【ニューメランコリー】ポストシティーボーイの臨界点#19/「有楽町」にて

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「グラフィックデザイン」には資本主義経済下にある都心部で訴求力を求められるパブリックな視覚芸術としての側面がある。グラフィックデザイナーのおおつきしゅうとは、ポストシティボーイとして広告やサイン(符号)などに着目し、それらの収集・リサーチと共に「記号らしきもの」の制作を続けている。本連載ではポストシティボーイとして、限界の垣間見える社会の構造とその大きな違和感に趣き深さを見出す新しい視点を「ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)」と定義し、多様な角度から都心のイメージを観察する。その過程で制作された「記号らしきもの」とエッセイを通じて、現在のシティライフにおける儚げで歪な美学を提案していく。第19回は「有楽町」を取り上げる。

Text+Graphic:SHUTOOTSUKI
Photo:Julian Seslco / Takanori Sasaki
Edit:Moe Nishiyama

◉ポストシティボーイ銀座並木通りにて_建て替え中のビルと既存のお店の差にニューメランコリーを感じ入る

銀座に立ち並ぶブランドのフラッグシップショップを一軒一件覗きながら歩く。それぞれが独自の世界観を携えてイメージを共有するために空間やロゴ、店員の制服、顔立ち、髪型、空間の香り、はたまたドアマンの香水*1 の匂いまで工夫を凝らす。その隙間に建て替え工事中の厚手な灰色の防炎シートや、パネルで設えられた仮設の建造物が目立つ。何の情報もあえて与えないような出で立ちの建物は単に工事中であるからで、都市を埋め尽くすイメージとイメージの間にある余白と捉えることは容易だ。しかしイメージを与えないための灰色という選択が「ブルータルで冷たい」「冷静且つ合理的」な世界観とも取れる。

*1 香水は個人という最小単位のローカルを隠すものだから都心とする。

◉ポストシティボーイ京橋駅近辺にて

眼前に広がるオフィスビルはそれぞれ色とりどりの灰色で彩られ、その細やかな灰色のバリエーションが各々に異なるビルの威厳を引き立たせる。赤系統の灰色、青系統の灰色、白身の強い灰色、紺系の灰色、特に京橋駅近辺では多様な灰色鑑賞が可能だ。灰色はオフィス勤めの男性が着用する*2スーツでも多く目にする。紺や黒、白も人気ではあるものの、無数に存在する灰色のレパートリーに管理職の男性の心は多いに揺さぶられ購買に繋がっているに違いない。

*2 シティボーイがファッションや音楽のカルチャー的属性を通して都心で群れ(コミュニティ)を作りコミュニケーションを楽しんだことに対して、ポストシティボーイはファッションや音楽の嗜好が生活態度に大きく影響するとは考えなかった。過度な情報(簡易な検索と商品の背景を体感しなくても購入が可能な状態)が、その時々で変化する趣味嗜好の回転を早め、表面上での消費行為そのものをメタに認知すること自体を楽しむようになった。好みの属性をカルチャーとして消費することに現実味を感じられなかったのだ。

◉ポストシティボーイ国際ビルロビーと地下にて

取り壊しが決定している国際ビルの地下レストラン街では、案内板のテナントの抜けた箇所にビルのロゴマークが輝いている。中のコンテンツが抜けることで自然とビルそのものを鑑賞することができる。チラシの置かれなくなったチラシ置き場、光るパネルと化した電光掲示板。様々な機能していたはずのものがオブジェ(=鑑賞対象)と化す。

足元に貼られたタイルは不規則なようで規則性がありそうに見える。それは「自然」な温かみを演出しようとした結果、ランダムな配列を非人口的で自然的なものと判断したことによる産物に違いない。窓や広告用に作られた、今は空欄になってしまった枠の幾何学的な美しさだけがそこにある。

人のいないビルに一人で滞在すると、鑑賞者である自身は幽霊になる。役目を終えたオフィスという場所でその機能を剥奪されたまま現実の世界に存在しているオフィス自体も幽霊的な存在であるが、その存在を認知してしまった瞬間に感知できてしまった側が幽霊*3になるのだ。

*3 そもそもポストシティボーイは幽霊的な感覚に起因している。都心をメタ視点で眺めるという作業は俯瞰というより体から自身が引き剥がされた状況に近く、それは幽霊となった自分が生きていた頃の自分を少し後ろから見ている感覚に近い(それは白昼夢とも似ている)。

◉ポストシティボーイ国際ビル7Fにて

「都心」はあくまで個人の意図の集合から形作られたもので、その意図する内容によってはいつでも変更したり変形したり、崩壊する可能性のある存在だ。それでも「都心」いう存在が絶対的な信頼のもとに成り立っているのは、ビルを建てる際に使われた鉄筋コンクリートの硬さゆえだろう。「今日」が当たり前に生成・実行される経済活動と、それを止めてはならないことを当たり前にするシステム――週休二日のワークライフバランスを作る企業の戦略、働くことで得られる充足、毎日の生活リズム、朝が来て夜が来ること――が、「安定した生活」への信頼を作り上げる。しかしそれは、信じられないくらい複雑な関係性の上で成り立っていて、ふとした瞬間に壊れる可能性がある。だからこそ、ふとした瞬間に壊れる時、我々はその仕組みの上で、いつ壊れ(もう壊れかけている、もしくは壊れている)ても良いように(それは準備をしておくわけではなく)心構えしておく。*4

