株式会社まちづクリエイティブによる松戸市での取り組みとして、2022年3月、「ネオ文化ホールプロジェクト」が開催された。
松戸市文化ホールのギャラリースペースを活用し、新たな文化ホール像を模索する試みだ。2021年3月、2022年2月と、過去2回にわたって実施された勉強会「MAD STUDIES」で、様々な講師から提案されたアイデアをもとに建て付けられた、一種の「実証実験」である。
その中で、建築家の中山英之さんと共に「可動式の什器を用意して貸し出す」というプランを実践した筑波大学准教授の渡和由さんに、イベント最終日、総括も兼ねて話を伺った。
Text: Haruya Nakajima
Photo: Yoshiaki Suzuki
Edit: Chika Goto
自ら「場」を体験することの重要性
──先ほど「ネオ文化ホールプロジェクト」の様子を見て回っていただきました。印象的だったのは、渡さんがご自身で椅子に座ってみたり、空間の隙間に入って行ったりと、「場」を体感するのに積極的だったことです。

渡:やっぱり自分で確認しないと、その「場」のことはわかりませんからね。いま座っている場所も、目の前に観葉植物が見えます。こういうところを、私は「眺め場」と呼んでいるんです。入口から見た時に、この植物が目印になっている。さらに二村たかえ(さくら広場)さんのカフェが開いている時は、ここに人が入って来たくなるようなセッティングになっているな、と思いました。
──以前ここを利用していた市民の方が入り込んでいたけれども、規制されて突っ張り棒がついてしまったという、窓と壁の隙間にも自ら入って行かれましたよね。
渡:さっき外が暗くなってから入ってみましたが、隣の広場に張られたテントに投影されている桜模様のプロジェクションを上から眺めることができました。非常に楽しいスペースでしたね。本来であれば、そこに人を入れなくしている壁自体を「眺め場」に変えればいい。私からすると、それが課題になります。
もちろんそこに入りたい方がどれだけいるかは疑問ですが、とにかく体験してみないとわかりません。体験というのは誰かが最初にして、他の人もそれに続いてみて「よかった」というふうに、だんだん連鎖していくもの。特に日本人の場合は、隙間に入り込むような場の使い方に慣れていません。自由に使っていいと言われても、みんな使いづらいと感じてしまうんです。
──自由さに耐えられない部分が日本人にはある、と。
渡:講演会で椅子が正面を向いて並んでいるとか、円形に配置されているとかであれば大丈夫なんですけどね。この場所はもともとテーブルが円形にセッティングされていたので、みんな椅子を持って来て座ることは自然にできたと思います。そういう意味では、自然の行動を誘発している。向こうからも見えるし、かなり誘引力は高かったんじゃないでしょうか。
しかも、すぐそばに「ヒメゾウ」が置かれ、子どもの遊び場がセッティングされています。そうするとお母さんたちがテーブルで話している間、子どもたちは落ち着いた気分で自由に遊ぶことができる。
──お母さんの目は届くけど、監視はされていないという距離感。
渡:そう。適度に離れていて、用があればくっつきに行くこともできる距離が大切です。
サイトプランニング/プレイスメイキングとは?
──渡さんのご専門は「サイトプランニング」や「プレイスメイキング」ということですが、これらはどのような学問なのでしょうか?
