都市に交錯するグラフィックデザインや無形の情報の集積を、記号的なものとして捉え直すグラフィックデザイナー・おおつきしゅうとによる個展『Post City Presentation by Post City Boy』が、西麻布の「CALM & PUNK GALLERY」で開催された。 本展は、グラフィックデザインという職能を拡張し、雑誌『Postcityboy Magazine』というメディアを展示空間へと展開する実験的な試みである。おおつきが標榜する「ポストシティボーイ」とは、かつて雑誌メディアが憧憬とともに作り上げた「シティボーイ」という虚構が消費され尽くした後の、抜け殻のような都市の表層を遊ぶ態度のことである。
会期終了直後に行われたクロージング・トークの相手は、同ギャラリーの設立者であり、35年にわたり東京のクリエイティブシーンの変遷を見つめてきた西野慎二郎氏。GASBOOKをはじめとする出版・メディア制作を通じ、常にカルチャーの周縁部にある才能をフックアップし続けてきた西野は、おおつきの掲げる独自の視点や、制度に対するアンビバレントな態度に何を見たのか。 対話は、グラフィックデザインの拡張性を巡る議論から、嫌味という自己批評、そして制度をハックする底抜けの戦略へと接続していく。
Text+Photo(3,6,7)+Graphic:SHUTOOTSUKI
Photo(1,2,4,5,8,9,10):Naoki Takehisa
Edit+Text:Chikei Hara

◉「周縁」に残されたレガシー
西野慎二郎(以下、西野): CALM & PUNK GALLERYは今年で19年目になりますが、僕自身が社会に出た35年前から一貫して興味があるのは「クリエイティブの周縁部」です。キャリアをスタートさせた頃、グラフィックデザインというカテゴリーはもっと狭義で限定的なものでした。それが35年の間に、道具がアナログからデジタルへ変わり、制作環境が激変し、マーケットやエージェンシー、プロダクションの役割が変容していく中で、その定義が爆発的に拡張する瞬間に立ち会ってきました。 うちのギャラリーもGASBOOK*1 も、常にその中心ではなく周縁部にあるものを面白がる癖がある。そういう意味で、おおつきさんのグラフィックデザインやその他のプロジェクト、それにまつわる姿勢といったものはCALM & PUNKらしい。今回の展示は一つの現象として、この場所に確実にアーカイブを残せるレガシーになっていると感じています。
おおつきしゅうと(以下、おおつき): 今回はいくつかの軸で考える機会をいただきました。グラフィックデザインのための場所に限らない、CALM & PUNK GALLERYのオーディエンスや歴史、そしてGASBOOKを作ってきた文脈。それらを利用してグラフィックの話もできるし、そうではない「ポストシティボーイ」という概念の話もできる。 今回の展示では建築家、イラストレーター、写真家から、編集者、リサーチャー、パーティーオーガナイザーまで様々なタイプの方をトークにお呼びしました。同世代のグラフィックデザイナー・岡本太玖斗さんと対談した時に、若いデザイナーだけでなく年上のデザイナーたちも来てくれて、あくまでグラフィックデザインという共通言語を用いた上でしたが、都心的機能の消費者としての生活圏内での視覚情報への向き合い方、感じ取り方について、世代を超えた議論ができたのは印象に残っています。

西野: 僕が興味深かったのは、おおつきさんが「ポストシティボーイ」という概念を掲げ、1970年代後半から雑誌『POPEYE』などが作り上げてきた「シティボーイ」という言葉を再解釈・再分解しようとしている点。僕のような35年選手からすると、この言葉遊びがどう転がるのか非常にスリリングに感じています。おおつきさんはこの言葉を最初に見つけた時、どのような感覚だったんですか?
おおつき: もともと僕は言葉を作るのが好きで、以前から「ニューメランコリー」というエッセイを書いていたり、「F」という概念をリサーチする作り手の集いを形成したり、いろんな造語を発明してはポイ捨てするように無駄に思考を続けていました。その中で「ポストシティボーイ」という言葉は、説明がいらない割に、相手に疑問を投げかけられるので見つけた時は「これだな」と思いました。
かつて「シティボーイ」という言葉が市民権を得て、消費文化の象徴として機能していた時代がありました。しかし2000年代以降に世の中というものを認識する意識が芽生えた身としては、シティボーイ的な価値観は遺跡のように発掘する対象とも感じています。もちろん誰が作った価値観であるのかということも大事ですが、それよりもあらゆる遺跡からアーカイブを自由に拝借し、機能から切り離して遊ぶことができる。歴史の軸の中に終末のようなマークが打たれて、そこからまた新しい時間が始まっているような感覚が「ポストシティボーイ」のスタンスに隠れています。
いろんな方とこの話をする中で、建築コレクティブ・GROUPの井上岳さんには「形態の機能から離れて考えるということは面白いかもしれませんね」と、みんなに適用される前提条件を一度意味から切り離すことの重要性を話しました。また、オーディエンスで来てくださったグラフィックデザイナーの鈴木哲生さんには、マチュア(成熟)することを待っている存在として「良くも悪くもあなたはボーイだね」と指摘されました。都市で暮らす夢想的な個人として、与えられた条件の上で遊ぶことということは、要は築き上げられた社会の中で『表層しか見えない』ということ自体の現実性が私たちボーイに内在化していると捉えています。

