たとえば中世の絵画や宗教画では、「本」は限られた人のみ手にできる高貴なものの比喩として描かれていたが、現代美術では大量生産大量消費の象徴として描かれている。16世紀の画家ジュゼッペ・アルチンボルドは《司書》(1569年)の中で、手にした本を読まないことは愚かなことだと嘲笑したが、誰もがせわしなく生きる現代においては、積読していても誰にも咎められることはない。本を燃やす焚書という行為は革命の嚆矢となり多くの血が流れたが、今日では毎日何百万冊の本が廃棄され断裁処理されている。時代の変遷とともにその様態や用途、在り方は大きく変化している。
かつて智恵、権威、文化の象徴として機能していた「本」の時代は、一見したら終焉を迎えつつあるのかもしれない。しかし街に目をこらしてみよう。いわゆる「大型書店」とは別の形で「本」が生存していることが確認され、その分布や生態系を読み解くことでその街の様相、街に根付く価値観の構造が浮かび上がってくるのではないか。本連載では八百屋の軒先から駅構内に至るまで、「本がある風景」とその周辺を観察することから、「本」と「街」との相互作用を考察していこうと思う。
Interview+Text:Yohei Sanjo(ORDINARY BOOKS)
Photo:Daisuke Tomizawa
Edit:Moe Nishiyama
第1回は「団地」における本の生態を観察、考察する。
舞台は神奈川県住宅供給公社が横浜市旭区に開発した「若葉台団地」。最盛期には23,000人もの人々が居住していた大型団地だ。近年は減少傾向にあるが現在でも13,000人が住んでいる。団地内にはスーパーマーケット、コンビニエンスストア、ドラッグストア、ファストフード店、和洋中の飲食店、銀行、眼鏡店、近隣には大型の病院、幼稚園、保育園、小中高等学校、さらに公共交通機関も充実している。生活と社会のインフラがすべて揃っており、地域一帯がひとつの街のような様相を呈している。
この大型団地のショッピングセンター内に、1軒の本屋がある。店主は、旧式のバンに本を詰めて日本各地に赴く移動式本屋「BOOK TRUCK」の三田修平氏。自身も団地出身という三田氏に、街と団地、街の本屋について話を聞いた。
ーー本屋がない市町村は年々増えており「街の本屋」の不在は社会課題になっています。出会うタイミングによっては人生を変えてしまうかもしれない装置ともいえる「本」に触れ、誰もが気軽に集えて文化を享受できる装置としての「街の本屋」が減り続けている状況下において、「団地の本屋」をオープンするに至った経緯を教えてください。
『BOOK STAND 若葉台』が開店して今月(2023年7月)で11ヶ月が経ちました。この団地が開発されたのは約40年前なんですが、当時から本屋さんはあったそうです。2019年に以前あった本屋が閉店してしまい、団地住民の有志が「本屋を取り戻そう」という活動をしていて、この団地に住んでいるぼくに声がかかり「BOOK STAND」の構想がスタートしました。「神奈川県住宅供給公社」とこの団地の運営会社である「若葉台まちづくりセンター」は、街づくりの観点からも本屋が必要と感じていて、住民からも同様の声が上がっていたようです。そこから、どうすれば団地内で本屋を成り立たせることが可能か、という話し合いが三者間で始まりました。
前身の全国チェーンの本屋も「BOOK STAND 若葉台」と同じ場所にあったのですが、当時は100坪くらいの広さがありました。現在は約25坪です。在庫冊数は7,000冊くらい。ゆくゆくは10,000万冊くらいには増やしたいです。「BOOK TRUCK」は古書中心の仕入れでしたが、お客様の8割が団地内の方々なので客注(本の取寄)がとても多い。要請にお答えするにはどうしても新刊書籍が必要になってくるので、大手の新刊取次会社と契約させてもらいました。床面積、在庫冊数、本の仕入れ方など、規模感と経営のバランスを図りながら団地の本屋の最適解を模索しているところです。
ーー都市部ではブック&カフェに代表されるような新業態の本屋が2000年代以降、雨後の筍のごとく出現しては街の風景を変えてきました。若葉台団地は東京からそう離れていないとはいえ、都心とは街も人も時間の流れも全然違いますね。三田さんはBOOK TRUCKで全国を周っていますが、本が根付いていると感じた街はありましたか?