*4 そのような心持ちでいる場合、例えば三代継いで使っている牛革製のカバンも、さっき薬局でもらった灰色のビニール袋も価値は等しく、どちらも尊くまたどちらも儚い。いずれかのタイミングで失われるものなのであり、素材の耐久年数の違いなどは大きな差ではない。

◉ポストシティボーイ丸の内仲通りにて

日本有数のオフィスエリアとして有名なこの地区は、「エリア」と名のつく通り、一帯が全てオフィスビルで覆われている。様々な願望や切実な願いから作られた街、道路、石畳、街頭も休日の夜は用がなく、役目を与えられていない。

有楽町が位置する中央区、特に銀座・三越前付近は西洋の街並みを参照して明治期に作られ、当時から西洋の啓蒙する文化は具体的なイメージとして日本が目指す大きな指標になっている。しかしそこに完璧な指標などは存在せず、そう見えたとしたらそう振る舞っているだけに過ぎない。休日の夜は街並みが持つ威厳や風格の虚が現れる。

《20時の有楽町でオススメの楽曲5選》
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[Yung Sherman _ Sometimes When I Can’t Sleep]
[Alice Deejay _ Better Off Alone]
[Richie Culver & Buttechno _ Track3]
https://music.apple.com/jp/album/track-3/1635695392?i=1635695395class_夏の日の1993
https://music.apple.com/jp/album/%E5%A4%8F%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%AE1993/1504627229?i=1504627231
Friendzone Appropriate X
https://music.apple.com/jp/album/appropriate-x/1350210910?i=1350210944
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◉ポストシティボーイ ペニンシュラホテル24Fにて

24Fという立地は都会の縦軸の真ん中辺りであり、低い所を見下ろし*5、高いところを見上げながら食事と会話を楽しむことができる。今自分は都会の真ん中にいると言う気持ちにさせてくれる(真向かいにガラス張りのオフィスビル日比谷ミッドタウンがあるため、平日は燦々と輝くオフィスの室内を見ながら食事をすることになる)。

フォークやナイフ、スプーンの扱い等、テーブルマナーを重んじたコースディナーなどの伝統ある西洋的な食事の場では、西洋文化圏に属さない 東洋の人間は自らの生活にはゆかりの無い常識やマナーを学び、異なる文化圏での振る舞いを当然インストールした上での食事体験が求められる。ホテルで皿に乗った肉や魚をナイフで切る際にどちらの手で持つことが正解なのか、切った後の鱈をフォークの上に載せるのは間違っていないのか、そもそもナプキンはどこに置くのかなどを事前にスマートフォンで検索する時、西洋文化への距離が逆説的に自身の国・地域的なアイディンディティを理解させる。文化とは生活の中で自然と体感していることだ。そこから自分がどこからきた誰なのかを理解することにつながる。例えばコンビニ食品である手巻きノリ寿司は、日本のコンビニ独自の文化であり、あのプラスチック包装の剥がしかたこそが現代の日本の食文化と言える。それを知っていることこそが現代の東京に暮らす人間であるというアイデンティティにつながる。

*5 都心の景色というものは街から街に繋がっているものだが、高い所から見下ろさないとその連続している造形には気がつけない。地上から見えるのは地面と直角に引かれているたくさんの真っ直ぐな線で、タクシー等に乗り足元からビルの並びを眺めると幾何学的で抽象的な造形のみが印象に残る。

セントラル東京ツアー vol.1 @有楽町
日程:2025年3月30日
会場 : 国際ビル、YAU、ペニンシュラ東京
主催:ポストシティボーイ
協賛:ZORA
協力:YAU (Yuraku-cho Art Urbanism)
写真:Julian Seslco 佐々木孝典
コラージュ:おおつきしゅうと

《ニューメランコリー》ニューメランコリーとは、終わりゆく現代の社会の構造に感じる、大きな違和感と破綻に趣き深さを感じる、新しい視点である。グローバル資本主義の台頭する世界で、生まれた瞬間から大都市で過ごしてきたポストシティボーイは、臨界点をむかえた。憂鬱なわけではないが、確実な絶望がある。ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)とは、西洋文化への憧れによって形成されてきた文明によって作られた仕組みの限界、その終焉を肌で感じるミレニアム世代以降の、たった今のムードだ。ユニクロ、マック、サブウェイ、スタバ、Google、Amazon、etc。世界的大企業が打ち出す施作や商品に、幼い頃から日常的にふれ、明るい未来に向けたポジティブで健康的なイメージに囲まれて育った。しかしながら、現実世界は決して明るく健康的だとは限らず、その距離は計り知れない。それでもなお、破綻することのない経済や生活は、決して灰色ではなく、蛍光灯の下で見る指定色でつくられたコーポレートカラーの上に成り立っている。都心の巨大なビル群、広告、商品パッケージ、出版事業、企業VI、オフィス製品等、巨大なグローバル資本から生まれたイメージはその根本の成り立ちに破綻があるように感じる。このアイデンティティのイメージを観察し、そこにある儚げな美学を見つけたい。
PROFILE

おおつきしゅうと

1996年生まれ。東京生まれ。グラフィックデザイナー。主に、文化事業にまつわる宣伝広告やロゴマークなどを制作。クライアントワークと並行し、アイコニックと複製イメージと都会の関係性を探求し、ドローイングや書体、テキストを自主的に制作し、発行している。
https://www.instagram.com/otsukishuto/

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