【なかなかのコラム】店主・伊藤隼平のプロムナード#1

0
なかなかの」は、東中野と中野坂上のちょうど真ん中、山手通り沿いにあるカフェ・バーです。カフェ・バーですが、本屋でも学校でもイベントスペースでもライブスペースでもありたい、そんな感じの場所です。この場所で私たちがやろうとしていることは……。正直いっぱいあるつもりなんだけれど、実行力やら根気が足りなくてやりきれていない、し、よくわかっていないかもしれない。なのでいつもあらゆる手を使いながらどうにかして会いたい人に会い、考えたいことについて考える場所を作っている最中です。シリーズ「なかなかのコラム」では、初代バーマスターであり店主、経営者でもある私、伊藤隼平がお店で起こったあんなことやこんなこと、そこから想起するいろんな場所のことについて雑多に思考を巡らせる経過、メモをお届けします。第1回のテーマは「交換」について。

Text+Edit:Jumpei Ito
Pudding blueprints:katomonoi

◯この場所で売っているものは何か?

飲食物だろうか、いや違う。確かに売っているが。まず問いが違う。

この場所ではどのような交換が生まれているか?

こう問いを立てた方がしっくりくる。売り買いの成果はもちろん店の存続を左右する重要な業績指標だが、お金を軸にする手前で、そこに集まる人やモノの交換にフォーカスしてみたい。お金は「交換」というより包括的な行為の枠組みの中の一部分に過ぎないのだから。もっと言えば、広く長い時間スケールの中での交換もこの場には含まれている、と考えたい。なかなかのという場所についてざっくりといつも考えている(売り上げがやばい月とかのように、ほんとはいつもではないが!)。なかなかのは、誰が何を交換している場所なんだろうか?
とまあテーマは立てたものの、初回なのでまずは「なかなかの」についての説明を簡単にしておこうと思う。

◯なかなかのはどんな場所?

[Photo_Rui Seki]

6/20で、お店を始めて1年がたった。飲食店が何年以内に潰れる確率が何%、みたいな話は聞きすぎてどれが本当だったかわからないけどとりあえず潰れなくてよかった。ほんとに。
このお店は中野区に古くからある梅若能楽学院会館」*1 という能楽堂に隣接したビルの一階にある。2022年の4月に入居が開始した新築マンションの1階部分のテナントを借りてはじめて作ったお店で、オープン当時は全員がはじめて飲食店で本格的に働くという状態だった。カフェの仕事をする前は私自身会社員だったが、ノリが合わなくて休職した後、フリーターのようにフラフラしていた。その後普段設計の仕事をしているカトウモノイアーキテクツと偶然出会い、合同会社を設立、その他複数のメンバーと共に立ち上げを行った。*2

◯協力者と行っている交換

お店の企画の段階から、単に飲食をするだけでなく、関与する人それぞれのバックグラウンドを活かしながら、複合的な使い方ができる場所にしようと、カトウモノイアーキテクツの手腕に基づいて内装設計から自分たちで行った。現在ではトークイベント、ライブ・DJイベント、マーケットイベントやフードイベントなどさまざまな企画を雑多に月に3、4回程度開催している。「全部企画して実行してすごいね」と言われることがあるが、実は全然すごくない。なかなかのには、「なかなかの企画制作部」*3と言って他の仕事をしながら有志で企画の制作や運営を手伝ってくれているチームがあってその力を存分に借りているから。

企画制作部では、自分たちで考えられる限界があると感じている部分を、メンバーそれぞれの強みを活かしてやりたい!と思うことを実現するため、月1回程度クローズドに集まって話し合い、実行するという活動をしている。また、そのメンバーだけでなく、単純にバーに遊びに来てくれている常連のお客さんが起点でイベントを開催したりもする。これは非常に嬉しくて、お店がなかったらお客さんとの楽しい会話がなかったら絶対に生まれなかった出来事だったんだといつも感動する。現在はコンスタントにイベントを開催できるようになってきたが、各ジャンル、プロとは呼べないような人たちがほとんどで運営するので、ほぼ全てのことが初めてで、実行しきるまでヒヤヒヤしたイベントも少なくはない(し、反省することも多い)。それでもこうした協力者たちがいて店という存在を絶妙な具合に維持している。

