巡回展ならではの地域との関わり方「文化庁メディア芸術祭 小樽展」レポート 

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地域との縁を意識した展示

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地域をテーマにしたアートフェスティバルは近年国内外でさかんに行われ「地域アート」と呼ばれ親しまれている。しかし、都会からアーティストを呼んでそれっきりになってしまい、地域に何ももたらさないフェスティバルが多いという批判も噴出しているのが現状だ。

そういった状況を踏まえた上で、巡回展として何ができるのか。本展のディレクターである、アートプロデューサー、一般社団法人クリエイティブクラスター代表理事の岡田智博さんにお話を伺った。

——今回の展示で気を使った部分などあれば教えていただけますか?

岡田 地域で開催される芸術祭なので、何よりも地元のスタッフに会場設営を中心につくってもらうことを大切にしました。小樽で生まれ、東京大学大学院で建築を学び、建築家・クリエイティブディレクターとして活躍した後に小樽に戻ってきた福島慶介さんには、会場のデザインをしてもらったり。地域の人達に展示を作ってもらって地元にノウハウを貯めてもらうのが、私の重要視するやり方なんです。

それと作品を市民に気軽に見せることが重要。例えば各地で話題になっているチームラボの作品をパリッと見せることに注力した。また、昔の文人ではなく今の時代に言語や絵画で表現する作家に何ができるか考えて、瀧波ユカリさんと三角みづ紀さんに滞在制作をしてもらった。地域に対して、本当に見たいものや繋げたいものを展示させてもらっている感じです。(他に北海道で開催されている芸術祭である)札幌国際芸術祭やNO MAPSとは違ったことをやらないとと考えて、なにもないところから作り出しました。

——東京からスタッフを呼ぶのではなく、地域の人に設営に参加してもらい学んでもらうことは重要ですね。岡田さんにとって小樽はどういった町ですか?

岡田 元を辿ると、学生運動を経て世界を放浪した後、小樽に移り住んできた山口保さんなど、当時の若い市民が中心となって運河を残すという運動があって、それが現在の観光地として小樽運河につながっている。余談ですが山口さんはサカナクションの山口一郎さんのお父さまです。それがまちとしての成功経験になっていて、文化的な風情や景観を残すことがまちにとって重要だと認識されている。

文化的風情を残すことは重要ですが、反面それを基盤に、新しい創造的なことをしようと思う若い人が活動しにくい。なので、どうしても若者にとって居心地が悪くなってしまう。それで若者が札幌に行ってしまって、人口が毎年数千人減っている。最大人口が20万人だったのが、今は11万人。その中で、福島さんが東京から帰ってきて、10年近く独自に創造的に場をつくる活動を続けてきた。

福島さんとは、まだ東京に彼がいた頃に、横浜の創造界隈でアートプロジェクトを展開していた頃からの仲で、小樽で次の世代が活躍の場を作るために、地元の人が参加できるよう耕す姿を見てきました。こういった姿は誰かが見ているもので、その福島さんの活動を知る人がクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤社長とか、道内で増えてきてもいました。

——なぜメディア芸術祭を小樽で開催することになったのですか?

岡田 1970年代から2000年代まで札幌の街は、Macintoshのハードウェア部分の日本語化や、ハイレゾリューションのグラフィックボードを作ったりする、パソコン時代のハードウェア/ソフトウェアのベンチャーの集まる場所だったんです。有名なのは堀江貴文さんが最初にアルバイトで働いてWEB部門を立ち上げたBUGという会社など。初音ミクの開発したクリプトン・フューチャー・メディアはその生き残りなんです。

岡田 そんな状況を生んだ大元だったのが、北海道大学にあったマイコン研究会というサークルです。シリコンバレーでマイコンを作っていた時代に、北海道大学でも作っていたんですよ。その中心人物だったのが山本剛さん。彼の生徒が札幌で起業するなどしていて、フリーランスのエンジニアがごまんといたそうです。札幌の狸小路を中心としたIT企業が集まる、ぽんぽこバレーと呼ばれる団体が2000年代にあって、そのリーダーの齊藤友紀雄さんが家族の介護で地元の小樽に戻り、本展では地域の統括をしてもらっています。

その齊藤さんや先程の福島さんが地元の小樽にいて、次のステップをということで、創造的なまちづくり(クリエイティブシティ)を小樽でしようではなないか。そのためには、まちで可視化と市民が新鮮な経験できることをしなければ、では、文化庁メディア芸術祭の地方展を展開しよう、ということがきっかけのひとつです

——地元に展示の設営の技術を持った人材がいても、展示がないから活躍できていないわけですね。

岡田 福島さんという建築とデザイン、アート展示の経験が豊富な人が小樽に若くして戻ってきたのは強いですね。それと、日本で一番ハイエンドで過酷なプロジェクトを実現しているイベント映像技術会社が札幌にあるんですよ。プリズムという会社で、WOWもチームラボもプリズムがないと作品の制作ができないと言われている。

