あらゆる「商品」が合理的につくられ、対価さえ支払うことができれば、ほぼなんでも手に入れることのできる現代。選択の自由がこれほどまで高まっている時代だからこそなのか、その自由を逆手にとり、これまでにない売り方や作り方を目指す異端者たちがいる。連載シリーズ・FROM YOUthでは、そんな新たな売り方・作り方を志向する20代~30代の「店主」たちの試みをエッジなユースカルチャーと位置づけ、インタビューを通じ、時代を生き抜くヒントを探す。
vol.6に登場するのは、東京都北区王子の書店「コ本や honkbooks」を運営する和田信太郎さん、青柳菜摘さん、清水玄さんの3名。東京藝術大学出身のメンバーで立ち上げられた同店はアートブックやZINEに限らずさまざまな古本を扱いながら、展示やワークショップを精力的に行う空間となっている。いったい、どのようにしてはじまったのだろうか。
Text:Michi SUGAWARA
Photo:Yutaro YAMAGUCHI
Edit:Akira Kuroki
アートプロジェクトの構想が、町の本屋に結びついた
Q1.お店を始めたきっかけは?
和田信太郎(以下、和田) ぼくたち3人は共に東京藝術大学大学院映像研究科の出身で、それぞれが芸術表現やその場の在り方に興味や問題意識を持っていました。アートプロジェクトや映像祭の企画を構想していく中で、この場所に出会ったんです。
ここをプロジェクトの企画や運営の拠点として使おうとも考えたのですが、アートスペースという前提では運営の仕組みや制度も含め、おもしろさを見出せず、新しいかたちを求めました。「どんな人たちが集まって来て、そこで何が起こり、その場がどういう開かれ方をするのか」と構想した時に、本屋をその入り口に設けるアイデアが出ました。せんだいメディアテーク(仙台市)、メディアセブン(川口市)などの公共施設のプランニングに携わっていた桂英史さん(メディア研究、図書館情報学)に大学時より師事していたこともあり、本というメディアや、図書館という公共空間のあり方をずっと考えていたんです。
ふらっと入って来れる良さが本屋にはあります。その中でプロジェクトが進行していたり展示やイベントが開催されていると、また違ったコミュニティが生まれるおもしろさもあります。一冊の本がきっかけで何かが起こることもあれば、つくったり表現するリサーチとして本はなくてはならないものです。
書店でも新刊だけを扱わないようにしたのは、世の中にある本の大半が古書であること。そこで清水が古物商の免許を取って、古本を扱えるようにしました。アートブックに限定した書店ではなく、そのセレクションは分野が多岐にわたるよう清水を中心にして並べています。
清水玄(以下、清水) もともと本が好きだったので、神保町にある古書店・秦川堂書店でアルバイトしてたことがあるんです。コ本やをやることになり、2016年の頭に古物商の免許を取って、6月にオープンしました。古書組合に加盟するにあたっても、秦川堂書店の社長や先輩にはお世話になりましたね。
和田 開業準備を進めている2015年当時は青柳がまだ学生でした。大学を出た後の働き方をどうしていくか切実な問題もあったのですが、そのモデルとしても起業し経済活動をしながら、自分たちにとってのチャレンジをできるのか、ということは考えていました。
Q2.王子に店を構えた理由は?
