資本主義経済の名のもと、経済が政治と文化より優先される社会に終わりを告げ、これからは文化を優先して政治と経済をつくりかえる時代に突入していくのではないか。そこで形づくられるのは文化圏を中心に政治/経済的な生態系を築く自治区。ここではMAD Cityと呼ぼうと思う。語弊を恐れずに表現するならばMAD Cityにはある意味てバグった(個の観点を追求し、実践を重ねることで生み出される)視点から理想郷を実現すべく奔走する人物たち、MADなひとたちが存在する。MAD Cityにとっての次なる刺激を探し求めて、まちづクリエイティブの代表、テライマンこと寺井元一氏が自治区の更なる進化形を探求すべく、MADなひとたちに会いにゆく連載企画。
vol.4で訪れたのは、愛知県名古屋市。名古屋には独特のカルチャーがある。大企業を擁する巨大な地方都市でありながら、個人の活動も目立っている。かたや、ハードコアやアングラなど禍々しくも見えるディープなカルチャーがまちに混在している。傍目から見てわかったつもりになっていても名古屋はまだまだ謎に包まれている。今回はそうした名古屋、東海のカルチャーを発信するWEBマガジン「LIVERARY」の編集者、武部敬俊氏に話を伺った。前編では、LIVERARYの「まだないからやる」という余白を捉えるスピリットをみながら武部氏のパーソナルな制作の原体験についてトークがなされた。
Edit:Moe Nishiyama
Writing:Jumpei Ito
Photo:Rimon Joh
◎WEBマガジンの生態系 持続的に情報が更新されるとはどういうことか
寺井元一(以下、寺井):今日はまちを起点に「持続的に情報が更新されてくというのはどういうことか」ということへの関心を、名古屋を中心に東海地方のカルチャートピックを紹介・提案するWEBマガジン、「LIVERARY」の編集者である武部さんに聞いてみたいと思ってやってきました。まずは自己紹介をしたいと思うのですが、僕自身は兵庫県出身で20歳くらいの頃に上京しました。渋谷でグラフィティアート、ストリートバスケ、スケートボードなどを中心にまちにストリートカルチャーの場を作る活動をしていたのですが、開催したイベントで人が集まるほどに地域住民の人たちからの苦情も増えて息苦しくなっていったんです。その理由を考えたとき、まち自体をつくるところから始めたら苦情が出ることもないのではないかと考えたのが、自分自身がまちづくりに関わることになったきっかけです。元々渋谷ではじめた活動でしたが、大都会であるゆえに太刀打ちできない壁にもぶつかったりしながらほかの拠点を探し、最終的に行き着いたのが東京から江戸川を渡ったところにある千葉県の松戸というまちでした。松戸は50万人ほどが住んでいるそこそこ大きいまちなのですが、そこで地図上にコンパスで引いた円の内部、面積的に言えば松戸市の1.5%ほどの領域を「MAD City」と名付け、15年ほど活動しています。
武部敬俊(以下、武部):「MAD(マッド)」って単語としてはポジティブな言葉ではないですよね。それを勝手にまちの呼称として言ってしまって大丈夫なんですか?勝手に「狂ったまち」って位置付けられても住んでる人からしたら「えっ」となりそうですが……。

寺井 :元々「少年マガジン」で連載されていた『カメレオン』*1というヤンキー漫画に登場する新京成線沿いを縄張りとする「松戸苦愛(マツドクラブ)」という暴走族の当て字から取ったものなのですが、活動当初は市役所に結構苦情がきたみたいですね。こちらで勝手に言ってるだけなので市役所も止めようがなかったようなんですが。勝手にホームページをつくり、住民を集めてイベントを開催する。でもそうしてちょっとしたまちのビジョンを作っていくうちに、今では市役所のページにも「MAD City」の活動のリンクが貼られたりと、段々と公認のようになってきています。東京ではできないことがこのまちだとできるという場所をつくるというのが私がやっていることです。
*1加瀬あつしによる漫画作品で1990年から2000年まで少年マガジンで連載された。
