資本主義経済の名のもと、経済が政治と文化より優先される社会に終わりを告げ、これからは文化を優先して政治と経済をつくりかえる時代に突入していくのではないか。そこで形作られるのは文化圏を中心に政治/経済的な生態系を築く自治区。ここではMAD Cityと呼ぼうと思う。語弊を恐れずに表現するならば、MAD Cityにはある意味でバグった(個の観点を追求し、実践を重ねることで生み出される)視点から理想郷を実現すべく奔走する人物たち、MADなひとたちが存在する。 MAD Cityにとっての次なる刺激を探し求めて、まちづクリエイティブの代表、テライマンこと寺井元一氏が自治区の更なる進化形を探求すべく、MADなひとたちに会いにゆく連載企画。
第2回目では、神戸市長田区の川沿い側・六間を拠点にした多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」をはじめ、介護事業、不動産事業、教育事業など次々に展開する株式会社Happy代表首藤義敬さんに話を伺った。「はっぴーの家」のリビングに足を踏み入れると、居住する高齢者だけでなく、近隣に住む子どもたちやワークスペースとして活用する若者、そしてマイクロブタまでが同じ空間に存在する。広場のように多様な人が行き交うカオスな場所を立ち上げて10年。後編では、Happyの取り組みとまちづくりの繋がり、「はっぴーの家」がもたらす死とコミュニティの関係性についてなど。
Photo:Ryo Yoshiya
Text:Yoko Masuda
Edit:Moe Nishiyama
前編はこちら
◎つづいていくまちに提案する
物の見方の多様さや根底にある防災への意識。
寺井:僕はまちづくりを仕事にしているので、まちづくりの視点からお話を聞いてしまいがちなわけですが、首藤さんが取り組まれていることはまちづくりに関わる要素が数多くあると思います。首藤さんご自身は、まちづくりをしているという意識はあるのでしょうか?
首藤:本社の「はっぴーの家」には、まちの内外から色んな人が集まっていますから、結果としてまちづくりに繋がっていることはあるかもしれません。また、僕らの会社で唯一決まっている言葉は「ハッピーな暮らしを問い続ける」というビジョンです。誰かの「こんな暮らし方をしたい」というニーズを「どうせやるならこのまちにある空き家でやりましょうよ」と提案している。僕らとしては新しくつくらなくても、すでにあるものの見方を変えたら面白いよと伝えているわけで、事業をやっているというより芸術祭のインスタレーションをつくっている感覚の方が近いかもしれませんが、それがある種のまちづくりとも捉えられるのかもしれません。
寺井:松戸は最近になってマンション開発がかなり活発になったんですが、早く買える場所は買っておけたらよかったと思っています。新長田は開発が後回しにされたがゆえに、駅前を除く多くの場所は開発の手にはかかっていませんよね。でも僕の予想では、このエリアも開発がはじまるのではと思うんです。なぜならはっぴーの家があるから。はっぴーの家が面白くなればなるほど、まちの価値が上がってしまい、ディベロッパーの目に留まってしまう。そうなると、開発がどんどん始まってしまうような気がしています。もしそうなった場合はどうしようと考えていますか?
