手とはなにか。ものを生み出す道具であり、ものをつかみ受け取る道具でもある。意志を反映するコミュニケーションの手段でもあり、その造形は時に口よりも雄弁な語り手として芸のモチーフにもなる。体温のある人間の「生きた手」で、触れること。物理的な感覚であるそれは、この世に生み出されるものにどのような変化をもたらすのだろうか。「手が宿すもの」の正体を紐解く序章として、手を使い、その土地や風景から「何か」をつくり出す人たちに話を伺うインタビュー企画。聞き手は、美しいを哲学する活動体PHILOSOPHIAが発行するインディペンデントマガジン『ELEPHAS』の編集チームが務める。次号のテーマに「人の手が宿すもの」を予定する彼らが、人の手だからこそ生まれる、物や営みの美しさや、手と土地の関係性を哲学するべく、様々なジャンルで活動する人たちのもとをめぐる。
第1回目に話を聞くのは、伝統的なキルト技法をもちいて、その手法を再解釈したアート作品を生み出す、アーティスト・玉置博人さん。〈Blue Tip atelier(ブルーチップアトリエ)〉として、「生活に寄り添う機能的なART」をコンセプトに、数々のキルトアート作品を発表している。目の前に立ちあらわれる景色に目をとめること。その記憶をもとに夢想し、描き出すこと。1針ずつ縫い、想像にひとつの形を与えていくこと。それらの営みを通して、玉置さんが生み出すもの、感じていることはなにかについて言葉を交わす。後編では、手から何かを創造すること、風景から作品をつくり出すこと、そこにある美しさとはなにかについてともに考える。
photo:Shinichi Matsumoto
edit+text:Yoko Masuda
interview:ELEPHAS
(前編はこちら)
◎偶然性や揺らぎ、時間。
有機的なものに感じる愛おしさ
人が手で生み出すものと、機械がつくり出すもの。手仕事の品と、いわば既製品。自分の生活にどちらを取り入れるのかは、目的や好みの違いであって、良し悪しを決めるものではないと玉置さんは語る。
「量産品のいいところもたくさんありますよね。低価格だったり、丈夫だったり、機能性が満たされていたり。機械で作られたキルトは、どれを購入しても同じ品質が保たれていて安心感があるかもしれません。一方、人の手でつくったキルトは、乱れやアバウトさが残ります。もちろん正確に一糸乱れず制作できる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕はあえて正確さにはこだわりません。どちらを好むかは人それぞれでいい。僕自身は少し乱れがあるものや無造作なものが好きなんです。たとえば、自宅のソファのリネンも自分で染めました。よく見るとムラがあるんですが、でも人の手の跡が残るからこその未完成さや味わいが残る状態を気に入っています」
物には人の手が介在することで有機的な魅力が宿る。未完成さや偶然性、揺らぎを受け止める。玉置さんは手を使うものづくりのどこに面白さを見出しているのか。
「たとえば染色は力仕事でとても大変な作業なんですが、それでもプロの方に依頼せずに自身で施すのは、染色のコントロールできないところに楽しみを見出しているのかもしれません。基本的には想像している希望の色合いがあるんですが、偶然出てくる色味にも期待しています。この色にしたいと思ってもなかなかその通りにならないストレスもありますが、想像以上の美しい色との出会いや気温や時間によって染まり方が変わる面白さもあります。それを逆手に取り、唯一無二の作品を作っていくことが作品作りの面白味なのかなと」
似通うものはつくれても、二度と同じ作品をつくることはできない。唯一無二の作品を生み出すこと。偶然性に期待すること。人の手だからこそ生まれる揺らぎやズレ、そしてコントロールのできなさを愛してものづくりをすること。玉置さんがこのような価値観を大事にものづくりをするようになった背景はどこにあるのか。
「頭の中にあるものをそのままつくるだけでも達成感はありますし、思い通りのものができたという嬉しさもありますが、それを超えたものがないように感じています。一方で、想像以上のものを生み出せた時には、それ以上の満足感を得られる。そう考えると揺らぎや偶然性は不安な部分でもありますが、楽しみな点でもあります」
「洋服の仕立て方にも2通りあります。デザインを考え、型紙に起こし、理想に近づけて詰めていく作り方と、最初にデザインはつくらず、ボディの上に布を当てつつ考える作り方。僕は後者の作り方が好きだったんです。『ここをこうしたら布がこう落ちるんだ』など、その場でたしかめながら形作っていく作業。偶然性に期待するものづくりとは、その場の偶発性を大切にしたプロセスとつながる点があるかもしれませんね」
一針ずつ手で縫い、一枚ずつ手で染める。そうして手から生み出されたものにはなにが宿り、暮らしや社会をどのように彩るのだろうか。
「人にはそれぞれ自分自身の心地よさがありますよね。そばに置いておきたいと感じるものは、その人にとって心地のいいものであるはず。その具合は個々によって異なり、美しいもの、かわいいものに囲まれていることを心地いいと感じる人もいれば、機械で作られたものを使うことに心地よさ感じる人もいる。僕は人の手の気配を感じるものに心地よさを覚えます。部屋に飾りたいと思う好きな絵も無名の人の作品でもよくて、でも人が手で塗りましたという跡がたしかにあるもの。そこに感じているのは費やした時間だと思います。時間は目には見えませんが、かけた時間は確実に伝わるし裏切りません。人の琴線に触れるものになっていると思うのです」
◎身体を通した風景を表現すること
