From YOUth #10|コレノナ 島本有里

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あらゆる「商品」が合理的につくられ、対価さえ支払うことができれば、ほぼなんでも手に入れることのできる現代。選択の自由がこれほどまで高まっている時代だからこそなのか、その自由を逆手にとり、これまでにない売り方や作り方を目指す異端者たちがいる。連載シリーズ・FROM YOUthでは、そんな新たな売り方・作り方を志向する20代~30代の「店主」たちの試みをエッジなユースカルチャーと位置づけ、インタビューを通じ、時代を生き抜くヒントを探す。

vol.10に登場するのは、JR国立駅北口にある古い絵を中心に扱うお店「コレノナ」の店主、島本有里さん。同地で約5年にわたり古道具屋を営業し、今年7月に心機一転、明治から昭和初期頃の古い絵を専門にした形態にリニューアルオープンした。大学卒業後に若くして古道具屋開業し、どのようなきっかけで現在の形態に至ったのか話を聞いた。

Text:Akira Kuroki
Photo:Shin Hamada
Edit:Shun Takeda

雑貨屋を目指し、小豆島から東京の美術大学へ

ーお店がスタートしてどれくらいですか?
古道具屋としてスタートしてからは、11月で6年目に突入します。絵を専門にするいまの形態のお店にしたのは今年の7月27日からです。

絵とか売れるのかな?という感じだったんですけど、思ってた以上には、ぼちぼち動いています。

ー買っていくお客さんはどういう人が多いですか?
様々ですね。年配の男性がキャンバスの絵を買ってくれたり、子供連れのお母さんが買いに来てくれたり。「絵なんて買ったことなかったんだけど」っていう女性の方が、二日連続できて、買っていってくださったり。

よく出るのは、スケッチとか、ペラペラした紙のもの。それは老若男女問わずですね。まだ全然、どの年齢層が多いとか、男女どちらが多いとかは定まらない感じです。

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ーいまはお店の営業はどういうスケジュールで?
基本の営業日は木金土日です。あまり表立っては言ってないのですが、月火水は古美術品の出品代行など、ネット出品での仕事を知り合いの方から個人的に依頼されてやっています。

仕入れは土日の早朝に行っています。でもいつも気に入る絵が見つかるかと言ったら全然で。一枚だけ買って帰ってくる…なんてこともしょっちゅうですね。1~2枚買えたらいいかなというくらい。

交通費とかも結構かかりますが、とにかく地道に通って。なんでも気にせず買い付けてしまえばもっと集まるとは思うんですけど。

ー値段はどういう風に決めてるんですか?
値段はすごく悩むところでですね。古さと状態、描いてる内容や大きさ、仕入れた値段と…、全部ですかね。調べてわかった情報とかがあればそれもプラスの要素で加味します。

例えばこの絵は神戸の海らしいです。ちゃんと絵の右下に「浜 甲子園」という記載があるので、過去の写真とかを調べて。甲子園浜(兵庫県西宮市)という地名があるんです。年代は記載があれば、信じていいと思います。

年代の記載がないものでも、これだけ見てると、だいたいであれば分かるようになってきました。色の感じや使われている画材、描かれている風景など、年代を見分けるポイントはいろいろありますね。キャンバスの状態などは保存状態によって様々なので、あまりあてにできないのですが。

「浜 甲子園」作者不明(昭和10年)
「浜 甲子園」作者不明(昭和10年)

ーそもそも、古道具屋さんを始めたきっかけは?
そもそもから話すと長くなるのですが。まずお店を始めようと思ったのが、進路を考えていた高校一年の終わりのときです。小さい頃から、自分でいろいろ集めていたなんでもないもの、雑誌の切り抜き写真とかを自分の部屋の壁一面に飾っていたり、雑貨や自分で拾って来たものを棚に並べていたりしたんです。それで急にふと、改めて部屋を眺めて、「雑貨屋になろう」と思ったんですね。「自分のお店を持ちたい」って。

香川県の小豆島の出身なんですが、田舎なので個人でやっている雑貨屋さんみたいなお店自体がまずないんです。だから誰に相談すればいいのかもわからなくて。

それでフェリーで一時間で行ける高松の商店街にあった「EXPO」という雑貨屋さん(現在は閉業。栗林公園内の栗林庵という香川の伝統工芸品や雑貨のお店を運営されているそう)にいきなり行って、「雑貨屋になりたいんですけど、どうすればいいですか?」っていう相談をしたんです。

ーすごくまっすぐな相談ですね。
女性が一人でやられているお店だったのですが、その店主の方がすごい良い人で、ずっと親身になって話を聞いてくださり、「雑貨屋になりたいんだったら美大に行った方がいいよ」と、言ってくださったんです。