お客様の多くは、本屋といえばいわゆる全国チェーンの本屋を想像する方が多いです。以前あった本屋もそうでしたし。「BOOK STAND 若葉台」ではビールやドリンクも提供しているのですが、都内だと当たり前に通じるブック&カフェスタイルがここではまだ認知すらされていません。ドリンクは、ここで本を選ぶ時間を楽しんでほしいという体験価値のために提供しているんですが、まだ浸透しきれていないです。
ここは東京から近いとはいえ、足を運ぶにはそれなりに時間がかかります。盛岡、名古屋、長野、京都などの人気のある都市や街であれば、周辺になにか人が集まる施設があり、本屋もツーリズムの中の目的地の1つになるわけですが、ここはそうではない。BOOK TRUCKで全国を周っていると、人々から「我が街にはこれがある」というシビックプライドを感じました。それはベッドタウンのような画一的な街は持ちづらい。街が求めるものとセレクトのバランス、また健全な経営状態を大都市でもツーリズムの目的地でもないこの街で実現すること。それってまだ誰も見つけられていない解答だと思うのです。
本に対する熱量が高い場所とそうでない場所は確かにあります。文化度というんでしょうか。例えば、渋谷と吉祥寺の百貨店の催事に出店したのですが、どちらも人はたくさんいましたが、圧倒的に吉祥寺の方が売れたんです。両者の違いはなにかとぼんやり考えていたんですが、人の数ではないんですよね。本を買うという行為が日常に定着しているか否か、ということだと思います。これが文化度ということなのかなと。地方だと長野県の松本市でもそう感じました。エンタメにせよ学びにせよ、本から何かを摂取するということが日常的に行われているのだなと感じます。それがある場所とそうでない場所はありますね。本屋以外でも喫茶店、レコード屋、ミニシアター系の映画館といった文化施設のある・なしは街の文化度に大きく関わっていると思います。
この団地もそうですが、ある程度なんでも揃ってしまう都市や街は、良くも悪くも満たされているように見えます。新しいもの、未知なものへの関心や興味への欲望が希薄なのかもしれません。世界を眺める際の視野を広げるためにこそ本が必要だと思っているのですが、街に本屋が根付くには時間がかかると感じています。
ーー「根付くには時間がかかる」という言葉は、同時に街を軸とした「文化」や「営み」の定着についても通じるところがありそうです。メディアとしての「本」と「人」との関係を起点に考える上で、未来の読者となる可能性のある人にどうしたら本を届けることができるのか。街の風景への作用を考える上で、団地に本を根付かせるために考えていることはありますか?
BOOK TRUCKをはじめたときも、このお店も始めたときも、今までにないけど可能性を感じる領域に挑戦してみたいという気持ちでいます。ぼくがいわゆるセレクト系本屋をやっていないのはそういう理由です。すでにあるものを自分がやる必要はないかなと思いました。団地の人々が求めているのは、マンガや週刊誌、ベストセラー、NHKテキスト、新聞の書評欄で紹介されていた本など、いわゆる街の本屋としての機能ですが、それだけでは継続できないからかつてあった本屋は撤退しているわけです。もちろん団地のお客様が必要とする本も押さえつつ、周辺地域の人がわざわざ来たくなるようなお店にするために、7割くらいは団地のお客様に寄せた品揃えで構成して、残りの3割は独立系の出版物をはじめ、新刊と古書をセレクトして置いています。とはいえお客様に寄せた上で売っていきたいと思えるものだけですが。気になるものでも売れると判断しない限り置きません。もちろん売れるなら置きたいですけどね。あとはホットドッグを提供したいです。ホットドッグはいいですよね……。また、軒先でブックマーケットを開催したり、店内で展示をしたり、遠方から足を運んでもらえるような仕掛けをどんどんやっていきたいと思っています。
街の文化度はすぐには上がらないし、地道な活動を続けるしかない。この本屋も当初はかなり戸惑われましたが、今はもうみなさん受け入れてくれて日常使いしてくれています。少しずつですが、住民の方々と文化的なものとの距離を縮められているのかなと思います。お店ってお客様と作っていくものだから、お客様に合わせて変わっていくし、同時にマインドも変えていきたいです。
若葉台団地は、商店の面でいうと生活必需品は一通り揃っているけれど、文化的なお店がありません。数年前にお花屋さんとパン屋さんが閉店しました。お花やちょっといい調味料が買えたりするお店があるといいのですが。とはいえ文化的なものがまったくないわけではなく、団地内にカルチャーセンターがあり、かなりの数の講座を催しています。大型団地ならではのコミュニティもたくさんあるので、そういうものと本屋が結びつくといいなと思っています。それはここでしかできないことですから。高齢者が多いのでアナログなツールがまだまだ強くて、マンションのエントランスの掲示板を見て情報を得ている人がたくさんいます。また、全戸に配布する広報誌も健在です。そういった媒体で本の新刊案内をやれると面白いと思っています。街づくりセンターの中に小さな図書館もあるのですが、うちから新刊購入をしてもらっています。
ーー団地のいたるところに本の気配を忍ばせることができたら、住人の意識も変わってきそうです。無理にではなく、自然に。本屋と街の相互扶助というリレーションが構築できたら理想ですね。本がこの団地に与えた影響はどんなことがありますか?
