どのように都市を描くか? 評論家・マンガ家・アーティストが語る、まち歩きから見える風景【前編】

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2023年の上半期、都市を舞台とした刺激的な書籍が二冊上梓された。美術編集者/評論家の楠見清氏による『無言板アート入門』(ちくま文庫)と、マンガ家/イラストレーターのかつしかけいた氏による『東東京区区』1巻(路草コミックス)だ。

『無言板アート入門』は、雨風や紫外線によって文字が消えてしまった“もの言わぬ看板”を、一種のアート作品として鑑賞する路上観察の書。一方『東東京区区』は、年齢も性別もルーツも”まちまち”な三人が、東東京の様々なまちを散策して新たな魅力を発見していくマンガだ。どちらもまちそのものが背景というより主役になっていると言っていい。

そこで同じくまちを主題とした著書『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社, 2022)があるアーティストの中島晴矢を加え、プロジェクトチーム「野ざらし」が主催するイベント「さなぶり」の一環として、墨田区の東向島に位置するスペース「藝とスタジオ」にて、「How to draw a city ? ──まち歩きの描く風景」と題するトークイベントが開催された。

それぞれの著作について深掘りしながら、評論家、マンガ家、アーティストという三者三様の都市の捉え方、またそれらを落とし込む表現をめぐる鼎談をお届けしたい。

Text:Haruya Nakajima
Photo:Yuki Maniwa
Edit:Yoko Masuda

中島:3人ともまち歩きや都市空間を表現の主軸の一つにしているということで、本日はこの座組みでトークできればと企画しました。僕はアーティストとして現代美術を軸に作品を制作しています。昨年、まちエッセイと油彩画からなる単著『オイル・オン・タウンスケープ』を出版しました。

中島晴矢(なかじま・はるや)
1989年神奈川県生まれ。アーティスト。美学校「現代アートの勝手口」講師。現代美術、文筆、ラップなど、インディペンデントとして領域横断的な活動を展開。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM, 2019)、グループ展に「RE:FACTORY」(寺田倉庫, 2023)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社, 2022)など。現在「中島晴矢の断酒酒場」(M.E.A.R.L.)を連載中。

かつしか:僕は今年の夏に出した初めての単行本で、『東東京区区』という主に東京の東部を舞台にしたまち歩きマンガを描いています。ここ10年ほどイラストやマンガでまちの風景を描いてきて、中島さん、楠見さんの視点と共通するところを感じていたので、どんな話ができるか楽しみです。

かつしかけいた
マンガ家・イラストレーター。葛飾区出身、在住。2010年頃より地元葛飾周辺の風景を描いたマンガ作品を発表、イラストレーターとして雑誌や書籍の挿画なども手がける。WEBコミックメディア「路草」にてマンガ『東東京区区』を連載中。7月に単行本第1巻が発売された。

楠見:僕はまちで見つけた「文字の読めなくなってしまった看板」をかれこれ4年前から撮影していて、ウェブで書いていたコラムの連載を、今年『無言板アート入門』としてまとめることができました。

普段は美術館やギャラリーの中にある作品に関して言葉で批評するのを仕事にしていますが、まちなかにあるなんでもないものに対して何ができるかという試みも、はたと気づいたら仕事の一つになっていたというところです。自分でもよくわかっていないというか、まだ旅の途中なのかもしれません。

Instagramのアカウントで1日1枚ずつ無言板の写真をアップしているので、もしよろしければフォローしてください。「#無言板」で検索して一番アップしているのが僕です(笑)

楠見清(くすみ・きよし)
1963年生まれ。美術編集者/評論家。『コミッカーズ』創刊編集長、『美術手帖』編集長を経て現在東京都立大学准教授。共著『もにゅキャラ巡礼──銅像になったマンガ&アニメキャラたち』で公共彫刻の調査のために全国各地をまわりながら、いつのまにかまち歩き愛好家に。そのユニークな路上観察の成果は今年『無言板アート入門』(ちくま文庫)にまとめられた。

中島:無言板のオリジネーターですからね(笑)。シンプルに収穫量がすごいなと思っていて。

楠見:もうじき2000枚を越えるところです。

中島:あれって散歩した時とかに撮り溜めるんですか?