渡:一言で言えば、いろんなモノの「配置」を考える学問です。施設、道路、建物などをどう配置するか。そのなかには公共施設もあるし、商業施設もあります。
公共施設はお決まりの機能のための、お決まりの配置がほとんどです。でも商業施設は、そこで人がくつろぐために屋外席を設けたり、壁の位置を変えたりします。例えば可動式の椅子は、公共だとイベント用に教室みたく並べるなど、配置が決まりきっていますが、商業施設では様々に工夫されます。公共施設だとそれがなかなか難しい。
私はサイトプランニングをする際に「小さな街」を想定しています。この部屋も広場みたいですよね。カフェに面していて、子どもが遊べるスペースがあり、適度に囲われていて、植物など眺める対象物がある。植物だって、眺めるためだけじゃなくて、人と人の目線が合わないようにする働きもあるわけです。
──たしかにここに植物があるのとないのとでは、雰囲気がまったく違ってきそうですよね。
渡:違ってきます。こうやって対話していても、植物に焦点を合わせる方もいますし、向かいの人が知らない人であれば、遮蔽物にもなる。一般的な交流会などのイベントであれば、こういうふうにする必要はないかもしれませんが、今回は自由に過ごせることが重要ですよね。プレイスメイキングというのは、一人ひとりがどう自由に過ごせるかを、自分で主体的に選択できることがまさにポイントなんです。
──目的が定められた場を設計するのではなく、個々人が能動的に選択できるような仕掛けを用意する、ということでしょうか?
渡:その通りです。「用意する」というのが大切ですね。設定をつくり込んでガチガチに固めるのではなく、「仕掛けを用意する」。今回の私のプランであれば、貸し出し可能な椅子を用意した、ということになります。
──都市計画なんかだと、人の動線など全てがトップダウンで決められるイメージがあります。
渡:ただ、都市計画に携わる方々も、最近ではプレイスメイキングの考え方に注目し始めています。最初から決め込むのではなくて、「プレイス」を最初に考えるようになってきている。それから行動そのものの自由さを考えていこう、という潮流が生まれています。
今回は、部屋の中でそれらを実践しています。これまでの都市計画は基本的に「外」でした。公園、広場、路上などですね。それを室内でやることが面白い。そもそもプレイスメイキングの発祥は、教会などの室内空間が舞台でした。
例えばプレイスメイキングでは、屋外でも「ルーム」と呼んだりします。屋根はなくても木陰があったりすれば、それを「ルーム」と見なすんですね。その意味で、ここは室内ですが、もともとはルーム感がなかった。でも、今回のプロジェクトの最中はルーム感が出ていたと思います。壁に関しても、テクスチャーが柔らかくて、事務スペースのような印象が薄い。
──もともとギャラリーという部分も大きいのでしょうか?
渡:そうですね。ギャラリーってスポットライトがあるから、均一に照明が当たっていなくて、明るいところと暗いところがありますよね。それが明暗をつくり、いい雰囲気になっている。一方で事務スペースや教室は、もっと蛍光灯で均一にするでしょう。でも部屋やカフェは、それだと居づらくなってしまうんですよ。
ニューヨークのブライアントパークにおける取り組み
──そもそも、渡さんの「貸し出し可能な椅子を用意する」というプランはどうやって生まれたのでしょう?
渡:これは建築家の中山英之さんとの共同プランなのですが、彼が以前「MAD STUDIES」で語ったコンペ案のなかに、椅子などのファニチャーを収納する小屋があったんですね。それを聞いて、まさに私と同じことを考えていると感じたんです。
──中山さんのコンペ案は、北海道の牧場がクライアントで、牧場に二つの大きな扉の形をした売店と納屋を用意する、というものでしたね。いわば、牧場を「ルーム」にするような。
渡:そう。そこには建物で枠取られた「眺め場」があり、それが日本の寺院や縁側の借景のようにも見える。目指している方向が同じだな、と。