企画制作部の城李門さんが手がけるライブシリーズ「波間とプリズム」。
第1回には浮(ぶい)さんによるライブを開催した。機材の手配等もさまざまな人に相談しながら一から行っている。
生活のなかの。
フリマ&DJイベント。元々はお客さんとしてきてくれていた近隣住民で編集者・恩田栄佑さん小島めぐみさんによる開催。お店の近くに住んでいた写真家・池田博美さんと制作したZINEもイベントに合わせて製作・販売された。お店の新しいフックを生みながら、なかなかのの土地の文脈を意識してもらった企画になって楽しかった。
トークシリーズ「集団でものを考えること、」
さまざまななジャンルで、複数の人間が共同で制作・思考を行う集合体にフォーカスした企画。仕事・趣味・生活を維持管理しながら共に生きることについて参加者と一緒に考えている。シリーズ第2回は東京都荒川区に店舗を構え、選ぶこと・貸すこと・つくることを軸に、本を介したささやかな関係性を楽しむプロジェクト・アラマホシ書房を招き、「集団でものを考えること、場所をつくること」について考えた。

返礼の義務を果たさなければ、「呪われる」

とはいえ、そんな協力者たちも生活者である。生活者であるということは、仕事の時間も余暇の時間も多分にあるわけで、その大切な時間をなかなかのに割いているのだ。お客さんだってそう。カフェを、バーを楽しみに来てくれるお客さんは、他のあらゆる時間とお金の使い方の選択肢の中から、ここに来ることを選んでくれている。「じゃあなかなかのは何を返せているのか?」ここが今回のポイントになる。これは非常に難しい。お金でも、人的リソースでも、挨拶でも、共同体で人から何かをもらった場合それを返礼しなかった場合、部族では「呪われる」。呪われるとは、人類学ではメタファーではなく実際に権威や社会的地位を失ってしまう、と理解される。*4ごく平たく言えば、関係が持続しなくなってしまう、ダメになってしまうということだ。つまりタダより高いものはないし、金の切れ目が縁の切れ目だし、スマイルも実際は0円ではない。

[Photo_Rui Seki]

まずはお店を手伝ってくれる人に対していえば、それぞれの協力に対して、本来それを生業にしている人であれば支払われるはずの金額を払えているかと言われれば、ほとんど払えていない。*5私たちの現状の収益システムでは相場で返礼に相当する金銭を支払うことができない。これは本当に情けないことだと思う。協力者は「お金はいいよ」と言ってくれたりするが、これは本来異常なことで、単純にやりがい搾取の一環かもしれない。すでにそうした矛盾を抱えている。それでも、最低限そのことについて協力者に話してみたりする。お返しのほんの一部として、場所をある程度自由に使ってもらったり、お酒を何杯かサービスしたりする。してもらったことに対してどうにかして返礼の形を考えている。例えばイベントを成立させることを協力して行う過程が楽しくて、その人の生活を支える一部、一断片になってくれないかと思ったりすることもある。その人のためになるようなお返しができなければ、そこら辺のバランスを履き違えれば、人はすぐにこの場から去っていってしまう。初回からかなりシビアで暗い話にはなるが、これは避けては通れない。シリーズの初回だからなおさら、今の自分の現状も含めて、返礼についてどうにかしていかなければならないことについて問題を設定しておきたい。とりわけクリエーティブな領域で集団的に物事を推し進める場合、それに携わる人々の生活にまで想像を行き届かせること自体も制作物の範疇なのだから。お客さんだって、支払った金額に見合うサービスがなければ、その人の生活を良いものにする場所でないのであれば、店に来ることは二度とない。それがたとえ顔馴染みの常連さんだったとしてもだ。

