山梨県立美術館が主催する、美術館内とメタバースと呼ばれる仮想空間を舞台にした展示企画シリーズ「LABONCHI」の第2弾として、美術家・雨宮庸介による展示『まだ溶けていない方の山梨県美』が2024年2月27日~3月24日に開催された。雨宮は代表作の《溶けた林檎の彫刻》《1300年持ち歩かれた、なんでもない石》など、自身が手がける作品を通して、普段は起こりえない事象や状況を生み出すことで、鑑賞者の認識に変化を生み出すことを目指し制作を行っている。その手法は彫刻作品をはじめ、油彩画や映像、パフォーマンスなど多岐にわたる。本展にて雨宮は、自身が長らく追求してきたV(仮想)とR(現実)を拡張していくものとして、2点のリアル作品と、初のHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を使用したVR作品を展示した。
本展の締めくくりには、2日間にわたり、雨宮と共に作品を制作した方々が集う座談会「なにが溶けていて、なにが溶けていなかったのか?」を開催。本記事では、雨宮を中心に会場デザインやリアル展示の制作を担った建築コレクティブGROUP・井上岳と編集を担当したアート・アンプリファイアの吉田山、全体ディレクションのCOMPOUND inc.小田雄太による座談会2日目に繰り広げられた内容をお届けする。展示会が立ち上がる過程をはじめ、リアル展示とVR展示を繋ぐ概念、ひいては本展示の主題にあたる雨宮の眼差しの先にあるものについて。
Photo:Ryo Yoshiya
Text:Yoko Masuda
Edit:Moe Nishiyama
VR編はこちら
VR作品とは異なる経路で。この現実世界=「R(リアリティ)」を立ち上げる
小坂井(山梨県観光文化部):「LABONCHI」という展示企画シリーズの概要を少し説明をさせてください。本企画は、山梨県立美術館の主催事業です。企画の発端は、長崎幸太郎山梨県知事の「メタバースを活用できないか」という提案でした。その言葉の背景には、新型コロナウイルスの流行当時、当館の活動が停滞してしまったことがありました。文化活動を止めないための可能性を模索するなか、メタバースという仮想空間における展示活用に着目したのです。その後、社会は新型コロナウイルス流行以前の様子に、徐々に戻りつつあります。このような状況を踏まえて、通常開館を行っている今だからこそ可能な新たな作品展示の実践を重ねたいと考え、作家の雨宮さんをはじめとするみなさまにご協力いただいたという経緯がありました。それでは、ここからは司会をお願いしているCompound inc.小田さんにバトンをお渡しします。
小田雄太(以下、小田):まず本展は、山梨県立美術館エントランスの吹き抜けスペース「ギャラリーエコー」に展示してある2つのリアル作品と、1階ロビーで展開しているHMD(ヘッドマウントディスプレイ)で視聴するVR作品(デジタル映像作品)で構成されています。
この座談会は2日間にわたり開催しており、1日目は本展作家の雨宮庸介さんと、VR作品制作に携わってくださった、振付家・ダンサーの浅井信好さん、劇作家の石神夏希さんをお呼びしました。本日は雨宮さんと、アート・アンプリファイアの吉田山さん、建築家の井上岳さんにお越しいただいています。まずは、雨宮さん以外のメンバーの自己紹介を含め、各々がどのように作品に携わったのかを知っていただけたらと思います。
最初に僕から自己紹介を。多摩美術大学デザイン学科を卒業後、アート・ユニット「明和電機」のデザイナーを経て独立し、COMPOUND inc.を2011年に設立しました。現在はアートディレクターとして活動し、様々な領域においてディレクションやリードデザインで携わっています。
担当をしたプロジェクトをいくつかご紹介します。2004年にNTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で行われた明和電気『ナンセンス・マシーンズ』展では、グラフィックデザインを担当。近年は、山梨県・富士吉田市で行われる繊維産業をテーマにした芸術祭「FUJI TEXTILE WEEK」のVIデザインとアートディレクションや、一般社団法人Whole Universeによる未来の「死」を問う展覧会『END展 死×テクノロジー×未来=?』のアートディレクションを担当。また文化庁のメディア芸術広報事業の一貫でメディア芸術を知る・楽しむ・考えるための情報サイト「MACC (Media Art Current Contents)」のメディア設計、クリエイティブディレクションを担っています。山梨県立美術館メタバースプロジェクト『LABONCHI』では、第1回目のたかくらかずきさん展覧会も全体ディレクションを担当しました。
変わり種のプロジェクトだと、今では多くの方に知られている経済ニュースメディア「NewsPicks」を立ち上げ、そのリードデザイン、UIディレクション、CIデザイン、メディア設計を担当していました。また2015〜2019年の8期にわたりCOMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)のブランド「noir kei ninomiya」にてデザインワークを行うなど、デザインを軸にしながら、多岐にわたるプロジェクトに携わっています。
井上岳(以下、井上):井上です。建築コレクティブ「GROUP」の共同主宰で、建築設計の仕事をしています。「手入れ」の概念をキーワードにして制作を行ってきました。作品をいくつかご紹介します。
2021年に設計をした「海老名芸術高速」は平成元年に建てられた長屋のアパートを改修したプロジェクトです。これまで住んでいた人の記録を撮影し、それらをコラージュしながらかたちを決めて設計していきました。
