まちをつくるのは、壊すのは、変えるのは、誰なのか。
歩いていた道がある日ふとなくなって、フェンスで閉じられた臨時通路ができていたり、行きつけの喫茶店が閉店して、大型のチェーン店になっていたり、知らぬ間に建てられた高層マンションの影に隠れて、陽が沈む景色が見えなくなっていたり。日々変容していくまちの景色は、「都市開発」と名のつくようなものだけではなく、私たち一人ひとりの選択や行動によって起こされている変化の積み重ねの結果なのかもしれない。
――すべて景色の前には「言葉」がある。わたしたちは「言葉」でまちをつくってきた。ある日突然、そこにブルドーザーが現れるのではない。必ず、その前に「言葉」がある。(『まちは言葉でできている』本文より)
その「言葉」の持ち主は、ディベロッパーや開発者、建築家だけではない。まちに暮らす私たち生活者、一人ひとりもまちを形作り得るのだと、書籍『まちは言葉でできている』の著者・西本千尋氏は語る。本企画では、書籍の著者であり、まちづクリエイティブの立ち上げメンバーの一人である西本氏、同じく創業メンバーであり10年来の仲であるアソシエーションディレクター・寺井元一氏、クリエイティブディレクター・小田雄太氏の3人が松戸に集結。Part.01では書籍刊行後、読者から数多く寄せられたというまちづくりの「処方箋」に対する問いや、時代と共に過渡期を迎える「まちづくり」の課題について紐解いていく。
Text+Edit:Moe Nishiyama
Photo:Kei Murata

◎まちづくりの「処方箋」とはなにか
――書籍の冒頭、「まちが掲げている言葉は誰の言葉なのか」と問いかけられる箇所がありました。実際に個人の言葉をまちに繋げ、一人ひとりがまちについて考えることは簡単なことではないようにも感じます。誰のものでもない言葉ではなく、「私」の言葉を、自分たちが暮らしているまちへと繋げていこうとなったら、どうすれば繋がっていくのでしょうか。
西本千尋(以下、西本):難しいですね。まずは、「私はこう感じた」というのを、その人の声のまま、言葉のまま受け取ることから始める、でしょうか。一気に「みんなのまち」という大きな主語へ飛んでいく前に、できるだけ小さな単位から始める。小さく始めるほど、一人ひとりの言葉が消えにくいのではないかと思います。実際に、個人の言葉がまちの言葉になっていくことはあります。池に投げ入れられた小さな石がそれぞれに波紋を描き、それらが重なって、大きな模様になっていくように。でも、声の届き方は今も非対称で、少数の人の声であっても、大きな声は届きやすい。一方で、小さな声は、やはりなかなか届かない。だから、その小さな声を発する一人ひとりが、誰かに代弁されるだけではなく、自分の言葉で話し、その言葉を受け取ってもらえる座席が一つでもあるところから始める。これは処方箋というより、出発点ですね。この本には、その先に何をすればよいのかという明確な処方箋は書いていません。「具体的に、どうすればよいのですか」という問いに、十分答えていないという指摘を受けることもありました。その問いにどんなふうに答えられるのかは、私にとっても大きな宿題だと思っています。
小田雄太(以下、小田):今までは(まちづくりのプロセスの)最初と最後の真ん中にある「どうしたらよいか」という手続き的なことを戦術的に考えて上手くハックするような本や話がたくさんあったのだけれど、西本さんの本は最初と最後だけが書いてあると思った。反面そうした手続きのことばかり書いているものほど、まずはワークショップをやってみましょうと言いながら、なんのためにワークショップをやって、どこを目指すべきなのか、本当はなにが原因で問題が起きているのかということを書いていない。でも西本さんはこれまでに膨大な経験をしているから、手続き的なことは重要ではなくて、最初に目の前にあるまちの事象に対してどう感じたか、どう思ったかということが制度・仕組みにどう接続していくのかということを、とても自然に平たい感じで書いている。エッセイを楽しむ感覚で読み進めるといつの間にか具体的な制度について詳細に触れた注釈が現れてビックリするし、とてもダイナミックな本だなと思う。

寺井元一(以下、寺井):一つ質問。処方箋を書かないというのは、そもそも「個別にこうしたらいい、ああしたらいい」ということを知りたいのはわかるけれど、そういう(処方箋にすぐに辿り着こうとする)考え方自体が根本的な答えに向かって行かないと思っているから、ということ?
