始めてから10ヶ月ほどが経過した。
近頃、猛烈な飲酒欲求はなくなってきている。実は、抗酒剤のシアナマイドは大分前から服用していない。クリニックへの通院も一旦やめてしまった。なんとなく、それでも大丈夫そうだからだ。
もちろん、飲み会などに行く際にはシアナマイドを飲んでいくこともある。それに、万が一再飲酒してしまう=スリップしてしまうようなことがあれば、いつでもクリニックや断酒会のお世話になるつもりだ。でも、今のところなんとかノンアルコール・ライフを送ることができている。
アルコール依存症でもあった作家の故・中島らもさんがどこかで書いていたが、人はみな必ず何かに依存しているという。お酒やドラッグは言わずもがな、日課でジョギングをしている人もそう。一日一善を旨としている人なんて、完全に中毒者のそれである、と。
その意味では、僕もまたお酒を飲めなくなったことで、何か別のものに依存しているのかもしれない。例えば断酒後に新しいことをいくつか始めてみた。ジムに通ったり、タトゥーを刺れたり。現状としては、そういう気散じじみた行為を通して、アルコール以外の依存先を探している最中なのだろう。
そんな風にやりくりしながら過ごしていたら、三度目の緊急事態宣言に伴い、飲食店での酒類提供が禁止された。みんな居酒屋に行っても酒を飲むことができない。要するに、世の中全体がリアルな「断酒酒場」状態になってしまったのだ。
こんなことになると、せっかく骨身を削って書いているこの連載のオリジナリティがいくらか目減りしてしまう……なんて軽口はさておき、改めて考えると、国をあげての強制的な禁酒令とは大変なことである。あくまで僕は自分の事情で勝手に禁酒しているだけだ。お上から一方的に飲酒を禁止される筋合いはどこにもない。
もちろん、コロナ禍はなるべく早く収束してほしい事態だ。でも、酒類提供禁止が本当に効果的なのかも曖昧だし、それでいてオリンピックは決行しようとしている。ちゃんちゃらおかしい。この国が一体何に依存しているのか? よく見ておくといいだろう。
十条銀座でぶらり食べ歩き
つい気炎をあげてしまったが、どちらにしろ僕がやれることは変わらない。今宵も酒が飲めない体で酒場に出向くまでだ。
酒類提供自粛のお触れが出る前、東京都は北区の十条を訪れた。お隣の赤羽は言わずと知れた「飲んべえの聖地」だが、十条にはまるで馴染みがない。埼京線の駅を出ると、すぐに商店街の入り口があった。北区一のアーケード商店街だという「十条銀座」だ。今回は十条で銀ブラと洒落込もう。
食べ歩きで有名らしいが、たしかに店頭販売をしている惣菜屋が多い。さっそく目についた「ミート・デリカ 塩家」で、メンチカツ(120円)を購入。大きくてジューシー、ほとんどハンバーグだ。もう少し進んで右に折れると行列を発見。人気店なのだろう、「鳥大」という鶏惣菜店だった。
行列に並び、“十条名物”だという焼き鳥のねぎまと皮(1本80円)、カレーパン(150円)を購入。さらに、前に並ぶ人たちがもれなくチョイスしていたチキンボール(一個10円)なるものもいくつか買ってみた。ふわふわのミンチの鶏肉で、素朴なからあげクンといった味わい。美味い、大当たりだ。
しかし気になるのは、隣の隣が小鳥をメインとするペットショップであること。軒先いっぱいに鳥カゴが並んでいて、なかなか複雑な心境になる光景である。また、アジア系の店が多いことに気づいた。ケバブや台湾点心、ハラルフードを扱う小売店もある。この辺は意外とアジア系移民の人が多いのかもしれない。
十条銀座を突っ切って信号を渡ると、そのまま「富士見銀座」につながる。そこで見つけた「coffee house foul」に吸い込まれてしまう。店内は渋い昭和の喫茶店といった趣き。なんと席で煙草が吸える。これは嬉しい、今や煙草が吸える喫茶店は一種の文化遺産である。
ブレンド(450円)を注文。おかあさんが一人で切り盛り、カウンターの常連とお喋りしているような明るい店だ。「お手洗い借ります」と言ったら、「返してよ」と言われた。僕を常連と間違えたらしい。キュートなおかあさんである。
カフェインとニコチンを補給したとなれば、残るはアルコールだが、むろんそれは摂取できない主旨だ。その雰囲気だけでも体内に取り込むことにしよう。来た時とは違う道を通って駅の方へ戻る。線路の反対側をぐるっと回ったら、大衆演劇の小屋があった。幟には「篠原演芸場」と書かれている。こんなところに大衆劇場があったとは驚きだ。
「大衆酒場 斎藤」で“長屋の花見”
実は十条に来た時から、駅前すぐ、十条銀座脇の路地にたたずむ店が気になっていた。「大衆酒場 斎藤」と染め抜かれたボロボロの暖簾。店頭の看板には「創業昭和三年」と書いてある。格子戸から覗くとかなり渋そうだ。一見客でも大丈夫だろうか。ただ、休業している店も多い中、ここは早い時間から開いているらしい。よし、飛び込んでみよう。
店内は思ったよりずっと広かった。黒っぽい土間床に、堂々たる一枚板のテーブルがいくつも置かれている。満席なら何十人も入れそうな大店だ。黄土色の砂壁には、いろんな民芸品やポスターが飾られている。まだ16時台だから満席とは言わないが、お客さんの姿もちらほら。みんな静かに飲んでいる、その静かな活気が心地いい。