首藤:僕たちが取り組んでいることは開発ができない環境を作っているということに近いかもしれません。建物を壊すのではなく、ソフト面をつくり直して使っている。またはっぴーの家と離れの事業以外にも、まちの人たちがほしがっている暮らしのニーズを拾い、周辺事業を増やしていっています。たとえば、靴づくりの工場跡地のビルをリノベーションして、トレーニングができ、コーヒーも飲め、クライミングもでき、コワーキングスペースで働ける拠点をつくりました。そこは高齢者や障がい者の仕事にもなります。
このまちはとても特殊で、新長田駅前の震災後の再開発はうまくいっていなかったと言われることもあったそうです。震災後、このまちに住んでいた僕らはまちが燃え、友人たちの死を経験しました。メンタルガタ落ち状態の子どもたちに対して、大人たちはこのまちは再開発が入るから以前よりいいまちになるよと励ましてくれた。でも開発が進むにつれて、新しい建物ができることに強烈な違和感を覚えていきます。新しいマンションに引越し、顔を合わせる機会が減っていたあのおばちゃんが孤独死したらしいと。駅前の再開発も燃えてしまった街に箱物をつくったことで赤字を叩き出している上に、テナントは空きばかりの状態になっている。
僕自身はこの経験から、ハード面の整備だけでは人はハッピーにならず、ソフト面の整備をしなければならないと学んだのかもしれませんし、だからこそカウンターカルチャーのようにはっぴーの家をはじめとする場所づくりなどを仕事にしているのかもしれません。
また、自分のなかには強い防災意識もあります。僕の当時の記憶では震災の当日や翌日に助けられた人には共通点があるように感じました。震災直後、救急車が来れるはずないので、自分たちで救出活動をするわけですが、自然と優先順位がわかっているんですよ。あの家には子どもが2人いる、友だちが住んでいる、おばあちゃんが1人で暮らしていると。つまり日常的に関係性がある人たちが助けられたわけです。僕がイベントやコミュニティを作っている理由の1つは、結果的に何かあった時に気にかけてくれている人がいることの重要性を意識しているのかもしれません。今の世の中ではマンションの隣に住む人の名前すら知らないことありますよね。でも防災観点では、自分を気にかけてくれる人が近くにいることはすごく大事で、それはどこであっても普遍的に使える考えなんですよね。
◎個々のハッピーな暮らしを描くこと
寺井:周辺事業はほかにどのようなものがあるんですか?
首藤:沢登りのツアーなどアウトドアツアーなども企画したりしています。子どもたちが海に行きたいとなり、目の見えないおじいちゃんも行きたいとなれば一緒に行こうかと。山に行きたいとなれば、一緒に行って車椅子でも登れるよう運ぶ工夫をしようなど。
寺井:すごいですね。その企画は、結構お金かかる内容もありますよね?
首藤:1つのビジネスに対して少なくとも3〜4つの事業を組み合わせるようにしています。1つで儲けようとしない。たとえば、はっぴーの家のメイン事業はシェアハウスビジネス、つまり不動産の賃貸ビジネスですよね。そこに対して、オプションをたくさん準備しているんです。シェアハウスならば自分でごはんをつくれるわけです。でも毎日料理するのはしんどいから、1日1食はここで作ってもらった食事をとろうと。それは2食でも3食でも自分で選べるわけですが、そこでまず飲食事業が成り立ちますよね。ほかにも習い事をつくってほしいというのもビジネスになりますし、医療や介護が必要であればそれもやりましょうかと。それぞれの人にとって何があったらハッピーなのかを考えながら、ビジネスにする。ふつうの介護の現場では、どのような介護サービスを使うべきかを検討したケアプランを立てますが、僕らはハッピープランというものを立てています。その人の人生に、どういうプランがあったら今この瞬間がハッピーになるのかを考えた提案です。