もともと絵とかは得意というか好きな方だったので、「雑貨屋になるには美大に行ったほうがよい」というのは、親に話したら当たり前に反対されたんですけど、自分の中ではなんか「そうか!」と、ストンと納得できてしまって。そこからは親を説得し、デッサンの勉強をはじめました。

何度かそのお店に通うようになって、「もし出してもらえるなら東京に出た方がいい」とも言われて。それもまた親に話したら反対されたんですけど、説得して、許してもらえて、東京の女子美術短期大学のテキスタイル専攻に入りました。

自分の店を持つのは、おばあちゃんになってから

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大学に通ってる間は、制作に没頭してしまって、お店を開くための準備とか全然せず。むしろ忘れちゃってるとうか、いろんなほうに興味が向いてしまって、デザイン事務所への就職とかも考えたりして(笑)。

卒業も間近に迫った頃、東日本大震災が起きて、卒業式もまともに出来ないまま学生生活が終わってしまって。これからどうしていこうって毎日考えていました。

当時、高円寺の「権ノ助」って古道具屋さんに通っていたのですが、あるときに「あ、そうだ自分はお店をやりたいんだ」って思い出して(笑)。

それで権ノ助の店主の方に、「アルバイトとかじゃなくても良いので、週何日かお手伝いさせてもらえませんか?」ってお願いして。それで「週2とかでよければ雇うよ」と。そんなに長い期間ではなかったですけど、そこで古道具の市場のこととか学びました。

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ー古道具屋を志したのはその時から?
古道具屋の世界に入ろうと思ったのは「権ノ助」さんがきっかけですね。東京に出てきて初めて古道具屋っていうものを知りました。こういう世界観というか、こんな風に古いものを回している業界、世界があるんだっていうことを知って。すごい特殊ですよね。値段とかもあってないようなもので、はじめて市場に行った時も値段の付き方などにびっくりしました。

そこで週1、2くらいでバイトで働いていたんですが、あるときに「もうアルバイト雇えないから、申し訳ないけど、知り合いのアンティークショップの店を紹介するからそっちに行ってください!」と言われて、そのお店に移って。その店主さんが市場とかに連れて行ってくださったり、ネット出品のことなどをそこで覚えました。

ーそこから独立しようと思ったきっかけは?
最初自分の店を持つのはもっと先だと思っていました。なんなら高校生のときに思っていたビジョンは、おばあちゃんくらいになってから、自宅兼店みたいなところをゆっくり構えれたらいいな、くらいのゆるい目標だったんです(笑)。

だからアンティークショップで働いてたときも、すぐに自分の店を持つなんて思ってませんでした。ただ、働きながら、これからどうしようかなっていうのはずっと考えていて。

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そんなあるときに、その時はもう国立に住んでいたんですが、恋ヶ窪のほうを夜に散歩していたら、たしか夜の9時くらいだったのですが、一軒だけ明かりがついているお店があって、「古道具」って看板が光っていて。

入ってみたら、おじいさんがやっている古道具屋さん、というか、あまりにも不思議なものを売ってる店で。セミの抜け殻とか、蜘蛛の死んだやつとかを棚に綺麗に並べてあったりして、怖え〜みたいな(笑)。

ー確かに怖そうですね(笑)。
怖いけど、なんか静かに息をしてるような。人形とかもめっちゃひっそり生きているようなものたちばかりがひしめいている店で。そこがあとで「ニコニコ堂」っていうお店だったことがわかったんですが。

その日の夜のことがずっと忘れられず、「ニコニコ堂」を再度訪ねて以来、何度か通うようになっていたある日、店主のナガシマさんとお話しさせていただいているうちに、「実は借りてるけどずっと閉めっぱなしの場所があるんだけど、あなた独立考えてないの?その場所でお店やってみるのどう?」っていう話を急に出されて、即答で「やります!」みたいな(笑)。

その時23~24歳とかで、二つ返事で何も考えずに言っちゃって。そこから近くに住んでいる大家さんとお話をして、私がお店を借りられることになり、古物商許可証を取って市場で仕入れをするようになりました。

学生時代からちょこちょこ貯めていた貯金はほぼ無くなってしまいましたが、なんとかスタートして。オープンまでは早かったですね。

ーそれが現在のお店のあるこの場所?
そうです。最初は週末だけの週2日営業で、アンティークショップと喫茶店のバイトを掛け持ちしていました。それを1年くらいやって、徐々にお店の営業日を増やしつつ、バイトの日数を減らしていって。お店を初めてから1年半くらいしてやっとバイトを完全に辞めました。

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