1週間働いたあとの金曜に、のれんをくぐる行きつけの酒場。出先での夕暮れ時、ふと入った老舗の赤ちょうちん。1杯の酒は緊張を解し、客同士の何でもない会話がその町の佇まいを伝えてくれる。
酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。
町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵でいよいよ最終話! Part2では、いよいよ断酒会と〆の酒場へ。
Text:Haruya Nakajima
Photo:Mai Shinoda
Edit:Yoko Masuda
Part1はこちら
苦い記憶を呼び覚ます「断酒会」
断酒会は時間きっかりに始まった。
挨拶も早々に済ませると、さっそく常連の断酒者たちが、慣れた様子で自身の体験を語る。酒を飲んでいた頃のこと、依存症になったこと、その後の断酒生活や自助グループのこと。冗談も交えながら、それらをざっくばらんに告白する。多声的ないくつものナラティブ。断酒会はだから、ちょっとしたトークショーのようでもある。
なおかつ、そこには「言いっぱなし、聴きっぱなし」という原則が敷かれている。体験談の秘密を守り、またそれについて論評したり批判したりしないことで、参加者の心理的安全性を担保するためだ。自分のエピソードを素直に語り、ただ聴くことでそれを受け入れる。センシティブなテーマだからこそ、相互の信頼関係によって成り立つ空間なのである。
最後に、見学者である僕にもお鉢が回ってきたので、自分の話をすることになった。
昔から僕の酒の飲み方には自失願望があった。
別に昼間から飲んでいたわけでも、連続飲酒をしていたわけでもないが、それでも毎晩飲んでいたし、酒量も日に日に増えていった。30歳前後でそれがかなり悪化して、飲みだすと決まって前後不覚になり、正体がなくなるまで杯を重ねるようになる。嗜むというより、滅茶苦茶になりたくて酒を飲んでいたのだ。
必然、酔って記憶をなくすことが多くなった。そうなると周囲に迷惑をかける。特に妻とはしばしばぶつかった。ただ翌朝にはその記憶もない。その度に反省し、何度か禁酒も試みたが、喉元過ぎればなんとやらで、1ヶ月、ひどい時には数週間すると少しずつ飲みはじめ、飲みはじめるとまたすぐに酒量が増えて、元の木阿弥に帰する。そうして再びべろべろに酔っ払い、意識がないまま妻と一悶着を起こした。
そのうち決定的に彼女を傷つける出来事があり、とうとう病院の門をくぐることになる。依存症を診るのは精神科だから、漠然とした抵抗感はあったが、妻と共にクリニックへ出向いた。その時はまだ自分がアル中だなんて思いたくなかったし、事実、思ってもいなかった。なるほど依存症とは否認の病なのである。もっと言えば、自分程度の飲酒量や飲み方でアル中と名乗るのは、中島らも、吾妻ひでお、ECDといったレジェンドたちに比して、どこか畏れ多いような気持ちすらあった。
「断酒の三つの柱」として「通院・抗酒剤・互助会」と書かれたポスターのある待合室を抜け、診療室で事情を話す。すると初老の先生から、一も二もなく断酒を勧められた。アルコールの害を滔々と説かれ、依存症回復プログラムの具体的な説明が始まったので、僕は話を遮るように質問を挟んだ。
「先生、あの、僕はやっぱりアルコール依存症なんでしょうか?」
「飲み方をコントロールできてないわけだから、それはもう、立派なアルコール依存症です」
「手が震えるとか、幻覚が視えたりしてなくても……」
「そう。君は身体依存じゃなく精神依存で、コントロール障害の一種だね」
「じゃあ、えっと、もう禁酒しなきゃいけない感じですか?」
「禁酒じゃありません。断酒です」
「禁酒」と「断酒」という言葉の差異を意識したのはこの時が初めてだったが、とにかくそう言われて、僕は何だか憑き物が落ちたように感じた。医者から面と向かってアルコール依存症だと診断されたこと、今思えば、それが僕の底つきだったのだ。
