【ニューメランコリー】ポストシティーボーイの臨界点#1/銀座にて

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――大きな銀行やオフィスの床の色、静けさ、異様な清潔さ、煌々と光る蛍光灯。異様な美しさを讃える完璧なロゴやサインの直線や曲線、指定色。産業を構成する諸要素は私達に安心感を与える。そのイメージのあまりの美しさは、戦争やウイルス、災害で崩壊しかける現実との差を際立たせ、この国、強いては資本主義社会、インフラの崩壊をより一層感じさせる。(――おおつきしゅうとの雑記録より)

グラフィックデザイナーのおおつきしゅうとは、パブリックな視覚芸術である「グラフィックデザイン」において、特に資本主義経済下にある都市部で訴求力を求められるサインや看板、ロゴ等の視覚芸術に着目し、それらのリサーチと共に「記号らしきもの」の制作を続けてきた。ロゴやサインの形そのものは、意味を持たない色や形として存在している。一方、ただの抽象図形ではいられない線や面、色の均一さや使い勝手の良さは、合理的な工場生産、印刷技術によって生み出され、巨大なインフラへの信仰を支えてきた色や形、メディアともいえる。

本連載ではグラフィックデザイナーのおおつきしゅうと(ポストシティボーイ)のライフワークとして、終わりゆく社会の構造に感じる、大きな違和感と破綻に趣き深さを感じる新しい視点を「ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)」と定義し、都市におけるイメージを徒然なるままに記述し、そこにある破綻と儚げな美学を見つけていく。

Text+Graphic:SHUTOOTSUKI
Edit:Moe Nishiyama

《ニューメランコリー》

ニューメランコリーとは、終わりゆく現代の社会の構造に感じる、大きな違和感と破綻に趣き深さを感じる、新しい視点である。グローバル資本主義の台頭する世界で、生まれた瞬間から大都市で過ごしてきたポストシティボーイは、臨界点をむかえた。憂鬱なわけではないが、確実な絶望がある。ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)とは、西洋文化への憧れによって形成されてきた文明によって作られた仕組みの限界、その終焉を肌で感じるミレニアム世代以降の、たった今のムードだ。ユニクロ、マック、サブウェイ、スタバ、Google、Amazon、etc。世界的大企業が打ち出す施作や商品に、幼い頃から日常的にふれ、明るい未来に向けたポジティブで健康的なイメージに囲まれて育った。しかしながら、現実世界は決して明るく健康的だとは限らず、その距離は計り知れない。それでもなお、破綻することのない経済や生活は、決して灰色ではなく、蛍光灯の下で見る指定色でつくられたコーポレートカラーの上に成り立っている。都心の巨大なビル群、広告、商品パッケージ、出版事業、企業VI、オフィス製品等、巨大なグローバル資本から生まれたイメージはその根本の成り立ちに破綻があるように感じる。このアイデンティティのイメージを観察し、そこにある儚げな美学を見つけたい。

◉ユニクロ*¹

ユニクロ*²の、床の材質。薄茶/クリーム色の木の板の交互な並び*³。店内フロアの無限の広がりを感じさせ、この空間が永遠に続くかもしれないと思わせる単調なリズム。この床材の板の茶色がもう少し濃ければ、それは全く異なる重厚感や、几帳面な印象になるはずだが、ニュートラルで主張のない薄茶/クリーム色が、ユニクロで買い物をしたその先の生活を、ポジティブでスムーズなものにしてくれるような気にさせる。

床材の板や照明も含め、ユニクロの店内からはZARAH&Mとは明らかに一線を画した、ある強烈なイメージを感じる。それは、ユニクロとともにある「どこにもない未来の景色」。笑顔のモデル、ぎっしりと積まれた商品(開店前には毎日、棚をまんぱんにしなくてはいけない「フルボリューム開店*⁴」というルールがあるらしい)、店員のマニュアル通りの対応は、もはや確立されたインフラ。それは、オフィスに設置されているウォーターサーバーのような安心感を与えている。ユニクロの店内広告のモデルは、性別や人種の多様性など、記号的な要素を含みながらなぜか、「どこにもそんな人はいない」ように見える。クリーンすぎて浮世離れしているイメージ。それはこの世に存在し得ない、「グローバルで平和な世界の住人」の姿ともいえる。