楠見:もちろん1日1枚ずつ発見しているわけではなくて。ただ歩いていると、無言板がたくさんあるまちってあるんですね。

中島:なるほど、土壌のいいまちがあるんだ。

楠見:あと自分なりのルールというか作法として、必ず題名をつけることにしています。ある意味で写真を撮っただけでは無言板として成立していなくて、そこに何か題名を与えることによって作品化される。それこそ美術の話で言うと、マルセル・デュシャンが男性用小便器に《泉》と言うタイトルを与えたことで作品になったように。毎日、朝起きた時に「この写真にはなんてタイトルをつけようかな」と考える時間が、僕にとっての創作タイムになっています。例えば緑色の看板があったら《Evergreen/常緑樹》というタイトルを与えた時に作品になるのかな、と。

中島:美術館のキャプションみたいに、タイトルは日本語と英語のダブル表記なんですよね。

楠見:そう、バイリンガルでね。美術の作法を借りた遊びのような側面もあります。

まち歩きへの目覚め。原点を辿る

中島:僕がお2人と知り合ったきっかけからまち歩きの話につながればと思うんですが、かつしかさんを初めて知ったのは、篠原雅武さんの『生きられたニュータウン 未来空間の哲学』(青土社, 2015)の表紙。人新世について研究されてたりする哲学者の方の書籍なんですが、これはニュータウン論なんですね。「あとがき」で僕が少しだけ触れてもらっていることもあって手に取ったら、表紙がすごくよくて。

その後、ニュータウンをテーマにした展覧会でかつしかさんに作品を出品してもらったり、イラストを描いてもらったりしたことがありました。だからきっかけはニュータウンなんです。葛飾区などの下町的な空間ではなくて、実はフラットなニュータウン空間を媒介にしてつながったところがある。

かつしか:たまたま篠原さんからオファーをいただいたんですが、僕は葛飾区出身なので、ニュータウンって縁遠いところだろうと思ってました。でも、多摩ニュータウン、千葉ニュータウン、千里ニュータウンを実際に歩いて取材してみると、思ったより馴染みのない風景ではなかったんです。

僕はいわゆる下町と言われるエリア出身ですが、マンションで育ちましたし、近くに団地もいっぱいあった。同じような形の集合住宅が並んでいる風景は自分にとって懐かしいような感覚もあって、「そうか、ニュータウンって思っていたほど遠い場所じゃないんだ」という発見がありました。

中島:僕は横浜市の港北ニュータウン出身で、そこには地元の商店街や昔ながらのお店がなかったから、ないものねだりかもしれませんが、東京の下町的な空間に憧れて大人になってからコミットするようになったという経緯があります。でも郊外的な空間は、現代日本で生活していればどこであれ逃れられないというか、それに近い風景はどこにでもあるんですよね。

一方、楠見さんとは美術業界の中で若い頃に知り合ったんですが、楠見さんが南信長さんとの共著『もにゅキャラ巡礼 銅像になったマンガ&アニメキャラたち』(扶桑社, 2017)を出版された時に、国立新美術館でやったシンポジウムに登壇者として呼んでいただいたことがあります。

楠見:首都大学東京のフォーラム「もにゅキャラ考2──3・11以降の現実と非現実をつなぐアート」のなかで「震災とアーティスト──リアリズムとファンタジー」と題して中島さんが震災後、福島や仙台で制作した映像作品を事例に、古代ギリシャの叙事詩のひとつに遅滞する復興を重ね合わせたり、フレコンバッグのある風景がモニュメントのように見えたりといった話をしてもらいました。中島さんが作品制作を通じて非日常的な風景といかに関係性を結ぶことができるかというテーマでした。

それは実は僕がその頃調査していたマンガやアニメのキャラクターがモニュメントになるという「もにゅキャラ」のメカニズムにもどこか似ているんだけど、東京の下町でいうと2006年に亀有駅前に「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両さん(両津勘吉)像が、2013年から四つ木と立石に「キャプテン翼」の像ができて、フィクションと現実世界が重なり始めたんです。