西本:「具体的にどうしたらよいのか」と問うこと自体が間違っているとは思わない。課題が山積している時代だからこそ、手がかりや処方箋を求めるのは自然なことだと思う。ただ、本当は何が原因で問題が起きているのかを十分に紐解かないまま、処方箋や戦術のほうに光がバシバシ当たっていくことがあるじゃない?それだけ切実なニーズがあるということなのだけれど。でも、処方箋を考える前に、「そもそも、何が問題なのか」という基本的な構造を捉えることが大事なんじゃないかなとは思う。
そのとき、最初から「地域」や「みんな」という一つの集合的な主語にまとめるのではなく、脆弱な立場に置かれた一人ひとりを基軸にして考えてみる。誰が何に困っていて、誰の声が届き、誰の声が届いていないのか。そこを見ないまま問題を設定すると、構造の捉え方を誤って、最も脆弱な立場にいる人を置き去りにしたまま、処方箋だけが示されることになってしまうから。例えば、「空き家問題」を、空き家を抱える大家の問題として捉えるのか、それとも、収入に見合った家賃の住宅を借りることのできない人の問題として捉えるのか。それによって、導き出される処方箋も、政策の優先順位も、まったく変わってくる。

◎繰り返されない一回限りのものとして
小田:気になるのが、西本さんがなぜこのタイミングでこの本を出そうと思ったかということ。あとは読者の人と会う読書会イベントのようなものをやっていると思うのだけど、そこでどういう話を受けたかということ。「処方箋がない」と言う人は、いると。
西本:本は、ずばり、柏書房の編集者の天野さんとの出会いがあったからです。最初は、web連載を通じて少しずつ書いて、天野さんと、とんでもない量のやりとりを重ねて。そうして、ようやく言葉が繋がって、なんとか一冊の本になりました。読書会やイベントでは、読者の方々からさまざまな感想をもらいました。一番多かったのは、能登について書いた章の中で、白米千枚田愛耕会の堂下真紀子さんの「もっとゆっくり復興したかった」という言葉への驚きと共感。あと、デベロッパーで働く若い方々から、「私たちには何ができるのでしょうか」と問いかけもあった。一方で、再開発のような巨大な暴力性を前にして、希望がないように見えるなかで、「では、どうしたらいいのか」と問う方もいらした。その切実で誠実な問いに、私は十分に答えられていないのかもしれない。「闘うための武器を示せなかったのではないか」と思って、悩んだりもした。
寺井:それは仕方がないとは思うけれど、そうだよね。
西本:「誰かから一方的に決められてしまうのではなく、自分たちで身近な環境をより良くしていく自由」を伝えたくて、この本を書いたの。その自由が一刻一刻と失われているから。これまでのまちづくり運動はそれに対する「言葉」による抗い。そうやって活動してきた先人たちがたくさんいたからこそ、今のまちがつくられている。私自身も、そうした実践から学んできた。現代の再開発は、確かに、止めようがないもののように見える。でも、異議を唱えたり、声をあげることを諦めず、しぶとく、何年も何十年も問い続け、活動を続けてきた方々もいる。そのことを伝えたかった。勝ち、負けではなく。
小田:あとはまちで起きていることを「どう受け取るか」ということが、実は市民側の戦いでもあるはずなのに、それを忘れていない?という。
西本:そうだよね。大事なのは、「まちで起きていること」を、私たちがどう受け止め、どう解釈するかということなんだと思う。その解釈が、その後の「どう向き合うか」「どう闘うか」「どうすれば状況を変えられるのか」という実践に繋がっていく。初めから決まった処方箋があるわけではない。だからこそ、読者と一緒に、ではどうしたらよいのかを、もやもやしながら、ああでもない、こうでもないと、おしゃべりしていたかったんだ。

小田:最近「令和人文主義」*1 というものに対する批判が盛り上がっているのだけれど。興味深いなと思うのが、「令和人文主義」が結局ビジネスパーソンのための人文知になってしまっているということ。翻って西本さんの本を読んでいくと、「ビジネスパーソンのための処方箋だけがなくて、それ以外はある」ということなのではないかな。それはまさしく今西本さんが言ったように、市民が、自分たちが考える、要は、ふとまちの風景を見て思うことが、どこに接続しているのかということを、すごく丁寧に書いている。この本を読んで、まちづくりは学問的に理系だと書いていた人がいたよね。
