「なかなかの」は、東中野と中野坂上のちょうど真ん中、山手通り沿いにあるカフェ・バーです。カフェ・バーですが、本屋でも学校でもイベントスペースでもライブスペースでもありたい、そんな感じの場所です。この場所で私たちがやろうとしていることは……。正直いっぱいあるつもりなんだけれど、実行力やら根気が足りなくてやりきれていない、し、よくわかっていないかもしれない。なのでいつもあらゆる手を使いながらどうにかして会いたい人に会い、考えたいことについて考える場所を作っている最中です。シリーズ「なかなかのコラム」では、初代バーマスターであり店主、経営者でもある私、伊藤隼平がお店で起こったあんなことやこんなこと、そこから想起するいろんな場所のことについて雑多に思考を巡らせる経過、メモをお届けします。第3回のテーマは「場所の根ざす土地」について。
Text+Edit:Jumpei Ito
◯なかなかのは「中途半端なキメラ」その生息地とは?
生き物を観察するとき、その生態について知りたいと思ったら、おそらくその生き物の容姿や構造、つまり「からだ=機構」の特徴と、生息地域である「すみか=環境」に着目するのではないだろうか。連載の第2回ではまず「なかなかの」という「からだ=機構(誰が運営しているのか)」について紐解いた。なかなかのは、様々な分野の企画をいわば「素人的」に進めることで発想の余地を残存させながら色々と画策している。生命体に例えるならば、からだを構成する参与者をその都度内部から外部からかき集めたり、器官を組み換えたりすることで立ち上がる中途半端な「キメラ」みたいな動きをしている。じゃあ「キメラ」はどんな地に足をつけて暮らしているのだろう。今回は、なかなかのという場所の「すみか=環境」についてのメモを記していく。率直にいうと、なかなかのがある場所って結構独特な場所なんじゃないかと思っている。東中野の商店街から離れた大きな幹線道路沿いにあるカフェ・バー。お客さんがいなくて、ガラガラの時もよくあります。偉そうにコラムを書いているものの、運営者としてちゃんと土地を読み解かないと、生命体としての機能が停止する日も遠くないのである・・・。世界はいつだってサバイバルだ。
◯場所という生き物は容易に移動できない
うちはチェーン店ではないので、似たような物件を他の場所で見つけて即座に「なかなかの2」を作ることはできない。というかそれが仮に可能だったとしてもお店の性質上その物件がある場所によってまた「からだ」の現れ方が変わってくる。何が言いたいかというと、なかなかのは今この場所にあるということがまず何よりも大事だということだ。他の動物がするように、自らに合った環境を探し出して移動していくことができないという前提があるならば当然、一度根を下ろした土地の環境を読み解いて「からだ」を変形させていくということが生命体の存続においては大切な条件になる。
◯カフェバーの生息地、東中野という土地の形態と機能について
「すみか=環境」のことをいうとき、その舞台は宇宙、地球規模など広域的なものから、人間、微生物、粒子のようにミクロで局所的な規模のものまである。スケール自体の数は測りきれないほどある。今回は主に「なかなかの」の生息地として位置する「東中野ー中野坂上」という土地の地理的、形態的な特徴、あるいは機能的な特徴を踏まえて「まちのスケール」、「お店のスケール」について考えていきたい。
なかなかのという店が地域に根付くようにしたいというのは、開店の企画段階から考えていたことだ。そもそも地域のことについての理解など私たちのような新参者がいうには100年早い話だが、土地について精一杯理解しようとすることはどんなときでも大事だし、店を初めて一年続けると環境についてなんとなく肌感覚で蓄積されていくデータがなくもなかったりする。今回はバーテンダーとしての一人称な引き出しの中からも話をしていきたい。
