中島晴矢の断酒酒場 #12 野方「きさぶろうのやきとり」のにら玉焼きとドライゼロ

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1週間働いたあとの金曜に、のれんをくぐる行きつけの酒場。出先での夕暮れ時、ふと入った老舗の赤ちょうちん。1杯の酒は緊張を解し、客同士の何でもない会話がその町の佇まいを伝えてくれる。

酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。

町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載がスタート。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!

Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Yoko Masuda

酒に溺れた人の末。ゾラの『居酒屋』を読んで。

先日、ゾラの小説『居酒屋』(1877)を読んでみた。

エミール・ゾラである。フランスを代表する作家の一人。文学運動として自然主義を提唱した。

自然主義。世の中を実証的に観察し「真実」を描く……って、堅苦しく退屈そうである。文庫もいわゆる鈍器本で分厚い。しかも題名が『居酒屋』。むかし教科書で見たとき、なんてだし抜けなんだと面食らった。高名な文学作品のタイトルとして、いくらなんでも『居酒屋』はどうなのか。

そんな思い込みもあって、若いうちは食指が動かなかった。それでも今回はじめて文庫本を開いてみたのだ。なぜなら題名が『居酒屋』だから内容をちょっと調べてみると、アルコール依存症について扱っているらしい。おお、いいか悪いかはさておき、ようやく自分に引き寄せて、実存的にゾラを読めそうじゃないか。

重い腰を上げて頁を繰ってみると、途端にのめり込んだ。

まず筋が抜群に面白いのである。自然主義に対する偏見を裏切る、じつに波瀾万丈な物語だ。これは傑作だと思った。いや、むろん僕が言うまでもなく、すでに歴史的な名作として世界中で名を馳せている。侮るなかれ、世界名作文学。生きているうちに読んでおいてよかった。この小説と出会えたのだから、アル中になった自分に感謝を述べたい。そうとでも思わないとやってられない部分もある。

舞台は19世紀半ばのパリだ。とはいえ華やかな生活とは程遠い貧民街。労働者たちが憂さを晴らすための居酒屋も密集している。そこで多くの人間が酒浸りになっていく。ストロングゼロ文学というネットミームがあるが、これぞ元祖アルコール文学だ。筆力も凄まじい。

ストーリーは悲惨きわまりない。主人公の洗濯婦・ジェルヴェーズと、その旦那のブリキ職人・クーポーは、共に貧困とアルコール中毒のなかで死に至る。

特にクーポーの死に様は圧巻である。

かつて真面目な労働者だったクーポーは、付き合いでたまにワインを嗜む程度だった。それが仕事中の事故をきっかけに堕落し、ジェルヴェーズのヒモと化して安いブランデーに溺れていく。仕事にも復帰せず、近所にあるコロンブ親父の店「居酒屋」で仲間と飲んだくれる毎日。そのうち三日三晩飲み歩くのが当たり前になり、家に帰らない期間が数週間、数ヶ月と延びていって、連続飲酒から抜け出せなくなる。

やがて精神病棟であるサン・タンヌ病院に入院する。そこで一時的に酒が抜け、それなりに健康になって帰ってくるが、1、2週間もすると、なにかと理由をつけてまたすぐ酒を飲み出してしまう。そして再び入退院を繰り返す。典型的なアル中仕草だ。

一時は自分の店を持つほどだったジェルヴェーズも、クーポーに引きずられるように酒を飲み始める。2人とも徐々に無気力になり、道徳観や冷静な思考力を失って、頭は空っぽ。当然仕事もなくなり、一家は困窮していく。嫌気がさした娘のナナは家出。最終的に餓死寸前に陥り、ジェルヴェーズは街角で男の袖を引くまで落ちぶれた。

クーポーは、いよいよサン・タンヌ病院に強制収監される。身体中が痙攣して、幻覚を見ながら喚き散らし、暴れ回る。アルコールの離脱症状の一つ、振戦せん妄だろう。そのままクーポーは病院で狂死してしまうのだ。

ジェルヴェーズもまた、最期は狂気に苛まれながら、狭く寒く、殺風景なアパートの一室で、一人ひっそりと命を落とす。

……救いのない話である。

なるほど、これは19世紀の物語だ。ゾラはアルコール依存症を遺伝性だと考えてもいた。そのあたりは明確に科学的な誤りである。それに、当時はまだアディクションの治療法も確立されていない。いまだったら抗酒剤もあるし、自助グループによる集団療法もある。

しかし『居酒屋』が、酒という薬物に対する示唆に富んでいるのは間違いない。何よりアルコール依存症の人や、その予兆がある人は、一度読んでみることをお勧めする。その余りに陰惨な描写にゾッとして、すぐにでも飲酒癖を断ち切りたくなるはずだ。

正直、僕も酒をやめてよかったと思った。

もちろん、うまく酒と付き合えている人は問題ない。そういうキャラクターもたくさん登場する。ただ、なかなかどうして、読後暗澹たる気分になるのは避けられない。ある夫婦の生活がアルコールによって蝕まれたのは、それこそ自然主義の精緻な筆致に沿って描かれた、小説のなかの「真実」なのだから。