たとえば、もともと写真家として有名な方が入居しているんですが、彼はパーキンソン病にかかってしまい、自分がやりたい表現ができなくなってしまったと憔悴した状態ではっぴーの家にやってきました。この人に対して医療と介護を提供しても幸せにならない。生きたアーティストに戻そうというのが僕らが考えたハッピープランです。まずは、この場所で写真展を実施しました。写真の話をみんなにいっぱい聞いてもらうと、写真家に戻ったように、顔色も顔つきもまったく違うわけです。彼を調子に乗らせると、今度は「俺は写真だけではなく音楽や映画もめちゃくちゃ詳しくて、そういうことも若い子に伝えたいんだ」というので「いや、じじいの面倒臭い話は聞きたくないから、DJ覚えてください」と、2〜3週間くらいDJの練習をしてもらいました。そしてクライミングジムでフェスを開催した時にDJとして彼を呼んだのです。そういうことを通して、彼はとても元気になってきました。
◎死が起点に。人にやさしくなれるまちと強固なコミュニティ
首藤:この写真、すごく好きなんです。イキイキしているおじいちゃんの隣で一緒に立っている子もHappyが展開しているフリースクールの卒業生なんです。うちにきたときは人と関わるのがしんどそうでしたが、5年間ここにいて、この場所で色々な人の価値観に出会い、たくさんの死を見送っていく。すると彼女自身の生き方も前向きになり、いろんなことにチャレンジするようになりました。おじいちゃんも本来は社会から守られる立場で、彼女も同様かもしれませんが、彼らが逆に社会を盛り上げる立場に変わっていることに感動しました。みんなをどんどん勘違いさせてドヤ顔にしていきたい。最近彼はDJが上手くなってきました。
寺井:たしかにだんだんファッションがDJらしく気合が入ってきましたね。
首藤:そうなんですよ。最近彼は自分のことを写真家ではなくDJパーキンソンと呼んでくれと。DJパーキンソンとしてフェスにも出演し、最近では街中で写真展を実施しました。
寺井:たしかにだんだんファッションがDJらしく気合が入ってきましたね。
首藤:そうなんですよ。最近彼は自分のことを写真家ではなくDJパーキンソンと呼んでくれと。DJパーキンソンとしてフェスにも出演し、最近では、写真家として街中で写真展も行いました。
首藤:これが、最近つくったいいなと思う集まり、スナックEZOC(イーゾック)です。はっぴーの家で家族を看取った遺族の方が、ここにくる理由をつくりたいから、亡くなった後も集まって飲める場を作っています。
寺井:終わらないお通夜みたいでいいですね。
首藤:そうそう。この飲み会には、遺族だけでなく、今も自分の親が入居している人もいれば、まったく関係のない若者もいる。こうして集まることで、自然と自分はこういう最期を迎えたいと死生観を考えるきっかけになるんです。
このまちにははっぴーの家があることによって、人の死という繋がりがあります。それがこのまちが機能している一番の要因で、はっぴーの家の一番重要な存在理由だと思っています。はっぴーの家の近くに住んでいて、あのおじいちゃんがあと3カ月で死ぬと聞けば、最後に1回乾杯しにいこうかなと思う。お別れ会にも参加しようかなと思う。そうして人との繋がりが生まれ、人に対してとても優しくなれるんです。
寺井:本当におっしゃる通りで、死を身近にするために事業をするのは変ですが、結果として死が日常に近づいた方が、暮らしは豊かなものになる気がします。死は自然なことで、それを踏まえて人と付き合うと、なんとなく過ごしてもおかしくない時間が貴重なものになり、生きることに前向きになれると思う。僕も死に近づくことは何らかのかたちでやってみたいと思っています。
首藤:日常に死があることは本当に大事なことですよね。僕たちだって、ここから出た瞬間に事故に合うかもしれないし、新幹線が脱線するかもしれないわけですよ。でもふつうに生きていると死にはリアリティがない。僕らが死について考えるときって、大きなニュースになるような事件や事故、災害が起きた時、もしくは身内が亡くなった時くらいじゃないですか。だからみんな自分軸と少し遠い社会軸しかありません。もし日常のなかで、身近な誰かが亡くなりかけていると聞いたり、見送っていたりしたら、もしかしたら今日で会うのが最後かもしれないと思えて相手にかける言葉が優しくなったり、自分の人生も俯瞰して見れるかもしれない。
寺井:本当にやっていたかどうかはわかりませんが、アップルの創業者スティーブ・ジョブズは毎日「今日が人生の最後の日ならどう過ごすか」を自問自答して鏡を見る習慣があったと聞いたことがあります。死を意識するためのかたちは葬式でなくてもいいかもしれませんが、死をネガティブではないかたちできちんと意識できること、死をみんなで共有できることは本当に重要だなと。それがあってこそ、今日やってみたいことをやってみようという気持ちやむかつくことがあっても助け合っていこうと思うなど、ポジティブな感情が作用していきますよね。