以来、僕は自分がアルコール依存症であることをようやく受け入れて、「通院・抗酒剤・互助会」と手順を踏んでいくことになるのだが、それはこの連載でも点綴してきた通りだ。
過去の酒害体験について語るのは、何度やっても、やはり気持ちのいいものではない。当時の状況を思い出し、どうしたってビターな気分になる。でも、だからこそみんな、改めて断酒への思いを強くするのだろう。また酒を飲んでしまったら、その苦い過去に後戻りする辛さが身に沁みるから。
その意味で断酒会とは、自分の心に一滴の毒を垂らす、ワクチンみたいなものなのかもしれなかった。
酒場から酒をとっても残ったもの。〆は芝5丁目「湯浅」へ
本芝公園から慶応仲通り商店街にきびすを返す。
やっぱり大学生が行くような居酒屋が目立つが、それでも渋い酒場に出会いたい。さっき、おおよその目星をつけておいた。商店街の一番奥まった小径にある「湯浅」だ。この立派な看板に提灯なら大丈夫だろう。
引き戸を開けて暖簾をくぐり、履物を脱ぐ。店内は2階席もあって、格式を感じさせるクラシックな酒場だ。どっしりと構えた空間には安定感が漂っている。飲み屋には名もなき名建築がたくさんあるのだ。
提灯には「炭火焼」とあったが、品書きを見ると、どうやらここは海鮮を推している模様。お通しには白菜と油揚げとシメジのおひたしが供されている。飲み物はカメラマンがヱビス、僕はノンアルコールビールでキリンのグリーンズフリー(490円)。エメラルド色のパッケージ通り、爽やかな味わいである。
魚藍坂での伏線もあるし、メインの肴はおまかせ刺身盛り(一人前 1,100円)でいこう。さらに鶏つくねポンズサラダ(850円)と蛸やわらか煮(1,100円)で脇を固める。愛想のいい店員のおっちゃんには「お嫌いじゃなければカキいかがですか?」と勧められた。僕は基本的にカキを崇め奉っているが、序盤じゃもったいない、終盤でいこう。これもまた今夜の献立の伏線になる。
運ばれてきた刺身盛りがすごい。アジ、小肌、タコ、エビ、〆サバ、ホタテ、ブリ、タイ、カンパチ、そしてサーモンにマグロ、数えてみると11種類! こりゃあいい。さすが近所に雑魚場のあった魚河岸の町だ。さっそく、江戸前を代表するネタである小肌を口に放り込む。さあさあ、江戸の風が吹いてきた。
サラダも並々ならぬ大皿に盛られている。大根おろしがたっぷりかかった鶏つくねには、ゴマの優しい風味が漂う。黒々とした蛸の煮物も甘じょっぱくてバッチリだ。間に刺身も挟みつつ、それらをグリーンズフリーで胃に収めていく。ふと、しゃっくりが出た。もはや酒も飲まずにしゃっくりが出る身体になったのだろうか。生きているうちに「飲まずに酔う」という境地へ到達できれば僕の勝利なのだが。
ツマミを追加していこう。筍の子焼(1,100円)と白子天ぷら(1,100円)を注文。そして、箸置きの落花生を割って齧る。このタイミングでの乾き物が嬉しい。箸休めとはこのことだ。
4つ並んだ筍の子はどこか愛らしい。ひと足先に春を感じさせてくれるフレッシュな香ばしさだ。白子天ぷらには、カボチャとシシトウの天ぷらも添えられていた。この店、さっきからサービス過剰で素晴らしい。白子は半熟卵みたくクリーミーで、口に入れるとすぐに溶けていった。僕が一番好きな料理は、白子の天ぷらと言っても過言ではない。
いや、とすぐにかぶりを振る。生ガキも捨て難いのだ。そこでついに殻ガキ (女川産) (440円)をオーダーすると、めかぶが敷かれ青ネギのかかった立派な生ガキが運ばれてきた。真ん中に包丁が入っていたから、ふた口でいただく。カキ、めかぶ、ネギがポン酢で絡まって、ミルキーな旨味に酩酊しかねない。まさに至福である。
さっきから大奮発しているが、年末だからこのぐらいは許されるだろう。暮れには誰だって自分のことをねぎらいたくなる。今年も何とか頑張ったし、僕の場合、何より一滴も酒を飲まなかった。それだけで十分に年を越していい理由になるはずだ。
さぁ、そろそろ〆よう。断酒酒場の〆のメシはお茶漬け しゃけ(640円)をチョイスしてみた。三つ葉と海苔が効いている。居酒屋の茶漬けって、なんでこんなに美味いのだろうか。ワサビを溶いて一息に掻き込む。大満足だ。ごちそうさまでした。