その上で、海外のプレイスメイキングの実例を参照しました。ニューヨークにブライアントパーク(Bryant Park)という公園があります。全体で4haある公園の中の2.5haに、なんと4,200脚の可動椅子が置いてあるんですね。ありあまるほどの椅子があるので、みんなが自由にそれを使って、好き好きにくつろぐことができる。椅子の置かれた公園内は、一時として同じ平面図になっていないわけです。

──ブライアントパークの試みは、プレイスメイキングの代表的なプロジェクトのようですね。
渡:そうです。プレイスメイキングを提唱する組織が90年代に導入し、進めてきました。可動テーブルも800脚あって、ゴミ箱もすごい数です。つまり、使っていいぞ、使い尽くしていいぞ、ということですね。
ちなみに現地の人たちは、椅子を一人で三脚くらい使います。足を乗っけて、カバンを置いて、食べ物を置いて、と。でも、日本人はなかなかそういう使い方ができない。
──日本人はどこか遠慮してしまいそうですよね。
渡:そこが違うんです。一人が一脚きちっと使うんじゃなく、自由にいくつも使っていい。持ち歩いてマイチェアにしている人もいますよ。一応警備員さんがいるので、家までは持ち帰らないし、盗まれもしない。ただ、壊れることはあります。それも、公園の中に修理する方が常駐している。また、ゴミ箱を掃除する方もいる。そういう方々が夜でも回っています。
椅子を好きに置いて、他者と交流してもいいし、一人で過ごしてもいい。そういった自由や主体性が担保されている。私としては、そこで一人で過ごす時間はかなり実存的というか、「自分がいる」ということを感じられる場になっています。さらに、そこには自分だけじゃなく、自分と同じように一人で心地よさそうに過ごす他人がいる。話さなくても、それが風景になっているんですね。
──それぞれの人が自分の心地いい過ごし方をしているというだけで、たしかに安心感を得られたり、ポジティブな気持ちになったりしそうですね。
渡:実際、それで犯罪も起きにくくなっているし、人の目があるので悪いこともできないという状況をつくっている。ただ、日本は椅子を放置するとなると、心配してしまうんですね。だから日本の行政では難しい。ブライアントパークも行政の持ち物ですが、民間のまちづくり会社が運営しているんですよ。
──なるほど、民間運営なんですね。
渡:もちろんパークの利用は無料です。その代わり、公園内にはいろんなお店があります。そうすると、4,200脚の椅子がフードコートのようにもなる。公園の周辺にも、スターバックスやホテルのレストランがあって、ホールフーズ・マーケットというちょっといいスーパーが二階建てで入ってきたりもしている。そういうことは日本でもやろうとすればできると思うんですが、なかなかそこまで踏み切れないという課題があるんです。
来場者の滞在時間が長くなるという「手応え」
──今回も松戸市が管轄するスペースで、ブライアントパークのように可動椅子を用意するという実証実験だったんですね。実際にやられてみて、どう感じましたか?
渡:ひとまずうまく機能したと思っています。ただ、椅子の数が少なかったかな。もっとあってよかった。この椅子は私の私物で、まだ家に十数脚ストックがあります。ブライアントパークで実際に使われているものと同じ、Fermob(フェルモブ)というフランス製のブランドで、デザイナーはイタリア人。この椅子のいいところは、座り心地やたたみやすさ。持ち運びも簡単です。
──たしかに公共施設によくある普通のパイプ椅子なんかだと、どうしても固い気分になる感じがします。でもこの椅子だと、カフェのテラスにいるような気持ちになる。
渡:この椅子は仕事をするには背もたれが倒れすぎています。でもだからこそ、くつろげるようにできている。座り方の角度もゆるやかになるし、骨組みもスチールでできているから、座った時にしなってやわらかく、背中の当たり具合がやさしいんです。そういう意味で、うまくできています。
今後もこうしたプランを実装する場合は、どういうふうに稼働させるか、管理や運営はどうするのかなど、まだまだ課題はあると思いますよ。でも、やろうと思えばできることがこのイベントで証明されました。あとは誰がやるかですよね。
──渡さんのお話を踏まえて、「ネオ文化ホールプロジェクト」の主催者であり、まちづクリエイティブ代表の寺井元一さんとしては、今回のイベントに関してどのような手応えがありましたか?