「新宿ホワイトハウスの庭」は、建築家・磯崎新氏の処女作でもあり前衛芸術グループ「ネオ・ダダ(ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ)」のリーダー吉村益信氏の住居であった「新宿ホワイトハウス」の改修を行うプロジェクトでした。1957年、新宿百人町に磯崎の設計図に基づいて、吉村が自力で建築した住居兼アトリエなのですが、以来、若手アーティストによる溜まり場になり、赤瀬川原平、篠原有司男らとともに、ネオ・ダダのスタジオとして活用されていました。その後色々な変遷を経て、2021年からアートコレクティブ「Chim↑Pom」が300人限定パスポート制の新たなアートスペースとして活用。現在は「WHITEHOUSE(ホワイトハウス)」というギャラリースペースになっています。一般的な改修は既存の建築の構造に頼りながら付け加えることが多いのですが、この改修では構造的に頼るものがなかったので、その構造を強化する、または独立した構造を加える改修となりました。このスペースでは、GROUPも展覧会「手入れ/Pepair展」(2021年)を企画・開催しました。腐っていた床の土台を磨き直す改修過程を公開し、そこに新宿の歴史を戯曲として織り込んだ展示でした。
アーティストの方とコラボレーションし、展示の会場構成を一緒につくることも多いです。「ATAMI ART GRANT 2023」に出展されていた作家・百瀬文さんの作品《Melting Point》では、遠く離れた場所に居て検温装置を装着した百瀬さんの現在の体温の白湯を飲むことができるというインスタレーションの空間構成を担当しました。
また2025年に行われる大阪万博では会場内のトイレの設計を担当しています。大阪万博の舞台となる夢洲(ゆめしま)は1970年代に廃棄物の最終処分場として埋め立てが始まり、1990年代に埋め立て、開発が中断するのですが、そこにはその埋立地特有の希少な植物や鳥類の生態系ができていました。にもかかわらず、その生態系があるエリアを今回の万博で会場にするために更地にしてしまうんです。それならばと考え、僕らが提案したのは、万博期間中にそこにすんでいた植物や鳥類がアーカイブされ、人は入れない空間があるトイレです。以上、かいつまんでになりましたが、今までの活動の説明です。
吉田山:アート・アンプリファイア(増幅機)という肩書きで活動をしている吉田山です。普段は主に作家さんの作品を、一つの文脈やテーマでまとめ展覧会のかたちにする、キュレーションを行うほか、自身も作家として作品制作を行っています。
2023年、渋谷駅から半径約1kmの市街地を舞台に行われた、「AUGMENTED SITUATION D」ではキュレーションを担当。参加作家のみならず、作品を観るためには鑑賞者も全員が必ずARやVRなどのXR(クロスリアリティ)の技術を使わなくてはならない市街地型のメタな芸術祭を構想してつくりました。この展覧会にはGROUPさんにも共同キュレーションで参加いただいたのですが、作家としてもが渋谷駅周辺に張り巡らされた水の流れに着目し、その水の流れや音をたどると別の作品にたどり着くことができる、矢印の機能を兼ねた作品を出展してもらいました。ほかにもアニメーター・米澤柊さんのアニメーション作品が渋谷のスクランブル交差点で展開されるなど、全9作家が渋谷駅周辺で作品を展開しました。
作家としては沖縄北部で行われた「やんばるアートフェスティバル」に、アートワーク《MALOU A-F Ver.2024》を制作、出展しました。『MALOU』は2021年、3331 Arts Chiyodaの屋上を舞台に行われた野外展覧会「のけもの」の記録写真やレビューテキストを元に制作されたアーカイブ書籍型のアートプロジェクト。記録集なのですが、展覧会のフランチャイズ開催権についての契約書、ブロックチェーンの作品証明書が備わっており、アーカイブ書籍でありながら一点物の美術作品であり、展覧会開催権を巡る未来性のあるアートプロジェクトとして30部限定で出版しました。カバーには展覧会場で使用した屋根の素材を使用し、会場で風雨に見舞われた屋根の傷や水垢など台風前夜の気候もデザインに踏襲、すべての表紙を集めて並べると一つの大きな写真になります。
横浜トリエンナーレの関連企画として開催されている企画展BankART Life7「UrbanNesting:再び都市に棲む」では《都市GENEの抽出・反転・流通》という作品を出展しています。これは世界の様々な都市に、GENE(遺伝子)があるとするならば、それはどのように抽出できるのか?という問いをもとに、目的の場所に向かうための地図ではなく、都市の地盤となる地層とその歴史に着目した地図を制作しました。本作品がフォーカスするのは、都市を探索/観察する非合理的な個人の視点です。目的地に向かうための「移動」や「計画」をするための地図ではなく、都市に潜む地層史に着目し、都市を「眺める」地図として木版による手刷り印刷によって印刷地であるBankART Stationで1枚ごと出版しています。地図には侵略や開発のために単純化された境界線や重要拠点の位置は記されず、地面、水面などの面が版木として掘り出され、印刷する際に反転することで(今まで目に見えていなかった)ネガティブ都市が表出する仕組みとなっています。印刷後は全国の書店などに流通させることを試みています。このようにキュレーションをするだけではなく、自分自身で身体を動かし制作していくことも積極的に行い多岐にわたる横断的な活動をしながら、「アート・アンプリファイア(増幅器)」について考えています。
小田:『まだ溶けていない方の山梨県美』には、色々な方が関わってくれているんですよね。とくに展示会の成立に至る過程を振り返ると、VR作品の制作後にリアル展示のインスタレーション作品の制作が始まり、多分にVR作品との関連性があると考えています。その関連性なども踏まえて、作品成立の背景とプロセスを解き明かしていけたらと思います。
雨宮庸介(以下、雨宮):今回の展示制作の過程では、たしかにVR作品に軸足を置いていましたが、それは僕自身がVRテクノロジー関係の専門家ではないからという理由が大きいです。VR技術周辺の構造や法則を知りながら組み立てるという点においてとても時間がかかりました。一方でR作品であるインスタレーションについては、とても短い時間にプロセスを圧縮して制作しました。
今回、リアル作品の制作にあたって吉田山さんにはかなり早い段階から参加していただいていますが、まず最初肩書きを見たとき、あらためてアート・アンプリファイアってなんだ?(笑)と思いました。「アンプリファイア」(英: amplifier、アンプと同義)とは増幅器という意味ですが、アートを増幅するという職業はこれまでにありませんでしたよね。役所とかで職業を書くときに困ったりしませんか?