ここまでが自己紹介。私自身松戸で生態系が完結してしまいそうだからこそ、外へ出ることが必要だと思っていて、逆に「MAD City」の情報がどのように出ていくといいのだろうと考えて作ったチームがM.E.A.R.L.の編集部でもあります。一方で武部さんが編集されている「LIVERARY」はローカルなWEBマガジンの中でも10年ほどずっと根強く続けられている。どのように運営し、どのくらいまちに影響を及ぼしているのかということに興味があります。
武部:まちへの影響は、全く及ぼしてないんですけどね。この記事の前に皆さんが取材した天野裕さんがいる「岡崎まち育てセンター・りた」はNPOで、岡崎市とも連携しながら真剣にまちづくりをやっていらっしゃいますが、LIVERARYは誰に頼まれたわけでもなく勝手にやっているだけなので。根幹は「MAD City」のようにとりあえず始めてみたという感覚に近いのかもしれません。
僕は岐阜県出身です。電車を使えば名古屋から20分ほどなので、岐阜に住んでいる当時も週末はよく名古屋に遊びにきたりしていました。元々出版系の仕事をずっとしていて編集者としてのノウハウを得ながらも仕事でつくる雑誌が面白いと思えなかったので、自分で勝手にいろんな人に取材しにいったり、自費出版で「THISIS(NOT)MAGAZINE」という雑誌を制作していました。雑誌で取材した人を一堂に集めたライブイベントを組むなど色々と活動してきました。
◎「まだないからやる」 LIVERARY的制作行為

あるとき名古屋の東山公園を拠点ににカルチャーの発信も行う書店ON READINGの店主・黒田義隆さんと話していて、名古屋という括りでのカルチャーの盛り上がりは、全国的には一向に認知されていないという話題になったんですね。そこで名古屋各地にあるカルチャーを見える化し、束にして外に発信するときにメディアがあるといい、誰かそういう「ローカルに特化したカルチャーメディア」を始めればいいのにね、という話をずっとしていて。一年くらい経ったときにもふと同じ話になり「誰もやらないから、まあやろうか」と、とりあえず一回やってみようという感じでLIVERARYを始めることになりました。
LIVERARYで最近企画したのは例えば漫画家・大橋裕之さんの発売記念イベントの「サイン会」。そもそも世にある「サイン会」ってめちゃくちゃ適当で面白いなと思い、とにかくサインしまくる謎のイベントにしようと話していたら「漫画で大喜利にしたら面白いんじゃないか」という話になりました。そこで、ラッパーの呂布カルマさんやトリプルファイヤーというバンドの吉田さんと大橋さんが戦うという変なブッキングをしたのですが、そういった組み合わせも今までに見たことがない。思いついたときに「これ、まだ(誰にもやられて)ないな」と思ったものはひたすら形にしてみる、というのはLIVERARYの活動に通ずる姿勢です。

メディアを立ち上げた2013年、できるだけたくさんの人に知ってもらうため、当時主流だったFacebookを使って、関係値のあるライブハウスの店長や、カルチャー界隈のキーパーソンたちに頼んで、ローンチ前から、コメントを寄せてもらいました。他にも友達と一緒に企画したライブの合間に時間をもらい、当時「SCHOP」という名前のフリーペーパーを作っていた上原敏さん、今でも現役で活動しているロックバンド・6EYESのツチヤチカらさんなど地元の編集者や僕や黒田さんみたいなジャンルの違う人を集めて「名古屋のカルチャーは面白いのか」というテーマの座談会を企画しました。「面白い人はいるけど、県外や全国に知られていないだけでもったいないよね」という話の流れになるだろうと読んでいたので「名古屋のカルチャーを発信するメディアを誰かがつくったらいいんじゃないか」という結論からLIVERARYに繋げて終わるという。それを言いたいがために組んだ座談会でした。
