酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。
町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!
Text+Edit:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
夏の風物詩。汗と一杯をバランスさせて
暑い。連日の酷暑である。
こう暑い日が続くと、どうにもビールが飲みたくなってくる。
ギラギラした太陽のもと、キンキンに冷えたビールをグビリとやる。これは爽快に決まっている。日本の夏の典型的なイメージとしても、縁側に浴衣姿で腰かけ、うちわ片手に風鈴の音色でも聞きながら、枝豆をツマミに瓶ビールを傾けるというものがある。この種の訴求力にはなかなか抗い難い。
夏のビールと言えば、昔、谷川俊太郎の詩でグッと来た一節があった。神田の古本屋で立ち読みしたものだから、タイトルなどは覚えていないが、最後の行が印象的だったのだ。
「3○度の炎天下 汗とビールをバランスさせて」
たしかこのようなものだった。30何度だったかは定かではない。今なら「36度」といったところだろうか。とにかく、汗とビールを「バランスさせ」るというのがいい。額からダラダラ流れる汗と、出て行った水分を補うようにゴクゴクと飲み干すビール。その均衡が見事に表されている。
この詩を読んだのは二十歳そこそこだったが、その後、三十歳そこそこで体内のアルコールの出入りをバランスさせられなくなり、今の断酒生活に至るわけだ。この夏に僕が汗とバランスさせることができるのは、せいぜい麦酒ならぬ麦茶くらいなものである。
雑居ビルでザ・下町仕込みの味の芸術を。「珈琲田園」
さて、そんな酷暑にやって来たのは金町駅だ。東京の東端に位置する、ザ・下町である。
西を中川、東を江戸川に挟まれている葛飾区金町。中川を渡れば亀有で、両津勘吉の世界。一方の江戸川を渡れば松戸、もう千葉県である。
ひとまず南口へ出ると、大きなバスターミナルがあって、かなりキレイだ。駅前には複合商業施設「カナマチぷらっと」、その上にはドーンとタワーマンションが乗っかっている。こちら側はずいぶん再開発が進んでいるようだ。
そこで踵を返し、反対の北口へ向かうと、雰囲気がガラッと変わる。背の低い雑居ビルが並び、すぐ奥には団地が見えて、商店街もありそう。こちらの方には生活の匂いがする。いつだって、タワマンよりも雑居ビルの方がおもしろい。
とはいえ、ぷらっとするには危険な気温である。日が落ちるなりなんなりで、もうちょっと涼しくなってからじゃないと無理だ。
と、駅の真ん前の雑居ビル2階に、ちょうどよく喫茶店があるではないか。「珈琲田園」と書かれた立派なネオンサイン。“味の芸術”なるうたい文句も見受けられる。ううむ、完璧な面構えだ。これは行かない手はないということで、ガムテープでベタベタと補修された看板を横目に階段を登る。
扉を開けると、どっしりとした昔ながらの喫茶店。でもどこかキュートだ。雑誌や新聞、漫画本の棚があり、BGMはテレビ。赤と白の丸いパラソルがかぶさった出窓が、かつてのリゾートっぽくていい。窓からは常磐線の駅のホームが同じ目線の高さに見える。何より涼しい、夏は喫茶店の存在がいつも以上にありがたい。これぞ金町駅前の田園地帯である。
全席に灰皿が置いてある。ここは東京都だが、店内でタバコが吸えるらしい。さっそく前回の説がくつがえされてしまった。メニューは、飲み物も食事も何でもある。アイスコーヒーが450円だけど、ケーキセットが750円。それならやはり甘いものがほしい。
酒を飲まなくなってから、甘いものに目がない。これは要するに、人間、生きていく上で脳にガツンと来るものが必要ということだろう。僕の場合アルコールによって担われていたそれが、今度は糖質に変わったに過ぎない。糖分を摂取すれば、とりあえず脳に刺激を与えてやることはできるからだ。
ケーキセットを注文する。渋くて可愛いこの店、なんだか店員さんの服装もコスプレみたいだ。何ケーキだろうと思っていると、店員さんがケーキのたくさん乗ったおぼんを持ってきた。フタをパカっと開けて、「どれになさいますか?」と見せてくれるのだ。
チョコケーキ、チーズケーキ、台湾ケーキ、モンブランの4種類から、迷わずモンブランを選ぶ。ケーキに関して僕はモンブラン党だ。旬やシーズンに関係なく、基本的に一年中モンブランを食べていたい。
松戸の川向。半世紀の貫禄を讃える団地から町を探索
「田園」を出ると、日が傾いて暑さもだいぶマシになっていた。風も出てきている。金町を歩くのは初めてだ。知らない町であれば、そこは観光地である。わざわざ海外などに行かなくても、隣駅でじゅうぶん旅行気分は味わえる。
すぐに理科大通りというささやかな商店街へ入る。向こうに東京理科大学の葛飾キャンパスがあるらしい。意外にも理系の町だったのか、金町。中学以来、理系がてんでダメな僕は自然と肩身が狭くなってしまう。いや、そんな必要はないのだけど。
町並みは程よいイナタさを漂わせていた。住宅と飲食店と大人のスポットが絶妙に混ざり合う。店頭の庇のビニールが剥がれ、鉄骨がむき出しになっているのが化石みたいだ。
やがて大きな団地にぶつかったから、つい吸い込まれてしまう。何棟もの立派な団地、中央には広場もある。ぐるりと回って正面に出ると、団地のマップがモザイク状の石のレリーフでつくられていた。これはあまり見たことがないし、すごくカッコいい。なるほど、「金町駅前団地」と言うのか。「日本住宅公団 昭和43年」ともあるから、50年以上前に建ったことになる。半世紀の貫禄を帯びた佇まいだ。
そこから金町中央商店街へ。こちらは居酒屋が多いが、チェーン店が目立つし、どうももつ焼きが強いらしい。やっぱり暑いから、どちらかというとさっぱりした海鮮で一杯(ソフドリを)やりたい気分だ。しかし、どうも決定打に欠ける。
彷徨った挙句、駅前に戻ってきてしまったので、気持ちを切り替えて再び北口に出てみることにした。「カナマチぷらっと」を過ぎると、小さな京成線のホームがある。その踏切の先に、ついによさそうな通りを発見!
