中島晴矢の断酒酒場 #10 韓国出張編 ソウル「百済精肉店」の焼肉と炭酸飲料

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1週間働いたあとの金曜に、のれんをくぐる行きつけの酒場。出先での夕暮れ時、ふと入った老舗の赤ちょうちん。1杯の酒は緊張を解し、客同士の何でもない会話がその町の佇まいを伝えてくれる。

酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。

町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載がスタート。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!

Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Yoko Masuda

国境を跨ぐ旅を求めて。初・韓国に上陸

仁川(インチョン)国際空港から空港鉄道でソウル市内へ向かう。

車窓にはソウル郊外の風景が流れていく。山野の風情は日本とあまり変わらないように見える一方で、タワマンだろうか、ところどころ密集する高層ビルに韓国の勢いを感じる。

空港鉄道に1時間ほど揺られ、ソウル駅で地下鉄に乗り換えて東大門(トンデムン)駅へ。韓服(ハンボク)などが並ぶ地下街から地上へ出ると、駅名の通り立派な城門がある。辺りの通りにはたくさん露店が出ていて、衣類や軽食が売られていた。上野のアメ横に似た雰囲気と言えるだろうか。とにかく、韓国は初めてだ。アンニョンハセヨ!

コロナ禍が落ち着いてきて、ついでに仕事もいったん落ち着いたタイミングで、ソウルへ行ってきた。ここ数年ずっと日本から出られなかったので、いてもたってもいられなくなったのだ。身近な街を深くディグするマイクロツーリズムは重要だし、なんならこの連載はその権化みたいなものだが、しかし同時に、たまには言葉の通じない他文化の空気に身を浸さないと、心に澱が溜まってしまうような感覚がある。その澱みたいなものを濾過するのが、要するに平時のツーリズムということなのだけれど。

アジアを代表する芸術祭「光州ビエンナーレ」も開催されていたから気になっていたが、ソウルからはやや遠く、まずは首都の街並みを見ておきたかった。そんなノリでやってきた東大門のビジネスホテルに到着したのは、もう夕方。ひとまず今日は東大門の街に繰り出そう。

異国のダウンタウンを散策。路地裏の焼肉店から漂う香りに誘われて

東大門のランドマークは、2014年にできたというDDP(東大門デザインプラザ)だ。アンビルドで有名なザハ・ハディトの建築が、どどんとビルドされている。

日本でザハ建築と言えば、新国立競技場建設をめぐる紛糾が依然として記憶に新しい。今でも僕は、神宮外苑という環境に件の建築が建つ予定だったことについて、やはりどうしてもそぐわないというか、あの土地に相応しいものではなかったと思っている。

ただ、こうして完成された建築を眺めると、むろんザハ建築それ自体は決して悪いものではなく、どころか圧巻であって、銀色に輝く近未来的な流線形は観光資源として十二分に機能していることを実感する。それに、中身はショッピングモールやミュージアムに加えて、開発中に発掘されたという朝鮮時代の遺構が設置されており、土地の歴史性もしっかりと受け止められていた。何より、セルフィーに勤しむ数多の観光客が裏づけるように、これは映える。

……と、そんなことを考えながら歩いていると、立ち並ぶ露天の甘辛い匂いに胃袋を刺激される。よし、買い食いだ。選んでみたのはソットクソットク(3,500ウォン)、ソーセージとお餅(トッポギ)が交互に串刺しにされたおやつである。美味い! チーズがからんでいるがピリ辛で、なかなかお腹に溜まる。文句なしに本場の韓国味、いいスタートだ。ちなみにウォンは10で割れば、だいたい日本円の値段となる。

小腹を満たしたところで晩飯を探そう。韓国ではポチャンマチャ、略してポチャという飲み屋屋台が人気らしいが、まず街をぶらついてみないことには始まらない。さっそく東大門の駅周辺から路地に入り込んでみると、いい具合にダウンタウンだ。この異国におけるおっかなびっくりな気分が、いわば旅の醍醐味である。グラフィティが散見され、電信柱の電線がこんがらがり、立派な教会もあった。他所者であることをわきまえつつ、そそくさと見学させてもらう。

さらに鐘路(チョンロ)なる大通りを歩き再び路地に入ると、ラブホテルがあったりして、若干いかがわしい繁華街の趣き。焼肉、海鮮、チキン店と、飲食店も軒を連ねている。通りに漏れる肉の香りが腹を刺す。我慢できなくなってきた、ソウルの初夜はやっぱり焼肉でいこう。本稿には「酒場」という縛りがあるけど、要するに飲まなきゃいいんだろうと開き直り、街角の繁盛している焼肉店に飛び込んだ。