札幌という縁もあるから破格で今回やってもらって。テクノロジーのインストーラーも札幌国際芸術祭で腕を磨いた方がいて。サイネージの映像は小樽に拠点を戻し、全道で活動している映像作家にお願いをしました。そういう風に地元で制作チームを固めました。そこに、事業とキュレーションができるプロデューサーとディレクターとして私が入ったことで、この『可視化』ができたのです。小樽にピースが揃ったと。

——地域アートの問題に向き合った運営方針ですね。

成功した地域アートの展示としては中之条ビエンナーレなどがありますが、メディア芸術祭の地方展の魅力は、文化庁のパッケージでメディア芸術祭のリソースを使えること。地域で何かを興こしていきたいというのにはピッタリのスキームなんですよ。文化庁からの受託なので、地域がお金を出さなくても良い、というメリットもあります。

ただ、地域においてメディア芸術をひろげるための独自性のある企画公募が求められている。今回は文化庁の提案公募に参加して勝ち取ったため全く新鮮な企画として知られ、すぐに市役所の内部にもこういうことをやっていかないと衰退すると思っている幹部もでてきて、地域ぐるみの応援体制ができました。たとえば、JRの小樽駅のいちばん目立つところにブースを設置したり、これまでの文化庁メディア芸術祭地方展でもあまり見ることのない地元での大きな露出が実現できました。

——他にも小樽での反響はありますか?

岡田 地元でクラウドファンディングに何度も挑戦している人やYouTuberが参加したり、会場でのコミュニケーションによってポスターを貼ってもらったりなど、関わってくれている人の顔ぶれは会期中で入れ替わっていますね。その入れ替わった人たちって、みんな20歳代なのですよ。

岡田 「したい」「これできる?」「します、じゃあ、こういうのどうですか」「こうしたらもっといいよ」という会話でどんどん、関わる人が増えています。『北海道新聞』では毎日作品紹介の連載をしています。地方展ではなかなかないんじゃないでしょうか。

今の時代に鑑賞すべき作品や作家を、地域との間に縁を紡げてキュレーションし、地元の人々が展示や企画はもちろん、設営・運営も行いノウハウを会得していく。地域にとって意義のある企画と運営に挑戦していることがわかった。

また、展示のレポート動画が地元のメディアなどからいくつか公開されるなどの反響もあったという。また、この経験を礎に、福島さんと岡田さんがそれぞれの持ち味を活かし、小樽をクリエイティブシティにする中間支援団体の立ち上げが、集った人々ともに始まったという。

小樽が地元のクリエイティブ・ディレクター

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地元の人々を中心にした展示の運営。その中心となったのが、先述の福島慶介さん。福島さんは、東京の建築業界での仕事の回し方に疑問を感じ、業界内での成功よりも自分の人生を歩むために、人口減少が進む地元小樽を心配して戻ってきたという。そういった経験もあり、今回の小樽展では、東京から来た岡田さんと地元の人を橋渡しする役割やデザイン面での尽力をされたそうだ。

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彼が現在運営しているのが、南小樽駅にあるカフェ兼ゲストハウス「Cafe White(カフェ ホワイト)/ 旧 岡川薬局」。小樽市の歴史的建造物に指定された建物を改装した、市内でも数少ない現代のカルチャートレンドを押さえた店だといえる。

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ゲストハウスには有名な作家が執筆のために宿泊をしたり、著名なアーティストのサインが飾られていたり、文化への理解が高い場だ。こういった場所があるからこそ、地方展が形になった部分もあるだろう。

おまけ|小樽のカルチャースポットについて

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地方都市は文化的なたまり場がなかなか見つけにくい。それもあって遠方へ取材する際は、「オルタナティブスペース」「ギャラリー」「レコード屋」「古本屋」「クラブ」「DJバー」などで検索をするのが個人的な楽しみのひとつ。ロードサイドにあるようなチェーン店ではなく、地元のカルチャー好きが集まりそうな場所にお邪魔することにしている。地元について住人から話が聞ける希少な場だ。

今回の小樽では、DJバー「Alternativation」を見つけて、深夜に足を運んだ。店長がDJブースでクラブミュージックをプレイ。マイナス7度で吹雪の中にもかかわらず、店内は地元の客の談笑で温まっていて、一杯奢ってもらいもてなしていただいた。店内には「FREEDOM BOOKS」という書棚があり選書された古書を販売している。選書はバーテンさんによるもの。バーテンさんは市内でゲストハウス「山小屋」を経営している方で、バックパッカー時代にビートニクから影響を受けて古書を集めるようになったという。地元の方々と交流するひとときを楽しませてもらった。

最近、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉「関係人口」が話題になっている。今回のような地方展をきっかけにして、地域に対して新しい関係性が生まれていくことを願いたい。

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