吉田山:特に書く場面がないので困ることはあまりないですね……。公的な書類などで書く必要があるときはサービス業などを選んでいます(笑)。
雨宮:吉田山さんは、若いアーティストたちからとても信頼されている人だと以前から存じ上げていましたが、実際に一緒に仕事をしたのは去年。リクルートが37年ぶりに新しいギャラリースペースとして立ち上げたアートセンター・BUGで、そのこけら落としとして開催された展覧会でお声がけしました。しかし展覧会準備当初、BUGの都合上「キュレーター」という役割の人を配置することができず、「衣装」という名目でキュレーターの役割をお願いしました(笑)。展示において「美術家が作品を作れば展覧会なんて作れるじゃん」と思われていることがよくあるのですが、作家よりも展覧会のことを深く考慮し、理解して観客に対して愛を発揮すべき人がキュレーターなので、そういう人がいないと美術家は実力以上の作品を作ることができないことがあります。たいてい美術家が実力以上のことにチャレンジしたり展開しないと展覧会ってものは面白くならないのでキュレーターはとても大事な役割です。ですので今回吉田山さんには小田さん経由でお願いをしましたね。
小田:今回は雨宮さんと話をしながら関わる人が多くなりそうだなと思い、かなり早い段階で吉田山さんにサポートの相談をしました。
吉田山:今回は主にチラシのテキスト整理やワークショップの方々へのメール文面作成、必要な方への声かけなどを行いました。
雨宮:「編集」という役割を通じて、展覧会全体設計を視野に入れる難しい役割、まさに「アンプリファイア」というフレキシビリティのある役割の人だからこそなしえることだと思います。
GROUPさんの作品はもちろん知っていて、一緒になにかできたらと以前から思っていましたが、井上さんとは今回が初めてお仕事させていただきました。会場の構成はどうしましょうかという話が挙がったとき、吉田山さんが井上さんに声をかけてくれたんです。偶然ですが、井上さんは僕が2年前から住んでいる山梨県の市川三郷町のご出身ということでたまたまドメスティックな繋がりがあったのです。地元繋がりだけあって、井上さんが連れてきてくれた電気職人さんは、2年前に僕の家のリノベーションで電気配線をしてくれた人でした(笑)。
今回の2つのリアル作品《まだ落ちていない天吊り照明》と《溶けたりんご》が並ぶギャラリーエコーは、作家としては実はとても展示をしにくい場所なんです。1978年に前川國男が建築設計を手掛けた山梨県美は、当時の潤沢な資金のおかげで、きらびやかな金色の照明などが吊り下げられている。その結果、下のギャラリースペースになかなか目が向かないわけです。チケット売り場でチケットを買い、ギャラリーエコーに目線を向けると、天井方向に目が滑っていってしまって、なにを飾っても「負け戦」になりがちな、展示には難しい場所です。元々その場所には、ブールデルの彫刻作品《ケンタウルス》が常設されていたのですが、そのくらいタテに長くて重量感があるものがちょうどいいんです。そこであらためてこのスペースに見合うものをと考えたときリアル展示ではこの場所にすでに存在するものを使うしかないかなと。元々存在するものを使い、VR作品とは異なる経路でこの現実の世界について語るほうが良いのではと。そのあたりのタイミングで、吉田山さんが井上さんをアサインしてくれました。
小田:元々吉田山さんと井上さんは、よくお仕事を一緒にしていたんですよね。
吉田山:2020年、2021年ごろに新宿の歌舞伎町にある「デカメロン」という飲み屋も兼ねたアートスペースで初めてお会いして、僕が企画をした野外展覧会「のけもの」展の空間デザインをお願いしたのが2021年。以来、この2~3年で4、5回ほど一緒に仕事をしていると思います。今回も時間もなく挑戦的なプロジェクトでしたが、井上さんなら大丈夫だろうと思い相談しました。熱海の芸術祭「ATAMI ART GRANT」は僕も共同ディレクターをしているのですが、百瀬文さんの作品は僕が井上さんを呼んだのではなく、百瀬さんがGROUPさんにお声がけしたかたち。始まってみたら、あれまたいると(笑)。
井上:そうですね。これは吉田山さんからの相談ではなく、百瀬さんから空間構成の相談に乗ってほしいとお話しがあり、お受けしたら吉田山さんの関わられている企画だと(笑)。
小田:僕は井上さんとご一緒するのは初めてでしたが、とにかく信頼できる人だと吉田山さんから聞いていました。今回も含めて、井上さんは吉田山さんと仕事をするときは、どういう心がけや感覚でやり取りしてるんでしょうか。
井上:今回の展示はVR作品が先行していて、リアル展示において具体的になにを作るかが決まったのは、展示開始の2週間前くらいでしたが、吉田山さんとの仕事は、相談しやすいので安心感がありますね。結果的にそういうコミュニケーションがアウトプットに繋がってくるのだと思います。
現実と現実ではないもののあいだで、いまここにある目の前の「世界」に引き戻す
吉田山:展示作品の制作に際し、当初はプランが3つありました。どうしましょうかと雨宮さんと井上さんと僕で話を進めて、結果として3つのなかで一番険しくソリッドな、到達できないかもしれないプランに決まりました。つまりこれが一番面白いんじゃないかと思ったものがまさに展示されてるんです。それが井上さんによってすごい短納期で作られたんですよね。
雨宮:最初は僕がもってきたアイデアが3つあったわけですが、そのアイデアも頭のなかにしかない。しかも一言ぐらい。今回のは「ライトが落ちてきた」ぐらいの。他の2つは、「美術館のバックヤードに保存してあるアクリルボックスなどの什器をめちゃくちゃ出してくる」と、「シャープなデザインの机でドローイングなどを見せる」。
小田:3案が出たところで吉田山さんと井上さんのあいだではどういうやり取りがあったんですか?
吉田山:やりとりした内容は少ないように見えますが、我々はDiscordのスレッドに投稿し続けられている雨宮さんのたくさんのアイデアを見て、雨宮さんが考えている大事なことを僕らも想像していました。その上で今回の展覧会ではなにを一番突き抜けさせるか検証していました。絶対安心プランみたいなものと超危険登山コースみたいなものが並んでるなかで、行けるならやっぱり難易度が高い方ですよねという話は井上さんとしてましたね。
小田:結果、「ライトが落ちてきた」という超危険登山コースを選んだわけですね。
吉田山:本当に超危険登山コースです。でもこれが決まったら雨宮さんがギャラリーエコーの展示で優勝するんじゃないか、やっぱり一緒に仕事するならそこまで行きたいですねと。井上さんとともにそういう気持ちで取り組んでいました。
井上:こんなにヒヤヒヤすることはなかなかないですね。今回は間に合わないかもと思いました(笑)。つくってみていつも思うのですが、僕の仕事はどこまで現実をトレースするかを決めるところなんだろうなと。細部まできっちりトレースしようと思うと、あの吊り下げ照明にある細かい凹凸なども反映していくわけです。それらをどこまでなぞっていくのか、納期や価格などを含めて総合的に考えて決める。それによって間に合うか間に合わないかも決まるし、見た目やクオリティも決まってくる。改めてゾクゾクしますね。
