1919年、詩人・佐藤春夫は小説『美しき町』で隅田川の中洲に理想の町をつくろうとする人間たちの悲哀を描いた。それから約70年後、漫画家・高野文子は同タイトルの作品(『棒がいっぽん』所収)で、高度経済成長期に生きる新婚夫婦のつつましく楽しい暮らしの様子を、地方都市と思しき町を舞台に描いた。
美しき町の、その美しさとはなんなのだろうか。2020年の一時期、世界中の様々な町から人々は姿を隠した。人との関わりあいのために生まれた町は、その時どんな表情をしていたか。活動を制限された写真家たちが、自らの過ごす町を改めて捉え直す本連載。今回は東京在住の写真家・山本華による作品とエッセイをお届けする。
text, photo:Hana Yamamoto
edit:Chika Goto
2020年夏、下北沢、駅前
自分がこの夏、下北沢の駅の目の前に広がる謎のコンクリート空間へよく行くことになったのはおそらく必然性があったと思う。私はその空間を下北沢駅前コンクリートと呼んでいる。これは全くもって正式名称ではないけれど、ここでも下北沢駅前コンクリート、あるいは駅前コンクリと呼ぶことにしたい。
今のところ下北沢の駅前に立派な車道は存在しないから、この謎のコンクリート広場はロータリーとは呼ばないだろうし、この広場に店舗や施設が新しく開発されるような気配も、現状は無い。だから、ここは単なる公共の空間である。
下北沢付近に引っ越してきた今年の2月にここを訪れた時は殺風景だと思っていたし、実際殺風景だったのだが、夏になるにつれて毎日2-6人くらいの集団がところどころに缶チューハイを片手に座り込んだり、バリケードに寄りかかったりしながら談笑している様子を見かけることが増えた。 それらを横目に駅へ吸い込まれていく若者や飲み会帰りのサラリーマンを見ると、私は幸せな気持ちにさせられた。
夜22時以降に酒飲みの友達と一緒に下北沢へ行くときは、大抵私たちも下北駅前コンクリの路上飲み集団の一つになった。飲食店の時短営業が普通になった今年の夏は、多くの人が飲む場所に困った結果みんな駅前コンクリにやってくる。自分もその一人になっているのがバカみたいでおもしろい。座り込んで、終電に乗っていく人を見送った。
お金のない若者が生きていける町
「今の東京でお金のない若者が生きていける町って下北沢しかないのかも」と思うくらい、下北沢と駅前コンクリには若者を惹きつける不思議な力がある。きっと、お金のない若者が集まる条件はある程度の広さのあるスペースと空き地と、コンビニと喫煙所なんだと思う。目線を上げた先に空が見えるとなおよし。意外にもこれらが全て揃っている場所ってあまりないらしい。
今日も下北駅前コンクリでは、泥酔した人々が都会の星の見えない空を仰いでいささか雑に寝そべっている。その広場の中心には、フェンスが建てられただけ喫煙所空間がある。下北沢に限らず東京の喫煙所はどこも狭い。非喫煙者の私はそれを見るたびに毎回ちょっとかわいそうだなと思うけれど、喫煙所にいる当事者たちはどう思っているんだろう。それを気にしているのは非喫煙者だったりして、とも思う。
ある日、私と友人が下北コンクリにいると、少し離れたところで女性のシンガーソングライターが弾き語りライブをしていた。ハーフカメラを持った女性カメラマンも一緒だった。八王子から来たという。
私の集団にいたミュージシャンの男の子が彼女たちと合流して、彼女の持ってきていたギターを交互に弾いた。二周くらい弾いていたころ、私たちの後ろで、見知らぬ男性二人が話しかけてくるわけでもなくその演奏を静かに聴いていた。話しかけづらい雰囲気を持つ派手な外見の二人組だった。
しかしここでは他人の外見など関係ない。ここにいる距離感の心地よさを、どう表現したらいいのだろう。お互いがこんなに近くにいるのに、誰もが他人の領域を侵すことがない。一切会話を交わしたことのない赤の他人とすらも感覚を共有できているようだった。
