中島晴矢の断酒酒場 #11 立石「二毛作」のおでんとジンジャーエール(辛)

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1週間働いたあとの金曜に、のれんをくぐる行きつけの酒場。出先での夕暮れ時、ふと入った老舗の赤ちょうちん。1杯の酒は緊張を解し、客同士の何でもない会話がその町の佇まいを伝えてくれる。

酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。

町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載がスタート。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!

Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Yoko Masuda

断酒者としての自信。ノンアルビールも解禁して。

酒を辞めてから、ついに3年が経った。断酒という石の上にも3年である。

これは断酒生活を1日ずつ積み上げた一つの成果と言える。ノンアル石を穿つ。もちろん酒を飲んでいないというだけで、別に威張れるようなことは何もしていない。

最後に酒を飲んだのは2020年8月15日だったから……そう、終戦記念日でもサラダ記念日でもなく、僕の断酒記念日は毎年真夏にやってくる。

連日の酷暑に耐えかね、この夏からノンアルコール飲料の摂取を解禁した。毎日とは言わないが、けっこうな頻度でノンアルビールやノンアルハイボールを呷っている。3年という月日がスリップしない自信につながったのかもしれない。少なくとも、それによって強烈な飲酒欲求に見舞われることもないのだ。

今のノンアルドリンクは美味い。アサヒのドライゼロやタカラの辛口ゼロボールなど、本当によくできている。食事に合う苦味のある炭酸飲料、この代替物がなかなかない。だから飲むのだ。その意味で、僕は文字通り「麦ジュース」(©️久住昌之)としてドライゼロを飲んでいることになる。

先日も新宿は末広通りの居酒屋にて、中高時代の先生と後輩の3人で卓を囲む機会があったが、僕は終始ノンアルビールを飲んでいた。たしかキリンのゼロイチ、小瓶で。だいたい、手酌で瓶からコップに注ぎグイとやる、あのかたちが大事なのである。タバコだって、ニコチンではなく吸う所作の方にこそ本質が宿っているのではないか。要するに、酒飲み・煙草飲みは手持ち無沙汰が苦手なのだ。

昔話に花が咲き、喉も乾いていたから、気づけば10本近くの小瓶が空いていた。これがノンアルでなければ完全にアル中仕草である。さらにもう1本と店員さんに声をかけると、「もうありませんよ」と返された。店にあるゼロイチを飲み干してしまったのだ。

宴席の3人はプロレス者だったので、行く先々で酒場の酒を飲み尽くした伝説を持つ、“大巨人” アンドレ・ザ・ジャイアントみたいだという話になった。また、EXILEが飲み過ぎて中目黒からレモンサワーがなくなった夜がある、という武勇伝は耳にしたことがある。しかし、言うまでもなく僕のケースは全くもって武勇伝ではない。なぜならノンアルだからである。むしろ格好悪い。何も飲まない方がマシなくらいだ。

とにかく、僕がノンアル飲料にお世話になっていることは間違いない。近年ではコロナ禍を経たこともあって、体質的にも飲めるし依存症でもないけれど、あえてお酒を飲まないライフスタイル=ソバーキュリアスが流行っているそうだ。ソバーキュリアスとは、「sober(シラフ)」と「curious(好奇心)」を組み合わせた造語。完全な禁酒ではなく、時と場合によってお酒を飲まないことをポジティブに捉えるスタンスを指すらしい。

もちろん、そのブームに微塵も違和感を抱かないかと言えば嘘になるが、素朴に考えれば、それはそれで近所の人が増えたようで嬉しくもなる。これからますますノンアル飲料の開発も進むだろう。

いつ何時、誰の盃も受けない断酒者として、この流れはひとまず歓迎しておいて損はないはずだ。

いざ、呑兵衛の酒都・立石を探訪。江戸前の立ち食い専門「栄寿司」

京成線で京成立石駅にやってきた。

断酒3年の節目ということで、満を持しての立石探訪だ。

なにしろ葛飾区の立石といえば、呑兵衛に崇められる“千ベロの聖地”。そんな“酒都”に乗り込もうというのである。

かつてない緊張感が漂うが、飲まない覚悟はできている。はたして僕は無事に帰れるのだろうか?