雨宮:展示を見てくれた人から嬉しい感想をもらったんです。おそらく(山梨県美を設計した)前川國男さんはこの建築のなかにブールデルを置いて、もうこれ以上はないとしたはずですが、新しい彫刻をもってこなくてもあそこにすでに存在する要素だけで、結構いけますよと前川國男さんに見せてあげたい、と言ってくれた人がいました。
雨宮:よく聞かれるので《まだ落ちていないほうの吊り下げ照明》の説明をしておくと、落ちている照明は今回のために1から作ったものなんです。元々天井から吊り下がっている照明と、かたちはもちろん製法などもかなり近いものにしています。
小田:照明が落ちてしまったわけじゃないんですよね。落ちた照明を作ったと。
雨宮:タイトルは《まだ落ちていないほうの吊り下げ照明》としました。元々の照明には名前がついていない。今回展示の作品はどれも同じ考えなんですが、最終的には「この世界の話」に強く結びついているんです。ここでいう世界とは、世界情勢などを指す「世界」ではなく、いまここにある目の前の「世界」のこと。この話をするととても謙虚な人っぽく思われるんですが……へりくだっているわけではないのです。最後に照明があたるのは、僕の作品でなくてもいい。最終的にこの世界に照明が当たるようになった、という「僕の手腕」に照明が当たってくれたら良いかなぐらいの感じです。あったとしてもそういう自己顕示欲のあり方ですかね。なぜそう思うのかというと、シンプルに僕はこの世界がとても面白くて、とても恐ろしいと思っているからです。わからないことばかりだし、知ったら面白いこと、恐ろしいことばかり。だから作品を通してこの世界を再確認とか再発見できるように仕向けたい。それは単にびっくりするだけではなく、興味が爆上がりするようなことも含めてです。この世界の面白さにアートの力を使ってたどり着くその手さばきができるだけ鮮やかであるようにと心がけています。
一番大変なのは、溶けたりんごにも共通しますが、一旦現実にグッと引き寄せるところ。それはリアル作品もVR作品もどちらも同様にです。その点を適当にしてしまうとこの世界に引き込む力が弱まってしまう。現実のものって思っているより複雑でややこしい要件でできていますよね。先ほど井上さんがおっしゃっていたように、建築をやる人は、法律や安全性も含めてどこまでもトレースできてしまうんですよね。非常に細かいレベルの解像度まで高めることができる。その面倒くささと付き合って、一方でどうやって離れていくのか。現実と現実ではないもののあいだの領地、その面積のデザインみたいなことを井上さんもしていると思うんです。最初にどこまでグッと現実に寄せるかという点は、最低限の入口でもあり、ハイライトでもありますよね。
雨宮:照明もりんごも静的なものなのに、落ちた・溶けた過去がとてもリアルに想像できて動的なように思えるのは、ある一定の長さのある映像を彫刻の表面に固着させて作っているからです。例えば、りんごは「隣にある果物の林檎をコピーする」という態度では作れないのです。隣に果物を置いて表面の画像を真似して描いていると、当たり前なんですがどんどん腐る方向に変化していきます。一見目に見えないようですが、常温では果物も色がどんどん沈んでいくのです。でも固定した彫刻にはみずみずしさが乗っていた方が現実感が出ますよね。ではどうするかというと、頭のなかではっきりと果物のリンゴがどうやって手元にきたかを映像化させるんです。りんごの花が咲き、実がなって、どういう環境で育ったのか。時間の経過を想像する。そして今だという瞬間にその映像を一時停止させる。りんごが育ってきたシークエンスそのものを彫刻の表面に反映しているわけです。ある流れの中のひとつの状態をたまたま一時停止したものを、現実に投げ入れることは、りんごをはじめ数々の作品で実践してきたことだと思います。
想像を現実にする道筋で。具体と抽象、残すもの削るものの決断
雨宮:これは後から井上さんに聞いた話なんですが、そもそも9日間しかないなかで「これできますか」と僕が井上さんに聞いたとき、井上さんは発注を出した先からは「できない」という返事を受け取っていたそうなんです。にもかかわらず、僕への井上さんの回答は「できます」だった。だから僕は「できない」と言われていることを知らなかったんです。できる可能性が残った「できない」だったので、僕らには「できる」と言い、ひと押しして実現させた。これも僕はハイライトだなと。
井上:最初は「できる」と言われていたんですが、途中で「やっぱりできません」と言われて。それを皆さんに共有するかどうか迷ったんですが、共有して不安にさせるのもよくないなと思い、それは僕のところで止めておいて。結局やりとりをしてたら「できる」となったので、そのまま続けたんです。
雨宮:裏側にピンチがあったんですよね。
小田:井上さんと初めて会った翌々日くらいに、井上さんからすごく焦った感じの電話があって。「こうこう、こういうことをやろうと思うんです!」と。2回目に話したのがそのテンションの電話だったので、こういうキャラの人なのかなと。面白い人だなと思っていました(笑)。
井上:あの日に小田さんに電話をしたときは、(制作スケジュール的に発注をしないと会期に間に合わないかもしれない)本当にギリギリ間に合うか間に合わないかの瀬戸際にいたんです。ですが小田さんとの少し前の会話で、今回実現した案はもしかしたらペンディングするかもしれない可能性が残っていたんですよね。でも納期的にはペンディングの方向に進んでしまうと絶対に間に合わないと。その焦りがあったので、ここだけはちゃんとクリアにしておこうと思い、電話しました(笑)。
小田:あの照明はどのようなプロセスで作られたんですか。
井上:まず正確なサイズを把握するために、山梨県美の小坂井さんと一緒に測量しました。それと同時に、金属の加工をする職人さんとメッキ加工をする職人さんと電気の配線をする職人さんの3者と、どういう連携で誰がどこに運べばこの時間までにつくれるかをそれぞれ話し合って決定していきました。
小田:あの照明自体は、取り外して見たり、図面を参考にしたりしたわけではなく、吊り下がったままの状態で脚立を使い上にのぼり採寸したわけですよね。だから先ほど言っていた、照明そのものを再現するわけではなく、測って、抽象的なものを具体的な形に落とし込む。どうやってその抽象度を決めたのかなと。抽象的なものを形にする上で大事なことは?
井上:雨宮さんと話をしながら決めていきました。今回の場合は時間との勝負で、それによって抽象性が決まっていくというプロセスでした。普段の設計も、さまざまな条件でほとんどのことが決まっていきますね。一方で、設計には、このほとんど決まってしまい進んでしまうことをなんとか引き止めることもできると思っています。