和田 何かをやる時には、手垢が付きすぎていないことのほうが判断も経験も新鮮です。古書であれば神保町とか、マーケティングの上で出店計画を立てるかもしれませんが、場所も同じように何かを起こした時に、自分たちにとっても手応えがあることが重要で、ただの「アート系の本屋さん」と思われないような存在感や振る舞いをしたい。
王子は日本で洋紙が初めて誕生した近代製紙業発祥の地で、終戦直後くらいまでは軍需工場や製紙工場がすごく多かったんです。この店の裏も国立印刷局ですしね。
工場があった影響で、実は流通のためのインフラも整っています。王子から東北や関西へ行く高速バスが出ていたり、首都高のICがあったりして、全国からアクセスしやすい場所にある。京浜東北線、南北線、都電荒川線も通っていて、東京の主要な街とも距離が遠くないんです。これは東京を考える上でおもしろいし、場所がステートメントにもなるなと思いました。
何よりも、青柳が近隣の東十条出身で、この物件自体は、不動産業を営んでいる青柳のおじいさんに紹介してもらいました。
青柳菜摘(以下、青柳) 王子は、家から一番近い映画館やプラネタリウムがあったので、子供の頃からたまに来る場所でした。演劇を発表する場所や、稽古場もいくつかあります。ほかにも、長い階段の先に王子稲荷神社があったり、名主の滝や、親水公園、江戸時代に徳川吉宗がつくった庶民のための花見の名所である飛鳥山など、土地に根付いた良い空間が残っている場所、という印象があります。コ本やを始める前もなんとなく気にしていたのですが、近隣を散策して知らない道を知ったり、土地について調べたりするうちに「もっとこの町を知りたい」と思うようになりました。
清水 僕も昔赤羽に住んでいて、王子出身の友達がいたから、たまに遊びに来ていました。今は王子に住んでいますが、近くにレンガ造りで有名な北区立中央図書館もあって、静かで住みやすい街なので気に入っています。
和田 戦後すぐの闇市の名残で、駅前に繁華街の面影が残っていたりするんです。そんな場所としての不思議さもある。
1950年代から法律の整備もあり市街地の大きな工場は区外に移転し、労働者が急減したようです。その後、団地やマンションが乱立し、今ではアジア系の方がかなり住み始めています。コ本やに来るお客さんは外国の方も多く、毎日、片言の日本語を聞いています(笑)。流通という意味では、出入りする人種の幅をおもしろがっていますが、学ぶことも多いですね。
それぞれの専門分野を、学びに還元できる場所
青柳 外国の方がこんなにいるっていうことは、店を始めてから知りました。近くに日本語学校があるようで、学ぶために言語を求めて、本屋に来てくれるんですよね。中国の方だったら漢字を書いてやりとりをしたり、英語を使ったり。インドネシアやネパールの方とは身振り手振りと簡単な日本語、英語を使ってなんとか話します。何度も来てくれる内に、日本語が上達したり読める本の範囲が広がっていくのは、コミュニケーションを取る中でおもしろい部分です。
和田 店番をしている清水が、お客さんに日本語教室みたいなことをしてる時もあります(笑)。
Q3.お店を始める前はどんな活動をしていた?
清水 僕は2015年に映像研究科を出てからは、展覧会の施工などをするアートインストールの事務所で1年間バイトしていました。いろんな現場に行って会場の施工をしたり、アーティストの制作補助をしたり。
和田 現在も芸大で助手として勤めています。僕はアーティストというよりも、アート・プロジェクトなどを通して「ドキュメンテーション」について実践的に研究しています。記録というと公式な振る舞いのように思われるのですが、表現行為や制作過程をどう見せるのか、そこでは現実の伝え方さえ問われているわけで、記述の手法を発明することがドキュメンテーションではないかと。
2017年のコ本やでは、KAAT×高山明/PortB「ワーグナー・プロジェクト」(KAAT神奈川芸術劇場)のメディア・ディレクションで参加したり、「岐阜おおがきビエンナーレ2017」(情報科学芸術大学院大学[IAMAS])のデザイン・資料収集・広報を手がけています。
他にもプロジェクトベースの仕事が多いのですが、美術館や大学といった機関の依頼で資料収集やアーカイヴ関連の仕事もあります。依頼者である研究者や専門家にとっても、芸術分野に関する理解があることを望まれ声をかけてくれるようです。自分たちも働きながら学んでいるところがありますね。
Q4.青柳さんはアーティスト活動も目立つが、どう折り合いを付けている?
青柳 ここにいると、思ってもみなかったような人と出会うことが多くて、そういった出会いが制作につながっていったりします。
ほかにも、「自分の制作のきっかけとして、本がどういう役割をするのか?」ということは考えるようになりました。自分では手に取らないような、コ本やとして店先に立たなければ出会えないような本と出会って、値段をつけたり、どういう人がどういった本を買うのか、というところまで流通の全部を通して見ることができるんです。
コ本やのメンバーで出版をしたり、私個人で作品を本にしてみると、この場所で知ったことや考えたことを様々な形で消化しているんだろうなと思います。
和田 僕たちが本屋をやっていることについては、よく質問されるんですよ。そうやって、本や本屋のあり方について考えてくれる人が出てくるっていうのはおもしろがっています。
清水 12月頭には韓国のアートブック・フェア「UNLIMITED EDITION 9」で「石串(ドルコジ)妖怪協会」という韓国のユニットとコラボして出展しました。彼らも地域に根ざしたスタイルでやっているんです。コ本やでイベントをやってもらった縁などを通じて、コラボできたのはおもしろかったですね。
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