中島:たしか「もにゅキャラ」のフィールドワークをきっかけにして、まち歩きに目覚めたんですよね。

楠見:そう、2年半くらいかけて全国の「もにゅキャラ」の取材をしながら道ばたの奇妙なものにもカメラを向けていたんです。気がつくと古看板や落書きとかといっしょに文字の消えた看板を撮っていて、でも、まだ「無言板」という言葉はなくて、「無言板=say nothing board」という言葉が降りてきた時にハッとしたという感じかな。やっぱりタイトルが重要なんです。言葉を失ってしまったものに、再び言葉を与える。その作業がおもしろいんでしょうね。

中島:言葉や名前を与えることで、概念の枠組みができて中身が浮き彫りになる。それこそ前衛美術家の赤瀬川原平さんが『超芸術トマソン』で書いていたことですよね。最初に発見したのが、かの有名な四谷にあった「四谷階段」。少し登って降りるだけの無意味な階段ですが、それを見てもまだよくわからなくて、次に江古田駅でベニヤ板でふさがれた無用窓口を見つけて、3つ目にお茶の水の無用門に出会った時にそれらがつながった。さらにそこに「トマソン」という名前を与えたことで運動が始まり、そこから体系化して学問にしちゃえというところまでいく。まち歩きに関して、かつしかさんはどうですか?

かつしか:無目的に歩くのは10代の頃から好きでした。まちの歴史を調べるとかでもなく、ただただ歩くのが好きで、目的なく千葉の佐倉の方まで行って、ひたすら歩いて帰ってきたりしていましたね。マンガを描くようになってからは、背景の資料として使うために風景を意識的に見ることが多くなりました。

でも、そこからキャラクターというより風景を主体としたコマやイラストを描くようになって、徐々に「風景ってなんだろう?」と考えたり、「まち歩きっていろんな視点でやってる人たちがいるんだな」と知ったりするようになります。なので、まち歩きとマンガがいつの間にかつながっていたという感じですね。

中島:僕も10代の頃からまちをブラブラ歩くのは好きで、『オイル・オン・タウンスケープ』には渋谷や麻布についての思い出やまち並みを書いています。ただ意識的にまち歩きをするようになったのは、実は現代美術がきっかけです。先ほど楠見さんに言及していただいたように、僕はポスト3.11にデビューしているので、リサーチとして東北のまちの風景や歴史を掘り下げていく中で、まち歩き自体の魅力に気づきました。

大学では近代文学をやっていたんですが、学生の時にはきちんと読んでこなかった永井荷風なんかを読み直して、やっぱりすごいなと。また美術では赤瀬川さんの「路上観察」や「トマソン」などの仕事を見直したらとにかくおもしろくて、どんどん都市論にハマっていきました。あともう一つ、東京五輪があります。2013年に決まってから、オリンピックに向けて東京論が盛り上がりました。僕自身、行政とは別の仕方で東京をどうしようかとずっと考えてきた。

楠見:さらにヒップホップもあるじゃない。

中島:あ、そうですね。僕はラップもやっているんですが、ヒップホップのドグマと言っていい「地元をレペゼンする」という思想も、自分の根拠地となるまちやコミュニティをどう背負うかということなので、僕としてはまち歩きや散歩だってヒップホップ的な営為だと思ってる節があります。

かつしか:新小岩を代表するラッパー・ZORNのパンチライン「洗濯物干すのもHiphop」みたいな感じですね。

中島:そう、散歩するのもヒップホップです(笑)

下町と東東京、言葉が纏うイメージと現実

中島:ZORNの名前が出ましたが、かつしかさんはそれこそ葛飾区をレペゼンしてますよね。

かつしか:でも、実は生まれは葛飾区ではなくて、父の実家がある千葉県の東葛エリアでした。ただ、そこも古の葛飾エリアです。かつて葛飾府の国府が置かれていたのが今の国府台付近で、だいたい隅田川より東側あたりまでが葛飾郡でした。そういう意味で広義の葛飾出身でもあります。

このように、「どこまでを地元とするか」というのも難しいところがあって。例えば葛飾区は南北に長いので、普段あまり行かないエリアもある一方で、隣接する区にはよく行っていたりする。それが今回のマンガのタイトルにも関係しています。ある程度自分が責任を持って描けるエリアをどこまで拡張できるか考えた時に、純粋な地元ではないにしても、なんとなく街の空気感を掴めると思えたのが、ギリギリ東京東部、イーストサイドだったんです。

