中島晴矢の断酒酒場 #9 三軒茶屋「うち田」のカキ昆布焼と黒ウーロン茶

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1週間働いたあとの金曜に、のれんをくぐる行きつけの酒場。出先での夕暮れ時、ふと入った老舗の赤ちょうちん。1杯の酒は緊張を解し、客同士の何でもない会話がその町の佇まいを伝えてくれる。

酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。

町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載がスタート。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!

Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Moe Nishiyama

「飛ぶ」快楽からの解放と、断酒の束縛。

僕はラップをやっている。

始めてからもう10年以上経った。Stag Beatというユニットで、相方にビートメイカーのMolphobiaがいる。

モルフォビアという名前の由来は、蝶が嫌いだから。ちなみに僕のラッパーネームのDOPE MENは、二十歳くらいの時、彼につけられたあだ名だ。僕一人なのに複数形のところが気に入っている。

そんなモルフォビアも酒が好きだ。ほとんどアル中なのではないかという説もある。

WHOが作成したアルコール依存症のチェックシート(AUDITで、40点満点中15点以上だと依存症の疑いがあるのだが、彼は30点以上あったらしい。はっきり言って心配である。呑兵衛の読者諸氏もこれを機に自分の点数をチェックしてみたらいかがだろうか。

モルフォビアとは昔から散々一緒に酒を飲んだ。懐に小銭があれば飲み屋に行ったし、同じシェアハウスやアトリエに住んでいた時には連日連夜安酒を飲み明かした。僕らは飲み方が似ていて、ベロベロで前後不覚になるくらい、要するに「飛ぶ」(©︎長州力)まで飲むのだ。もちろん僕が断酒をしてから一緒に飲むということもなくなったのだけど。

この前、モルフォビアのビートライブを聴きに恵比寿のクラブ「BATICA」へ行った。酒も飲まずに踊った帰り道。恵比寿駅のホームでヱビスビールのCMソングが流れるなか、リュックのペットボトルホルダーに500mlの缶チューハイを差し、プルタブのあいた真っ赤な本麒麟を手にしながら、相方が僕に言うのである。

「ドープメンは、酒から解放されてて羨ましい」

なるほど、これは一理あるかもしれない。僕はもうクラブでも駅のホームでも酒を飲む必要がない。ただ、飲酒から解放されている一方で、断酒に束縛されていることもまた事実だろう。損得で言えばプラスマイナスゼロではないか(と、己に言い聞かせる)。酔いの快楽がない代わりに、二日酔いの苦しみもない、そんな感じである。

TWICEの「Alcohol-Free」に背中を押されて。三角地帯から茶沢通りへ。

ここのところ僕らが溜まり場にしているスタジオは三軒茶屋にある。

モルフォビアのアパートに簡単な自作のレコーディングブースがあって、いつもそこで楽曲制作をしているのだ。ただ、なかなか時間をつくれなくて、ちゃんと街をぶらつくことができていない。そこで今回は、改めて三軒茶屋を散策してみることにした。

三軒茶屋という地名は、その名の通り、江戸時代に三軒のお茶屋さんがあったことから来ているらしい。昭和初期には世田谷区が成立して、三軒茶屋が正式名称となる。さらに空襲被害を経た戦後には、まもなく闇市が形成された。それから度重なる再開発を経て、現在の街並みに至っている。

東急田園都市線の駅構内はキャロットタワーや世田谷パブリックシアターに直結しており、地下通路を抜ければ世田谷線の改札にもたどり着ける。かつて「玉電(玉川線)」と呼ばれた世田谷線は、三軒茶屋と下高井戸を結ぶ軌道線。都電荒川線と違って道路上に敷設された線路を走らないため「路面電車」ではないそうだが、その小さく愛らしい姿は完全に路面電車のそれである。

駅を出ると広がるのは、首都高のかぶさった国道246号線が延びる、この辺りの典型的な風景だ。いくつもの細道が縦横に走っていて、道中の商店街には活気があり、歩いてみると、やはりオシャレだ。改めて見回すとカフェやバー、レコードショップ、そして古着屋がとても多い。サッと入るのを躊躇するくらいには、どの店も澄ましている。新しくてきれいな居酒屋もそこここに建っていた。

ぐるっと回ってから、いわゆる三角地帯に踏み入ってみる。ずっと田園都市線ユーザーとして三茶には立ち寄ってきたものの、恥ずかしながら三角地帯をちゃんと探訪したことはなかった。玉川通りと世田谷通りの分岐点に位置する、文字通り三角形のエリア。先述した闇市の名残りが色濃い場所だ。エコー仲見世、ゆうらく通り、三茶3番街といった名を冠する路地が走っていて、雰囲気はこちらも闇市をルーツに持つ、新宿の思い出横丁や上野のアメヤ横丁に近い。

建物としてはどれもバラック風だが、入っているのは新しそうな店舗も多い。立ち飲み屋などにも若々しさがある。そうやってうろついていると、街頭スピーカーからTWICEの「Alcohol-Free」が流れてきた。言うまでもなく僕の応援歌である。背中が押されるのを感じるものの、断酒酒場をやるとなると、どの店もいまいち決定打に欠ける。ゴールデン街のようなアットホームさが一見客にはハードルが高いし、三軒茶屋で三角地帯となると、どうしてもベタな気がしてしまうからだ。

そこで再び駅前に戻り、いつもスタジオに行く道すがらにある茶沢通りへ。シンガーソングライターのG.RINAが「帰り道で一人 涙こぼれた茶沢通り」(FNCY「TOKYO LUV」)と歌うような、三角地帯とは一転してキレイな通りである。