そもそも店はどこにあるのか、という話からしていこう。なかなかのは、縦に長く伸びている中野区の東端を、南北に縦断する山手通り沿いにある。山手通りと直角、東西方向に伸びる中央総武線・東中野駅と丸の内線・中野坂上駅はそれぞれ都心と郊外を繋いでいる。なかなかのはそうした交通網のちょうど中間地点に位置している。地形的にみれば、東京の都心まで大規模に広がる武蔵野台地の中央部分に位置し、神田川などの小さな河川の浸食作用による切り込みによって豊かな微地形を有する。東西を走る大久保通りの横にあり、現在は暗渠になっている桃園川沿いの谷あいの部分に位置しているなかなかのは、周りに傾斜がかかっていて東中野に行くにも、中野坂上に行くにも同じくらいの量坂を登っていく必要がある。
◯土地のすがたから派生した店の名前にしたかった
実をいうと「なかなかの」という名前の由来は店と隣接する能楽堂「梅若能楽学院」のオーナーの願いを反映したものでもある。巷で密かに「奥中野(おくなかの)」と呼ばれている(らしい)新井薬師のあたりなどもあるなか、能楽堂のオーナーが中野区のやや真ん中にあたる能楽堂一帯の地域を「中中野(なかなかの)」として盛り上げていきたいとあるときいっていたのを覚えていて、店の名前の案として採用したような記憶がある(おぼろげだ)。なので「なかなかの」という名前には後世で、エリアそのものの総称になれば、という思いがある。(余談ではあるが、一説によれば店のロゴマークも東中野駅と中野坂上駅がある山手通り沿いに見えなくもないらしい。これにも諸説がある。)
「中中野エリア」は他の都心近接エリアと同様に、新宿や都心三区(中央区、千代田区、港区)とのパワーバランスの中に位置している土地である。いわゆる都市地域の「ベッドタウン」、「暮らしの街」という形容にもってこいのエリアで実際に新宿区、千代田区、港区の三区へと通勤・通学する人口の割合が高い*1。中央線、丸の内線の路線沿いといえばそんなイメージがなんとなくあるが、他の駅に比べたとき東中野や中野坂上は、なんというか、あえて簡単にまとめてしまえば、特色がなくてパッとしないのだ。「中野」とか「高円寺」とか「吉祥寺」とか、強烈なキャラクターのある他の中央線駅と違って東中野には独特の空気が漂っている。
◯都心のエアポケット 都市の中の空白というイメージ
2022年6月に店をオープンする4ヶ月前ほど前の2月ごろ、開店準備の合間にテレビを観ていると偶然「東中野」という文字を見つけた。私も大好きな番組「出没!アド街ック天国(テレビ東京)」だった。スポットを絞ってその土地の魅力をランキング形式で発表する当番組で、自分が店をだす土地、東中野がどう紹介されるのかと期待して観ていた。するとなんと東中野は、「都心のエアポケット」という謳い文句で紹介されていた。「エアポケット」とは飛行機が急に下降する空域、つまり「空白」だ。空白、、、?なんもないということ?すごい言われようだな。中央線という路線で見れば確かに新宿と中野に挟まれ、それ以降、キャラクタリスティックな駅が並んでいるなか、比較してみれば駅としてのボリュームに欠ける気もする。だけど、何十年もやっている番組で(ときには無理矢理に捻り出してでも)さまざまな切り口で土地の理解の仕方を教えてくれるあの「アド街」ですら、東中野について称するときに「都心のエアポケット」という説明になるとは…(もちろんその真意や面白さなどは番組を見ていくと理解できるようになっているのだが)。正直なところ「大丈夫かな」と思った。実際に店をオープンしてお店に来た人に話を聞いていると気づいたことは、このエリアに用事があってくる人があまりいないということだ。かろうじて目的地として東中野が設定される際は、「ポレポレのある街」(申し訳ないけど以前は私もそう思っていた)とか、「銭湯で聞いたことがある」とかだ。最も驚いたのは東中野を「ミスドがある街」と認識している人がいたことだった。「中中野エリア」は新宿という大規模な副都心と隣接し、西へと伸びる交通の最初の通過点ながら自らの身をひっそりと構え、じっと佇んでいるのだ。
◯中中野エリアは「分断」が生み出す裏ステージ的生息地?
