風景のうまれとゆくえ 絵描きの「根をもつことと翼をもつこと」のための試論 はじめに(2)

0
光と闇、はじまりとおわり。大地と星空、森や海や山。木々や草花、獣や鳥や魚たち、そして人。
あらゆるものの境界を曖昧に、どこまでもひろがる世界。それぞれの物語が呼応していくような絵。
生命の存在を見つめ、その根源を辿ること。そして人間として生きることと向き合いながら、旅を続けていく、絵描き 熊谷隼人。

本連載は、熊谷がかねてより心に留めてきた言葉「根をもつことと翼をもつこと」を起点に、いくつかの由縁のある土地を歩きながら、この世界を故郷にしていくことの地平を見つめるエッセイである。それは、「風景のうまれ(根源)とゆくえを探ること、それが“全世界をふるさととすること”(ひいては根と翼を共にすること)へと至る可能性をたしかめること」(本文より引用)でもある。これから大分、新潟、静岡、東京、北海道の土地を巡っていくが、第1回目は、序論として本連載のしるべとなる試論の仮説を展開する。後半は、風景の生まれとゆくえを探ること、そして根をもつことと翼をもつことをともにすることへの仮説。

Text+Photo:Hayato Kumagai
Edit:Yoko Masuda

「はじめに(1)」はこちら

風景。
その言葉を思い浮かべるとき、口にするときに喚起させられる、果てしない広がりのようなもの。
見えないものを見ようとする姿勢、目で風や光をつかもうとするようなまなざし。
幼い頃からずっと変わらないはずの、世界に対するある特有の見方。

イタリア最大の詩人のひとりとされるジャコモ・レオパルディの「無限」という詩は、自分がこれまで思索を続けてきた風景というものの在りようをひとつ、見事にあらわしていると思う。

懐かしい孤独な丘

遠い地平線を視界からさえぎる生け垣
生け垣の彼方のはてしない空間と
人間離れした沈黙 深い静寂
それを思い描きおののきそうになる私
葉ずれの音に耳を傾け
このささやきと終わりなき静寂とを比べる
無限と死んだ季節とを思う
命とそのさざめきとを
この無限の中に私の思いを沈め
私は甘美さに満たされる
 (「無限」 ジャコモ・レオパルディ 邦訳:映画『ベッピーノの百歩』より)

これまで大分、新潟、東京、静岡、北海道で暮らしてきた自分にとって、風景と呼べる場所はいずれにもたしかに存在していた。そのなかでも原風景とでも呼びたくなるような場所を思い返すと、それは8歳まで過ごした大分、そしてその後大学へ進学するまで11年過ごした新潟に、多くあることに気がつく。
とりわけ新潟で11年間暮らしてきた聖籠町(せいろうまち)は、そこかしこに水田があるような、いわゆるだだっぴろい田舎だったけど、自分が風景への感受性を育んでいくうえで、本当になくてはならない場所だった。
前回のエッセイでふれたイタリアの写真家ルイジ・ギッリについて、彼の友人であるジャンニ・チェラーティという作家が綴った素晴らしい文章がある。そのなかで彼は、ギッリにとっての“田舎”という場所を、次のようにあらわしている。

田舎は彼にとって、すべてのものが過去と未来のあいだで一時停止された空間。いまだ驚きを与えるヴィジョンとして想像されうる世界。田舎は彼にとって、ヴィジョンを得られる最後の場所。私たちを包む地平線を通して、空間の無限を想像しうる場所。
 それはレオパルディのような発想かもしれない。しかし、それはわたしたちが幼い頃に想像していた世界そのものでもあろう。庭や目の前に広がる空間がこの世のすべてと想像していた、あの頃のような。
(ルイジ・ギッリ『写真講義』より)

もちろん風景というものは田舎だけでなく、都会から荒地、海から山まで、いたるところに見出されるものだし、そうでなくてはならないとも思う。だけど風景というものをどこまでも私的な体験に根ざしながら見つめていく時、レオパルディの詩やギッリの(そしてチェラーティの)まなざしは、自分にとって揺るぎない参照点を思い出させてくれる。

「きみはまず風景を慈しめよ。すべては、それからだ」
福島出身の詩人・長田弘が東日本大震災のあとに編んだ、『奇跡』という詩の終わりに書かれたその一節は、自分が風景という言葉を考えるうえで、長らくよるべとなるものだった。
自分が長田弘の言葉と出会ったのは今からちょうど10年前、大学卒業後まもなく東京に移住した2015年春のことだった(そして同年5月、彼はこの世を去った)。
大学の卒業制作の途中で知ったルイジ・ギッリと共に、風景とは何かということをふたりの言葉をとおして考え続け、気がつけばどちらも私淑すべき存在のようになっていった。