雨宮:VR作品もそうなんですが今回の展覧会は僕の名前が表向きのタイトルにも出ていますが、クリエイションを一緒にした人も、VRに登場した人も、ありがたいことにいつもは名前をだして受注者として制作をしている人たちなんですよ。この企画を僕が考えた場合はこれ、井上さんが考えた場合はこれ、ダンサーの皆さんが考えたらこれ、吉田山さんが考えたらこれと、各々がすっかり一人で考えられる実力も経験もある。そういう方と集まって作れたのはとても楽しかったです。僕はちょっと緊張しましたけどね。
ギャラリーエコーの作品でいうと、最初は僕がもってきたアイデアが3つあったわけですが、そこで「ライトが落ちてきた」でいこうとなったわけです。実はその時点では、吊り下げ照明の上部についている十字のパーツには触れていなかったんですが、できあがったものが届いた時には十字がついていて驚きました。十字部分がないと吊り下げ照明には見えないことに加えて、落ちたように見えなかったと思うんですよ。横に倒したとき、高さを出すためにも必要でした。これは井上さんがこういう作品を作るなら自分だったらこうすると、僕に許可を取らずに自分で考えてくれた(笑)。
井上:十字のパーツは位置の関係で直接測れなかったので、目測で計測して制作したのですが、もしかしたら必要かなと思ったんです(笑)。照明も含め、作品の配置自体は雨宮さんが決定しています。
雨宮:それにしても今回のやりとりは高速キャッチボールでしたよね。最初に会ったときにすでに時間がなかったのでその場で僕がスケッチを描いて、井上さんがそれを写真撮り、すぐにそれが図面になって。配置も当初の想定から思いっきりプランが変わっているんですよね。時間がなかったので、会期が近づくほどどんどん焦るじゃないですか。でも同時に事前に設計図を見るよりも、開催が近づき実際に作品の現物が会場に入ることで解像度が上がり、見えてくるものが変わります。
当初は落ちた照明と溶けたリンゴ以外にも、VR映像の中に出てくるクマのぬいぐるみや灯籠の後ろから出てくるペラペラのふざけたベニア、チラシに使ったドローイングなども展示したいと思っていました。クマのぬいぐるみも20年前くらいの彫刻作品なのですが、本物に作品として見応えあって良いんですよ。元々落ちた照明がそれらを照らすような展示にしようと考えていました。
ところが会期3日前にいざ照明ができあがってみると、思っていたものと良い意味で全く違い、照明自体が持っている力、存在感に加え、照明が想像以上に重かった。それを見て、他に出したいもの、出せるものはたくさんあったのですが、それらは諦めて引き算していくことに決めました。本当は溶けたりんごもなくそうかと思ったのですが、そうなるとタイトルの「まだ溶けていない方の山梨県美」の意味が迷宮入りしすぎるだろうと思い、りんごは鑑賞者の目線に近い一段下がったところに置くことに。りんごが下がったことにより、照明の位置もずらして階段側まで下げていきました。
井上:その判断がすごく面白いなと思いながら少し離れた所からみていました。まず途中でりんごを集めて並べてみる。すると判断がなされ、その後りんごを1段ずつ階段から下ろしていく。結果として、階段上からギャラリーエコーという場所を捉えると良い空間の使い方だなと。僕が認識していたその時の自分の役割は、雨宮さんがしたい空間構成が、どうしたら物理的に実現可能なのか、そして、雨宮さんと職人さんたちのあいだに入り、そこのやり取りを滑らかにしていくこととを考えながら動いていました。
小田:最初の金の筒になっていたんじゃなくて、内側とか最初色違ったりしてましたよね。
井上:そうなんです。メッキ加工って、普通メッキの液体のなかにぼちゃっとつけるので、内側もメッキ加工されていると思ったんですが、納品された段階ではされていなかったんです。当日納品させていただいた当日に内側をスプレー塗装もしています。全然違和感ない仕上がりになっていると思います。
雨宮:ちなみに期間が短かったと何度も口にしていますが、恨みで言っているんじゃないんです(笑)。普段僕は2年前から話があっても、結局ギリギリにやるんです。今回は依頼を受けた時点から短いので、企画のせいでギリギリなってしまったっていう態度でいられるのが嬉しくてついつい何度も言ってしまっています。それにしても本当に時間がなかったので、もう最後は質のいい短いブレインストーミングを繰り返すしかなく。今回もブレーンストーミングという役割で画家の鹿野震一郎さんに入ってもらって。現場では鹿野さんと吉田山さんと井上さんと僕と電気屋さんという組み合わせで闊達に議論しながらすすめました。電気屋さんにとっては何の話なのかわけがわからなかっただろうと。
井上:電気屋さん楽しそうにしてくれていましたね。
雨宮:その日のやりとりもすごく面白かったですね。記録を取っておきたかったくらい。こんなに速くものごとって決められるんだなぁと。
小田:たしかにどんどんレイアウトが変わっていきましたね。最初はもっとすごくたくさん要素があったんですが、減っていき、減るだけじゃなくてレイアウトも変わっていく。半日ぐらいの作業で展示内容が大きく変わっていった。クマはギリギリまでありましたよね。
雨宮:最後までありました。タイムラプスみたいなものであの場所を撮影していたら、きっと面白かったと思いますね。クマに未練があるので窓際に置いてみたり階段に座らせてみたり、クマが移動していく。最終的にはいなくなるんですが。最初に書いた絵のなかでは、照明が床に落ちてバラバラになってるっぽかったんですが、配置してみると意外とそうは見えなくて。まず落ちてるように見えるとか、ガラスが割れてもちゃんと整ったように見える地点にいくのが結構難しかったですね。
実はあの状態を想像して発注しているのに、実際に展示物が来るまで会期中はあの場所が立ち入り禁止になるという想像がついていなかったんです。展示物のあいだをみんなが見て回れるという設計で話を進めていて。ものが届いて並べてみて、その時点ではじめて「あれ?ここに人って入れなくない?」と気づきました。ガラスの破片もありますし、これは絶対入っちゃ駄目だよと(笑)。みなさんは気がついていましたか?
井上:気がついてはいませんでしたね(笑)。オペレーション次第かなと思っていました。人数を制限するとかそういう感じにするのかなと。
小田:結果的に柵も意図的に作品に取り込むっていうことで、柵の種類も選びましたよね。
雨宮:そうなんです。一番最初に決まったのは柵でしたね。山梨県美のバックヤードで真鍮の柵を選んだんですが、バックヤードにあるものだと個数が足りなくて。揃えるために向かいの山梨県立文学館から借りてきました。
VR作品とリアル作品を繋ぐ。ありえたかもしれないもう一つの世界
小田:今回VR作品を先に作り、それがほぼ仕上がった状態で、リアル展示の方に入っていたと思うんですが、雨宮さんのなかではどういう風にVR作品とリアル空間と繋げていこうとしたんですか?