スマホでマップを見ると、どうやら「百済精肉店(ペッチェチョンユッチョム)」という店らしい。ハングルは全く読めないが、何とかなるだろう。おそらく。

本場の韓国式焼肉と山盛りユッケを食らいながら。傍には“ドライな”ソフドリ。

そう思ってメニューを見てみたら、全てに中国語と日本語が併記されていた。

肩の力が抜けるのを感じながらメニューを睨むも、店内は喧騒にまみれている。ビビンバ、ユッケ、冷麺と定番メニューは何でもある。ここは勢いに任せる、もう焼肉セットでいいだろう。ロースや盛り合わせもあるセットから、牛のともばら肉+ユッケ(52,000ウォン)をチョイス。ともばら肉とは聞き覚えがないが、要するにカルビの一種みたいだ。

おっと、ドリンクを忘れてはならない。飲料は焼酎、ビール、覆盆子、清河、炭酸飲料と並んでいる。僕にはわかる、明らかに炭酸飲料(2,000ウォン)のみがノンアルコールだ。店員のお兄さんを呼び仕方話で注文を伝えると、焼肉用の大皿小皿がどしどし運ばれてくる。すぐ手元に置かれた炭酸飲料の正体は、缶のコカ・コーラだった。

一方、カメラマンは悠々とビールを飲んでいる。「TERRA」という韓国ブランドの瓶ビールで、ソウルの飲食店ではすこぶる人気らしい。

海外の旅先で現地の酒を飲む。これが旅行者の基本的な姿だ。貴い文化的な振る舞いとすら言える。それはおそらく異文化理解の最もシンプルな形の一つだろう。

僕だってソウルでマッコリやチャミスルをクイクイやりたかった。そのままヘベレケになって東大門をうろつきたかった。でも、飲まないのが僕の基本だ。国境をまたいで法律が変わっても、断酒という法は変わらない。なぜなら断酒においては自分自身こそが法だからである。

そんなちょっとアンニュイな気分を吹き飛ばすようにテーブルの熱量は高まっている。平皿に山盛りされたユッケは、それこそ本当に合法なのだろうか? 敷かれたサンチュの上に、大根、青唐辛子、ネギと和えられたユッケ、そして卵黄がオン。こんなもの美味いに決まっている。無限にも思える量だからガツガツと食べられるのもいい。ユッケを口いっぱいに頬張るというのは、なんとも豪勢な話だ。

いよいよ肉を焼いていこう。油が溜まらないよう15度ほど傾いた分厚い鉄板に牛肉を並べていく。タレはごま油、味噌、コチュジャンと三種。肉はかなり薄くスライスされているから、すぐ焼ける。小皿からニラ、生ニンニク、キムチなどを好きに取って、コチュジャンをつけた肉と一緒にサンチュで巻いてかぶりつくと、問答無用の美味さだ。これまで食べてきた韓国式の焼肉、それを本場で食べられている状況が、とにかく楽しい。

鉄板にエリンギや玉ねぎ、じゃがいもといった野菜類も投下。本場のキムチは酸っぱ辛くて、発酵の味わいなのか、日本のものより酸味が強めな気がする。もちろん辛味も強いから、ここにきてコーラの甘さが受け身を取ってくれる。

この地でもソフトドリンクは僕を裏切らないのだ。酒に裏切られたことは数あれど、ソフドリに裏切られたことは一度もない。もちろんソフドリはドライで他人行儀というか、酒のように人をたぶらかしたり、幻惑したりということがハナからないのだけれど……。

いや、飲料を擬人化している場合ではない。店内は飛び交う韓国語で騒々しさが増している。その熱気の中、カルビやユッケを一心不乱に食らい続け、コーラを飲み干し、気づけば完食。鉄板の口から油が流れ落ちていく。怒涛のような一席だった。ごちそうさまでした。マシソッソヨ〜。

ラフでタフでワイルドな眠らぬ街「ソウル」。〆の冷麺とコーヒー。

東大門はファッションタウンだ。とはいえ、東京で言う原宿のような感じではない。翌日に訪ねた弘大(ホンデ)はまさに竹下通りそのものだった。でも東大門はもっと闇市的なバイブスで、というのも昔から衣類の問屋市場が密集しているエリアなのらしい。もちろん今風のアパレルショップが詰まった巨大なファッションビルも、これでもかと林立している。それと同時に、衣服が叩き売られている屋台もずらりと並んでいるのだ。

歩き回ってみると、街全体で表通りとバックヤードが一緒くたになっているような印象で、例えば売り場には、商品が袋やダンボールに入ったままドカドカ置かれている。どうやら東大門には、国内外からアパレルのバイヤーが大量の品物を買い付けに来るらしい。なるほどそこら中に長距離バスが停まっており、荷物を満載した馬鹿でかいバックパックが積み上げられている。

通りには積荷を運ぶ服屋の店員やバイヤー、ショッピングを楽しむ韓国の若者、そして僕のような観光客でごった返している。ところで、韓国にはタトゥーの入った人がすごく多い。徴兵制も関係しているのだろうか、特に韓国のオッパ(お兄ちゃん)たちのガタイはイカつい。街も人もラフでタフだ。そのワイルドさが、東京にももっとあっていいと切に思う。

