そんな状況を踏まえて、都市をそこに集う人々にとって魅力的なものにするため何が必要かを調査・研究模索するのが、松戸市と株式会社まちづクリエイティブが連携して進めているラボ型リサーチプロジェクト「MAD STUDIES」だ。毎回様々なジャンルから視野を広げてくれるゲストを招いて、イノベーティブな「まちづくり」はどうあるべきか、知見を伺っていく。
第2回目のゲストは、建築家の中山英之さん。気鋭の建築家として知られ、東京藝術大学准教授も務める中山さんは、その独自の視点から、街や建物、人々の生活をどのように捉えているのだろうか。ジュリアス・シーザーから未来都市まで、ご自身の携わった設計やプロジェクトの話を交えながら、これからのまちづくりの可能性について語ってもらった。
text:Haruya Nakajima
photo:Yutaro Yamaguchi
edit:Shun Takeda
個人主導の「公共事業」としての「MITOSAYA薬草園蒸留所」
唐突ですが、世界史上最も「いい男」って、誰だと思いますか? 色んなご意見あると思いますが、ジュリアス・シーザーを挙げる人は多いのではないでしょうか。今日はこのシーザーから始めたいと思います。僕は作家の塩野七生さんが好きなのですが、本の中でローマ時代の「いい男の条件」について書かれています。それが、驚くことに借金が多いこと!だそうなんです。ええっ?ってなりますよね。
シーザーは、国家予算規模の借金王だったのだそうです。彼だけでなく、ローマの皇帝は多くがそうだった。どういうことかというと、ローマ時代の公共事業、たとえば道路や水道を引き、コロッセオのような競技場を作る、みたいな。あれはみんな個人事業だったのだそうです。要は大志ある男が「この都市と都市は俺が結ぶぜ」って手を挙げて投資を募るんです。ものすごく人望のある、つまりこいつはいい男だ、と皆が認める人物には、お金を貸してくれる人が現れる。シーザークラスになると、もう天文学的なお金を借りることができた。借金は人望の証、というわけです。
古代ローマで公共事業というのは、すなわち個人事業だった。議会制民主主義の今日の社会では、公共事業ってみんながお金を出し合ってみんなが欲しい買い物をすることですよね。今はそこのところがこんがらがってよく分からなくなっちゃってますが。
ところでつい最近、僕の事務所が携わったある仕事がグッドデザイン賞で金賞を頂きました。授賞式のスピーチで審査員長でデザイナーの柴田文江さんが、「金賞の傾向がこのところ変化している」とおっしゃっていた。「クルマに代表されるような大企業の製品のあいだに、一個人の想いが形になって、やがてそれが大きなうねりになるような、そういう仕事の占める割合が増えてきている」と。
そう言われてみると自分たちのチームもそうだった。受賞したのは千葉県大多喜町にある「MITOSAYA薬草園蒸留所」という、閉園した薬草園を改修して、さまざまな果樹や植物を原料にしたお酒を作る蒸留所のプロジェクトです。この薬草園は元々県立の施設だったところで、つまり公共事業でした。オープンしたのは1987年だから、いわゆる「平成のバブル」真っ只中。同じころ日本全国に公営のテーマパークがたくさん出来ましたが、その後の顛末は皆さんご存知の通り。この薬草園も例に漏れず閉園の憂き目にあって、最終的に管理を任された地元町が事業者を募集したところを、もともと東京の神宮前でアートブックショップ「UTRECHT(ユトレヒト)」を運営していた友人の江口宏志さんが手をあげた、というのが経緯です。
江口さんに声を掛けてもらって、僕たちは既存施設のリノベーションに設計者として関わりました。そういう意味ではこのプロジェクトには、バブルという時代が生み出した形に、もう一度生産の場としての意味を再発見していくような側面があります。月に一度、蒸留所オープンデーを催しているのですが、先日はなんと3000人以上が集まりました。「公共」という形で始まった園が、東京で書店をやっていた一個人の移住を境に、新しい生を生き始める。柴田さんのスピーチは、こうした事例がここだけの話ではないことを示唆していますね。