LIVERARYの立ち上げメンバーは黒田さんと僕が発起人で、他にWEBデザイナー、グラフィックデザイナーとエンジニアの3人。それぞれクリエイティブのモチベーションは高いんだけど、仕事でつくる制作物の限界に鬱屈としていて、承認欲求が高まっていたんだと思います。「おもろいことを一緒にやりたい!」というところで全員一丸となってLIVERARYという新しい動きをつくろうとしていました。CINRAやナタリーのようなWEBメディアは当時からあったけれど、今みたいにオウンドメディアをバシバシつくるのが当たり前の時代でもなかったので、ローカルに特化したものはあまりなかったので珍しがられましたね。
◎葉に隠れながら多層化していくLIVERARYの形態
武部:さらに「森、道、市場(以下森道)」*2のようなモンスターイベントにも初期から関わっていたことで、知名度が上がったのかなと思います。WEBマガジンで「WEBの人」というよりは、リアルの現場でもイベントを組みまくっていたので、直接「読んでます」と言ってくれる人に会うのは励みになったし、単純にWEBと現場では爆発力が変わってくる。いくら良い文章を書いていても、現場で何かしたときの方が、人に対する影響力が絶対的に大きいと思います。それこそ、2016年に企画したラップバトルのイベント「LIVERARY LIVERA”P”Y in 森、道、市場」で、呂布カルマさんと鎮座DOPENESSさんのバトルの動画は300万回近く(※2025年9月時点)再生されていて、そこにちゃんとLIVERARYとクレジットされていることによってなんとなく知ったり覚えてくれた人も多いのではないかとと思います。
*2愛知県蒲郡にて開催される「モノとごはんと音楽の市場」。岩瀬貴己らが立ち上げを行った。
企画したイベントには必ずLIVERARYという言葉やロゴを入れるようにしています。「LIVERARYってWEBマガジンだったんですね」と言われることもありますが、僕は別にどんな肩書きでもいいと思っていて。グッズ販売などでポップアップを開催したり、台湾で「ネグラ 妄想インドカレー 越境庶民料理店」と開催したコラボレーションイベントなど、するときは「Extra(=号外)」をつけて「LIVERARY Extra」ととして出店するのですが、そっちが本来の活動でグッズ屋さんだと思ってる人もいますし。入り口は別にどこでもいい。幹がWEBマガジンだけど枝葉としていろいろな企画があり、それがどんどん太くなっている。最近は幹が枝葉で見えなくなってきているのですが、それでも別にいいと思っています。LIVERARYを売名するためにとにかくやりまくったリアルイベントが、今となっては複合的に作用し合って、新たな動きをつくり出しています。
◎東海のムーブメントにおける共時性の謎 頻発する新しい祭り
寺井:LIVERARYはかなりの数のイベントをやっているなという印象があります。カルチャーのWEBマガジンでいえば個性派の音楽やカルチャーを扱う「AVYSS(アビス)」もオンライン、オフライン共にイベントを企画しているイメージですが、AVYSSを立ち上げた佐久間信行さん*3も名古屋の方でしたよね。
*3 2018年にAVYSSをディレクターとしてローンチ。新しいシーンやコミュニティに注目した特集記事、国内外のアーティストと連携したコラボレーションアイテムの販売、オリジナルのバーチャル空間を利用したオンラインイベント、またはオフラインイベントなど、多面的なコンテンツを持つプラットフォームとして運営。CVNという名義での音楽活動も行なっている。

武部:AVYSSは東京でイベントをやっていて、その勢いがすごいですね。佐久間さんは出身が三重県で今も名古屋に住んでいますが、自身がミュージシャンとして音楽をずっとやってきているので、たまにアーティストキュレーションのイベントをみると、一般の人が組むにはなかなか難しい彼ならではの組み合わせ。そもそもアーティストに出演したいと思ってもらうには、対バンの組み合わせの妙だとか、場所の選定、企画自体の面白さが求められます。主催者がアーティストだとその表現に対して人が集まってきたりするので、佐久間さんの求心力は羨ましいし、凄まじいと思います。
寺井:名古屋を始め、中部地方界隈がかなり濃い動きをしてるように見えますが、そういうのは何かの影響があってのなのか、それとも偶然生まれてきているんでしょうか?