在庫の充実具合、店内広告、空間設計、そのすべてでもって、どこかにある明るい未来を感じさせてくれる。ユニクロが提唱する日常は、我々の何ともない理想の姿であり、そして、それこそが我々の毎日から最も程遠い存在。まるで、どうやっても辿り着けないユートピア*⁵。ユニクロという日本発祥のグローバル企業の見せる夢、幻想。

    *1
    そもそも、ユニクロには、ラグジュアリーブランドに対する巨大な反骨精神を感じる。ノームコア*1.5という言葉が生まれる前から、ただの衣服量販店が、“普段着”や“LIFE WEAR”というコピーライトを見方につけ、ファッション=着飾ることであるというラグジュアリーブランドと肩を並べる存在としての認知を得ている。(現に銀座ユニクロの真向かいにはGINZA SIX(GSIX)、真裏にはDover Street Marketがある。この反骨精神に呼応するように、銀座には一箇所だけ吉野家があり、そこで束の間の休息を得ることができる)。

    *1.5
    ノームコアとは、「究極の普通」という意味のファッションスタイルを表す造語。「Normal(標準)」と「Hardcore(ハードコア)」の2つを足して作られており、2014年ごろから話題となった。無地のトップスにデニムやスニーカーなどを合わせたスタイルが特徴で、流行に左右されることなく、シンプルなアイテムで自分自身をどう魅力的に表現しているかを重視するファッションスタイル。シンプルなアイテムを取り入れる分、その素材感やデザインなどにこだわって選ぶことが大切なようである。_d fashion

    *2
    佐藤可士和氏によるロゴマークデザイン。頑なにロゴにカタカナを使用するのも、RGB値全開の色調もファッションブランドとしては異例だ。ロゴ一つとっても、西洋の文化圏が中心となって作り上げられた高級ラグジュアリーブランドへの巨大な反骨精神の一部として受け取るこができる。

    *3
    交互の板の並び

    *4
    常に揃っていると言う安心感。
    ユーチューバーヒカルの動画背景。ぬいぐるみが積み上げられている
    https://www.youtube.com/watch?v=mFXJa6qgy5Y

    *5
    ユートピア
    ユートピア〘名〙 (utopia)想像し得る限りでの最上の住みよい世界。完全で理想的な所。理想郷。__精選版 日本国語大辞典/転じて現実には存在しない理想の国家あるいは社会をも意味する。_百科事典マイペディア

    *5.5
    ユートピアの特徴
    ディストピアを描いた小説が登場する前に書かれたユートピア小説も、現在の目から見るとディストピアではないかと思われるものが多いという説もある。これらの理想郷は、決して「自然のなかの夢幻郷」ではない。それは人工的で、規則正しく、滞ることがなく、徹頭徹尾「合理的」な場所である。西ヨーロッパにおいてはこの模範はギリシャ社会を厳格に解釈したものに求められる。こうして生まれた「ユートピア」自体にディストピアの種が内包されていたのであるという説もある。_巖谷國士『シュルレアリスムとは何か』

◉木目シート

都心ではユニクロ以外にも多く、「木目テクスチャ」を目にする。飲食店チェーン店の机、病院の待合室の壁、等。旅行の際にも、「木目テクスチャ」で作られた灰色のプラスチック製の大きめな木箱*⁶(?)があって思わず撮影した。

木目テクスチャ」はカーペット、壁紙、プロダクトなど、あらゆる面に使われている。元々は、木材で製造されていたものが、今や安く早く製造可能な代替用品に変わり、表面の部分にだけ木目シート*⁷が貼り付けられている。木目というのは全て異なるはずなのに、寸分違わず同じ柄が売っているのは異様な光景である。人工物に囲まれた生活環境は、気が抜けず無意識のうちに緊張する。病院に行けば専門器具や精密機械ばかりでまるで宇宙船*⁸

ちなみに「自然に還る」という言葉は人間に当てはめると、面白い。そもそも人間は動物の中でも、自然を作り替えて自分達の居住区域を広げてきた生き物。都心も、大きな意味では「人間の巣(人工的な自然の一部)」と捉えることもできる。自然に身を戻すことでリフレッシュするというのは、まだ人間が自然の一部であるにもかかわらず、人間のいうところの「自然」が「人工的な自然」であると認知できていないからなのだろうか。「木目テクスチャ」を生み出す木目シートは、そんな人工都市への反省と、豊かな自然での暮らしへの羨望と後悔を滲ませる。そんな矛盾を内包している。