僕が初めて立石を訪れたのは、学生時代、ターザン山本さんに会うためだった。ターザンさんは『週刊プロレス』の元編集長で、ずっと立石に住んでいる。友人にたまたまターザンさんの弟子がいて、つないでくれたのだ。

その時の記憶は曖昧だが、ターザンさんにアテンドしてもらい、たしか飲み屋を2、3軒ハシゴした。立石での飲み方の流儀、その一端を垣間見たいい思い出である。ただそれ以来、立石に出向いたことはほとんどない。

そんな立石の駅前は普請中だった。大規模な再開発計画が進んでいるからだ。僕にとっての断酒記念日は、立石の再開発が本格的にスタートするタイミングと重なっていた。

駅を囲うように仮設壁が並び、中にはたくさんの重機が鎮座している。とはいえ、駅前は人通りが多く活気づいていた。決して閑古鳥が鳴いているというわけではない。

駅周辺は線路をはさんで北口と南口に分かれている。今から再開発が始まるのは北口だが、2026年には南口も着工される予定だという。北口は通常営業している店が少なそうなので、ひとまず南口に向かう。

踏切を渡ってまず飛び込んでくるのが、立石駅通り商店街だ。淡いピンクと水色の入口が意外にもキュートだが、そこから右に折れる。

いなたい肉屋を過ぎてすぐに、立石仲見世の入口が現れた。こちらは緑と赤のカラーリング。褪色していて水彩のような温もりがあり、侘び寂びすら感じさせる趣き。

年季の入ったアーケードには、八百屋、魚屋、餃子屋などが並ぶ。赤提灯も出ていた。ビニールシートで仕切られた居酒屋が満席である。

手前にはおでんの提灯も見受けられる。江戸文字で「丸忠」、むろん老舗のようだ。店先でおでん種を売るかたわら、隣で角打ちのように酒場も商っている。真夏におでんというのも乙な気がするが、こちらも満席。休日とはいえ、まだ昼の1時である。やっぱり立石はサグいのだ。

路地みたいなアーケードのさらに脇道に入ると、行列ができていた。栄寿司という寿司屋。「江戸前  立喰専用」と書かれた看板がなんとも粋だ。その佇まいにヤられて、僕も江戸の風を吹かせたくなる、横浜のニュータウン出身だけど。

こちとら朝寝して何も食べてない。店頭の品書きも驚くほど安い。よし、寿司を食おう。「立喰」でサクッと小腹を満たそうじゃないか。

酢飯の匂いが胃の腑を刺激するが、大人しく列に並び通りを観察する。

斜向かいには、もつ焼きで有名な立石を象徴する酒場「宇ち多゛」がある。黒帯の呑兵衛しかのれんをくぐれないその風格に、断酒中の僕はもちろん気圧されてしまう。いや、たとえ断酒前でも、おいそれとは敷居をまたげないであろうことうけあいだ。

向かいは「鈴屋食品」という惣菜屋の勝手口。黒電話のジリリリンという音が鳴り、店のおばあちゃんがお馴染みと電話している。なんだかブラウン管テレビから流れるセピア色の映像みたいだ。江戸というより、あまりにも昭和。夢か現か判然としない。

と、頭をクラクラさせていたら店に入れた。でも、残念ながら撮影禁止。それもそのはず、江戸にはメシを撮影するカルチャーなんてなかったのだ。そもそも、据え膳食わずにカシャカシャ撮るなぞ、気の短い江戸っ子の気風とは正反対の所業である。

店内はカウンターのみのシンプルなつくり。職人さんが3、4人いて、12人ほどのお客さんで満席だ。もちろんみんな立っている。全く気取っておらず、むしろアットホームだが、チェーンのそれとは確実に違う雰囲気なのが、特別で嬉しい。

飲み物は、お茶かヱビスビールの小瓶のみ。そのストイックさに痺れる。みんなビールコップを傾けている。もちろん僕は無料のお茶でいい。流石にこういう店でノンアルコールビールを用意しろとは言わない。

一貫ずつ注文する。シャコ、さば(各130円)、あじ、赤貝ひも、づけまぐろ(各260円)。すぐ握ってカウンターに置いてくれる。美味い!