武部:確かにAVYSSがあったり、「森道」や「橋の下世界音楽祭(以下、橋の下)」*4があったりしますね。全員共通かどうかはわからないですが、元々地元がつまらないと感じていたので、それを「ぶち壊したる」という気持ちがあるのかもしれないですね。LIVERARYの立ち上げと一緒で「まだないからやろう」という思いつきから作り上げていく。森道も橋の下も、1人の「狂った人」というか「頭の中ですごい想像力のある人」が想像していたものを少しだけ形にしたものに仲間が集まって、どんどん大きくなっていったのだと思います。
LIVERARYの指針としては「面白くてかっこいい」が一番だと思っています。かっこよさよりも面白要素がだいぶ勝ってきてしまっている感じはあるのですが……。とにかく入り口を広げるためにイベントではふざけたこともやっているけれど、それをきっかけにLIVERARYの存在を知ってもらえたらという感じでバランスを取る。面白さや可愛さが前に出ることばかりやっているとグッズ屋さんとしては儲かりそうですが、カルチャーのコアな層に届いてほしいイベントだとかえっ集客に苦戦したりもするので、ブランディングはなかなか難しいですね。
*4 愛知県豊田市にある豊田大橋の下、千石公園で開催されるフェス。2025年は「橋の下大盆踊り」として開催された。
名古屋はハードコアやパンクなどのカルチャーも昔から盛んで、そういったジャンルのバンドをやってる友人たちと共同イベントも開催しているのですが、もう少しLIVERARY感を出したイベントもやれるといいかなと思います。イベントも続けていくと、だんだん丸く収まってきてしまうものなので、例えば、「RAW LIFE」*5 っていう廃墟みたいなビルでやっていた伝説的なフェスがあったんですが、ああいう尖ったイベントはいつかやりたいなと思ってます。
*5 東京都の新木場などで、2004年から2006年までの3年間のみ開催されたフェスイベント。最後の楽園と評し、レゲエ、ダブ、ハウス、パンク、ハードコア、ロック、ポップスなど全方位のクラウドに向けて開催された。武部氏が言及する廃墟ビルで開催されたのは、2005年の千葉県君津市の回。HMV&BOOKS onlineのニュース、2006年の回の告知文に、2005年の熱狂を示す空気感が読み取れる。
「そして2005年10月15日、千葉県君津市の元廃虚で行われた伝説?の第2回イベント。
都心から車で約2時間離れた千葉県君津市という工業都市のさらにその工業地域の一角。昭和30年代からの筋金入りの元廃墟をスタジオにしたアクアマリンスタジオで、3,000人を超すパーティーピープルを集めたこのイベント。
ライブ/DJ問わず全部で98組におよぶアーティストが集結して丸一日かけて開催されたこの(公式)ウェアハウスパーティーは、ビル崩壊の危機、ボヤ騒ぎ、異常な湿度上昇、近隣苦情などなど、幾度となく中止の瀬戸際まで追い込まれながら奇跡的に24時間を完走。」
https://www.hmv.co.jp/news/article/605170008/
寺井:ありましたね。僕も行けてないのですが、集まった人の熱気で汗の水分が全て上がっていき、屋内なのに上から雨が降ってきたと聞いた気がします。
武部:ハードコアカルチャーを前に打ち出しつつも、クリエイティブ性も感じさせる、RAW LIFEみたいなことを本当はやりたいし、できたら面白いと思います。ハードコアの荒々しく動的な要素とWEBマガジンの静的な要素を組み合わせるなど。メンツめちゃくちゃキレキレなのに、フライヤーを漫画家の大橋さんに頼んだりと、バランスを取ったら面白い。かっこよすぎて普通の人が一生関わらない、東京の一部の変な人に圧倒的な支持を受けるみたいなものというよりは、LIVERARYとしてやるのならもう少し別の形を探りたい。
◎個人が見えていること=まち特有の磁場が見えていること
武部:名古屋のプレイヤーは皆、人と同じことをやりたくないというマインドがどこかにあると思います。東京だと何かをやりたい人が無限にいすぎて、たまたま同じタイミングで思いついちゃった人たちが同じようなことをやってしまっているというのは結構あると思うんですれけど、名古屋は思いついて実行しようという人が少ない気がするので、様子を見て「あっちはそういう感じでしたか。じゃあこのアイデアはやめて、もうちょっと改変してこうしよう」という時間がある気がします。
