【ニューメランコリー】ポストシティーボーイの臨界点#13/成田空港にて part.2

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「グラフィックデザイン」には資本主義経済下にある都心部で訴求力を求められるパブリックな視覚芸術としての側面がある。グラフィックデザイナーのおおつきしゅうとは、ポストシティボーイとして広告やサイン(符号)などに着目し、それらの収集・リサーチと共に「記号らしきもの」の制作を続けている。本連載ではポストシティボーイとして、限界の垣間見える社会の構造とその大きな違和感に趣き深さを見出す新しい視点を「ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)」と定義し、多様な角度から都心のイメージを観察する。その過程で制作された「記号らしきもの」とエッセイを通じて、現在のシティライフにおける儚げで歪な美学を提案していく。第13回は全3回に渡る「成田空港」編、第2弾。
Text+Graphic:SHUTOOTSUKI
Edit:Moe Nishiyama

◉ポストシティボーイのローカルはグローバル

グローバルなサービスで用いられるデザインには、色彩、造形において、国や文化の境界を超えたコミュニケーションが求められる(それは単に「黄色と黒が危険を察知するイメージ」であるとかの生理的な話に限らない)。ある独自の文化圏でしか理解されないイメージはグローバルな場所では通用しない。例えば、浅草にあるスナックが成田空港に店舗を移し、手書きのメニューのまま営業を続けることがイメージしづらい。グローバルな場では、メニュー表の文字は、打ち文字はもちろんのこと、ひらがなカタカナ漢字以外に、アルファベットも必須になる。駅やレストランなどで目にする、旅行客向けに作られたインフォメーションボードの配色は、必ずと言っていいほど、赤や青、黄色、ピンクなど、鮮やかな色彩で構成されている。*1

ローカルな場所には人や物が留まり、シティな場所では人や物は絶えず移動する。そこには何人も留まることはできない。*2 ローカリティはアイデンティティの一つになり得る。いわゆる土着の文化は、その土地の環境によって生まれ、視覚、聴覚、味覚、態度等、土地に根差した身体感覚と生活とが密接に繋がりながら、あらゆる場面で共有され、受け継がれ、時代を超え更新される。つまり、ローカリティのある場所にカルチャーが生まれる。歴史と紐づいたカルチャーはアイデンティティを構成し、自身がどこからきた何者なのかを説明する材料となる。

一方、都心(ここでいう都心は、六本木などの外資系が多く入るビジネス街等を指す)の生活は、ローカルの真逆に位置するグローバルな感覚によって構成される。ローカルがその土地ならではの文化でアイデンティティを形成する一方、あらゆる国や地域に開いたオープンな存在「グローバル」にもまた、ローカリティがないことで生まれる独自の(新たな)アイデンティティが存在する。

その、都心に普及するグローバルの美学は、ライフスタイル等に関わらず、例えばコーヒーにこだわろうが、アニメを見ていようが、HIP HOPを聴いてようが、コンテンツから離れた次元で共通の感覚として根付いている。たとえば無意識に享受しているサービス。Uber、7eleven、スタバ、マック、Rakuten、Apple、Coca-cola社の販売する新たな炭酸飲料水のパッケージ、Amazonの白背景の写真画像。それらがもたらす視覚的なイメージはあまりにも広範囲に広がりすぎて、もはや一々認識することはない。しかし音楽を聞く際には必ず、Apple musicの再生ボタンを押す必要があるし、Amazonで注文した商品は必ず同じみのロゴマークが印刷された段ボールに入って届く。それらは、グローバルな時代が作り上げた普遍的な美学として私たちの生活に根差している。このグローバルな感覚の中で、全世界市民が共有しているはずの美学がニューメランコリーだ。

*1 ホームセンターなどで目にする工事の専門機材の色だ。

*2 人や物が一定数留まることにより、独自の地域性が育まれローカリティが生まれる。留まらないことがグローバリティに繋がるわけではないが、留まることのない流動性が基盤となっている土地の構造を、本連載では「シティ」たる条件の一つであると考察している。

◉制服の安心感

同じコミュニティの中で同じ格好をする、渡されたものを身につける、体の同じ箇所に皆んなで同じものをつける、そうすると一つの共同体としての共同意識が芽生える。あるコミュニティの一員となり、大きなものに属する安心感を身を感じさせてくれる。警察の制服は固く、しなやかな効率性を感じさせる。1人欠けたらすぐに新たな人員が迅速に補充される。