下町らしい細長い路地に、飲み屋が密集しているではないか。「金町栄通り」と看板が出ている。そうか、ここが金町の飲ん兵衛たちの目抜き通りだったのだ。再開発の手が届かない路地裏に、ひっそりと酒場が息づいていた。
酒場詩人・吉田類も御用達。ひっそりと息づく金町の名店「山吹」
たくさんの酒場が並んでいるから迷ってしまうが、どこも小さそうだし、ちょっと入りづらい。通りを一往復してから、店内の様子が見える「山吹」に決めた。もつ焼きを推しているが、刺身もあるようだ。
カウンターに通され、その気取らない雰囲気に一息つく。ごちゃごちゃっとした張り紙の並びに、酒場詩人・吉田類のサインを見つけた。別にレジェンドと店がカブってもいいじゃないか。吉田類が来ているということは、普通に考えて間違いない酒場だろう。
カウンター越しに、赤いか刺身(350円)とトロサーモン切り落とし(380円)、冷や奴(300円)をさくっと注文。メニューにソフトドリンクは見当たらないが、動じずにレモンハイのアルコール抜き(330円)を頼む。これは僕の中ではもう定番というか、いつもの、といった風だ。断酒酒場での振る舞いも慣れたものである。
四角い小皿に盛られた刺身がきれいだ。赤いかだけど真っ白で柔らかい。いかが美味い店は信頼が置ける。おまけに、トロサーモンは皮が炙られていた。炙りトロサーモンだ。香ばしくて脂が甘い、焼ジャケの風味も楽しめてしまう。
冷や奴は、もう見た目からして涼しげである。これぞ夏の肴といった趣だ。豆腐にねぎ、生姜、そして踊っていない鰹節。そこに醤油をたらせば立派な一品になるのが小気味よい。同じ豆腐でも、高橋由一が油彩で描く木綿の豆腐とは全然違う。こちらはやはり絹ごしの、さらりとした水彩画の豆腐なのだ。
せっかくだし、なんだかんだで串もいきたくなってくる。どの店でも外せないしろ(120円)とかしら(130円)をタレで。さらにホワイトボードに書いてある、この店ならではの牛タンつくね串焼(290円)と豚レバーゴマ塩串焼(330円)を塩でオーダー。ついでに先程と同じレモン炭酸水も追加する。これが肴にハマってるのだから、原稿の展開を考慮して別のドリンクを、なんてのは野暮というものだ。
テーブルの上に串が並ぶと、なんだかお祭りのようで楽しい。タレはあっさり目で、今の季節にバッチリと合う。さらに、牛タンとレバーを炭酸水で胃に流し込めば、アルコールがなくとも脳にガツンと来る美味さだ。
最後に、うめきゅう(300円)とハムカツ(200円)で締めにかかる。なんとも豪勢じゃないか。しかしこの店、ひたすら安い。駄菓子くらいの感覚でホイホイ頼んでしまう。
ざっくりと切られたきゅうりにたっぷりした梅ソースが酸っぱいうめきゅう、これもまた夏らしい一皿だ。こんがりときつね色に揚がったハムカツは、とにかく分厚い。粗挽きのハムがものすごくジューシーで、ほとんどメンチカツのようですらある。安いから薄いハムを想定していたが(それはそれでたまらないのだが)、いい意味で予想を裏切られた。ベスト級のハムカツだ。ごちそうさまでした。
いやはや、いい店だった。夏の酒場は町のオアシスである。酒を飲もうが飲むまいが、それは関係ない。ここが「山吹」で、駅向こうに「田園」があるから、金町はもはや避暑地みたいなものなのだ。
店を出ると日が暮れている。夏の夜ほど気持ちのいい時はない。京成線の踏切が開くのを待って、シラフのままぶらぶらと帰路につく。
中島晴矢(なかじま はるや)
1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。現在、美学校「現代アートの勝手口」講師。現代美術、文筆、ラップなど、インディペンデントとして多様な場やヒトと関わりながら領域横断的な活動を展開。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN)、グループ展に「TOKYO2021」(TODA BUILDING)、アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社)など。
http://haruyanakajima.com