寺井:東京だとある意味、WEBマガジン的な活動も、組織が先行して、個人が見えてこないことも多々あるように思います。

ーーLIVERARYを介して企画されるさまざまなイベントは、そこにいる人たちのユニークでオリジナルなつながり自体が、ポスターの表現や企画内容に反映されているように見えます。それ自体がエリアというか、まちを感じさせるような印象を受けます。
武部:連帯を嫌う人もいて、繋がりから外れて行こうとする人もいるんだけど、結局仲が良いので付き合いも続く感じになってますね。名古屋に関しては、大阪や京都、福岡など、同じ規模の都市部に比べるとプレイヤーの数が圧倒的に少ないんですね。だからこそ、ある意味肩を組みやすいのかもしれない。本気で天下取りたい人は東京行くけど、呂布カルマさんとかですらいまだにその辺に住んでて街中にチャリでくる。東京とかだと全体的な速度も全然違うし、せかせかしているけど、名古屋の特性として焦っていない人は多いかもしれないですね。
ーー仲間の増やし方というか、例えば記事を書くライターさんなどはどうやって募っているのでしょうか。
武部:カルチャー系のライターはあまりいないですね。LIVERARYで募集しているのは基本的にボランティアライターさんで、毎日のようにUPしているイベントやライブの告知情報の記事の執筆をお願いしています。モチベーションや能力が高い子ほどそのまま東京に行ってしまいますね。学生のときから入ってくれた人がCINRA、NiEW、QETICに入ったり、カルチャーメディアに行ったり、進学塾としては優秀な感じなので、河合塾みたいに張り出したいぐらいなんですが。
そうやって外に行った人が、たまたま仕事を持ってきてくれることもあり、名古屋の宿泊施設と協力して名古屋の「YOUR CITY IS GOOD?」というカルチャーシティガイドを制作させてもらったりもしました。元々、どこかに遊びに行きたいけれどまちに知り合いがいないという人向けに、まちのキーパーソンがおすすめを教えてくれるというメディアが各地方があればいいなと思っていて。例えば福岡などの地方都市に仕事で1泊2日でいったときに、どこに行けばいいか困ることがあります。僕は福岡に友達がいたので聞けば「ここでイベントやってるよ」など教えてもらえるんですけど、誰も知り合いがいないと難しいですよね。。東京にはそういったガイドがあるけど福岡ですらなさそうで、Googleで適当に調べて評価を見ながら居酒屋を探すというのが、勿体無いなと思いました。なのでまずは名古屋版のガイドを作り、それを大阪や京都など西へ広げて行こうかなと思っていたんですよ。そしたら、たまたまそれと同じことをやろうとしているクライアントがいて、その制作会社にLIVERARYで前に手伝ってくれたことのある男性が入社していたんです。名古屋版をつくるのであれば、LIVERARYに相談した方がいいと提案してくれて、制作しました。メディアを10年続けているとそういうことはありますね。
◎岐阜での生活。雑誌的情報収集の原体験とOTONOTANI
寺井:元々岐阜県出身ですよね。岐阜にいる時は何をされていたんですか?
武部:大学生くらいの頃から漠然と雑誌の編集者になりたいと思っていて、大手から小さい編集プロダクションまで受けまくっていたんですけどダメで、しょうがなくCD屋でバイトしている時に、たまたま見つけた岐阜の地域情報誌の出版元をみたら嘱託社員の募集をしていたのでそこで働いてました。編集の仕事をやりつつ、地元の年上の人たちが岐阜の山の中で開催していた「OTONOTANI」という野外フェスのボランティア募集のチラシを「ヴィレッジヴァンガード(以下ヴィレヴァン)」*6で見つけて応募して行ったらそこにいた人たちと仲良くなってそれまで自分が知らなかったディープな音楽をたくさん教えてもらいました。そこからレールを踏み外し始めました。今となっては売れているアーティストも駆け出しの頃からブッキングされて結構出演していたりと先見の明がある人たちだったけど、通な内容過ぎたのか集客はいまいち。でもそういう人たちをみてきた中で「誰も知らないものをフックアップする」ということこそ、メディアがやるべきことだと改めて思いました。