雨宮:リアル展示の作品は結構安心してたんですよ。
小田:すごく安心してましたよね。僕は立場的に安心できておらず、ドキドキしてました(笑)。
雨宮:リアル展示はもう25年ぐらいやってるので。昔はもっとひどい状況で、予算も時間もないみたいななかでも当たり前に制作をしてきたので。しかも今回は強力な仲間が何人もいて何とかならないわけがない。でも、VR映像のほうがアルゴリズムがわからなかったのでVR作品にかかりきりでした。でも制作しているあいだに、結局リアル作品もVR映像も同じことやってるんだよなと思ったわけです。冒頭でも触れましたが、一度は現実だと認識できる地平までは無理矢理にでもグッと引き寄せて。そこからどうするかという話は、結構VR作品もリアル作品も同じだって思えたのが分水嶺だったと思います。それ以降の話では実際に落ちている照明の作品も、タイトルを変えたんです。最初のタイトル忘れてしまいましたが、結果《まだ落ちてない方の吊り下げ照明》に。全体のタイトル「まだ溶けていない方の山梨県美」と同じです。要するにこれは何も言っていないんですよ。「この世界そのものについての話ですよ」とだけしか言っていないわけです。溶ける前の状態が継続しているこの状態は一生変わらない。
僕はアートで過去完了を起動させようと思っているんです。ステートメントにも書いていて、少し前にまとめて読ませていただいた松井勝正さんの文章の一部を引用しています。コロンブスが新大陸発見したと知らないまま発見していたこと、マルセル・デュシャンの《泉》はすでに存在する便器を、置き方と在り方を変えることで作品になったこと、モナ・リザにひげを描くことによってモナ・リザは「まだ髭が描かれていない」事実が成立することなど、そういう「未然の過去完了」が美術において実はすごく大事になっているという話が書かれていて。そこにいいヒントがあり「まだ溶けていない山梨県美」は生まれました。アートを通して、何もないこの世界にもう一度目を向けることについて、本当に真剣に考えています。
僕はアートで多様性みたいなことを扱おうと心から思っているんです。ところが実行力という文脈において政治は多様性と真逆です。一人ひとり全員が違う多様な意見を言っていると、実行力を持てないので、社会実装するために分母を減らすわけです。国民全員が「僕にとって国の代表はこんな感じの人だ」と全員別々なことを言ったら、総理大臣や大統領は決まらない。2人、せいぜい5人と、実行力を担保するために「多様性を一時的に便宜上減らす」わけです。世界にさまざまな考え方をする人がいるなかで、分母を2とか5とかにしてそこから1人を決めるというのは本来とても暴力的なことなはずなんです。一方でそれによってちゃんと実行力を得て社会を良くしようとするのが政治というわけです。例えば連帯するか否かという分母が2の話において、どうして政治的に連帯できないんだって言うんですけど、それは原理的に当然です。だって政治とは分母を減らすものなので。ドイツの政治学者カール・シュミットが言う政治の概念が残念ながらいまだ有効であるようにみえるこの世界を見渡すと、少なからず「多様」の反意である「分母を減らす」ことが政治であるわけです。要するに政治における重要なミッションは、誰が友で誰が敵かを決断し、共同体にとっての最善であろうことを推進することです。最初に戻ると僕にとって「真に多様性=分母を減らさない社会をどうやって実現していくか」が感心事で、それを政治の力を使わずにどうやって多くの人に着地させるかということを本気で考えています。
一見すると僕のやっていることや語っていることは、世界の危機に関係ないように見られますが、なんでもないように見える日常の、この世界をちゃんとまなざすことが人を豊かにしたり、時として人を殺したりすると思っているんですよ。そうでなければ戦争や虐殺じゃないと人は死なないはず。でもやっぱり平和な晴れた日にだって、むしろそんな日こそ人は死ぬんですよ。そうじゃなかったら戦場でもない日本で自死する人とかは居ないってことになる。本当にいつも「ここ」はある意味で平坦な戦場だって、本当にそう思ってるのです。
身体的な繋がりを起点に。美術に敬意をもってアートの文脈でメタバースを使うこと
小田:そろそろ質問を受け付けたいと思いますが、VRの実装にあたりエンジニアリングを担当いただいた飯田さんがいらっしゃっているので、一言ご紹介をお願いします。
雨宮:飯田さんはドーム型映像のスペシャリストです。全天球カメラでダンサーを撮ることを先行してなされているので、今回誰よりも専門家でした。全天球カメラって特に今回使用したモデルは、時限爆弾みたいなかたちをしていてそこからアンテナが立っているんですよ。このカメラはバックヤードがないので、ボタンを押して、サッと離れて撮影する。まさに時限爆弾を設置しているようでしたね。
それにしても、今回のVR作品は隠れる場所がないなかで一発撮り。本当に緊張しましたよね。
小田:今回はリアル展示もVR作品もともに、かなり即興性の高い作品でしたね。
雨宮:それはそういう時間しか与えられていなかったからとも言えますね(笑)。
質問者A:VR映像のなかで雨宮さんが喋っているたくさんのセリフは、即興の部分もあるのか用意してあるのか、どちらかなと。
雨宮:完全に準備している部分と完全に覚えてる部分、言うことだけを決めている部分があります。僕は喋るのが好きなので、隙があれば1人でずっと喋りたいんですが、尺が決まっているので長くなってはいけない。暗記力は年齢とともに下がっているので、例えば「手は上流にある」と話していたアマゾン川のピダハンの話は、こういう話をしようということしか決めていません。時間を計っておかないといけないので、一応台本を書いていますが、いま見たら話したことと台本は一文字も合っていないと思います。加えて、宮城県石巻市が舞台の「Reborn-Art Festival」で過去に制作した作品のピースを組み合わせている部分もあるんです。「標識に交差する手すりと百日紅のうすべに、カレンダーの祝日のマゼンダ、用水路のコンクリートのライトグレー」などはずっと暗記しています。
実はこれは面白い質問で、同じように並んだテキストを読み上げてるように見えながら、実はそこには複数のアプローチが潜んでいる。そういう偶然みたいなことや、偶然が定着して必然になっていること、間違えて起きた奇跡のようなこと。それらが重なり全体が成立しているんです。どれもが同じくコントロールされた偶然なんですが、アプローチは多岐にわたっているんです。一つだけお伝えしておくと、VR映像の最後に登場する風船だけは完全にコントロールしている必然です。風船のシーンは思い通りなんです。
質問者B:作品をとても興味深く拝見させていただきました。先ほどタイトルの話がありましたが、「まだ解けていない方の山梨県美」というタイトルがとても秀逸だなと思っています。今回のVR作品は、いわゆる仮想現実というより、どちらかというと現実を変えてしまう代替現実と言われるような、現実の方を現実そっくりにすり替えてしまうという体験の方法だったなと思っていて。先ほどおっしゃっていたHMDを外した時にもう一度世界が立ち上がるという話はとても印象深かったなと思いました。それは、実は代替された仮想世界の方にアクセスするんだけど、つまり可能性の一つとしてそういう世界を作るんだけど、HMDを外し実はまだこれから何か起こるかもしれない現実の方が大きな世界かもしれないということに気づかせてくれる。その仕組みが非常に秀逸かつタイトルとすごく結びついてとても関心しました。