そうやって無数の夜店をひっかけていたら、卸売市場の食堂街に迷い込んでいた。これはせっかくだからもう一軒行ってみようか。ぶらぶらしたからお腹もだいぶ軽くなっている。すると店先から優しげなオバチャンに声をかけられたので、いざなわれるように店に入ってしまった。「ユジョン食堂」。市場の人の普段使いの食堂といった風で、かなりいい具合である。

席に着くと、まずカクテキ、もやしナムル、練り物、ナス、青菜と、お通しが5皿来た。韓国はお通しカルチャーが極まっている。それらをつつきながらメニューを見ると、何でもありそうだ。ここはやっぱり焼肉からの流れで〆たいじゃないか。そこで、冷麺(7,000ウォン)を注文。韓国語ではレミョンと発音するみたいだ。

オバチャンがハサミでザクザクと麺を切り供された冷麺は、ダイコン、キュウリ、ゆで卵が乗って、さっぱりと清々しい。麺を啜れば、いやはや、美味いに決まっている。なにしろ本場の市井の冷麺なのだ。

飲み物を注文し忘れていたが、もう水でいい。例の韓国式のプラスチック水筒に入ったお冷やを片手に食べ進める。辛さにヒーヒー言いながらもペロリと平らげた。ごちそうさまでした。

流れに身を任せて、最後にコーヒーまで飲んでしまえ。

韓国ではカフェが夜中まで開いているとは聞いていた。実際、この通りにもいくつかのカフェが見られる。よし、テイクアウトにしよう。さっきから街行く人たちがみんなアイスコーヒー片手なのが、なんだか羨ましかったのだ。

そこでユジョン食堂のすぐ隣にある「MAMMOTH COFFEE」に入ってみる。タッチパネルを操作しセルフで注文するのだが、驚くほど値段が安い。別料金でシュガーを入れても、アメリカンのアイス1,400ウォン。さらに渡されたカップがバカでかい。まさにマンモスだ。そういえば「MEGA COFFEE」という店も何軒か見た。韓国のコーヒーは安くて多い、これは覚えておこう。

アメリカンだから薄めだが、味もちゃんと美味しい。初夏の夜に繁華街で麦茶みたくグビグビ飲むアイスコーヒーもいいものだ。その晩はそのままマンモスコーヒー片手に、こちらも日本よりずっと安いタクシーでホテルに帰った。

刺身にコチュジャン、酒場で知る他国の文化。世界中の断酒者と肩を組もう

翌日、ソウルの王宮・景福宮(キョンボックン)の隣にある国立現代美術館で1960〜70年代における韓国の前衛美術を観たり、名店だという「土俗村(トソッチョン)」の参鶏湯を食したり(そうだ、この店では食前酒が供され一瞬狼狽えたのだった)、先述の弘大をひやかしたりして気ままに過ごした。

夜は学生時代の友人であるユンと落ち合い、Netflixのドラマでお馴染みの梨泰院から少し外れた、今まさに盛り上がりつつあるエリアだという漢南洞(ハンナムドン)を案内してもらった。雑多な下町っぽさとシャレた店々が同居したそのニュースポットで、小さな海鮮居酒屋にふらりと入る。コチュジャンをつけた刺身をサイダーで流し込むのは、思った以上に抜群だ。どちらかといえばこっちこそ「断酒酒場」という感じの店だったが、それはそれとして、翌朝に屋台のおでんを食らったりしてから成田への帰路についたのだった。

後日、韓国語でアル中を何と言うのか調べてみた。알코올중독(アルコオル・チュンドク)……ほぼ一緒だ。そりゃそうか、同じ漢字文化圏である。でも、アルチュンという響きは悪くない。

ソウルにだってアルチュンはいるだろう。ということは断酒者(タンジャー)もいるはずだ。依存症に国境はないのだから、依存症と対峙するという一点において、僕はその人たちとのグローバルな連帯を勝手に表明したいのである。

さて、冒頭に平時のツーリズムと書いたが、再び海外旅行ができるご時世になったことを嬉しく思う一方で、言うまでもなく、今は世界的に見ればウクライナ戦争が続く戦時下でもある。

どこへだって呑気に観光できる世界が一刻も早くおとずれてほしい。小田実の名高い世界紀行『何でも見てやろう』ではないが、僕の場合、シラフで見てやろう、そんな気持ちである。

PROFILE
中島晴矢(なかじま はるや)
1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。現在、美学校「現代アートの勝手口」講師。現代美術、文筆、ラップなど、インディペンデントとして多様な場やヒトと関わりながら領域横断的な活動を展開。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN)、グループ展に「TOKYO2021」(TODA BUILDING)、アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社)など。
http://haruyanakajima.com
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