*6「遊べる本屋」がコンセプトの本屋で書籍に捉われず様々なカルチャーグッズや雑貨を販売するチェーン。愛知県名古屋市で創業し、現在も本社がある。
まだON READINGを始める前の黒田さんが出店していたり、今名古屋でカルチャー的にも超売れっ子な「Kakuouzan Larder」、をやっているハンバーガー屋さんの丹羽洋己さんがボランティアにいたりと、「OTONOTANI」にいた人が今周りで活躍しています。そして黒田さんが本屋を始めるときに、自分がつくった雑誌を置いてもらいました。LIVERARYのグラフィックデザインで関わった人もそのとき遊びにきていたお客さんの1人で、物販コーナーに僕がつくった雑誌を置いていたら「これを作った人に会いたい」という人がいて、話したら「こんなデザインできない」と褒められて仲良くなり、LIVERARYを立ち上げる際にも声をかけました。彼は今東京に行ってしまいましたが、先ほどのカルチャーシティガイドのデザインを彼にお願いしていたりと、いまだに繋がりがあります。
元を辿るとみんな同じようなことをやっていて、当時燻っていた人たちがそれぞれ一緒になにかをやってみたり離れたりしながらも、結局個々に実力があるのでどうにかなってしまう。名古屋のカルチャーシーンにおいてそういう人たちが肩を組んでやっているというのはあるかもしれません。

音楽イベントの裏方に携わったのは、「OTONOTANI」のボランティアが初めてでした。端的に言ってしまえばアーティストをブッキングし、タイムテーブルを組んで料金設定をすればイベントはできるんだということをそのときに学びました。
そして自分で最初につくった雑誌の特集は「OTONOTANI」。出ているアーティストがめちゃくちゃかっこいい人たちばかりなのになんでこんなに人が入っていないんだろうと思い、自分なりに少しでも宣伝しようと出演していた地元名古屋のアーティストたちにインタビューしたものをまとめたのが一冊目でした。もちろんいきなり影響力が出るわけもなく、結局集客の足しにはなっていなかったと思いますし、宣伝してと誰かから頼まれたわけでもないんですが、集客のためにメディアをつくろうと自分のやりたいことを重ねて勝手にやりました。その後、カフェを借りて雑誌で取材したアーティストにライブをしてもらったのが最初に自分で組んだイベントでした。
寺井:それは何歳くらいの時だったんですか?
武部:今から20年前くらいなので、20代前半とかですかね。ライブハウスだと箱代も高いということもあってまずは知り合いのカフェで開催したのですが、そのときはあえてライブハウスでイベントをやらなくてもいいのでは?と思っていました。それは、ライブハウスのイベントはみんなやっていたので、そうじゃない方の選択をしようと、その後もプロレスリングのあるバーで、ライブもあってプロレスの時間もあるイベントを開催しました。友達のバンドの子と廃墟のようなビルを見つけて発電機を持ち込んでイベントをやったりしましたし、屋上で開催したイベントは、最初の3分で警察が来て一瞬で止められましたね。
寺井:3分は相当早いですね。
武部:最初の曲で警察が来たのでヤバいと思ったのですが、一応同じビルにあるバーのようなところも押さえていたのでなんとか続けることはできました。お客さんはたくさんいたので、ドラムセットやアンプをバケツリレーで運んでもらい一から仕切り直しました。
寺井:警察からすれば最初からそうしろよという感じだと思いますが。
武部:でももう「屋上GIG」て銘打ってしまっていたので……。
寺井:GIGという言葉は岡崎でも何回も聞きました(笑)。聞いていると、音楽の話が結構出るなと思っていて、名古屋のカルチャーのルーツはやはりそこにあるということなのでしょうか。