◎これから先、残っていく場所とは
寺井:自分は「まちづくり」の実践者でもありますが、最近は「何でもかんでもまちづくりにしないでほしいな」と思うようになって。どの事例かはともかく、アートプロジェクトをやっていてもまちづくり、高架下や鉄道用地跡地の活用をやっていてもまちづくり、リノベーションをやっていてもまちづくり、何やっててもまちづくりを名乗るケースが増えたと思うんです。まちづくりがある種の評価や市民権を得たからだし、それらは確かにまちづくりの一要素であることは間違いない。そのことを否定したいわけじゃないんです。でもアートプロジェクト「だけ」、高架下や鉄道用地跡地の活用「だけ」、リノベーション「だけ」ではまちづくりじゃない、足りないと思うんです。生から死まで、趣味から仕事まで、ビジネスから防災や環境まで、人生の攻めも守りも、そういう全てを引き受けるつもりがなかったらまちづくりじゃないと思う。地方創生がビジネスチャンスになったなかで、「だけ」で「まちづくり」を消費させたくない。もちろん全てを引き受けきるのは難しいけれど、そういう姿勢があるかないかは最初から分かることだから。実際のところ、成果が出るのも文化が変わったといえるのもこれからの話ですが、そんなことを思ってMAD Cityでは活動しています。そんな視点で見ても、首藤さんは最初からナチュラルボーンに全てを引き受けていてすごい。これから先どのような展開を考えているんですか?
首藤:未来についてはあまり深く考えていませんね。いつも今を最大瞬間風速で考え、集中しているので、未来のことを考えるのは難しい。それに10年前には長期事業計画なども意味があったかもしれませんが、今は3年後の未来も予測できない世の中ですよね。時間軸の単位が変わってしまい、昔の1年の感覚が、今の3カ月くらいの体感です。なので立てる計画も3カ月程度、長くて1年。5年後のことは夢物語のような気がします。もちろんなんとなくのビジョンはありますが、未来は今のこの瞬間の積み重ねでできていると思うので、今に集中しています。
寺井:たとえば、20〜30年後にこのあたりはどうなっていると思いますか?
首藤:20〜30年経ったら、人口減少が加速していきますよね。政令指定都市と、一部の超ローカルな面白いまち、文化のある場所が残っていくのだろうと思います。このまちは残ると思いますね。
首藤義敬
株式会社Happy代表
1985年生まれ。兵庫県出身。自分と関係者のために正解ではないかもしれないが、暮らしの選択肢を創る会社Happyを設立。自身も育児と介護のダブルケアを抱え、多世代介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」という新しい仮説を実践しながら検証中。企画段階から保育園児・学生・主婦・クリエイター・外国人等、多様なバックグラウンドをもつ地域住民で事業計画とコンセプト策定を行う。現在は地域のセーフティネットとしても機能している。
寺井元一
株式会社まちづクリエイティブ代表取締役/アソシエーションデザインディレクター、NPO法人KOMPOSITION代表理事
統計解析を扱う計量政治を学ぶ大学院生時代に東京・渋谷でNPO法人KOMPOSITIONを起業し、ストリートバスケの「ALLDAY」、ストリートアートの「リーガルウォール」などのプロジェクトを創出した。その後、経験を活かして「クリエイティブな自治区」をつくることを掲げて株式会社まちづクリエイティブを起業。千葉・松戸駅前エリアでモデルケースとなる「MAD City」を展開しながら、そこで培った地域価値を高めるエリアブランディングの知見や実践を活かして全国の都市再生や開発案件に関わっている。
MAD Cityは空家の利活用に関わる不動産、アーティストやクリエイターとの協業、ローカルビジネスの起業支援、官民連携のプラットフォーム、居住支援法人に転換したKOMPOSITIONによる福祉ケアなどからなる複合的なサービスを提供しており、2023年には国土交通省「第1回地域価値を共創する不動産業アワード」中心市街地・農村活性化部門優秀賞を受賞した。