一方でリアル展示の方は、まさにその何かあるかもしれない現実の方を現実空間で歪めるという点においては、もしかして照明が落ちてしまったのかもしれないという現実の方に引き寄せる力がすごく強いと思っていて。現実がメタバースになってしまっているような。あわせて言えばVRの方はあくまでも現実をメタバースとして体験するのに対して、リアル展示の方は現実世界の方にメタバースを作っている。そういう対比関係もよくわかってとてもいい展示だったなと思いました。
質問ですが、HMDを外した時に起こる何もない世界で何か起こるかもしれないということと、リアル展示で何かが起こったかもしれないことを偽装する展示とのあいだに、どういう制作意図でその2つのリアルの展示とVRの展示を考えられたのかを改めてお聞きしたいなと思っています。
雨宮:ありがとうございます。VRの後にリアル展示を作ったこともあり、明らかに展覧会制作進行の軸足はVRにありました。リアル展示を先に作っていたら、また違うものになったと思うんです。今思うと、リアル展示をあの状態でVR映像化して、映像内でインスタレーション作品自体を撤去するというところまでを収録し、リアル展示では撤去された後、つまり何もない状態が展示として公開されている、というかたちにしても成立すると思うんです。ただそこまで斬新なものよりも、ものを見せちゃった方がいいなと。例えば溶けたりんごの彫刻も、上のフロアに展示されているミレーの絵を観に行く人の目に入る。あと、実はあの照明作品は上から見た方が結構しっくりくるんですよ。だから、ミレーを見て、落ちた照明をみて、りんごを見て、VRをみてくれるみたいなルートが期待できたのでそうしましたが、ソリッドに削ぎ落とした作品として勝負をするという方向性だけだったらりんごの彫刻は撤去していたかもしれません。いわゆるコンテンポラリーアートでは引き算はお手のものなんです。引いていってあの柵だけが置いてあるというVR作品もおそらくできるんです。
はじめに戻ってお話をすると、最初に小田さんから展示の依頼を受けたときに、メタバース事業だと言われて、困ったなと思ったんです。でもメタバースってなんですかと聞いたら、小田さんがすごく言いづらそうに、「メタバースについては、明確な定義は決まっていないんですよ」って。なんかそれがすごく良かったんです。『現代思想』のメタバース特集のなかで、学者のドミニク・チェンさんと能楽師の安田登さんの対談が掲載されていた記事を読んだら、それもすごく面白かった。要するにメタバースとははっきりとした定義があるわけではなく、現時点で色んな捉え方があると。それでまさにステートメントに書いた通り、昔から本物とそっくりなものを作品として作っている僕はV(バーチャル)とR(リアリティ)の専門家だと。その感覚でやっていいですかと小田さんに聞いたら、全然いいですと。さらにHMDの中で展開されていたら、なおいいですと。では、やりますとなったわけです。ですが、HMDの中のアルゴリズムにどのくらいの複雑さがあるかのかなどは全くわからなかったので、それを判明させるために最初に飯田さんにきてもらって。誰もいないところで、自分がカメラに近づいてみたり、ささやいてみたり。とにかくどういう風に映像になるのかその法則を知りたいので、めちゃくちゃガチのパフォーマンスをカメラの前でも共演者の前でもしていました。無駄ではないんですが、作品に至るまでに公開をしていないパフォーマンスをたくさんしました。
それと、一つ展示タイトルの件で思い出したことを。昨日のトークで「いろんな人が集まって自律的に考えながら作品作りをしていくのが楽しいので、基本的にみなさんのアイデアを採用している」というお話をしたと思うのですが、吉田山さんも気がついていないかもしれませんが、途中から僕がつけたタイトルではなく吉田山さんがつけたタイトルに変わっているんです。僕がつけたのは「まだ溶けてない方」で、吉田山さんに渡したら「まだ溶けていない方の山梨県美」。「ない」と「いない」です。気がついてこれは伝えた方がいいかなと思ったんですけれど、吉田山さんが文章関係を担ってくれている以上、吉田山さんがこちらの方がしっくりきたということだろうなと思い、現在のタイトルになりました。井上さんが作ってくださった十字の部分ができていたのと同じような考え方ですね。
質問者C:VR映像の舞台を椅子の場所にすることはどういう段階で決定したんですか?
雨宮:最初です。今思うとそれしかなかった。僕はHMDがすごく嫌なんですよ。展覧会をみるのはすごく好きなんですが、気分によっては暗室に入るのも嫌だなというときもあります。僕は絵画出身なんですが、アートのすばらしさって、自分の調子も良くないし、時間もないけど数秒その絵を見たら、撃ち抜かれたような、救われたような気になることだと僕は勝手に思っているんです。そう考えると本来はアートをHMDみたいな強引なもののなかに閉じ込めたりしては駄目なんですよ。でもHMDの作品作りを真面目に考えなきゃいけないとなったときに、一番ポイントになるのは、仮想空間に行っても見る人の身体は消えないということだと思ったんです。椅子に座って鑑賞するかぎり、現実との一番の大事な接点は自分のお尻があたっている椅子です。だからあの場所で、椅子に座ってもらい、椅子がすごい大事な軸になるような、椅子についての話をしないと絶対いけないと思い、あの場所にしようと思ったんです。もちろんあの場所は県民ギャラリー2つに囲まれてるので、どういう騒がしさになるのかなという心配ごとはありましたが、結果的に今回はVRのなかでも人が周りにいてざわめきのあるシーンをあえて作り、まわりの騒がしさを肯定するように構成できたと感じています。
質問者D:展示をするにあたって最終的に何人くらいの人が携わっているのでしょうか?
小田:関わった人は、作品制作だけでも施工に入っていただいた職人さんを含めずに10名。本当にそれぞれが自分たちで展示をできるくらいの素晴らしいバックグラウンドを持つ人たちであり、ディレクターになりうる方々でした。みんなで考えつつ、でも雨宮さんがその人たちすべてとコミュニケーションをとってまとめていくという。すさまじいですよね。そのほかに職人的な方を含めると20人とか、もう少しいたかもしれないですよね。
雨宮:小田さん的には、メタバースを発注したら人が増えると思っていなかったんじゃないですかね?たとえば、LABONCHIで1回目に展示をしたたかくらかずきさんは、なんでも自分でやれるじゃないですか。だからおそらく関わっている人数は少ない。その流れで僕に発注したら、まさかの人が増える事態に。バースを拡張する事業なのに、人がめっちゃ増えた。
そしてなかば偶然あつまった僕らが知り合いでもないのにこうやって協働できるのは、作品とお客さんが出会うその瞬間だけに力を注ぐことができる人が集まったからです。そのためだったら損もできるし熱くもできるし人と喧嘩もできる。基本的にはそれ以外のことには興味がないという。それを第一にできる人たちと仕事ができたのですごく面白かったです。
次に面白かったのはDiscordのなかの内容が、作品の何十倍もあって。要するにちゃんと迷走しているものが記録されている。プリントボタンを押すと一番いいドキュメントが出てくるようなシステムを作れたらいいなと。それはできないので、なにかのタイミングでこのDiscordを公開できないかなと思いますよね。
小田:紙にプリントするなどできたらいいですね。
雨宮:補足しておくと、僕はたまたま2年前から山梨に住んでいるので山梨県美はアクセスがいいのですが、僕以外の人は色々な地域に住んでいるので、今回の展覧会制作は、Discordというコミュニケーションツールを使って進めていたんです。ですが、VR作品の話がすごい量飛び交っているなかで、なかなかリアル展示の話に行き着かなかった(笑)。
