【ニューメランコリー】ポストシティーボーイの臨界点#14/成田空港にて part.3

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「グラフィックデザイン」には資本主義経済下にある都心部で訴求力を求められるパブリックな視覚芸術としての側面がある。グラフィックデザイナーのおおつきしゅうとは、ポストシティボーイとして広告やサイン(符号)などに着目し、それらの収集・リサーチと共に「記号らしきもの」の制作を続けている。本連載ではポストシティボーイとして、限界の垣間見える社会の構造とその大きな違和感に趣き深さを見出す新しい視点を「ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)」と定義し、多様な角度から都心のイメージを観察する。その過程で制作された「記号らしきもの」とエッセイを通じて、現在のシティライフにおける儚げで歪な美学を提案していく。第13回は全3回に渡る「成田空港」編、最終話。

Text+Graphic:SHUTOOTSUKI
Edit:Moe Nishiyama

◉ニューメランコリーなリミナルスペース

成田空港は時間によっては、全く人がいない場所がある。人の行き来という用途のためだけに作られた建造物なだけに、人がいないと何やら不穏な空気が漂う。いわゆる「リミナルスペース」的な景色がそこに生まれる。

インターネット発祥の美学「リミナルスペース」は、「元々、出入り口や廊下、階段やロビーなどの、場所と場所をつないでいる中間地帯のようなスペースを指している。そうした過渡的な場所が無人になったとき、予期されるコンテクストが実現されないがゆえに、独特の既視感と不気味さが漂う」(朝日新聞記事抜粋 Re:Ron連載「スワイプされる未来 スマホ文化考」第2回_寄稿・哲学者谷川嘉浩)というものだ。

そこには物語の持つ不安定さから逃れたい心理がある。物語そのものが正しいかどうかわからないからこそ、ふとした違和感が心地よい。コロナという世界的なアポカリプティック体験は、インターネットを通じて「リミナルスペース」という美学を作り出した。この大きな不安に基づく美学と似た構造の出来事が約100年前にも起こった。

第一次世界大戦時前、産業革命を経て、人々は機械という新たな技術を褒め称え、未来を見た。しかし、大戦後に人々はその新しい技術が、破滅へと向かう道具であることを知った。新たな生活を作り出す未来への希望は一転して、命を奪う道具になった。その事実が、ある人々を「ノイエ・ザハリカイト」*1という美学へと向かわせた。雰囲気や情感的な表現ではなく、無感情を突き詰めた先に生まれる「不安」が描かれた。

この美学は種村季弘氏の著作『魔術的リアリズム ─メランコリーの芸術』(筑摩書房、2010)で主に取り上げられている。文中での表現を引用すると「事物は日常的に既知でありながら、既知であることにいささかも変わりなく同時に妖怪的、形而上的であるという未知の局面を抱え持っている」とある。これは一言で言えば、メジャブ*2に相当する感覚だ。

作中ではカール・グロスベルクジョルジョ・デ・キリコフランツ・ラジヴィル等が、この美学として扱われている。彼らは、人ではなく機械や都心を描いた。そこに人はおらず、ただ何かわからない作業を行うマシンや、ドアの向こう側が想像できない工場や建造物そのものを純粋に描き、それによって一切の物語を排除した。戦争という巨大なショックによって、同時代的、集合的なメジャブが引き起こされ、その結果、共有された不安は作品に表れ時代を象徴する美学だ。

カール・グロスベルクの描く風景画は、どことなくInstagramのリールに流れてくるリミナルスペースに似たAetheticsliminal.spaceeを感じさせる。我々は、グローバリズムの結果、世界中に様々な人がいるということを知ってしまった。余りにも多すぎる物語は、私たちを、人(≒物語)が消えた世界へと誘う。インターネットの美学リミナルスペースは、そんなアポカリプティックへの憧れが生んだ、逃避先の一つだ。

しかし、それが見知った建物の内部である必要は、単なるノスタルジーだけではない。リミナルスペースにある安らぎの原因は、たとえ世界の物語が崩壊した(自分の信じていた世界観や宗教感、経済世界、その他諸々)としても、目の前にある壁や椅子、電灯は消えてなくなるわけでないという事実に依拠する。

見知った光景が未視なる物になる不思議な違和感と、世界から不安定な物語が消えモノだけになる安心感は、一つの感覚としてリミナルスペースの美学を構成している。この現象は、目の前の景色そのものが、物語を燃えた、「超現実的なもの」になりかけている証拠でもある。グローバリズムという画期的な仕組みがもたらしたコロナという破滅が、100年前の美学と繋がる。