寺井:集客があったとか、すごく盛り上がったとか、世の中で言う「手応え」はないだろうな、と最初から思っていました。でも、この施設ができてから30年間、ここでお茶を飲むことすら誰もやったことがなかったんですね。人がおしゃべりすることもやってないし、椅子も机もなかった。だから、今回のイベントは大したことがないように見えて、いくつもの「やっちゃいけなかったこと」をやらせてもらえたんですよ。
さらに意外だったのは、来てくれた人の滞在時間が長かったこと。平均で3、4時間だったんじゃないかな。よほど居心地がよかったんだろうな、と。それが手応えですね。
──何もないと言えば何もない空間に、それでも人が滞留した。
渡:それが一番の成果ですね。こういう、自由に長時間何もしないで座っていられる場所って、なかなかないんです。高校生がカフェで勉強したりしていますが、そこだって都心部では「1時間以上いないでください」などと注意されるし、お金もかかります。図書館で同じようなことができそうでも、これだけの広さでゆったりできないし、おしゃべりもあまりできない。
──来場者の滞在時間が長くなった要因には、何があると思いますか?
渡:私の予測としては、やはり「座り場」の質や多様性が保たれていたことですね。あっちに行ったりこっちに行ったりできた。この空間であれば、人と話しながら優に3、4時間過ごせるかもしれません。
──Wifiを通したりと、インフラを整えたことも大きそうですよね。パソコンで仕事をしながら誰かとしゃべったり、飲み物を飲むこともできた。
寺井:みんな食べ物も食べたいと言ってましたね。小腹が空くから、ちょっとした売店があればいいのに、と。あとは渡先生からさっき言われたのは、椅子が1人1脚では足りなかったのではないかということですね、1人3脚ぐらいでちょうどいいんじゃないかという。僕は座れない人がいなかったから良かったなと思って、その発想まで辿り着けていなかった。このあたりは今後の課題ですね。
多様な「コンポーネント」が複合する「場」の創出
──何をしてもいいという、自由な余地がたくさんある場所を用意することの効果は、あらためて何が大きいのでしょう?
渡:やっぱりリラクゼーションですよね。仕事でも学習でも、緊張する時間をずっと継続することは難しい。そこで息抜きをする。だから多少は体を動かせた方がいいし、飲んだり食べたり、スクリーンじゃない外の景色などを見られるとなおいい。ストレスからの「逃げ場」が大切です。その意味で、私から見るとここはかなりリゾート的でもある。「オアシス」と言ってもいい。
──渡さんの使う「眺め場」「座り場」「逃げ場」といった用語は、あまり耳慣れない言葉で、とても興味深いです。
渡:一言ではなかなか言えませんが、それらは「コンポーネント」という空間の性質を表す概念から来ています。空間には、だいたいいくつかの「場」が複合している。例えばここは、「明かり場」あるいは「陰り場」としてもいいし、「眺め場」もあって、「座り場」と「囲い場」がある。カフェがあることで「食場」でもあり、「巡り場」や「話し場」もある。私が重視している8つの「場」が全て揃っています。
今回はコロナ禍なのであまり強調しませんでしたが、「話し場」。これをダジャレ的に言い換えれば、人と人を離す、「離し場」というのも考えられます。これくらいのテーブルに一人で座っているのは、感染症対策としてもいい。
──そういった「コンポーネント」の「○○場」がたくさんあることが、空間の多様性において重要なんですね。
渡:そうなんです。「場」は複合的で、様々な要素に動詞や名詞をくっつけることで、キーワードを生み出すことができます。「コンポーネント」は差し替え可能だし、移動してもいい。組み合わせも自由です。それが最初に言った「用意する」という考え方につながるんですよ。
──最後に、今後このプロジェクトに関わることがあれば、挑戦したいことはありますか?
渡:まずは貸し出し可能な椅子やテーブルの数を増やしたいですね。また飲料だけではなく、「食」も可能になったらいい。あとは壁を外すことで、外の風景を見られる「眺め場」のコーナーをつくることでしょうか。プレイスメイキングには即興性が大切です。何か発見があったら、すぐ実行してみたらいい。私が毎日ここに滞在していたら、気づいたことをどんどんやっていたと思います。
一瞬たりとも同じ「場」はありません。「場」は生起しては消えていくものです。偶然性が多発しています。だからこそ、記録してエビデンスを残すことが大事だし、この実験的な前例を役所と共有して、今後に生かすことができるようになったらいいと思いますね。