長田弘が生前最後に自ら編んだ、『最後の詩集』という本がある。
晩年にイタリアを旅するなかで育まれた詩が多く収められたこの詩集の、“詩って何だと思う?”という詩に、自分はかつて救われるような思いがした。そこには次のような一節がある。

目を覚ますのに
必要なものは、詩だ。
顔を洗い、歯を磨くのに
必要なのも、詩だ。
窓を開け、空の色を知るにも
必要なのは、詩だ。
1日をはじめるのに必要なのは、
朝のコーヒーの匂いと、詩だ。
思うに、歳をつれ
人に必要となるものはふたつ、
歩くこと、そして詩だ。
(長田弘『最後の詩集』より)

歩くこと、そして詩。
それは“根をもつことと翼をもつこと”という言葉ともどこか結びつくようで、どちらも人間のすることである、という点において異なっている。
根をもつことと翼をもつことについては、『気流の鳴る音』という本の中で語られる、呪術師ドン・ファンによる最後のレッスンであったことは、前回見てきた。ドン・ファンは「持つ」ということについて、「自分の歩く道をもつこと」「自分の踊りをもつこと」の2つをとりわけ重視していたという。自分の歩く道は「心のある道」ともいわれ、自分の踊りとは、それぞれの戦士がその一生をかけて発展させる、自分の型、自分の力の姿勢、その「生活の物語」のことをあらわしている。
自分の歩く道をもつこと、そして自分の踊りをもつこと。この2つもまた人間のすることであり、その意味で“歩くこと、そして詩”ということと不思議な呼応を感じさせるけど、長田弘はそのことを東京の街中での生活や、近所を散歩していくなかにこそ、深く見つめようとしていたのだと思う。

長田弘にとって“詩”とは、言葉としての詩にとどまらず、生きてすることすべての原点となるようなものをあらわしている。それは絵描きである自分にとって、制作することと生活すること、そのあらゆる行いのはじまりにあるような根源(うまれ)としての”詩”というものを想像させる。
そしてもうひとつ、“歩くこと”は自分にとって、描くことと同じくらい人間のすることとして信じられる行いだった。歩くことによって世界は身体的に、血の巡りと共に感覚され、そこで無数の出会いがもたらされる。その時にあらゆるものとの繋がりを深め、生きてあることを切実に感じるために必要なものこそ、”詩”なのだと思う。
このことはルイジ・ギッリのいっていた“世界にいるという感覚”とも、深く呼応するものかもしれない。

先のインタヴューのなかで、ボブ・ディランの歌はブリューゲルの絵画を見たときに感じた何かを思い出させると言っている。ボブ・ディランの歌は「世界にいる」という感覚を、この世にあるすべてのものへの驚きと感動を彼に思い出させるのだった。
「世界にいる」という感覚…… それはまるでなにかが日常の中で溢れ出すような発想、日常とはどんな神秘も追放されると信じられているとしても。…
「この感覚が、詩、絵、絵画、歌、写真に必要とされることすべてだと思います」。
(ルイジ・ギッリ『写真講義』より)

(ルイジ・ギッリと長田弘は生前におたがいを見知った関係ではおそらくなかったものの、ボブ・ディランについてくりかえし言及していた点、イタリアとアメリカの風景にそれぞれ惹かれていた点など、思いがけず重なるところがあり、興味深い)

風景のありかは、まず何よりも歩くことによってこそ見出される。これまで自分がさまざまな土地で過ごしてきたなかで、くりかえし歩いた道を思い出すと、なつかしい感覚や、ふとそこへ帰りたくなるような気持ちが呼び覚まされる。
家族とともに暮らした家や、幾度となく通った学校、大学生活で暮らしたアパートは、たしかになつかしい。けれどもそれらをふたたび訪ね歩くとき、その道中にある慣れ親しんだ通学路や散歩道、公園の片隅にもまた、故郷やふるさと、ホームと呼びたくなる何かがひそんでいるように感じられる。
たとえ足を踏み入れられず、ただ眺めるだけの場所であっても、 公共空間や誰かが所有する(所有していた)場所であったとしても、自分なりの愛着や深い親しみを抱くとき、ある意味でそこは帰ることのできるところ、“自分だけの居場所”のようになっていくのではないだろうか。

“根をもつことと翼をもつこと”のレッスンのなかで、ドン・ファンは“所有”ということについての認識を転回させていく。
彼の弟子であり若き人類学者であるカスタネダは、メキシコ北部の荒野のなかで、丘の頂上に自分の場所を持つことになる。ドン・ファンは次のようにいう。