その心地の良さは、実際の制服の話に限らない。Apple製品は現代を生きる我々の必須アイテムだ。特にiPhoneは、この角の丸いパネル一枚を持ち歩くことで、私たちがグローバルな経済圏という大きなコミュニティの一員であるという安心感を与えてくれる。Appleのロゴはその証なのだ。*3 Appleのサービスはパッケージから広告、製品デザイン、そこにプリントされている書体に至るまで、細部にわたってブランドの美学が織り込まれている。その美学は、強くは意識されない程度に、製品とブランドへの安全安心と、到来する未知なる未来があくまでも現在と地続きであるということを教えてくれる。*4

この世界的企業のサービスを受けている限り、私達は国境を超えてある文化を共有している。

*3 Appleの店舗に立つ店員に制服らしい制服がなく、髪型も服のスタイルもわりかし自由なのはそのためだ。製品への信頼そのものがコミュニティとしての結束を強固にしている。)

*4 Apple社の製品は常に現在を更新する生活として提案される。近未来を切り開いているというイメージが私たちに浸透していく。

◉JAPONINGLISH JAPALISH

英語が第二言語の国の人間と話すと、第一言語が英語の人間と話す時よりも通じ合えている気がする。それはまともな英語もし細かく難解な英語も使用しないからだ。その会話においては誰も正しい英語は知らないし、もはや共通の言語となった英語は、その根本の文化など誰も気にしない。それは誰が望んだことでもないはずだ。それぞれの国の人間が身勝手に、誰かの国の言語をローカライズして使う。歪なグローバリゼーションをを駆使して(のりこなして)私達はお互いにコミュニケーションを取り合う。

2024年を生きる私たちにとって、国籍はアイデンティティの一部に過ぎない。言語や振る舞い、パスポートの違い、身体的な差はあれど、私達はグローバリズムの恩恵に授かり、それ以外の多くのものを時代と共に共有している。、SNSや国際的なアプリ、そして特に観光によって、それは現在も押し広げられている。

《ニューメランコリー》ニューメランコリーとは、終わりゆく現代の社会の構造に感じる、大きな違和感と破綻に趣き深さを感じる、新しい視点である。グローバル資本主義の台頭する世界で、生まれた瞬間から大都市で過ごしてきたポストシティボーイは、臨界点をむかえた。憂鬱なわけではないが、確実な絶望がある。ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)とは、西洋文化への憧れによって形成されてきた文明によって作られた仕組みの限界、その終焉を肌で感じるミレニアム世代以降の、たった今のムードだ。ユニクロ、マック、サブウェイ、スタバ、Google、Amazon、etc。世界的大企業が打ち出す施作や商品に、幼い頃から日常的にふれ、明るい未来に向けたポジティブで健康的なイメージに囲まれて育った。しかしながら、現実世界は決して明るく健康的だとは限らず、その距離は計り知れない。それでもなお、破綻することのない経済や生活は、決して灰色ではなく、蛍光灯の下で見る指定色でつくられたコーポレートカラーの上に成り立っている。都心の巨大なビル群、広告、商品パッケージ、出版事業、企業VI、オフィス製品等、巨大なグローバル資本から生まれたイメージはその根本の成り立ちに破綻があるように感じる。このアイデンティティのイメージを観察し、そこにある儚げな美学を見つけたい。
Credits
Art directer_おおつきしゅうと / SHUTO OTSUKI (Instagram @otsukishuto)
Graphic designer_SHUTO OTSUKI (Instagram @otsukishuto)
Stylist_石黒有子/Ariko Ishiguro (Instagram @i_a_r_i_k_)
Photographer_築山礁太 / Shota Tsukiyama (Instagram @shota_tsukiyama)
Lighting_ 河原孝典 / Takanori Kawahara (Instagram @takanori_kawahara)
Model_竹内 啓/ Akira Takeuchi (Instagram @takeuchi__akira)

PROFILE

おおつきしゅうと
1996年生まれ。東京生まれ。グラフィックデザイナー。主に、文化事業にまつわる宣伝広告やロゴマークなどを制作。クライアントワークと並行し、アイコニックと複製イメージと都会の関係性を探求し、ドローイングや書体、テキストを自主的に制作し、発行している。
https://www.instagram.com/otsukishuto/

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