本寸法なのに回転寿司みたいな値段でいいのだろうか。江戸前なのだから、最後に穴子(260円)。まるでお煎餅のように香ばしかった。

口内に残る幸福な満足感をお茶で流し込んだら、サッと出よう。江戸っ子は五月の鯉の吹き流し。なにしろ立喰寿司であり、行列店であり、僕に限ってはビールだって飲んでないのだ。それに、まだ2軒目だってある。ごちそうさまでした。

真夏のおでんで祝宴を。名店「丸忠」の支店「おでん 二毛作」

腹ごなしに散歩を続けよう。

南口の住宅街を進んでいく。立石様を見るためだ。

立石様とは、立石という地名の由来となっている「石」。友人でもあるイラストレーター・かつしかけいたさんのマンガ『東東京区区』(路草コミックス)で知ったのだ。

中川の護岸を間に間に見ながら、下町らしい街並みを10分ほど歩くと、立石児童遊園が現れる。街中にある普通の小さな公園だ。子どもたちが水浸しになってどろんこ遊びをしている。ここにそんな史跡があるのかと訝しんでいると、あった。

ささやかな鳥居の奥、石垣で四角く囲われた一画。その中で地面から少しだけ頭を出している石が、立石様である。ほとんど摩耗しかけている。案内板によると、平安時代に建てられた古代東海道の石標だという。かつては60cmほどあったが、御神体として祀られて以降、人々に削り取られていったそうだ。

このおもしろさと言ったらない。なんでもない街でも、いや、なんでもない街だからこそ、足元を掘り進めれば未だ見ぬものに出会えるのだ。アメリカあたりに留学するよりずっと学びがある、などと嘯きたくもなる。

線路沿いを伝って駅の方へ戻る。仮設壁には再開発に関する張り紙が散見された。立体交差、タワーマンション、そして商業施設建設の青写真。本当に再開発が始まるんだな。

商店街を過ぎてすぐ、おでん 二毛作と書かれたのれんと提灯が目に飛び込んできた。おでんと聞いて、さっき仲見世で見た「丸忠」が脳裏をよぎる。店内も小ざっぱりとした様子で入りやすそうだ。あんまり老舗だとハードルが高いし、また撮影禁止の恐れがあるが、ここなら大丈夫そう。

よく見ると、のれんには「贈  立石仲見世  宇ち多゛より」とある。何か関係あるのかと思い、ついネットで調べてみると、2014年にできた「丸忠」の支店らしい。なんだ、言うことなし。行きますか、断酒記念日の真夏おでん!

のれんをくぐり、コの字型のカウンター席に着く。明るくてオシャレな雰囲気だ。マスター風の店員さんが2人、すごく感じがいい。壁中に直書きでサイン。ちょうど目の前ではおでんがつゆに肩まで浸かっている。

メニューにノンアルコールビール(480円)とあるが、注文したら切らしているとのこと。残念だが仕方ない。ここは酒都・立石である。ノンアルを頼む人はあくまで少数派なのだろう。

断酒記念日であればこそ、ノンアル抜きで酒場を満喫してやろうじゃないか。ソフトドリンク欄から、まずはジンジャーエール(380円)だ。「甘・辛」とあるから、「辛」をチョイス。辛いジンジャーエール、これが断酒酒場の基本のキである。

さぁ、本丸のおでんを選ぼう。手始めに白滝(130円)、厚揚げ(180円)、大根(280円)。このあたりはマストだろう。

どれもおつゆがしみしみだ。白滝はちゅるちゅる、厚揚げと大根は出汁がじゅわっと溢れて口内に広がる。もちろん種も美味いが、おでんとは出汁を味わうものなのだと改めて合点する。

他の席も混んできた。若者グループ、おじさんグループ、女性の1人客と、みんなおでんをつつきながら昼飲みしている。マスターと言葉を交わしたりと、アットホームな雰囲気だ。

メニューを見ると、ビールはマルエフ推しで、ワインと焼酎の種類が豊富。サワー類には宇ち多゛の缶チューハイもある。ハイボールはしっかり「ウイスキーハイボール」と表記されていた。下町ではハイボールと言えば、昔から原則的に焼酎ハイボールのことを指すからだろう。

おでんを追加。気になっていたトマト(430円)、中華揚げ(280円)にたこ(430円)と、やや変わり種を注文する。

供されたトマトは丸ごと一つ。バジルのかかった色どりがキレイだし、さっきから種とお皿の取り合わせも抜群。じゅるりとかぶりつけば、おでん出汁の生トマトスープといった塩梅。たこはゲソの串で、旨味たっぷりのプリプリ。中華揚げはピリ辛のさつま揚げといったところで、どれも最高だ。