三十路も半ばになり、飲みすぎて正体をなくすことも増え、酒との折り合いに悩む友人たちに、この物理的にも精神的にも鈍器じみた本を、スッと手渡したい欲望に僕は駆られている。

ストイックに酒場探索。野方の道中にて──「JAZZ MISTY CAFE」

中野区の野方にやってきた。

「のほう」でも「のかた」でもなく、「のがた」である。

これまで様々な酒場をめぐってきたが、生活圏や本連載の趣向から、どうしても東東京の店舗が多かった。このあたりで西東京にも足を運んでおきたい。ただ、新鮮な心持ちで歩きたいから、中野や高円寺、阿佐ヶ谷といった有名どころではなく、ちょっとズラして野方にしてみたのだ。

野方には過去に1、2回来たことがある。オルタナティブなギャラリー、その名も「野方の空白」で、友人の展示を観るためだ。そのスペースもなくなって久しい。

だいたい、中央線エリアは僕にとってつかず離れずの文化圏だ。10代の頃はほとんど訪れたことがなかったが、アートを始めてから縁ができた。東京での初個展は高円寺だったし、阿佐ヶ谷のギャラリーで何度も展覧会を開いている。中野では舞踏の小劇場にもよく顔を出した。それでも沿線に住んだことはないし、どこか他所者の感覚を捨てられないでいる。

西武新宿線の野方駅前は、ささやかな盛り場だった。

踏切の真横にやきとんの四文屋がある。こっちのチェーン居酒屋といえば、四文屋のイメージだ。安くて美味いから、若い時分、仲間と酒を飲む際に重宝した。

北原通りという小さな商店街を歩いてみる。何もないと言えば何もない。自転車がビュンビュンと疾駆している以外は、静かで穏やかな秋晴れの午後である。

意外と多国籍な店舗が多い。化粧品、食品、雑貨を扱うダモアという韓国市場。元祖麻婆豆腐を謳う大きめの中華料理屋。スパイスの香が漏れるインド料理屋。よく見ると、歩行者には外国籍の人もちらほらしている。

もう少し進むと、法被姿のおばちゃんたちがクリーニング屋の前に集結していた。近所でお祭りでもあるのだろう。娘が運動会で、とも聞こえてくる。実際、今日はお祭り日和である。コロナ禍もいったん去り、SNSを眺めれば、全国でフェスやイベントが目白押し。そんな日に僕は野方を散策している。そう、ストイックなのだ。

商店も尽きたので、踵を返して環七通り沿いを歩く。ちなみに普段運転しないので、僕はカンナナとかカンパチのことが全く頭に入っていない。

自転車屋や古着屋を眺めながら駅前に戻る。踏切を渡って野方駅前商店街へ。さっきより賑わっているから、こちらが本丸だった。道が入り組んでいて、駅前商店街、野方本町通り、ヤッホーROADがぶつかる交差点など、目を見張るものがある。

野方区民ホールでは地区祭りを催していた。子どもたちがハロウィーンの仮装をしてはしゃいでいる。簡易的なステージでは作務衣姿のおじさんがギターを抱えて歌っていた。ちびっこ輪投げ大会だってある。地に足のついた活気が楽しい。

本町通りには、野方文化マーケットという路地が潜んでいた。見るからにダーティなストリート。そういえば、このなかに「野方の空白」があったのだ。言い得て妙というか、このマーケット自体が「野方の空白」といった様相である。なるほど、ここが野方の空虚な中心かもしれない。が、ひとまずロラン・バルトのことは忘れよう。

ヤッホーROADに回ると、喫茶店が2軒あった。そこで、店頭にケーキやレコードプレーヤーが並ぶJAZZ MISTY CAFEに入ってみることにする。

随所にこだわりが感じられる小ざっぱりした内装。ジャズを打ち出しているのは一目瞭然で、現代的なジャズ喫茶といった趣きだ。恥ずかしながらジャズにはとんと疎いのだが、レコードやCD、額装された楽譜などがずらりと並び、モニターからはライヴ映像が流れている。

ちょっとした雑誌くらいのメニュー表をめくると、料理は何でもある。シチュー、カレー、ラザニア、パスタ、ボルシチ、ビーフストロガノフ、トースト、ミックスフライ、生姜焼き、ハンバーグ……本当に何でもあるのだ。

アルコールもビール、ワイン、ウィスキー、カクテルと揃い、甘味の類はスムージー、ホットケーキ、あんみつ、かき氷と事欠かないが、やはり店頭のケーキが頭から離れない。初心に立ち戻り、洋梨のタルト+アイスコーヒーのセット(680円)。なんと良心的な価格だろうか!