小田:制作に当たってはDiscordを使い7割ぐらいをテキストのコミュニケーションで進めましたね。Discordにあえて誰も書き込めないチャンネルを作り、そこにはひたすら雨宮さんがイメージを投下する、雨宮さんの頭の中を共有するようなチャンネルも作りました。井上さんと吉田山さんはなにか印象的な点はありましたか。
吉田山:ちょうど展示準備期間中、僕はメキシコにいた時期があるんです。12時間以上の時差があるので朝起きてDiscordを見た時に、文脈がわからない状態でDiscordに雨宮さんの画像がアップされる時があって。椅子が積んである光景を見たときに、結構衝撃を受けたのは覚えてますね。積まれた椅子はこの先どうなっていくんだろうと……(笑)。
雨宮:アイデアは思いついた瞬間に書いていましたね。僕も自分のことを考える時間がないので、思いついたらここに入れておかなければと思ってました。
井上:ほかのプロジェクトでもDiscordのチャンネルはあるんですが、雨宮さんのこのプロジェクトのチャンネルが最も盛んだった気がします。離れた場所で設計をしているんですが、投稿があるだけでもそこに意識が向いて考える時間が増える。そういうことはすごく大事だなと思いました。
雨宮:Discordのチャンネルには、VR作品の制作過程でソファーをすべりやすくさせるために下面にシートを貼っている場面の写真などもアップしていました。
小田:このシートは雨宮さんが自分で切り出しているんですよね。
雨宮:画面に映らない努力がたくさんあるんですよ。他に、山梨県美の庭の池の周りに生えている植物の写真もDiscordにアップしていましたね。美術館は性質上、生の植物を館内に入れることができないので、植物の葉をコンビニでコピーしたものをVR映像で使いました。実はこの場所の庭づくりをした方は日本庭園が専門なので、洋風の植物が植わっていてもいい構成の庭にもかかわらず、和風の庭に植えられている植物がある。僕は元々日本庭園の植木屋をやっていたので、ここに生えている植物の名前はすべてわかるんです。Discordにアップしたものをすべて説明するとキリがないですね。
小田:文脈なしに本当に写真やメモがどんどん上がっていっていました。ただ、この文脈が無くても雨宮さんが投稿する時点で何も関係ないものではないはずなので、VRチームの石神さんや浅井さんも、井上さんのように何らかのニュアンスをリアルタイムで受け取ることで、離れていても思考が途切れることなく制作に参加できていたのではないでしょうか。
最後に吉田山さんと井上さんからもコメントをもらいましょうか。
吉田山:雨宮さんと2回目のお仕事をして極限の「いまここ」が作られていく過程をDiscordで見ていて、本当に面白いなと思っていました。雨宮さんの集中力、プロセスを見ながら、この短期間でも、そういった集中力の出し方と走り方があるんだなというのが本当に勉強になりました。ぜひみなさんにもDiscordをみてほしいですよね。
井上:僕も作品づくりに参加できてとても嬉しかったです。今回の作品は、僕自身の設計にとっても学びがとてもあって。今後の自分自身の設計も変わっていきそうだなと思える経験になりました。ありがとうございました。
PROFILE
雨宮庸介(あめみや ようすけ)
1975年茨城県生まれ。2013年Sandberg Institute(アムステルダム、オランダ)修了。2014年度文化庁新進芸術家海外研修員。以降、ベルリンに拠点を構え、2022年に帰国。現在、山梨を拠点に活動。主な個展に『H&T.A,S&H.B&W.(Heel&Toe.Apple,Stone&Human.Black&White.)』SNOWContemporary、東京(2021)、『雨宮宮雨と以』BUG、東京(2023)、主なグループ展に『Reborn-ArtFestival2021-22』日和山公園旧レストランかしま、石巻(2021)、『りんご宇宙―AppleCycle/CosmicSeed』弘前れんが倉庫美術館、青森(2021)、『土とともに 美術にみる〈農〉の世界―ミレー、ゴッホ、浅井忠から現代のアーティストまで―』茨城県立近代美術館(2023)など。
井上岳(いのうえ がく)
石上純也建築設計事務所を経て、GROUP共同主宰。建築に関するリサーチ、設計、施工を行う。主な活動として、設計『海老名芸術高速』『新宿ホワイトハウスの庭の改修』編著『ノーツ 第一号 庭』。また、バーゼル建築博物館、金沢21世紀美術館、NYa83、新宿WHITEHOUSEなどで展示を行う。
吉田山(よしだやま)
東京と熱海拠点のアート・アンプリファイア。近年の主なプロジェクトとしては、自身のアートワークとして『都市GENEの抽出・反転・流通』(BankART Station,横浜,2024)『MALOU A-F』(やんばるアートフェスティバル,沖縄,2024)、キュレーション制作として 『AUGMENTED SITUATION D』(CCBT 渋谷駅周辺,東京,2023)『風の目たち』(ジョージア&トルコ,2022-)、『のけもの』(アーツ千代田3331屋上,東京,2021)、『インストールメンツ』 (投函形式,住所不定,2020)等。
小田雄太(おだ ゆうた)
COMPOUND inc.
まちづクリエイティブ取締役 クリエイティブディレクター、COMPOUND inc.代表、日本芸術大学A&A非常勤講師、文化庁メディア芸術広報事業クリエイティブディレクター
アートや音楽、ファッションからニュースメディアまで、グラフィックデザインを軸足に事業開発支援、プロジェクトデザインを手掛ける。最近の主な仕事としてdiskunion「DIVE INTO MUSIC」クリエイティブディレクション,「NewsPicks」UIUX開発・ロゴデザイン,下北沢「BONUS TRACK」,Startbahn社リブランディングなど。山梨県立美術館メタバース事業「LABONCHI」のクリエイティブディレクション及び第一弾となるたかくらかずき『メカリアル』展の展覧会ディレクターを務め、本展でも展覧会ディレクションを担当。
山梨県立美術館を舞台にアートの可能性を模索する展示企画シリーズ『LABONCHI』の第2弾です。LABONCHIとは今までにない新しい事柄を共に作り上げる実験チームでもあります。
名前は造語であり、雄大な山々に囲まれたこの甲府盆地(ボンチ)にある実験室(ラボ)というイメージでこの2つの言葉を組み合わせました。
アーティストやクリエイターの経験や直感によって仮説を立て、この美術館を実験室として実践し生まれる視点や驚きを広く共有することをミッションとしています。
LABONCHI.02雨宮庸介「まだ溶けていないほうの山梨県美」
主催: 山梨県立美術館
企画協力: COMPOUND inc.
展覧会ディレクション+VIデザイン: 小田雄太(COMPOUND inc.)
VR撮影編集: 飯田将茂
ドラマトゥルク: 石神夏希
振付・出演: 浅井信好
出演: 皆川まゆむ
振付アドバイザー: 木田真理子
コントラバス: 千葉広樹
会場デザイン: GROUP
編集: 吉田山
ブレインストーミング: 鹿野震一郎
担当学芸員: 小坂井玲
VR映像英語翻訳: 桐山明日香
照明作品制作: 藤村祥馬、望月電気
出演: 赤木眞理、青柳一美、Chiaki、金亮子、Mimi、小野志津香、坂本泉、辻佑介、四宮スズカ、内田裕士、雨宮宮雨、雨宮と以
WS参加: 赤木眞理、青柳一美、林空杏、柄澤容輔、Mimi、中西星羅、小野志津香、坂本泉
VR作品オペレーション: 株式会社SPSやまなし
協力: SNOW Contemporary