*1 新即物主義、ノイエザッハリヒカイト(独: Neue Sachlichkeit)。第1次大戦後のドイツ美術における新しい具象的傾向に対して名づけられた言葉で、マンハイム美術館長、Gustav Friedrich Hartlaub(1884-1963)が主宰した美術展(1925)の名称に由来する。第1次大戦中から戦後にかけてのイタリアの形而上絵画と擬古典主義、ピカソらの新古典主義、ダダの即物志向などから影響を受けながら、敗戦後のドイツでは,戦前の黙示録的、抽象的、情熱的な表現主義への反動として事象を冷静な視覚でとらえるさまざまな傾向が現れた。そこには戦後社会の混乱の中で見いだされた孤独な事物体験、人間疎外、生活態度などが反映している。(出典:改訂新版 世界大百科事典)

*2 既視感。デジャブの逆で、見たことがあるのに見たことがないように感じる違和感の名称

◉Apple社員が目指す永遠

Appleはカルフォルニアに公園を作るらしい。aiを駆使した絵文字も作り出した。彼らは、終わりのない世界を作り出す。過去へのノスタルジーに救いを求めるではなく、未来への新しい可能性に希望を見出す。

過去を見て懐かしんだり、その一瞬が失われていく美学を認めない。アップロードされた機能は元には戻らない。素晴らしい未来へ向かう(という大義名分の)ため、過去や再現不可能な物に振り向くことのない美学。そこには、皿がいつかは割れてしまうという儚さではなく、割れない皿の儚さがある。未来への可能性を求め続けることで、「永遠」というイメージが作られていく。未来永劫続くことを前提に、具体的には、来週の献立を考えながら買い物をするのだ。

◉居心地の良い歪さ

歪な形で成り立っているものを見ると安心する。一つの答えや目的があるわけではなく、世界というのは多数の意思や意見、美的な感覚、態度で成り立っている。一つの美学で成り立っている空間や書物や絵画は美しい。しかし、その美しさを、何の疑問を持たずに享受し続ける態度には若干の気まづさを感じる。その文化やしきたり、ルールが正しいというのは、一つの視点でしかない。ルールそのものが別の視点から見たら間違えている可能性もある。多様性という言葉は、マーケティングのワードなんかでは無く、あなた自身が、多様な人間の1人であるという事実を教えてくれる言葉だ。全員で信じる大きな正解は無くなった。それは心地の良い不均等さ。

恵比寿駅を歩いていた際に、ありえない量の衣服が積み重なり、販売店として成り立っているのか怪しい店を見かけた(もちろん営業中だ)。完璧に信じきっていた、世界のあり方、(それを装うための都会の姿)が剥がれた箇所に不思議な安堵を感じた。完璧な空間デザインとインテリアで構成された、完璧な演出のホテルも、スタッフ用の部屋のドアを開けたら蛍光灯の下に書類や衣服が雑多に置いてある。

《ニューメランコリー》ニューメランコリーとは、終わりゆく現代の社会の構造に感じる、大きな違和感と破綻に趣き深さを感じる、新しい視点である。グローバル資本主義の台頭する世界で、生まれた瞬間から大都市で過ごしてきたポストシティボーイは、臨界点をむかえた。憂鬱なわけではないが、確実な絶望がある。ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)とは、西洋文化への憧れによって形成されてきた文明によって作られた仕組みの限界、その終焉を肌で感じるミレニアム世代以降の、たった今のムードだ。ユニクロ、マック、サブウェイ、スタバ、Google、Amazon、etc。世界的大企業が打ち出す施作や商品に、幼い頃から日常的にふれ、明るい未来に向けたポジティブで健康的なイメージに囲まれて育った。しかしながら、現実世界は決して明るく健康的だとは限らず、その距離は計り知れない。それでもなお、破綻することのない経済や生活は、決して灰色ではなく、蛍光灯の下で見る指定色でつくられたコーポレートカラーの上に成り立っている。都心の巨大なビル群、広告、商品パッケージ、出版事業、企業VI、オフィス製品等、巨大なグローバル資本から生まれたイメージはその根本の成り立ちに破綻があるように感じる。このアイデンティティのイメージを観察し、そこにある儚げな美学を見つけたい。
Credits
Art directer_おおつきしゅうと / SHUTO OTSUKI (Instagram @otsukishuto)
Graphic designer_SHUTO OTSUKI (Instagram @otsukishuto)
Stylist_石黒有子/Ariko Ishiguro (Instagram @i_a_r_i_k_)
Photographer_築山礁太 / Shota Tsukiyama (Instagram @shota_tsukiyama)
Lighting_ 河原孝典 / Takanori Kawahara (Instagram @takanori_kawahara)
Model_竹内 啓/ Akira Takeuchi (Instagram @takeuchi__akira)

PROFILE

おおつきしゅうと
1996年生まれ。東京生まれ。グラフィックデザイナー。主に、文化事業にまつわる宣伝広告やロゴマークなどを制作。クライアントワークと並行し、アイコニックと複製イメージと都会の関係性を探求し、ドローイングや書体、テキストを自主的に制作し、発行している。
https://www.instagram.com/otsukishuto/

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