◉「嫌味」の蓄積と、自己批評の効用
西野:話を聞いているとしっくりくるというか、掲げることが面白いテーマですね。でもそれは都市の中では、コピーライターやプランナーの仕事に近い表現でもあるようです。
おおつき: 僕自身、世の中に対して嫌味と煽り文句のような言葉が常々瞬時に浮かんで出てくるタイプなんです。例えば電気屋さんの店員さんに嫌な態度を取られた時とか、すごく些細なことでもすぐに毒づく言葉が出てくる。それを口に出すと社会生活に支障が出るので、寸前で飲み込んで自分の中に蓄積していくんです。そうやって蓄積されたものを、自分ならではのボキャブラリーとして取っている節はあります。
西野: 前頭葉では瞬時に反応していて、それを行動には出さずメモリーに入れると。それはご自身のデザインやアイデアに対する自己批評としても機能しているのでしょうか。
おおつき: 過剰なほどに機能しています! 自分を全肯定して「これは面白い」と思って作れたら良いのですが。自己表現と自己批評の応酬は何かしら新しいと言えるアイデアを作る作業の工程では必須なのだろうと思って受け止めています。
西野: その自己批評はある種の防御壁でもあるわけですね。これだけ多様になった現代において、クリエイターがオリジナリティを主張することは難しく、リファレンスだらけになってしまう。その中で自我の肥大をどうコントロールしているのか。おおつきさんの場合は発動した瞬間から自分を嫌っているというか、制度に対する過激な旗上げやオルタナティブを標榜するのではなく、相手の行動を試しているところに、都会っ子らしいアイデンティティも感じる。

おおつき: 自分自身を「鼻につく人間」の類だと自覚しています。都会育ちという環境は基本反感を買うので、どうやったら鼻につかないかを探求した結果として「ポストシティボーイ」という肩書きを使ったりしています。そうすることで相手が批判のために登ってくるハシゴを外しています。色々な目に見える要素から論理を組み立ててきた瞬間に、うやむやにして逃げているんですよね。そういう会話の仕方が自分に馴染みすぎている節さえあります。
西野:それって高度な生存戦略というかディベートだよね。自分をコンテンツ化させることをすでに実践しているから的を得ているように思う。いっそのこと、ChatGPTに過去のおおつきしゅうとの発言を全部学習させて、適切なツッコミを入れる人格を作って対抗させたらいいかもしれない。いつも2人組で登場してボケとツッコミを一人で完結させるようなシステムがあればより確かになるでしょうね(笑)。でも、今の時代に自分を広げて話すことって、想定外にどんどん広いところまで批評しなきゃいけなくならない?
おおつき:「ポストシティボーイ」が都心の話まで到達したのはそうした側面があります。もともとドローイングと線、記号の話みたいなところで収めるはずだったのが、自分の撮りためていたまちの写真や、グラフィックデザイナーとして描く線が何から来てるのかを探った時に、都会風景やルンバのようなアーバンな造形が類似していたことに気づいてグラフィックだけではない価値観だと捉えるようになりました。だから都心の話になった時に、そこから別の解釈まで辿り着くには記号の話などに集約して、先鋭化させていかないとふわっと分散していってしまうと思ったんですね。その時に雑誌という都心的な媒体のあり方は、自己批評をする上で結構いいかもなと思ったんです。
西野:コンスタントに発行するマガジンには、その時々をジャーナルしたり、時代をアーカイブしていく機能と、ある種のファッション性を帯びることで、その時代を語ることができますよね。なので相手(自分)がどの視点から否定しているのかわからなくなるときに自己分析するのにこの表現は最適ですよね。