いずれ消えていく風景の中で
交互に弾き語りを4周くらいした頃、八王子の女子二人組とは別れた。私たちはそのまま、駅前コンクリで夜中2時まで喋っていた。
それぞれの帰路につく。私は1人になる。ふと、東京で人目を憚らず適当に振舞うことのできる場所はどれくらいあるんだろうと考える。そういう場所が存在することってこんなに難しいことだったんだと。
私は郊外の住宅地出身だから、町の空間を想像するときには広大な平面のスペースを均等に分割するイメージを思い浮かべる。それぞれの家は同じ形をした箱のようなスペースで、そこにぴったり収められるように典型的な形態の家族が暮らしている。それに比べて、下北沢にある空間はテンプレートに当てはまっていない。戦前から存在する田園の畦道が現在の世田谷の細道になっているように、それぞれの箱の形も大きさもそれぞれ違っている。場所が先にあって、そこに惹きつけられるように人がやってくるのだ。
なぜ私がこの日にポラロイドを持っていたのかは、自分でもわからない。多分、「友達と会うから持っていくか」くらいの軽い気持ちだったと思う。
けれど、夏という季節も、こんなに多くの人が路上飲みを繰り広げているのも、再開発の真っ只中であるこの駅前コンクリも、都市の新陳代謝の中でいずれ消えていく景色だとわかっている。全ての町・全ての景色がスクラップ・アンド・ビルドの渦中にあるとはいえ、私は下北沢に対してはその刹那性がより拡張された現状を他の町よりも強く感じる。駅前コンクリに座っていると「ここには、ただ生活があって、ずっとこの時間が続いていくんだろうな」とは思えない。ただただ、終わりに近づいていくこの場所を生きている。
その景色をポラロイドという、編集不可能で非常に不自由なカメラを使い、現在の下北沢を記録をしたことは、ストリートで写真を撮る人間として少しばかり正しいことをしたような気持ちになった。
変化していく下北沢と、冬が近づくにつれて減っていく路上飲みの集団。
下北沢を舞台にしたフィクションのほうが、現実よりもリアルに見える感覚がある。下北沢駅は音楽や小説の舞台として多く用いられてきたが、それらは下北沢を語る上ではほんの少しの断片でしかないはずだ。
しかし、そう確信していたとしても、実際の暮らしをイメージすることが難しいほどに下北沢の生活は創作物で描かれすぎている。私は近くに暮らし始めたばかりの頃、ここに来ると現実世界にいるのにリアリティが欠けているような気がしたのだった。
そう考えれば考えるほど、私は”変貌せざるを得ない悲劇の舞台”として無意識的に下北沢駅前コンクリートを被写体として選んだように思えてくる。今年の夏に感染から気を紛らわすために屋外にいた人々は、冬になった頃には区画整備された空間へと閉じ込められていくだろう。そしてその瞬間にも、下北沢駅前コンクリートは別の形へと変わっていくのだ。
来年の夏に私たちが大きく息を吸いたい時や、大の字になって路上に転がりたい時、果たしてどこに行くことになるのか。必ずと断言できるほどに、来年はまた別の誰かがどこかにその場所を見出すんだろうと思いつつも、いずれやってくる下北沢駅前コンクリートの最終回にむけて、わたしはもうしばらくカメラを構えることにする。
1999年千葉県市川市出身。2017年より多摩美術大学在学中。
2018年に相模原市とアメリカ、屋久島を巡る旅をおさめた写真集『Gardening』を自費出版。翌年からニューヨークに滞在。マグナム・フォトのワークショップを経て個展『西の旅、不在を遠くに見つめる』を関内文庫(横浜)で開催。同年、香港での反政府デモを独自に取材。引き続き香港と福島、ブルックリンで撮影、取材、執筆を行う。ドキュメンタリープロジェクトに『OPINION』、エッセイ集『転転』など。
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