コーヒーは苦味の強い深煎り。タルトも優しい味わいのクラシカルなタイプだ。

当然、音響にも凝っているのだろう。店内に流れるジャズが耳に心地よく、ずっと聴いていられる。ただ、そういうわけにもいかないので、奥に設置された喫煙ルームで一服してから店を出た。

断酒とは、レス・イズ・モア。──「きさぶろうのやきとり」

外は日が暮れかかり、赤提灯が灯り始めていた。駅前に戻る途中のときわ通りに酒場が散見される。今宵の河岸はこの通りから選ぼう。ということで、見るからに老舗の佇まいを有するきさぶろうのやきとりに決めた。野方の呑兵衛を支えてきた店に違いない。

店内は “ザ・居酒屋” といった風情で、幸先がいい。席は奥の方、暖簾で仕切られた半個室に案内された。大衆酒場でまさかの半個室。灰皿も置いてあるし、なんとも贅沢じゃないか。

店員さんに訊くと、ノンアルコールビールがあるようだ。これは嬉しい。アサヒのドライゼロの小瓶(350円)。いいねえ、さっそく乾杯する。

こちらの店も、焼き鳥を軸にメニューは何でも揃っている。まず手始めに自家製浅漬(250円)。串はもも肉(90円)砂肝(120円)ちょい焼きレバゴマ(160円)ニンニク串(130円)を選択。刺身もあるので、ネギマグロ(380円)なるものを頼んでみた。さらに「玉子メニューいろいろ」というシートから、にら玉焼き(420円)。どれも問答無用に廉価である。

運ばれてきた自家製浅漬は、浅漬とは名ばかりに、しっかりと漬かったキャベツがいい。いっぽうネギマグロとは、ネギトロにネギがバラバラかかった代物だった。こういう素朴な一皿がありがたいし、マグロには脂もバッチリ乗っている。

にら玉焼きはこんがり焼けてグッド・ルック。メニューには「山形直送紅花玉子を使用」とある。玉子には明るくないが、たしかに味わいが濃い気がする。シャキシャキのニラもたっぷり入っており、正真正銘の逸品だ。

焼き鳥も看板に偽りなく抜群だ。タレのももは正統派だし、砂肝はみずみずしくてコリコリ。生姜とネギがバサっと乗って、ごま油のからまるレバゴマはトロトロだ。こんなの堪らないに決まっている。6片ついたニンニク串には味噌をつけ、ドライゼロで胃の腑に流し込んだ。

どの肴も文句なし。きさぶろう、やるじゃないか。しかしきさぶろうとは誰だろう。やはり大将の名前だろうか。逆に大将の名前じゃなかったら誰なんだということになる。とすると相当に古風な名前だ。もしくは先代の名だろうか。……ともかく名店である。きさぶろうを擁する野方も、やはり偉大な街だ。

注文を追加していこう。ポンズ温豆腐(230円)と、この店ではやや値が張るマグロ刺身(430円)。また、ノンアルビールに気を取られていたが、改めてメニューを見ると、シークワーサーソーダや青リンゴソーダなどのソフトドリンクが充実している。サワーの割材がソフドリとしてメニューに入っている店は、いい酒場であるもちろんエビデンスのない、断酒者による主観的な判断に過ぎないが。

悩んだ末に青リンゴソーダ(250円)を頼むと、なみなみと注がれたキンキンのジョッキがすぐに来た。淡い黄緑色のグラデーションが美しい。ほら、間違いないでしょう。

と、得意げになった矢先、マグロ刺身を口に放れば、あからさまな冷凍の名残り。先ほどのネギマグロがよかったので選んだが、ううむ、これはマグロブツ(390円)の方が正解だったかもしれない。ただ、そもそも格安の大衆酒場である。余計な文句は言いっこなしだ。

続けて、すこぶるシンプルなポンズ湯豆腐がやってきた。改めて、この飾り気のなさがいい。シンプル・イズ・ベスト。ミース・ファン・デル・ローエ風に言えば、レス・イズ・モアか。これまで断酒酒場では、高橋由一の肉とうふ水彩画の冷や奴を発見してきたが、これはミースの湯豆腐である。と、まぁ勝手に言ってるだけだが、どうあれほっこり温かく、豆腐の風味が身体に染み渡るのだから、それで充分満足だ。

〆に焼きおにぎり(190円)をいただく。鶏おこわを焼いたような具沢山のおにぎりに、たくあんまで付いていた。優しい味わいで、本当に豊かな気持ちになる。酒抜きで酒場を味わうことは、いわばレス・イズ・モアの精神だ。そう自分に言い聞かせようじゃないか。

存分に戯言を吐いたところで、青リンゴソーダを飲み干して店を出る。ごちそうさまでした。

言うまでもないことだが、酒場はなにも、人を狂わせるための場所ではない。うまく言えないが、おそらく居酒屋には人を救う力がある。それもまたこの世の「真実」だと僕は思うのだ。

少なくとも同じ「居酒屋」ならば、パリのゾラより野方のきさぶろうに今宵は軍配を上げたい。

通りには酒宴の光が賑々しくこぼれている。

PROFILE
中島晴矢(なかじま はるや)
1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。現在、美学校「現代アートの勝手口」講師。現代美術、文筆、ラップなど、インディペンデントとして多様な場やヒトと関わりながら領域横断的な活動を展開。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN)、グループ展に「TOKYO2021」(TODA BUILDING)、アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社)など。
http://haruyanakajima.com
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