それを単純に「個人の時代」と言ってしまうのも早急かもしれませんが、「公共」とか「議会制民主主義」といった、私たちの社会の根幹を支える仕組みの元々の意味が、こんがらがってよく分からなくなってしまっているこの時代に、どちらかというとシーザー的、というのか、つまりは一人の人間の気持ちや行動が、インターネットなどの新しいメディアと結びついて、気づくと数千人が訪れている───そんな時代が到来しつつあることは確かなのだと思います。
クラウドファンディングは現代にシーザーを生み出すか
では、今の時代にシーザーのようにみんなの思いを束ねる方法に何があるかというと、クラウドファンディングってまさにそうですよね。僕は今まであまりクラウドファンディングには縁がなかったのですが、数年前はじめて出資側から参加してみました。
大好きな映画監督の作品製作を応援するもので、完成したのが濱口竜介監督の『ハッピーアワー』という作品です。全員素人の女優さんを集めてワークショップ形式で演技指導をやって、なんと5時間もの大作になったのですが、結果彼女たちはロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を獲得し、濱口監督は今やカンヌの招待作家です。まだ一部の観客しか知らない一映画人が何者かになっていく過程を、この仕組みのおかげで身近に感じることができたんですね。
クラウドファンディングって、未発表のDVDとか試写会の招待状とか、額に応じてちゃんとリターンも届くし、なにより投資したプロジェクトがどうなるのか見守るのは楽しい。実は「MITOSAYA薬草園蒸留所」もクラウドファンディングに支えられてスタートしています。リターンはもちろんお酒です(笑)。
ところでこのクラウドファンディングですが、まだ今のところ道や橋をつくったという話は聞きませんよね。でも、僕はたとえば「宇宙エレベーター」みたいな、現代の国家という枠組みでは到底実現できないような規模のプロジェクトを叶えるのって、案外こういう仕組みなんじゃないかなって思います。塩野さんの本を読んでいると、もしもシーザーが今の時代に現れたら、本当に実現しちゃうかもしれない気がしてきます。だって彼らの作ったローマという都市は、たとえ競技場や水道橋としての本来の機能を失っても未だに、かけがえのないものとして人々を惹きつけ続けているのですから。
680メートルの煙突で発電する煙都市の持つビジョン
僕はシーザーとは程遠い残念な男なので、せめて想像だけでも何をつくるのがいいかなあと考えを巡らせてみると、原子力ではない方法で発電所を作るなんていいなあ、って思います。ドイツなどでは、多少価格が高くても有機野菜を買うように、持続可能性の高い方法で発電された電気を買う、みたいなことがひとつのカルチャーになっているとずいぶん前に聞いたことがありますが、日本ではまだまだ「電気は電気」ですよね。
それで、大きな震災などがあると突然「自分たちの使っている電気はあそこでつくってるものだったのか」って知ることになる。すると急にいたたまれない気持ちになるのは、きっとシーザーだって同じはず。あるとき世の中にはどんな発電方法があるのか興味を持って調べていたら、実に馬鹿げた方式を一つ見つけました。それは山をつくること(笑)。山のような煙突、高さがスカイツリーくらいあるものをつくるんです。実際にやると言っているベンチャーもアメリカにありました。何年もホームページは更新されないままですが。
どういう仕組みかというと、大きい煙突が太陽の熱を浴びると、煙突効果といって、中の熱せられた空気が自然と上に登ろうとします。上昇気流が生まれるわけですね。そうやって大量の空気が上がってくるところに、頂上から霧吹きでミストをかけてやるんです。シュって。すると熱を奪われた空気が重くなって、ものすごい勢いでこんどは下にドーンと煙突を落っこちていく。強力な下降気流ができるわけです。で、何をするのかというと、その風で風車を回す、っていう。要するにややこしい風力発電装置なんですよ。さっきのサイトを見ると、この山=煙突の高さがだいたい680メートルくらいで、発電能力は40万キロワットくらいとあります。