2024年、東京・浅草にあるギャラリー「es quart gallery」にて個展が開催された。そのテーマは「landscape」。作家自身のそばにあるものや旅先で見た風景、心の奥底にある風景をさまざまな表現手段によって作品に落とし込む。土地や場所に足を運ぶことは、玉置さんにとってどのような意味をもつのか。
「自分の目で見たものや足を運んで感じたことを表現したいと思っています。インターネットで調べたものではなく、五感で感じたなにか。それが具象的なものになるのか、抽象的なものになるのか、それはわかりませんが、まずは五感で感じて自分が素敵だと思ったものを大切にしたいと思っています。そこにあるのは説得力でしょうか。僕が心から素敵だと思った風景を描くことでしか、作品からなにかを滲み出すことはできないと思います」
「特に現代は便利な世の中なので、その場所に行かなくても簡単に理解した風になれます。でも、実際に体感したものに勝ることはないと思います。もちろんインターネットの便利さに助けられることもありますが、感受性を作品や仕事にいかす人たちは五感で感じなければと思うんです」
「たとえば、先日訪れたイギリスで目にしたリヴァプール大聖堂は本当に素晴らしかった。言葉にするのが難しい、ため息が出るほどの圧倒的な空間。そういうものは現物を見に行かなければ出会えません。その土地に足を運び、これを作りたいと思えるものを見つけたいと思っています」
自分が歩いた土地、目にした風景。作品にしたいと思える景色と出会い、風景を自分に取り込んでいく。その感覚をもとに、表現したいものを徹底的に想像する。ピントが合ったら、抽象なのか具象なのか、サイズや色彩、そして染色方法、刺繍、キルティングなどどのような技法で表現するのかを選び取り、一つ一つ丁寧に形にしていく。キルト制作の一連の作業には他の何にも代えがたい静かな時間がある。
「キルトの制作と衣装の仕事は、スイッチのオンオフが難しいので、同時並行できる場合とできない場合があります。キルトを作るときは他の雑念を閉じてつくりたいと思っているんです」
衣装の仕事のあいだも考えることはできるし、衣装の仕事をしているからこそ足を運ぶ場所もある。生活のなかで出会う様々な風景に足をとめ、五感で味わったもの、自身の琴線に触れたものを作品にしていく。だから作品には深い意味はない。意味を読み取るのではなく、作品と対面してなにか感じるものがあってくれたら嬉しいと玉置さんは語る。
◎美しさへの眼差しは人それぞれ。
その人にとって傍にあっても違和感のない感覚
生活のそばに寄り添うように芸術を置く。芸術家・ウィリアム・モリスは『生活の美』(1880)のなかに「有用とも美しいとも思えないものを家のなかに置いてはいけない」という言葉を残した。その言葉を思い出しつつ、玉置さんにとって美しいとはなにかと問うと「難しいですね」と首を捻りつつ、こう答えた。
「美しいものが傍にあると心地がいいような気がしますね。逆に美しくないものがあると乱されるしストレスを感じます。それは、自分の身の回りにある服やインテリアはもちろん、周りにいる人もそうです。自分のバランスが乱されてしまうようなものとは距離を置いています。僕は東京が苦手で、実は多拠点生活を考えているんです」
ファッションを仕事にしてきた玉置さんは「美しい」という言葉から、まずは視覚的な美しさを連想する。
「美しいという言葉以外でその感覚を表現しているかもしれません。すばらしい、綺麗、かわいい、心地がいい、時には感動して言葉が出ないなど。それらが美しさへの感覚とつながる気がします」
「美しいという言葉は視覚的なことを指して使われることが多いように思いますが、世にある美しさの定義はさまざまですよね。例えば、イチロー選手のスイングが美しい、数学の式が美しいなど。人や、携わる分野の違いによって視点の異なる美しさがありそう。僕はこれまで、洋服に関わってきたので、服の美しさ=人を美しく見せる、という視覚的なところで仕事をしてきました。なので、美しいという言葉を考えるとき、他者からの眼差しを考えます。その一方で、僕自身が美しいと感じるのは、空の色だったり。意識せずとも五感が動くのが“美しいと思う”ということだと思います」
自然にあるもの、飾らないことに対しても美しさを見出す。自然界のなかに美しくないものがあると不自然に感じることもある。そもそも美しくある方が自然なのだろうか。
「動物が美を感じられるのかどうかという問いには答えがまだはっきりとした解は出ていないと思いますが、人間は鳥や孔雀の羽根などを見て美しいと感じます。美しいと感じるのは人間だけで、動物にとっては生まれながらの性質、つまり自然にあるがままの状態なので、それを美とは捉えていないのかもしれません」
「人間でいえば、綺麗になろうと一生懸命お化粧する方もいると思いますが、自然に美しい人ほど美しいものはないなと思うこともあります。そういう方は、顔だけではなく、持っている雰囲気や空気感から、その美しさが滲み出ているように感じますね。その人の持つ空気感みたいなものが素敵であること。それは、この人と一緒にいるのは心地いいという感覚かもしれません。心地のいい人たちと仕事も生活もしていきたいと思いますね」
玉置博人(たまき・ひろと)
京都府出身。立命館大学、バンタンデザイン研究所を経て渡仏。「ステュディオ・ベルソー」を卒業し〈バレンシアガ〉コレクションチームアシスタントを務める。帰国後、城賀直人とブランド〈エ モモナキア〉を立ち上げ。2014年より衣装デザイナーとして映画やドラマに携わり、また「生活に寄り添う機能的なART」を掲げキルトを制作する〈Blue Tip Atelier〉としても活動している
https://www.bluetipatelier.com/about
@bluetip_atelier