……と思ったら、出し抜けにケーキとスープが運ばれてきた。訊けば、年末のサービスだという。ケーキはチョコレートとチーズの2種類、スープはとろみのあるダシ汁だ。やはりこの店、大盤振る舞いが過ぎる。夢中で平らげると甘味と旨味で脳髄が完全にロックされた。しばし呆然とする。
自分にとって少しだけ特別な年の瀬を、上等の酒場で過ごすことができた。酒場を楽しむのに必ずしも酒を飲む必要はない。そこに胸襟を開くことのできる「場」が立ち上がれば、それでいいのだと思う。
本当に、今までごちそうさまでした。
酒好きから酒をとったらどうなったのか。
断酒会は1時間ちょっとで終わった。
例会の最後、断酒歴15年越えのじいさんが噛み締めるように語ったのは、断酒会のキーワードである「一日断酒」のことだった。死ぬまで飲まないと思うと、気が遠くなる。だから、まず今日一日を飲まないで過ごす。飲みたくなったら「明日にしよう」と考える。その積み重ねの先にしか、10年、20年という歳月はない────おおよそこんな内容だ。
帰り際にプリントや冊子をもらい「また来てくださいね」と送り出される。背筋がグッと伸びる、いい会に出席した。福祉会館を出て、芝の町を歩きながらパラパラと冊子をめくる。
お酒を止めただけで全ての問題が解決されるわけではありません。長い飲酒生活の間に傷つきあるいは失われた家族や社会との信頼関係を取り戻さなければなりません。断酒例会で体験談を聴きそして語ることで、ひとつひとつ問題が掘り起こされ、解決の糸口が見えてくるのです。解決することが償いに繋がり、償おうとする努力を通してあなた自身が立派に変わっていくのです。お酒はあなたのために止めるのです。
酒を断ってから3年後の暮れ、はたして僕の「芝浜」は完成したのだろうか?
来し方を振り返れば、とにもかくにも、過ぎ去った時間は嘘偽りない事実である。とはいえ重要なのは、おそらく記録や数値よりも、それによって生じる他者との関係性の変化に相違ない。僕にとっては、すなわち妻との信頼関係の問題になってくる。
ちなみに、「断酒酒場」のカメラマンを務めてきたのは妻だ。もともと居酒屋で一緒に飲むことは、僕ら夫婦の楽しみの一つだった。でも酒をやめてそれがなくなった。「断酒酒場」は、そんな僕らを見て編集者が提案してくれた企画でもある。そうして飲まずに酒場へ行ったりしながら、アルコール抜きで妻とつきあうようになった。それから約3年半、未だよく喧嘩もするが、しかし往時と比べれば、夫婦としてはそれなりの関係に落ち着いてきている気がする。
もし大晦日に妻から一杯の酒を差し出されても、今の僕は「芝浜」の魚屋と同じ選択をするはずだ。また酒を飲んでいた頃に戻るのだけは、どうしても嫌だから。
ただ、よくよく考えてみると、別に「芝浜」と違って何かが夢になったわけではない。断酒3ヶ月目の日記に「夢で飲酒した。夢にまで見るとはこのことか」と書きつけてはいるが、僕らの一連の経緯に夢が介在する余地はなく、ずっと全てが現実だった。
馬鹿みたく酒を飲んでいた過去も、アルコール依存症だと診断されたことも、断酒してから経てきた年月も、そしてこれからの日々も、まぎれもない現実がまぎれもない現実として、この時間と空間の中を流れ続けている。
それゆえ僕の噺におけるサゲはこうなるだろう。
「よそう、また現実になるといけねぇ」
中島晴矢(なかじま・はるや)
1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。現在、美学校「現代アートの勝手口」講師。現代美術、文筆、ラップなど、インディペンデントとして多様な場やヒトと関わりながら領域横断的な活動を展開。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN)、グループ展に「TOKYO2021」(TODA BUILDING)、アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社)など。