日本には柱と柱の距離が世界一のスパンを誇る橋があるのをご存知ですか? 明石大橋です。明石大橋は柱間がなんと2キロもあります。ローマ人もびっくりの建築技術です。もしもシーザーが「クラウドファンディングで山を作るぜ」って言ったら、僕もうっかりつぎ込んじゃうかもしれない。試算では15億ドルほどかかると書いてあって、それを平均的な電気消費人口で割ると、40万人規模の都市を賄う発電所が、1人40万円強くらいでつくれてしまうことになる。あれ、なんだか思ったより高くないですよね。
ただ、この試算は一つ大きなズルをしています。電気って、送電ロスがとても大きいんですよ。電気を高圧にして消費地まで送るのに、大半のエネルギーをドロップしてしまうんです。それはつまらない。40万人が山の麓に集まってこないといけない、ということで真ん中に600メートルの山をいただいた都市ができるのではないか。そして、住人たちは地産の電気を使って生きていく。というのが僕のちいさなローマ帝国構想です。
とはいえ、毎日山からは強風が吹いてきます。風力発電はすごくエコなんだけど、人間の体って、扇風機のような定常的な周波の風を浴びているとおかしくなってしまう。そこで、山の麓を囲む、樹海のような森が作られる。密集した木々が、そこを吹き抜ける風を乱数化するフィルターになるわけです。600メートルもある山肌を落ちてくる雨水は小さな湖も作ります。ウィンドサーフィンできますね。それから、気流の上昇と下降が絶えず起こると、おそらく山の上に人工の雲が発生して、雨や雪を降らせるかもしれない。結果、この都市はミニチュアの富士山みたいな姿になります(笑)。
すべてを太陽光発電でまかなう実験都市「マスダールシティ」
ここからが本題です。電気ってWh(ワットアワー)で表しますよね。クラウドファンディングをする人たちは、突き詰めるとこのWhを買うわけです。もしもこの都市に1億円を出資するような人がいたら、その分の地主ならぬWh主になる。あるいはお年玉500円を出資した子どもも、その分のちいさなWh主になる。たくさん出資した人はたくさん電気を使う権利を持っているので、この都市の公共交通機関を運営できたり、夜遅くまでやっているお店を開いたりできるかもしれません。
お金というのは何とでも交換できますよね。例えば綺麗な歌声とビールみたいな全然別のものだって、お金を介在させることで比べることができる。でもWhはもっとシンプルな価値です。金(きん)のようにそれそのものに価値がある。お金のように約束と信用でできているものじゃなくて、Whという存在がそこにあるんです。だから、経済のあり方もどこかオールドファッションになります。お金ではなくそのものに価値があるもの──この場合では電気ですね──で回る都市ができるんですよ。
アラブ首長国連邦の首都・アブダビに、「マスダールシティ」という実験都市があります。その街は全て太陽光発電で電気を賄っている。都市計画としては失敗しつつあると言われている側面もありますが、コンセプトはすごくおもしろい。砂漠のど真ん中に3キロメートル四方ほどのスペースの都市を、自分たちで用意した太陽光パネルで充電できる電力だけで回しているんです。
街の中心には通りを冷やす上空の風をキャッチするための大きなタワーがシンボルとしてあって、みんなそれで電気の消費量をモニターする。住人が電気を使いすぎて、砂嵐なんかもあって発電量が少ないような日は、タワーに赤いランプがついてみんなの節電意識が高まります。逆に、すごく晴れていて電気が余ったぞ、となると青いランプがついて、夜遅くまでパーティで盛り上がる(笑)。そんな都市に「煙突都市」もなっていくのではないか。
そうすると何が起こるかというと、何にでも価値づけして交換できるお金というものがなくなって、お金では交換できないようなものが逆に意味を持ってくる。例えばおもしろい話をするとか、楽しい踊りを踊るとか、根本的に人間が持っている交換不可能な価値が相対的に意味を持ってくるのではないか、と。この妄想で僕がいちばん大事だと思っているのはこのことです。
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