この辺でおでん以外もつまんでみよう。おすすめから、水なすの漬物(530円)本日のなめろう(880円)をチョイス。2杯目のソフドリは、さっきのトマトとかぶってしまうが、ここはトマトジュース(380円)。トマトジュースを見つけたら頼むのが断酒者である。

まずは水なす。トマトジュースで受け身を取れば、夏野菜セットだ。瑞々しくて、醤油がいらないくらい透き通った塩味。次に来たなめろうはたっぷりのボリュームで、たぶんアジだと思う。美味いなぁ。なんと贅沢な箸休めだろうか。

再びおでんへ戻る。もう食べときたいものは全部いっちゃおう。こんにゃく、ちくわぶ、昆布(各130円)、もち入りきんちゃく(280円)、さらにロールキャベツ(380円)! ちょっと欲張りすぎたか。まぁいい、断酒3年目の祝宴だ。それにこの店、すごく居心地がいい。

いやはや、昆布って出汁の塊だ。もちきんちゃくも小さい頃から大好き。こんにゃく、ちくわぶ、ロールキャベツも優しい味わい。おでんってヘルシーなんだということも再発見した。

もちろん、コンビニおでんなんかのジャンクさというか、しょっぱい汁に、カラシと柚子胡椒ガッツリの美味さというのはよくわかる。しかしこのおでん、全体に薄味なことで、素材と出汁の繊細な旨味みたいなものが、ハッとするくらい浮き彫りになっている。

……と、そんなことを考えていたら、逆にジャンクなものを食べたくなってきてしまったじゃないか。まさしく二枚舌である。要するに、ちょっとガツンとしたものを、ということで、メニューから自家製チャーシュー(680円)目玉焼き(+100円)付き。しかもソフドリにはコーラ(380円)をオーダーしてしまった。よし、これで〆よう。

ステーキみたいな分厚いチャーシューに、黄身がとろりと流れていく。それをコーラで流し込めば、流石に満足だ。ちょうどマダムのグループが入ってきて、お店も満席。サッとはいかなかったが、店を出よう。ごちそうさまでした。

消えゆく街の風景に寂寥感を抱いて。断酒者は明日に向かう

京成立石駅に戻り、次の予定があるカメラマンと別れた僕は、そこから1人で北口へと向かった。再開発直前の街並みを、ちゃんと見ておきたかったからだ。

踏切を渡った駅前商店街では、ほとんどの店が営業しておらず、個人経営でもチェーンでも、店頭に閉店のお知らせが貼り出されている。移転先が明記されているところもあるが、これで最後という店舗もちらほらありそうだ。

photo by Haruya Nakajima

右へ曲がった路地の先に「呑んべ横丁」が現れる。看板はまだギリギリ残っていた。入口を照らす街灯が切れかけて、チカチカと不規則に瞬いている。まるで映画のセット。いくつかの店はその日も営業しているようだったが、この横丁もじきになくなるはずだ。

若鶏の唐揚げで有名な老舗「鳥房」を過ぎ、今度は左に折れる路地へ入ると、そこは真っ暗なネオン街だった。ほぼ全ての店が閉店していて、店内は解体されつつある。こちらも書割のようだ。

photo by Haruya Nakajima

北口をぐるり回ってみて初めて、本当にこの一帯がなくなることを実感した。

もちろん、僕は立石の再開発を頭ごなしに否定するつもりはない。立石に住んでいるわけでも、よく来ていたわけでもないから、ハナからそんな権利もない。ただ、それがどこであれ、消えゆく街を目の当たりにすると、曰く言い難い寂寥を抱いてしまうだけだ。

いつだって街は変わっていかざるを得ないのだろう。

それは人も同じかもしれない。僕もまた、酒を飲む者から飲まざる者へと変化した。それでも幾許かの痛みを引き受け、シラフで歩んでいくしかない。

辺りには踏切の音が響いている。

photo by Haruya Nakajima

 

PROFILE
中島晴矢(なかじま はるや)
1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。現在、美学校「現代アートの勝手口」講師。現代美術、文筆、ラップなど、インディペンデントとして多様な場やヒトと関わりながら領域横断的な活動を展開。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN)、グループ展に「TOKYO2021」(TODA BUILDING)、アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社)など。
http://haruyanakajima.com
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