「この丘はおまえの場所だ。この、おまえのまわりにあるものはみんな、おまえの保護のもとにあるんだ。おまえはここにあるすべてのものの世話をしなけりゃいかん、そうすれば、それがお返しにおまえの世話をしてくれるだろう。」
(真木悠介『気流の鳴る音ー交響するコミューン』より)

ここにあるのは土地を一方的に奪うような支配の仕方、あるいは外部に対して排他的に境界をひくような所有の仕方ではない。それぞれの存在へと互恵的にかかわっていくことをとおして、共に開かれていくようなかかわり方なのだと思う。それは大地それ自体への信頼と愛というものに、何よりも根ざしている。
自分がひとつの場所をもつとき、場所もまた自分をもつのだということ。このような視座に立ち、場所との関わりを見つめ直すことは、『気流の鳴る音』にもあるように、「所有の本源を問うことをとおして、日常的な所有の観念を解き放ってくれる」。
“自分だけの居場所”というのもまた、愛着や親しみをとおして、場所それ自体の主体性というものの発見や、それを信じさせることを可能にする。一方で“所有権”的な支配や排他性は、このような主体性を否定したり、ひどく限定的なものにするおそれがある(ただし排他性については、外部からくる脅威への防衛機能、すなわち“シェルター”や“安全基地”として居場所を保つための側面も考えられるため、さらに考察する必要がある)。

人間が世界を大切にすることがどれほど困難であるかは、これまでの歴史が無惨にも証明してしまっている。あらゆる破壊と根こぎが繰り返され、無数の声(それは人間だけではない)が文字通り”なかったこと”にされてきた。それは現代もなお続いており、世界のさまざまなものや場所、そしていのちがこうしている今もほろぼされようとしている。
このことは”風景のゆくえ(消失)”として、いずれエッセイでも向き合うことになるだろう。

だれかがそれを眺めていたいと感じるときに、世界ははじめて形を成す。道路を作るために侵入したり、破壊しようとするときにではない。
(ルイジ・ギッリ『写真講義』より)
世界はわたしたちのものではない。 あなたのものでもなければ、他の誰かのものでもない。
(長田弘『世界はうつくしいと』より)

世界は本来、誰にも所有できるものではない。それは風景もふるさとも同じはずだ。

このエッセイで試みたいのは、風景のうまれ(根源)とゆくえ(消失)を探ること、それが“全世界をふるさととすること”(ひいては根と翼を共にすること)へと至る可能性をたしかめることにある。
散歩をしているうちに、特定の場所への愛おしさを深めていくことが、“自分だけの居場所”や“帰ることのできる場所”をつくり、それがやがてふるさとのようになっていくのだとすれば。
こんなぼんやりとした発想が、今回の旅の発端となっている。

これから大分、新潟、静岡、東京、そして北海道と、自分が所縁ある土地をふたたび訪れ、歩いていくことになる。
歩きつつ、時おり写真を撮ったりするなかで去来するものを書きあらわしながら、体系化するのではなく、それこそ散歩するように綴っていけたらうれしい。その道中では、先に述べた長田弘とルイジ・ギッリが、少なからず助けとなってくれるように思う。

いかにして人は風景を見つけ(風景は人を見つけ)、それを自分の居場所とし、故郷の一部としてゆくのか。風景はどのようにして消え、忘却されていくのか。
風景のゆくえを見届けようとするのは、世界が無数の“忘れ去られたものたち”によってこそ存立していることを忘れないためである。このことを前提に、風景が再生するところ、あるいは風景が消えたあとでも語り継がれていくところを確かめることにこそ、ほかならぬ希望があるからだ。
今回の散歩がまっすぐな道を辿るにせよ、横道に逸れに逸れていくものだったとしても、その道のただなかに吹く風を、あざやかに感じてみたい。
辿々しいながらも、ゆっくり歩いてみようと思う。

熊谷 隼人 Hayato Kumagai
絵描き
1991年大分県生まれ、新潟県育ち。静岡文化芸術大学デザイン学部卒業。現在は北海道に在住。生命の根源や存在のはじまりを辿るようにして、絵を描きながら旅を続けている。
2016年、木や枯葉が鹿や鳥のように見えたことをきっかけにコラージュによる絵を描き始める。それ以来各地で個展を開催。2019年に高さ約3.6m、長さ約5.4mの巨きな絵“はじまりの灯”を制作する。2020年より北海道に移住。同年、haruka nakamuraとLUCAによるアルバム「世界」のアートワークを手がける。2023年より巨きな絵の巡回展「風の舟」を現在に至るまで開催中。最後は絵を燃やすことになっている。
https://hayatokumagai.com/
https://www.instagram.com/nukumedori/
0
この記事が気に入ったら
いいね!しよう