垢抜けた飲食店が軒を連ねるなか、一本入った路地で、気になる店と出会ってしまった。白無地の暖簾に、「居酒屋 三茶 うち田」の看板。ひっそりと佇む小さな店だが、張り出された品書きに胃の腑をそそる海鮮の類が並んでいる。茶沢通りの老舗居酒屋か……よし、今夜は「うち田」に決めよう。

ほくほくの焼里芋を粗塩で嗜む粋な夕べ。三軒茶屋の老舗居酒屋「うち田」

暖簾をくぐると、カウンターとテーブル席が3つ4つあって、ほぼ満席に近く、いい雰囲気の店内だ。小ざっぱりとした瀟洒な酒場である。大将が厨房で、ホールはお母さんだろうか。十中八九、当たりの店に違いない。

さっそく運ばれてきたお通しは、タコと野菜のオリーブオイル和え。タコがプリプリ、大根や春菊がシャキシャキとして文句なく美味しい。これは期待できそうだ。ソフトドリンクは一番上に書いてあった黒ウーロン茶(500円)を注文。ウーロン茶だとスルーしてしまうところ、「黒」の一文字があるだけで選ぶ気になるのは不思議だ。

手書きのメニューにはずらりと肴が並んでいる。やはり海鮮が豊富で、まずは刺身を選んでいきたい。アジやしめサバ、ぶりといった定番から、クエ、のどぐろ、トラフグといった高級魚まで揃っているようだ。悩んでしまうので、愛想のいいお母さんに聞いてみると、太刀魚をオススメされた。太刀魚の刺身というのはあまり馴染みがない。刺と炙りがあるということで、江戸前釣り 太刀魚 炙り(2,500円)に決める。あとは目に止まった焼里芋(750円)もオーダーしてみた。

値段を見ればわかるように、ベラボーに高いわけではないが、決して安くもない。酒場としてはいささか高級だが、たまにはこんな店に入ってもバチは当たらないだろう。

まず太刀魚がやってきた。“太刀魚”と聞いてイメージしていた、刀のように平べったい感じとまるで違う。なんともふっくらとした身じゃないか。とはいえ、香ばしく炙られた皮が白銀色に輝いて、やはり一本の刀身を思わせる。盛り付けも相まって美しい。すだちをひとかけして粗塩とわさびでいただくと、コリコリとした歯応えが楽しく、文句なく美味い!

次に焼里芋が運ばれてきた。皮付きであることに面食らう。紅い枝葉もあしらわれていて、一幅の絵のような風情がある。ここは居酒屋というより、ちょっとした割烹と言っていいかもしれない。手で皮をむき、添えられた田楽みそを乗せて頬張れば、ほっこり、ほくほくとして温かい。そしてじんわりと口内に広がるとろみ……粗塩をつけても抜群だ。里芋を塩でいただくというのも、むしろ贅沢だし、なんだか粋じゃないか。この店、相当すごいかもしれないぞ。

ツマミだけで陶酔。溜まり場の一本裏手に名店あり。

さらに料理を追加しよう。目移り必至のご馳走から、白海老唐揚(800円)白子みぞれ煮(1,800円)をなんとか選び出す。

手元の黒ウーロン茶はまだなくならない。濃くて薬膳の風味があるから、ちびちびといける。燗酒でなく黒ウーロン茶をちびちびとは、気づけば僕も健康的になったものだ。もちろん僕は、別段「健康」を金科玉条としているわけではない。ただ酒を断ってからというもの、三十路を越えてなお、太る気配が全くないのは確かだ。

白海老唐揚がテーブルに届いた。見た目はかき揚げのようだが、大ぶりな白海老一つひとつが独立して、カラリと揚がっている。こちらもすだちを一絞りして、淡くベージュがかった藻塩につけザクザクと食らいつく。(断)酒席の半ばで食べる揚げ物は、他の何にも代え難い。

白子みぞれ煮も到着する。小鍋にたっぷりのネギ、エノキと柚子皮、何よりみぞれがなみなみと満ちている。むろん白子は大好物だが、ポン酢や天ぷらじゃなく、みぞれ煮でいただくのは個人的に珍しい。薬味に隠れ出汁にひたひたに浸かった白子は、とろけるほど柔らかくて、思わず恍惚とする美味さだ。

一品一品の質の高さに、正常な判断能力が麻痺してきた。もはや懐事情は思考の埒外に追いやられている。メインディッシュを食さねばなるまい。問答無用でカキ昆布焼(2,200円)をオーダーした。

供されたのは、昆布を下敷きに、カキがごろごろと居並ぶ一皿だ。はっきり言ってどんな味つけだったのか、もはや判然としない。なんなら記憶も曖昧だ。ただただ濃縮された絶対的な旨味に、脳髄が芯からヤられてしまった。筆舌に尽くしがたいとはこのことである。大満足。ごちそうさまでした。

酒に酔ってもいないのに、陶然として店を出る。酒場の逸品は、アルコールに勝るとも劣らない酩酊をもたらすのだと、改めて実感させられる夜だった。

ところで、酒場で酒を飲まず、ツマミだけで陶酔した状態に対しても、AUDITのチェックシートは機能するのだろうか?

ちなみに先日このテストをしてみたら、今の僕の判定結果は4点だった。点数という明確な形になると若干の心支えになる気もするが、そんなことはまあ、いい。

大事なのは、いつも歩いている通りの一本裏には、まだ見ぬ名店が潜んでいるということだ。

シャレた店々を横目に流し、茶沢通りを後にする。

PROFILE
中島晴矢(なかじま はるや)
1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。現在、美学校「現代アートの勝手口」講師。現代美術、文筆、ラップなど、インディペンデントとして多様な場やヒトと関わりながら領域横断的な活動を展開。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN)、グループ展に「TOKYO2021」(TODA BUILDING)、アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社)など。
http://haruyanakajima.com
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