西本:つまずく本屋 ホォルの店主、吉田尚平さん。*2 吉田さんは、まちづくりとは本来、「繰り返されない一回きりの時間」を扱うもの、つまり反復不可能なものに向き合う「文系の知」ではないか、と書かれている。一方で、まちづくりは建築行為への自己批判から生まれたという歴史的経緯もあり、主に理工系の領域で教えられてきた。そこでは、どうしても問題を分析して「解決する」、最適な「答えを出す」という発想が強くなりやすい。吉田さんは、そのズレを手がかりに、そもそもまちづくりに唯一の答えがあると考えること自体が錯覚ではないか、そして、「解決したい」「答えを出したい」と急ぐ私たち自身の心の働きこそ、問い直す必要があるのではないかとの指摘をいただいた。
おそらく小田くんの言う通り、私はこの本を、まちづくり業界の内側だけに向けて書いたのではなかった。例えば、自分の子どもにまちづくりについて教えようとすると、とても難しい。業務としてまちづくりに関わろうとすると、急に「あなたはこのまちを、どのようなまちにすべきだと思いますか」と尋ねられる。吉田さんも書いていたけれど、「あなたはどんなまちにしたいのですか」「人口減少について、どうしてくれるのですか」「空き店舗の問題をどう解決するのですか」と問われる。つまり、処方箋を持った専門家としてまちに入り、問題を解決することが、専門家の役割だとされている。都市計画がテクノクラート*3によって上から計画を下ろしてきたことへのアンチテーゼとして誕生したはずの「まちづくり」にも、いつの間にか、専門家が上から答えを与えるという同じベクトルが求められるようになった。本当は、個々の声を集約し、要約する専門家を必ず介さなくても、一人ひとりが自分の言葉で話し始めてよいのだと思う。専門家であるかどうかにかかわらず、「あなたの声も、まちをつくっているのですよ」「言葉でまちはつくっていける」。専門家が勝手にスローガンをつくってしまうと書いたら、「では、専門家がつくらなければ、誰がスローガンをつくるのか」という批判も来たけれどね。でも、そもそも一つのスローガンにまとめなければならないのか、ということだと思う。「みんな」をひとつにするゴールの中に「あなた」がいないのであれば、一人ひとりの異なる声や、そこからこぼれる人を覆い隠してしまうなら、「ウォーカブル」「サステナブル」「クリエイティブなまちづくり」といったスローガンなんて、クソくらえでいいのではないかと、正直、思っています。
哲学者の谷川嘉浩氏が提唱した、2020年代中盤の日本における新しい教養の潮流。過度な自己啓発や倫理的プレッシャーを避け、YouTubeやポッドキャストなどの日常的な媒体を用いて、知や教養をカジュアルに楽しむスタイルを指す。
*2 【特別寄稿】つまずく本屋 ホォル・吉田尚平「なにに抗うべきなのか──『まちは言葉でできている』を読んで」
https://note.com/kashiwashobho/n/n9074244b753c
*3 テクノクラート
科学技術や経済、社会政策などの高度な専門知識や技術を持ち、政策の立案や行政運営に参画する専門家(エリート官僚)のこと。
西本千尋
1983年埼玉県川越市生まれ。NPO法人KOMPOSITION(居住支援法人)理事/JAM主宰。2003年から商店街、景観、観光、歴史的建築物、町並み保存、エリアマネジメント、居住支援等、各種まちづくりに携わる。跡見学園女子大学兼任講師。
寺井元一
株式会社まちづクリエイティブ代表取締役/アソシエーションデザインディレクター、NPO法人KOMPOSITION代表理事。ストリートカルチャーに関わる表現者支援を出発点に、エリアブランディング、行政と民間の官民連携、ローカルビジネスの起業支援から空家再生、さらには公共空間の利活用まで、まちづくりに必要な多様な事業やプロジェクトを立ち上げてきた。主な参画事例は、千葉・松戸駅前エリア「MAD City」「松戸アートラインプロジェクト」「PARADISE AIR/STUDIO」、佐賀・武雄温泉エリア「TAKEO MABOROSHI TERMINAL」、埼玉県埼京線沿線「SAI-KYO DIALOGUE LINE」、東京・渋谷「ササハタハツまちラボ/ササハピ」「ALLDAY 5ON5 TOURNAMENT」「リーガルウォール」等。
小田雄太
デザイナー、クリエイティブディレクター。株式会社まちづクリエイティブ取締役/COMPOUND inc.代表。多摩美術大学非常勤講師平面領域のデザインを軸足にしながら、メディアやファッション、VR領域、エリア開発、まちづくりまでのリードデザインを手掛ける。最近の主な仕事にMADcity(まちづくり)、100BANCH(インキュベーション)、BONUSTRACK(エリア開発)、Newspicks(メディア)、STARTBAHN CERT(ブロックチェーン/NFT)、STYLY(VR)、COMME des GARCONS noir kei ninomiya(服)など。