本屋が望まれている中で本屋をつくれたことはもちろんよかったなと思います。あとは雑誌や新聞の取材を受けることで「若葉台団地」がメディアに取り上げられることですね。そういうものがシビックプライドに繋がっていけばいいなと。
街の本屋が継続していくには行政や自治体との連携が必要だと感じています。誰もが本屋を必要としているはずなのに、それが立ち行かなくなっている。入居する建物が公共ならば家賃が緩和されるとか、極論ゼロにしてほしいという会話があってもいいだろうと思います。若葉台団地ではいえば生活と社会のインフラがすべて揃っているのがいい点ですが、本屋も街のインフラの1つという考え方が行政側にあれば家賃がかからない状況をつくれるかもしれない。本屋が元々持っている機能の1つに、誰もが集まれる場所という側面もあります。街の中に人が集まれる場所をつくろうとなれば、どんな形であれ当然お金はかかる。であればそれは本屋でいいのではないかと、よくそういう話をしますね。街に本屋があることで移住者や団地の入居者が増えるということもあるでしょうから。
本屋がない街がどんどん増えている中で、「この街には本屋がある」ことが街の価値を高めることになる。ここで育った子どもたちが、BOOK STAND若葉台で手に取った本に影響を受けて、人生を変える体験をしてくれるといいなと思います。地域全体で本屋を支えるという意識も必要になってくるでしょうね。
「団地」という単位から街を眺めると、社会や人の関係を見つめる視点の解像度が高まるような気がした。「街」ではスケールが大きすぎて覆い隠されてしまうことが、「団地」という単位においてはよく見えるのだ。どんなときに「本」を手に取るのか。取らないのか。それは、私たちはなにを大切に思い、どんなことに向き合い、悩んでいるのか、考えたいと思っているのかを映し出しているようでもある。
充実した設備に加え、人の生活に彩りを与える自然も豊かな「団地」での暮らしは、不自由なことのほうが少ないだろう。しかし、日々の暮らしのなかで発生するちょっとした困りごとを解決したいとき、あるいはなんとなくもやっと抱えた考えごとに向き合いたいとき、街の本屋に足を運んでみる。そう、不思議なことに、知りたい答えはだいたい本に書いてある。本屋の書棚をつぶさに観察すれば、きっと世界のどこかで、先人たちが悩んだ形跡のなか、あるいは今まさに研究の進んでいる書物のどこかに、解決の糸口が見つかるはずだ。街の本屋は、地域の「足りないなにか」「大切にしたいけれどほうっておいてしまうもの」に気が付かせてくれる。そう、重要なのは、「答え」の発見ではなく、その視点に気がつくことなのではないだろうか。「本」は自らを含め、人と世界との関係を読み解く、視点の解像度を上げてくれる存在なのだと思う。(という仮説をここで立ててみようと思う)第2回以降は、さらに「本のある風景」の考察を続け、「本」と「街」の関係、相互作用を観察していていく。
1982年、神奈川県生まれ。大学卒業後、「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」、「CIBONE青山店」での勤務を経て、「SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS」の店長を開店から4年務め独立。2012年3月に移動式本屋「BOOK TRUCK」をスタート。他にも飲食店や小売店のブックセレクトなど、さまざまな形で本の販売に携わっている。2022年8月、団地の本屋「BOOK STAND 若葉台」をオープン。
https://booktruck.stores.jp/
【街と本を観察・考察するための1冊】
富澤大輔『平行写真』
出版社:南方書局
http://nanfangshuchu.com
本書は、横位置の写真だけに限定された300枚の変哲のない光景がたんたんと連なる構成となっています。何の強要的な情感もない写真群が、『これは一体なんのためにまとめられた本なのか?』と、つかみきれないままに展開していきますが、わたしたちは次第に、富澤の隣に立って撮影現場を見ているような、一緒になって歩いていく=「平行移動」をしているかのような錯覚をもちはじめます。
決して「真実」を写せるわけではない写真/写真集というフィクションの中に入ってもなお、富澤の写真は「ただそこにある」「本当の姿」だと思わせてしまう、圧倒的なリアリティの光を放ちます。