このことは考えれば考えるほど面白いことなんじゃないかと思うようになってきた。こんなに新宿が近くて、歴史もしっかりとある街で、 中央快速には通過されるけど、高円寺や吉祥寺のようにキャラクターたっぷりの中央線沿いにあるのに、あまりイメージが定着していないまち。なかなかのはこうした都市の裏側、秘境の空白地帯に巣食う生き物でもあるのだ。かっこよさすら漂っている。なぜこんなことが起きるのか。
私の仮説にはなるが、こうした事態はまちの形態的な構造に起因している。端的に言えばこのまちは、商店街的なエリアが商店街的な論理とは別のさまざまな都合によって物理的に分断されていながらも、それぞれの場所で局所的に営みが行われているといういわば「スポット分散型」なのだ。
分断とは何か。分断は、人がまちを移動する際に感じる「境界」によって生じる。少し古い資料にはなるが、中野区全域の商店街について調査した2010念の中野区の資料によれば、東中野は商店街がおのおの形成されているものの幹線道路が商業集積の分断を起こしている場所もあるという調査結果が出ている*2。要するに他地域では商店街の規模はそれらが連結、派生することによって大きくなっていくが、東中野の場合はインフラによってそれが都度妨げられているということになる。先にも述べた通り、東中野ー中野坂上間は、新宿から西の郊外へと伸びる交通の起点の部分に位置する。北から早稲田通り、中央線、大久保通り、青梅街道、丸の内線と大規模な交通・輸送機能を持つオブジェクトが東西をライン上に形成している。一方で、そうした横の線を縦に縫うように配備される環状型の交通機能を持っているのが山手通りだ。それぞれの輸送機能を持ったインフラは、まちの生活規模とは別の巨大な移動の論理によって物理的境界を形成するので、歩行による回遊などといったスケールの都合は当然中断、分断を余儀なくされる。東中野駅は線路が高架化されていなくて地上にあることも起因して、中央線それ自体がすでに分断を引き起こす境界となっている。なおかつ駅を出てみればいきなり山手通りというもう一つの境界がロータリーとセットで広がっていて、さながら川や池を眺めているかのような空間的な感覚を覚える。駅を出た瞬間からすでにガヤガヤしていない。では商店街はというと、それらの境界を避けるように道を入り込んだところに形成されている。東中野には「東中野銀座商店会」「東中野本通り共栄会」「東中野名店会」「東中野並木通商店会」などの歴史ある商店街が多数あれど、インフラという境界やそれぞれの間を埋めるようにびっしりと配置される住宅街のような境界によって、連結や集積を避けながら独自に存在している感覚を受ける。反対側の中野坂上も同様に、青梅街道が強固に街の形態に関与していて、通り沿いに店はあるものの信号を渡らないと行き来できないようになっていたり、街道から少し入った裏に「宝仙寺前通商店会」などの商店街が独立して存在していたりする。「中中野エリア」では、商店という場所の生息環境としては巨大化やエリアの専門化を分断する複数の境界によって構成されるという前提があり、それぞれの場所はその隙間を裏ステージのように見出しながら営みを続けているのである。境界による分断が前提となるこのまちでは、回遊する歩行者は意識的であれ、そうでないにせよいつでも「越境的」に土地を経験することになる。
◯商店街からも見放され、ポツンと独立してある店
そうした越境行為の果てに「なかなかの」は現れる。全ての商店街をスルーして、山手通り沿いをストイックに歩いていった先に唐突に現れるこの店は「何かのついでに」ではなく「目的地」として来店する人が多い。店のスケールでみると、山手通り沿いには数店舗あるものの、商店街ほどのネットワークの内部にはない。山手通りの背後は台地状の地形を生かして、住宅や神社、ガソリンスタンドなどの大規模な土地利用に充てられていることが多い。幹線道路がつくる開放的な見通しは気持ちがいい一方で、商店街で起きるような「この店のついでに寄りました」というふらっとした移動感覚の醸成には退屈すぎる間隔の広さだ。開店当初はガラス張りの路面店だから目立つし、人通りの量に期待できると思っていたが、予想に反して多くないことがわかってきた*3。冒頭で述べた通り、うちの力不足とこうした立地が相まって、本当にガラガラで誰もいないときがあって、そういう日はテラス席に座りながら山手通りを川のように眺めて遊んだりしている。
◯このような「すみか」で「なかなかの」という生物が生命を維持するには