お通しは大根のそぼろ煮。優しい味わいだ。ひとまずソフトドリンクからコカコーラ(250円)をチョイスして、カウンター奥の壁に貼られたメニューを睨む。程なくして氷入りのグラスとビンのコーラが運ばれてきた。
そういえばこの店、座席ごとに花が生けてある。しかも、よく見ると花瓶がビールジョッキだ。僕の席は黄色いチューリップである。せっかくの春だし、今日はお花見気分で肴を選んでいくことに決めた。シラフで楽しむ花見だなんて、お茶とタクアンで酔ったフリをする落語「長屋の花見」みたいじゃないか。
ちょうどメニューには春の山菜モノがある。そこで、ふきのとうみそ(320円)とこごみゴマあえ(340円)を注文。運ばれてきたふきのとうみそは豊かな苦味がクセになる、これぞツマミといった代物だ。雪をもたげて、春に土から芽を出すふきのとう。一方の僕にしてみると、たしかに冬は終わるが、断酒という地下生活は終わらない。これは地下生活者の手記なんである。
ところで「こごみ」って何だろうと思っていると、来たのは若々しい黄緑色の山菜だった。ワラビの一種だろう、萌え出る生命力を感じる。食べてみるとシャキシャキした歯応えで、口の中いっぱいに野の風味が広がった。たまにはこんなツマミも悪くない。
隣のおとうさんはコップ酒を啜りながら文庫本を読んでいる。一人で文庫本を読む常連がいる酒場は、基本的に間違いない。文庫本というところがミソで、これがハードカバーでも雑誌でもしっくりこないのはなぜだろう。前の席は、ドレッドヘアーを大きなニットキャップに入れたレゲエ風のおにいさんで、こちらもやはり清酒。周りを見回すとコップ酒の人が多い。それもそのはず、清酒(220円)が安いのだ。ラスタファーライ!
断酒者にも季節は巡る
前菜は充分に楽しんだ。断酒前に来てみたかったという思いを打ち消して、おかずを追加していく。シイタケ煮(320円)、しめさば(360円)、マグロブツ切り(360円)。そういえば、食べ物も全てすこぶる安い。十条住まいの酒飲みだったら毎晩通ってしまいそうな、危険な店である。
シイタケ煮は旨味が染み込んでいるし、しめさばは〆具合が瑞々しくて大好きなタイプ。マグロはすごく柔らかい。最近は、あまり脂の乗っていない赤身に惹かれるようになった。どうせ酒がないのなら、こってりしたトロよりさっぱりとした赤身でいい。
と、壁に『酒場放浪記』でお馴染み吉田類氏の色紙を発見する。さすがレジェンド、当然のように来店済みで一句読んでいた。「クリーンな/空気が味を/引き立てる」。なんだ、意外とコロナ以降に来店したのかもしれない。たしかに入口の引き戸も開いており、消毒や検温もあった。煙草も外だし、感染症対策はバッチリだ。
もう一声で肉とうふ(360円)とタラコおろし(340円)を注文。肉とうふはすき焼き風の味つけで、どことなく高橋由一の油画《豆腐》の見栄え。近代洋画の肉とうふだ。他方、タラコおろしはシンプルな小鉢だが、バランのグリーンを挟んだ紅白が美しい。タラコと大根の花が満開である。ふと見ると、店内は満席に近くなっていた。テレビから流れる相撲中継のChillなテンポが、この店の空気感とマッチしている。
さて、ちびちびやっていたコーラも尽きたので、次のドリンクを選ぼうとすると、席の後ろのポスターが目に止まる。桜チューハイ(360円)、今日のテーマにぴったりだ。もちろんチューハイは飲めないので、例によって店員さんにノンアル化できないか聞いてみると、快く受け入れてくれた。
運ばれてきたのは、サッポロのグラスに注がれた桜チューハイならぬ桜ソーダ。ほんのりとピンク色に染まった炭酸水に、桜の花の塩漬けが浮いている。ドリンクの甘みと花びらの塩っけが絶妙で、その甘じょっぱさがたまらない。これはもはやデザートである。タラコおろしと相まって、ビジュアル的にも完璧。桜ソーダを片手に紅白の肴をつまむという、立派なお花見気分に浸ることができた。ごちそうさまでした。
店を出ると辺りは暗くなっていた。シラフにしてはオツな一夜を過ごせたような気がする。頬を撫でる風が暖かい。当たり前だが、酒が飲めなくたって季節を感じて生きていきたいと思う。酒場の空気でも花弁の色でも、何か別のもので酔えればそれでいい。断酒者はそうやって一日一日をしのいでいく。
中島晴矢(なかじま はるや)
アーティスト。1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。美学校「現代アートの勝手口」講師、プロジェクト「喫茶野ざらし」。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM/東京 2019-2020)、グループ展に「芸術競技」(FL田SH/東京 2020)、アルバムにStag Beat「From Insect Cage」(2016)、連載に「オイル・オン・タウンスケープ」(論創社)など。
http://haruyanakajima.com