[Photo_Rui Seki]

ただ裏を返してあえて言うならば、店もお客を選んでいるということだ。場所は、そこにいる人やモノの営為や配置、それに関与する法に基づいて立ち上がるものだと思う。「私が」とか「お客さんが」と述べる前に店という場所はすでに集合的な構造体になっている。誰かが求める何かを返礼できるストックがお互いになければ、交換は成立しない。金額に見合わない飲食物を提供してしまったり居心地がとにかく悪い場づくりをしていれば、お客さんが減ってしまうのと同じように、ガールズバーで飲むようにスタッフと接する人や、他のお客さんを怒鳴りつけるような人は二度と来店できないようになっている。なんだかすごく排他的な書き方になっているが、原理的には互いの損得が一致してなければ交換関係は持続しないというだけのことだ。それが例え商売であっても。

[Photo_Rui Seki]

1年間この場所を見てきたが、なかなかのはすでに、私たちのためだけの場所ではなくなってしまった。ここにはすでに、個人の意向のみによって意思決定が進むようなことはなく、「店という極めて具体的なモノ」とそこで行われる「交換の集積」が場所そのものの方向性を決定する大きな関係者になりつつある。全ての身近な生活者と自分たちの生活のためにできることを。

なんだかヘビィになってしまった。でも仕方ない。避けて通らないほうがいいこともある。次回以降は、この場所で起こった面白いこととかについてもう少し具体的に、サクサクと書いていこうと思う。

    *1 現在も月に1回程度公演を行っている。https://umewaka.org/
    *2 変な話だが、交換の考え方にも関わってくるので一応言っておきたいのは、私は元々カフェがやりたいと思って始めたわけではないということだ。だからいわゆるカフェを飲食店としての場づくりという点から極めたいと思っている人の文章ではないということは最初に断っておく。この辺の経緯の詳細は2023年5月に刊行した『働きたくない vol.2』(嫌働舎) に書いてあるので興味がある方は是非チェックしてください。カフェがやりたくないなぁと思ってカフェをやっているわけでは決してない。店で働くのは楽しいし、他にやりたいいろんなことを、なかなかのを起点に色々と考えてみる期間だと思っている。
    *3 飲食未経験で店を立ち上げたばかりの頃、疲弊して思ってることが何もできないと感じている時に、友人のYさんに相談したところ、「なんでもいいから月2回やってみればいいじゃん」と言われたのをきっかけに発足した。翌月から最低月2回はイベントを行うようになった。
    *4 マルセル・モースはトロブリアンド諸島のクラなどを事例に挙げながら、社会集団で行われる贈与に関して「与える義務」「受け取る義務」「返礼する義務」の3つに分類している。(『贈与論』 吉田禎吾・江川純一訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2009年)
    *5  やりがい搾取の問題については、集団の持続性一般に関わる問題である。なかなかので開催している、雑誌「HUMARIZINE」を刊行するstudio TRUEの持ち込みトークイベント「持続性としてのインディペンデント」では、集団や独立と持続的な生について考えている。「趣味」なのか「仕事」なのか。経験はお金では買えないのか。「修行」して「独立」するために必要な苦労は全員被らないといけないのか。曖昧で明確になっていない労働のブラックボックスを今一度整理して考える必要がある。単に賃金のやりとりという返礼ではない形で交換様式が成立する場合、その共同体はどのようにして暴力以外の形で存続する底力を持っているのか。

PROFILE

伊藤隼平 / Junpei Ito
1994年宮城県仙台市生まれ。Y字路。カフェ・バーなかなかの店主。Studio Cove代表。ネットプリント「月刊おもいだしたらいうわ」。慶應義塾大学SFC研究所 上席所員。

0
この記事が気に入ったら
いいね!しよう