武部:編集者になりたいと思ったきっかけは、服と音楽が好きだったからで「rockin’on」や「snoozer」といった音楽雑誌を読み漁っていて、音楽ライターになりたかったんですね。専門誌よりも分野がミックスされた「Studio Voice」のデザインがめっちゃかっこよかったのでそれを真似しながら独学で自分つくったのが、先ほどから話に出している自費出版誌の「THISIS(NOT)MAGAZINE」です。自分の場合は雑誌の魅力に惹かれてここまでやって来ている感じはあります。雑誌ってある種カルト的というか、人を信じさせるじゃないですか。絶対にこの人たちかっこいいんだと思わされる記事を読んで、そのバンドを聴くと、確かにあの人が言ってるだけあるなと信じ込まされることも昔はあったと思います。そういうメディアのつくった情報から音楽に入っていきました。今の若い人たちの方が情報から入らず、実際に聞いてみてカッコいいかどうか判断すると思うし、そっちの方が感性としては正しいと思うんですけれど。レコード屋さん行っても視聴するのがめんどくさくて、その帯を読んでいい感じに書いてあったら面白そうと思ってとりあえず買っちゃうこともあるので。入り口が文章というのは、今の子たちとは違うような気がします。僕の中で音楽がカルチャーのカテゴリーで一番最初の入り口になっているのはそうした雑誌の影響だと思います。LIVERARYを始めてから、美術館の展示や催事の告知記事の制作で、現代アーティストなどへ取材するようになってから、逆に自分の領域が広がったなという感覚もあります。音楽以外の知識がちょっとずつ増えてきたというのはありますね。そもそもLIVERARYをお金にしようと思って始めたわけではなかったので、それはLIVERARYとしての活動が続いている理由の一つでもあるかなと思います。
ーー自費出版の雑誌やWEBをはじめ、自分たちのメディアを「面白いからやろう」と始めても、お金のことなどで途中で組織や運営がうまくいかなくなることが多いのかな、というイメージがあります。マネタイズについてあまり考えていないことが逆に続いている要因になるというのはどのようなことなのでしょうか。
武部:応援してくれる人が近いところだったり、遠いところだったりに少なからずいるというのは単純に励みになります。断続的に何かを仕掛けることで、次から次へと数珠繋ぎで人間関係や企画や仕事も繋がっていくように思います。SNSだけ見ている知り合いからすると「あの人ずっと何かやってる?」と思われてるかもしれないですが、それが良いのかもしれません。なにかがあったときにふと思い出してもらえる。この人にお願いしてみようという選択肢の一つに入れておいてもらえるというのはあるかもしれない。つくったものが人に届かないこともあるんですけど、それでも届けようと必死に頑張る。届かなくても諦めずに、勝手に面白いと思ったことを形にしまくる。LIVERARY自体では収益をあげることを目的にせずとも、最終的にそれが巡り巡って仕事に繋がることもあるんですよね。最初からお金が目的じゃない。全体的に、儲けるためにやっていることが一つもないので、それがいいのかなと思います。

<後編に続く>
編集者
1983年生まれ。これまでさまざまな編集プロダクション、出版社に勤務し編集ノウハウを学ぶ。2013年よりWEBマガジン「LIVERARY」を仲間たちとともに始動し、名古屋を拠点にカルチャートピックを日々発信・提案し続けている。メディアの編集・運営のほか、イベントの企画制作、ショップのプロデュース、広告物や物販のグラフィックデザイン、アートワークまでを手掛け、広義における編集者として活動中。
寺井元一
株式会社まちづクリエイティブ代表取締役/アソシエーションデザインディレクター、NPO法人KOMPOSITION代表理事
統計解析を扱う計量政治を学ぶ大学院生時代に東京・渋谷でNPO法人KOMPOSITIONを起業し、ストリートバスケの「ALLDAY」、ストリートアートの「リーガルウォール」などのプロジェクトを創出した。その後、経験を活かして「クリエイティブな自治区」をつくることを掲げて株式会社まちづクリエイティブを起業。千葉・松戸駅前エリアでモデルケースとなる「MAD City」を展開しながら、そこで培った地域価値を高めるエリアブランディングの知見や実践を活かして全国の都市再生や開発案件に関わっている。
MAD Cityは空家の利活用に関わる不動産、アーティストやクリエイターとの協業、ローカルビジネスの起業支援、官民連携のプラットフォーム、居住支援法人に転換したKOMPOSITIONによる福祉ケアなどからなる複合的なサービスを提供しており、2023年には国土交通省「第1回地域価値を共創する不動産業アワード」中心市街地・農村活性化部門優秀賞を受賞した。
伊藤隼平
1994年宮城県仙台市生まれ。カフェ・バーなかなかの店主。Studio Cove代表。ネットプリント「月刊おもいだしたらいうわ」。