この土地におけるなかなかのの生息環境、立ち位置がなんとなくわかったところでそれが「からだ」にどう影響するかについても述べておきたい。前回のからだ編でも確認した通り、現状のシステムでは売り上げによる収入などの養分がなければこの店は消滅してしまう。現在月に3、4回ほど開催しているイベントもこうした立地特性と自らできることとの兼ね合いから生まれた行動習性なのかもしれない。イベント自体が面白くて、興味を引く内容であれば場所は多少遠くてもいくように「目的地」としての機能を強化することが人を集めることの一つのヒントだったりもする。
また「何もない」みたいな言い方をしたが、それはわかりやすく説明するための多少の誇張であって実際には裏には「梅若能楽学院」のように古くから土地と付き合い続けている、能楽堂施設もある。現在も月一回以上開催される定期公演のたびにまちの内外から多くの人が集まる。私たちも実は能楽堂の中で出張喫茶を行ってコーヒーを売っていたりと、共生関係にあったりもする。600年以上続き、この国のあらゆる文化の基礎になっているといっても過言ではない「能楽」という伝統文化を発信する役割の能楽堂の玄関口にあたるのがなかなかのである、ということも常に念頭に入れておかなければならない。能楽という文化の継承に携わることはもちろん、能楽堂のためになるような利益も還元できるような形で何かの催し事を開催できれば、単にカフェバーでやるイベントでは達成することができないような、エリアを巻き込んだ、時空を超えたとてつもない事態を作ることができるかもしれない。
「エリアを巻き込む」というのも一つの大きな狙いであり、こうして独立性を保っているからできることかもしれない。「東中野はパッとしない」とか上では散々述べたが、やっぱり私はこの土地が好きだ。好きだからこそ働きやすいまちになることや、遊んでいて暮らしていて楽しいまちになることを望んでいる。例えば東中野の商店街から、うちにくるまで、もう何軒かお店があったら面白そうだな、とか。それから美大に通っていないが制作の場所を探している若い学生のお客さんのために、市民が誰でも疲れるアトリエやクラフトスペースができたらいいのに、とか。このまちに関わる以上それらを望むだけでなくそうなるように貢献していきたいという気持ちがある。こういった望みや願いは、ひとりよがりでやるよりも生活する人々が何を望んでいるか、ということを気軽に話し合いながら実現していく方がいいと私は思っている。場所自体は、産卵のために大海を移動する鮭のように動けないが、場所に携わる私そのものはチョウチンアンコウの光のようにうろちょろと動くことができる。だから店にこもってないで、色々な分断をひょいひょいと超えながらまちと関わりに行かないといけない。最近では自分にも馴染みの店ができて通うたびに色々なコミュニケーションができ始めたことが嬉しい。そこで交わした話や、そこから生まれたイベントで起きたことなどが、金銭とは違う形でなかなかのという生命体の養分になり始めている。とにかく関わってくれる生活者の希望が叶えられる契機となるような場所になればいいと思う。かといってイベントばっかりやってたらそれはそれで、いつも来てくれてる人から「入りづらい」「最近週末行けなくてつまんない」という意見を生み出してしまうことになるし、確かに、とも思う。考えることが多くて大変だ。最終的には自分たちが何をやりたいかによって変わっていくのだろうけど、もう少し優柔不断に色々なことを同時並行に考えさせてほしい、という気持ちもある。もしかしたらずっとそのままだったりして。土地にも自分の体にも目を当てながら、変わらないよさも変わっていくよさも楽しめるように、今日も気軽に「山手通りウォッチング」していきたいと思います!ではまた次回。
- *1 中野区ホームページ「中野区の人口と世帯」
- https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/152000/d003461.html
- *2 「地域商業調査 ~中野区商店街の現況分析~」2009,中野区政策研究機構
- *3 ある常連のお客さんの分析によれば、なかなかのの位置は東中野からも中野坂上からも同じくらいの距離にあるため、最寄駅から降りた人はうちに辿り着く前にで途中で山手通りの中に入ってしまって視認されないのかもしれないということだった。
PROFILE
伊藤隼平 / Junpei Ito
1994年宮城県仙台市生まれ。Y字路。カフェ・バーなかなかの店主。Studio Cove代表。ネットプリント「月刊おもいだしたらいうわ」。慶應義塾大学SFC研究所 上席所員。