中島晴矢の断酒酒場 #8 富津「やま田」のアジと穴子とトマトジュース

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1週間働いたあとの金曜に、のれんをくぐる行きつけの酒場。出先での夕暮れ時、ふと入った老舗の赤ちょうちん。1杯の酒は緊張を解し、客同士の何でもない会話がその町の佇まいを伝えてくれる。

酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。

町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載がスタート。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!

Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Moe Nishiyama

断酒2年目の道中、「のんある」の誘惑。

断酒を始めてから丸2年が経過した。

家ではもっぱら炭酸水で過ごし、友人知人との飲みの席ではレモン炭酸水で通している。たまに「ノンアルはどう?」と聞かれるが、ノンアルコール飲料は酒の記憶を想起させる気がして避けてきた。

それが、先日ついノンアル飲料を飲んでしまった。近所に新しくできた焼肉屋で、ノンアルコールビールを頼んだら歯止めが効かなくなったのだ。ノンアルビールを飲むのもほぼ2年ぶりではないか。

焼肉と合わせるノンアルビールが美味すぎて、はずみでノンアルコールのハイボールも注文。ノンアル飲料のバリエーションが豊富な店である。そのノンアルハイボールのクオリティったらない。風味も味わいも完全にウィスキーのそれで、店員さんに「本当にノンアルですよね?」と尋ねたくらいだ。

すると愛想のいい店員さんが「本物みたいですよね」と首肯しつつ、「私はこれ、妊娠中にずいぶんお世話になったんです」と教えてくれた。なるほど、ノンアル飲料にはそういう需要もあるのか。女性はみんな妊娠中、半強制的に断酒状態になるわけだ。もちろん、ちょっと想像力を働かせれば当たり前の話だが。

それからいつものノリでノンアルレモンサワー、さらに家に帰って檸檬堂のノンアルで「宅飲み」までしてしまった。正直、これは危険であり、逸脱であり、不良行為である。あるいは断酒者にとって自傷行為に近いとも言えよう。

時々やぶれかぶれというか、全てがどうでもよくなるような瞬間がある。ただ、こういう気分は断酒以来初めてのことだ。いいかげん酒を飲みたい───そんな潜在意識が働いたのかもしれない。文字通り「のんある気分」だったんである。

それでも今回は本物の酒を飲むまでには至らなかった。だから今のところ断酒2年の記録は継続している。しかし今後、衝動的に酒を飲むようなこともあるかもしれない、と改めて覚悟を深くした。

港町から森の中へドライブ・イン。ふっつでコーヒーを一服。「cafe grove」

久しぶりにレンタカーで遠出することにした。免許は断酒してからコロナ禍に取っている。断酒以前であれば、いつどこへ行こうと最終的には酒を飲むので免許は必要ないと考えていた。車の運転と飲酒の相性は悪い。というか、一緒にやったらシンプルに犯罪である。でも、断酒したんだから車でどこへ行ったっていいだろうと踏んだのだ。

僕の今の拠点は松戸だから、初の千葉県民として千葉を知りたい。そこで房総半島へ出かけてみることにした。行ったことのない土地がたくさんある中、富津市を選ぶ。ふっつ、馴染みのない地名である。東京湾に面した港町らしい。チーバくんで言えばヘソの辺りにある。

そんな”千葉のヘソ”に向かい、陸伝いに高速を飛ばす。他の車が少なくなるにつれて、遮音壁から覗く木々の緑が濃くなっていく。木更津インターで降りると、そこは工業都市といった様子で、ダンプがたくさん走っており、さほど大きくない市街が道路沿いに続いていた。

さて、まずはコーヒーである。コーヒーがなければ始まらない。僕はカフェイン中毒でもあるのだ。幸い、カフェインはアルコールほどの副作用をもたらさない。宵っ張りになるくらいだ。

ここまで来たら、やはりぶっつけというよりも、どうしても下調べしてしまう。だって苦手な運転だもの、そんな時もある。ということで、ネットで目星をつけたカフェを目指す。

車はどんどん市街地から離れていく。田んぼが広がる美しい景色だ。そこからさらにあぜ道を進むと、車は森の中に入っていく。本当にこんなところにカフェがあるのか? と訝しみつつ看板を頼りに細道を行くと、あった。「cafe grove」、こんな森の中なのに繁盛している。拓けた一画が敷地のようで、ロッジ風の店舗にテラス席も設置されていた。

ドリップコーヒー(550円)はエチオピアの中深煎り。流行りのサードウェーブ系で、酸味の効いたやつ。エチオピアは美味いんである。せっかくなのでお菓子もいただこう。オレオとマシュマロのカフェマフィン(500円)。僕はオレオが好物で家に常備しているほどだが、オレオとマシュマロがマフィンに丸ごと刺さっている。森林浴をしながらコーヒーとマフィン。富津、洒落てるじゃないか。

「理想のトマト」缶と房総の真アジ造りを。港町の酒場「やま田」

自然に囲まれてチルしていたら日も傾いてきた。酒場を探そう。

車で市街地に戻り、大通りを進むもなかなかジャストな居酒屋に出会えない。気づくと隣町の君津に入っていたが、そこで小さな繁華街を見つけた。お店がヒューマンスケールに密集しているというわけではないが、ネオンサインが点在するいなたい夜の町だ。

その中に、三軒長屋のような物件を発見。割と新しそうな外観だが、小さな飲食店が3つ連なっている。駐車場も空いているし、この中から選ぼう……というより、旅先の港町、言わずもがな海鮮一択である。そこで「さしみ」を掲げる真ん中の「やま田」に入ってみることにした。