中島:なるほど、それで『東東京区区』。

かつしか:なおかつ東東京は下町と言われています。その下町という言葉の使われ方も曖昧です。中央線の高円寺が下町と形容される場合もあるように、ちょっと雰囲気のいい商店街があれば下町と言われたりする。また「下町情緒」「下町の人情」など、言葉のイメージに手垢がつきすぎています。僕が描きたいと考える生活圏で普段暮らしていても、ことさら人情味に溢れているとは感じません。それでもいろんな街の変化を見てきて、下町という言葉では表現できないけど、どこかつながりがある感覚を示したくて「東東京」という言葉を持ってきました。

中島:下町というと、やはり『男はつらいよ』の寅さん的な世界観になってきますが、現代的な東東京はそうしたステレオタイプとはちょっと違うわけですよね。実際『東東京区区』では、移民であるエチオピア人の女の子や、ヒジャブをかぶった社会学を学ぶ大学生が登場人物になっている。

かつしか:それらはこれまで下町の特徴としてあまり言われてこなかったことですよね。それでも葛飾区内にはモスクがあるからムスリムの方たちもよく見るし、かつて自分の通っていた小学校にはいまバングラデシュ系の子どもたちがたくさん通っている。そういう変化はここ5年10年くらいで急激に起こっていて。ムスリムの人たちが食べられる食材を扱うハラルフードのお店も増えてます。Googleマップで調べたら、葛飾とその周辺に「まいばすけっと」と同じくらいの数ありましたから。

楠見:いつの間に!

かつしか:ちょっとしたインフラにすらなっています。

中島:ムスリムの人たちのコミュニティや生活環境があるから、またそこに仲間が集まってくるという循環があるんでしょうね。

かつしか:しかも、葛飾を地元として生まれた2代目の子たちも育ってきています。そうした多様なルーツを持つ人々が暮らしていることに加えて、東東京には巷で言われるほど下町らしい町並みが残っているわけではないんですね。もちろんこの墨田区などにはかなり残ってると言えますが、いまや曳舟駅前にはドーンとタワマンが建っている。南千住の汐入地区なんて完全にニュータウンですよね。昔は木造密集地だったところを計画的に再開発しているので、駅をはさんで風景がまるで違う。でも、そのニュータウン的な風景もできてからもう20年近く経っています。そんな町並みの変化にもすでに歴史が積み重なっているんです。

中島:このエリアも2012年にスカイツリーができてから変わりましたよね。とはいえ『東東京区区』の表紙にも描かれているように、スカイツリーはもはや馴染みのある風景になっている。

ここ東向島は、かつて玉の井という地名でした。玉の井は永井荷風が代表作『濹東綺譚』の舞台として描いた岡場所。川向こうの吉原が政府公認の歓楽街でしたが、そこからあぶれた人たちがいわゆる私娼窟を形成していました。滝田ゆうのマンガ『寺島町奇譚』を読めばわかるように、「ちかみち」や「ぬけられます」といった看板がそこここに見られた陋巷です。もちろんいま歩いてみるとほとんどきれいな建物になっていますが、錯綜する路地のつくり自体は変わらずに残っている。一口に下町と言っても、変わったところと変わらないところがありますよね。

スカイツリーの見える場所。異物的な存在が馴染むこと

楠見:少し話は前後するけど、僕には「東東京」という言葉が新鮮でしたね。高円寺の純情商店街が下町っぽいと言われたりするように、おそらく下町という言葉はすでに記号化してしまっている。それに対して『東東京区区』第1話のタイトルは「塔の見える場所」で、スカイツリーの足元にある東京ミズマチが扉絵に描かれています。「スカイツリーの見える場所が東東京である」というアイデンティファイに、なるほどなと得心しました。

かつしか:いちおうマンガの冒頭で、僕が東東京と見なすエリアを色分けして紹介しています。そこでは江東5区(足立区・葛飾区・江戸川区・墨田区・江東区)+荒川区・台東区と書いていて、おおよそ下町と呼ばれるエリアとかぶっている。ただ、東東京って厳密な定義がある言葉ではないんですね。地理的歴史的に学術的な根拠がある表現でもないので、もうちょっと柔軟に捉えてもいいとは思います。例えば台東区や荒川区でも台地の方はまるで雰囲気が違いますし。