    *6
    プラスチック製の大きめな木箱
    https://www.amazon.co.jp/-/en/Wood-like-Outdoor-Storage-Height-inches/dp/B01N5XTZCS

    *7
    貼り替え用の木目調マットの紹介画像。機能を紹介するために、ペラペラの質感を見せることで木のテクスチャとのミスマッチさが際立つ。_ASKUL コモライフ 貼りかえテーブルトップ ウッド柄 390102 3枚セット(直送品)

    *8
    宇宙船
    _2021年宇宙の旅
    _Tom Sacksの宇宙船のためのレディメイド

◉道化師

銀座の街は妙に緊張する。立ち食いもまともにできない。前時代的な価値観が残る都心で、それに付き従うことの決まりの悪さ*⁹がある。GINZA SIXにはじめて入った時、現代のような時代にこのような豪華なデパートがつくられていることにかなりの違和感を感じた。ミレニアム世代からすると少し感覚がズレた街なのかもしれない。銀座の大通りに立ち並ぶモダニズム以前の西洋式建築*¹⁰は、文明開花時代から60、70年代までの日本人の感性と価値観をあらわしている。街を闊歩する人にはノスタルジーすら感じる。

映画「ひなぎく」*¹¹は、銀座での「私の所在の無さ」の意味を、よく理解させてくれる。「ひなぎく」は、少女2人が飲んで食って踊って笑って、男性が中心になって作り上げた社会の判断を打ち砕いていくチェコの60年代の映画だ。「男性」という、記号的な存在に対して、少女達は自分の居場所を見つけられない。だからこそ過剰に自由に振る舞い、それこそが、彼らへの反抗的なメッセージになっている。

銀座で、街に呑まれて自分を見失わないためには、「街の求める姿」から少し視点と思考をずらしてみることが重要だ。なにをしに、街に来てる人か「わからない人」として歩く。手始めに手ぶらで歩いてみる。もしかしたら寝巻きのような服装で街を歩くのがちょうど良いかもしれない。

街中で見かける道化師*¹²は、人を笑わせるために「不思議」なことをする。急に観客を自分のパフォーマンスに巻き込んだり、驚かせたりして、読まなきゃいけない空気を破っている。彼らの役割は、社会の構造からはみ出た破綻として振る舞い、その場にある文脈を脱臼させること。街が求める役割を放棄するには、道化の振る舞いと、その役割を、仕組みの中で取得する方法が非常に参考になる。

    *9 
    前時代的な価値観が残る都心で、それに付き従うことの決まりの悪さ
    ベロベロの飲み会にシラフで参加する様な心持ち

    *10 
    モダニズム以前の西洋式建築
    銀座は、江戸から明治に変わった後、イギリス人建築家Thomas J. Watersによって、不燃都市として設計される。

    *11 
    映画ひなぎく
    漫画家岡崎京子のコメントが痛快。

    *12
    道化師
    ピエロのこと。トランプのジョーカー、即ちバットマンの宿敵。ルールを破るために存在している。

現在、銀座駅構内会場にて、グラフィックデザイナー・おおつきしゅうとによる不定期刊行紙non-sensuを出版し、出版用オフィスを公開中。会期は6月19日まで。

INFORMATION

おおつきしゅうと自主出版
展示/出版のお知らせ

non-sensu_「Open office」
会期:2023年5月20日(土)-6月19日(木)
会場:メトロ銀座ギャラリー(銀座駅構内通路B7、B8付近)

この度、おおつきしゅうと自主出版は、銀座駅構内会場にて、不定期刊行紙non-sensuを出版します。会期中は、出版用オフィスの閲覧が可能です(入場不可)。

会場では地下鉄のホームやオフィスビルの内装、巨大なロゴマークやサイン等、作家自身が幼少期から目にしてきた都心の断片としてゴム版に彫り込まれた「ドローイング」の「公開出版」を行い、「ドローイング」は、複製後、出版され、不確かな現代における社会や産業の構造を内側から解体し、再び都市に還元されます。

PROFILE

おおつきしゅうと
グラフィックデザイナー。1996年、東京生まれ。
クライアントワークと並行し、アイコニックと複製の関係性、都会のイメージを探求し、ドローイングや書体、書籍を刊行する、おおつきしゅうと自主出版を主催。
https://www.instagram.com/otsukishuto/

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