わかりやすく「居酒屋」と染め抜かれた暖簾をくぐると、店内は寿司屋みたいな塩梅の造り。ガラスケースに色鮮やかな切り身が並ぶカウンターと、小上がりの座敷に机が2つ。カウンターの後方には日本酒や焼酎が櫛比していて(僕にとっては)挑発的だ。「房総ウィスキー」なるものもある。どんなもんか賞味したいものの、むろんそうはいかない。

切り盛りするのはゴマシオ頭のおじちゃんと柔和はおばちゃん夫婦。先客は2組ほどいるが、静かないい店だ。当たりと言っていい。

何より安いぞ。さっそくソフトドリンク欄から、トマトジュース(200円)をチョイスする。トマトジュースがあるとなんだか嬉しい。すると伊藤園の「理想のトマト」が、カンで出てきた。断酒者の言うカンは、熱燗のカンではなく空き缶のカンである。お通しは枝豆だ。


こういう居酒屋の肴は、まずやはり刺盛りで間違いないだろう。お刺身の盛り合わせ(1,000円)を2人前注文すると、きたきた。タコ、ホタテ、ブリ、サーモン、タイ、マグロ、貝が2種、そしてカニまで。これは堪らない。

ただ、アジが入ってない。富津では黄金アジという脂の乗った大ぶりのアジが名物らしいと調べていたが、ここのはどうやら普通のアジだ。ミーハーを承知で店主に尋ねると、曰く「他所の人はみんな黄金アジ黄金アジと言うけど、地元の人は特に気にせずアジを食べるよ」とのこと。

なるほど、郷に入りては郷に従えだ、それじゃあと真アジ造り(600円)を頼む。来たのは肉厚で立派なアジ。歯応えがあって、何より味が強い。黄金であろうとなかろうと、房総のアジは輝いている。

さらに、手作りカキフライ(500円)をチョイスする。中濃ソースのボトルが添えられた6つのカキフライ。ソースとレモンをかけて口に放り込むと、トロトロのカキである。僕にとってカキといえば生食だが、やはりお店で食べるカキフライは他に変え難い。マヨネーズのかかったキャベツもグーだ。

「何かあったら言ってくださいね、忙しいフリしてるだけだから」と笑う大将が優しい。2杯目はウーロン茶(300円)にする。こちらもペットボトルがそのまま来た。潔い。しかも「今だけ75㎖増量」みたいだから、終わりまでこれで保つだろう。

ラスト、黄金アジの件で懲りずに、これも名物らしい穴子を食べておきたい。穴子の横腹の線が棒はかりの目盛りに似ていたことから、富津では穴子を「はかりめ」と呼ぶそうだが、この店ではアジと同じく穴子で通している。というわけで、穴子やわらか煮(600円)を頼む。

お造りのような形で来た穴子、食べてみると甘くて柔らかくて最高だ。ワサビを乗せてもタレと合う。肴で穴子をつまむ、いいなぁ。ウナギより安くてさっぱりしていて、なんだか上品だとすら思う。

シラフなのに枝豆のガラを灰皿に捨てるという酔っ払いムーヴをしてしまった。旅先の酒場、その時間と空間に酔っているのだろう。増量ウーロン茶を飲み干して勘定を済ませる。富津、ごちそうさまでした。

飲まざれば、道は開かれる。

「居酒屋」の暖簾をくぐり、車に乗り込む。シラフだから全く問題ない。とりあえずどこかに一泊しよう、今夜も飲まずにやり過ごすことができそうだ。

ところで僕は昔から熱烈なプロレスファンなのだが、先日、武藤敬司が引退した。中学生の時から最も好きなプロレスラーの1人。そんな武藤もついに現役を退いてしまったのだ。

武藤の名言にこういうものがある。「プロレスとはゴールのないマラソンである」。これは僕にとって「断酒とはゴールのないマラソンである」と言い換えることができる。本当にドンピシャでそうなのだ。

さらに昨年、アントニオ猪木が亡くなった。アントニオ猪木こそ僕のヒーローである。遅れてきた猪木信者として、プロレスにのめり込んだ。小学6年生の時に初めて自分の小遣いで買った活字の本も、文庫版の『アントニオ猪木自伝』である。

マット界における猪木の功績を挙げればキリがないが、なかでも重要なのはボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦だろう。当時「世紀の凡戦」と酷評されたこの一戦は、今や総合格闘技(MMA)の起源として世界的に再評価されている。寝転んでローキックを打ち続ける猪木と、立った姿勢を崩さず挑発し続けるアリという状況に終始したその試合は、結局ドローに終わった。そうした膠着状態を、俗に「猪木アリ状態」と呼ぶ。

その意味で、「断酒とは『猪木アリ状態』である」と言うこともできる。アルコールからヘビーなパンチをもらってドランカーになってしまわないように、牽制しつつシラフのまま寝転ぶ膠着状態───面倒なのは、ラウンド制ではなく時間無制限であることか。

ひとまず「猪木アリ状態」での「ゴールのないマラソン」は丸2年を過ぎた。

断酒の道を行けばどうなるものか?

危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。

飲まざれば、その一口が道となり、その一口が道となる。

飲まずに行けよ、行けばわかるさ。

PROFILE
中島晴矢(なかじま はるや)
1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。現在、美学校「現代アートの勝手口」講師。現代美術、文筆、ラップなど、インディペンデントとして多様な場やヒトと関わりながら領域横断的な活動を展開。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN)、グループ展に「TOKYO2021」(TODA BUILDING)、アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社)など。
http://haruyanakajima.com
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