中島:東東京の中にも下町的な空間と山の手的な空間が混在していますからね。

楠見:ただ、東東京はそういうヒエラルキーみたいなものを無効化する言葉なのかなとも思うんです。多少地形に高低差があろうが、スカイツリーに比べれば大した違いはない。スカイツリーには誰も敵わない(笑)

中島:圧倒的にデカいという(笑)

楠見:考えてみれば東東京って、浅草に十二階(凌雲閣)があったり、荒川岸にお化け煙突があったりと、何か必ず背の高いものがあった。いまはそこにスカイツリーがあるということですよね。

かつしか:たしかに下から見上げる搭状のものがこの地域にはずっとありますね。第1話のタイトルは五所平之助監督の映画『煙突の見える場所』(1953)からの引用で、まさに足立区などお化け煙突周辺を舞台にした作品です。

楠見:そう考えると、スカイツリーはこのエリアに本当に必要なものだったのかもしれませんね。これはつくっている最中にはわからなかった。

中島:スカイツリーもやっぱり最初は警戒したじゃないですか。

楠見:うん、東京タワーがあるのにって。

中島:東京タワーには完成した山の手の風情がある。一方でスカイツリーはどうなんだろうと訝しんでいたら、割とすぐに地域に馴染んだ感があります。ちょうど今年は関東大震災から100年目ですが、当時日本で一番高い塔だった浅草十二階は地震で倒壊しました。でも、いまこのエリアには日本一高いスカイツリーがある。

かつしか:僕もスカイツリーの建設計画が決まった当初は「いまさらそんな高いものを建てて」と冷ややかに見ていました。でも工事が進むにつれて、文字通り樹木が成長するように少しづつ塔が伸びていく様を見ているうちに、だんだん愛着が湧くようになって。もう完成してから10年以上経つので、少し遠出して家に帰る途中にスカイツリーを見ると、この付近の住人としては「帰ってきたな」とホッとするんですよ。

コロナの期間は夜に明かりの灯っていないスカイツリーを眺めていました。そこで暮らしている折々の感情を投影していくと、スカイツリーは東京東部のものというわけではなく、むしろ住んでいるわれわれのものだという感覚を抱くようになる。最初は徹底的に批判されたエッフェル塔がパリのシンボルになったのは、パリの人たちが徐々に自分たちのものにしていったからだと思うんです。その意味で、スカイツリーは東京タワーよりまだ色がついていませんし、こちら側の想いを投影できる余白がある気がします。

中島:市民がスカイツリーを我有化しつつある。

楠見:あと何よりスカイツリーのいいところは、誰も住んでないことですよ。タワマンであれば、あのてっぺんに誰かがいるんだと頭をよぎってしまうじゃないですか(笑)

中島:高所からの眺望を手にしている特権者が気になってしまう(笑)

楠見:東京タワーもそうですけど、塔って誰が住んでいるわけでもないので、塔のもとではみんな平等なんですよ。だから東武のものじゃなくてみんなのものだというのは、そういうところから芽生える感情でもあるんでしょうね。

[後編につづきます]

登壇者プロフィール

楠見清(くすみ・きよし)
1963年生まれ。美術編集者/評論家。『コミッカーズ』創刊編集長、『美術手帖』編集長を経て現在東京都立大学准教授。共著『もにゅキャラ巡礼──銅像になったマンガ&アニメキャラたち』で公共彫刻の調査のために全国各地をまわりながら、いつのまにかまち歩き愛好家に。そのユニークな路上観察の成果は今年『無言板アート入門』(ちくま文庫)にまとめられた。

かつしかけいた
マンガ家・イラストレーター。葛飾区出身、在住。2010年頃より地元葛飾周辺の風景を描いたマンガ作品を発表、イラストレーターとして雑誌や書籍の挿画なども手がける。WEBコミックメディア「路草」にてマンガ『東東京区区』を連載中。7月に単行本第1巻が発売された。

中島晴矢(なかじま・はるや)
1989年神奈川県生まれ。アーティスト。美学校「現代アートの勝手口」講師。現代美術、文筆、ラップなど、インディペンデントとして領域横断的な活動を展開。主な個展に「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM, 2019)、グループ展に「RE:FACTORY」(寺田倉庫, 2023)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社, 2022)など。現在「中島晴矢の断酒酒場」(M.E.A.R.L.)を連載中。

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