◉「古墳」としての制度、あるいは雑誌という場
西野:今回の展示において、ポストシティボーイという言葉を都心(的なもの)の自己言及的な批評として捉える上で、おおつきさんは雑誌というフォーマットを強く意識していましたね。
おおつき:今回の創刊号においては「ポストシティボーイ」でありグラフィックデザイナーが描いたドローイングをどのように社会に組み込んでいけるのかを考えていました。次回以降の号ではグラフィックデザイナーが作った絵画然としたものも、嫌味のようにエディトリアルに変換して読みものにしてしまったり、もっと生活に近いところで急に遭遇する存在としての振る舞いを増やしていきたいです。ポストシティボーイマガジンを起点としてそういったコミュニケーションを取り合えるようにしていくことがこれからの課題です。
西野:なるほど。それはグラフィックデザイナーがアーティストになって、アーティストっぽい振る舞いに対して、照れとか意地悪は働いてないの?今の話は制度への居心地の悪さという話に繋がるし、制度そのものをクリエイティブしたいという考えにもつながりそうですね。グラフィックデザイナーがギャラリーで展示をする際、どうしても既存のアートの文脈や制度との摩擦が生じますがそのあたりはどう捉えていたのでしょうか。
おおつき:制度というものに対する安心感に居心地の悪さを感じることは多々あります。例えばいわゆるポスターを整然と貼るような展示形式は、デザイナーたちの築いた古墳のようで更新は必須だとも思います。 だからこそ、個人のデザイナーとして作品を「展示」するのではなく、あくまで雑誌が企画した、雑誌の販売促進としての「イベント/展示」という枠組みを設け、媒体が持つ制度を利用することで居心地の悪さから抜け出そうと試みました。
西野:そういう意味ではうちもうっかり制度を提供しちゃったって思って(笑)。 そういう意味では、マガジンって面白いですよね。クリエイティブディレクターで、編集長、アートディレクターとして今を切り取りジャーナルしていくことはギャラリーと真横にある、あるいは全く違う活動かもしれない。
グラフィックデザインという観点から見たら、展示とコミュニケーションを同時に成立させたら面白いのではないかという視点は理解できるし、おおつきくんがやろうとしていることの様子も画家として作品を語る姿勢とは明らかに違って、コミュニケーションを図ろうとしているゲストの人選だったような気がする。それは制度を前に、「この作品は何々である」と説明する在り手ではなく、解釈すらポンって投げ出すおおつき君のアティテュードの整合性が僕からすると取れているように思いますね。


おおつき:ポストシティボーイは雑誌というメディアの形式を拝借することで、「シティ的価値観」という古代の遺跡のように荘厳な存在へアクセスできる可能性を感じているのだと思います。要は何をもってコミュニケーションの導入とするかが重要でした。雑誌と名乗るからにはそもそもの雑誌という物の読者層であったり、その存在が当たり前だった世界との目線を合わせることを意識したいと思ったのです。それは表紙という皮であったり、ページ数であったり、部数であったり、継続して出版されるという事実であったりしました。
西野:僕たちはギャラリーを運営する側として、アーティストや顧客と共通の言語、つまり制度を持たなければ取引が成立しません。おおつきさんはその制度への違和感を持ちながらも、それを否定するのではなく、クリエイティブにハックしようとしている。ある意味で、うちのギャラリーもうっかりその制度を提供してしまったわけですね。
おおつき:今回の『Postcityboy Magazine』のためにプロフィール写真の撮影を行いました。カメラマンの塚本倫子さんにはおおつきがメランコリックでダウナー且つクールさを装う写真を撮ってもらう予定でした。と同時に、「撮影風景自体の撮影」を同じ現場に入ってもらっていた別の写真家であるJulian Seslcoに依頼していました。結果、別アングルから「ヘアメイクをいじられている独特な間の抜けた状態」の写真が上がってきました。ポストシティボーイのイメージをコントロールしきれなかった、ただそのアンコントロールな部分が面白くて、結局その写真は告知のキービジュアルになりました。
常に、制度を利用しつつ、その中で底が抜けた状態に出会いたいんです。協力者、利用者、観測者、様々なレイヤーでの関わり方はそうある方が予期せぬ出会いを楽しめる。
西野:おおつきさんの活動を見ていると、ある種のマッチョなコミュニティになりがちなグラフィックデザイン業界とは違う新しい層が集まる場所を作ろうとしているように見えます。
グラフィックデザイナーという職業は、要件が割とはっきりして、素早くクイックに返して時代を反映することも求められるわけで、一側面ではわかりやすい環境にあるけれど、これだけ深度の深い問いを「ポストシティボーイ」として刺していけることにハッとする印象があります。今回の展示の「ウォーキングラジオ」のようなイベントを含め、グラフィックデザイナーの周囲にある関係性の解釈がすごく新鮮でした。
おおつき君による軸のずらし方を楽しみにしてるし、騙しも含めてポストシティボーイというワードを扱い続けてほしいという希望すらあります。
*1 GASBOOKは、1996年に創刊したGas As Interface Co., Ltd.が出版する媒体。世界のクリエイティビティを紹介すべく、新しいアートとデザインのアイデアを世界中から集める。刊行から今もなお、時代を超えて各分野のリファレンスであり、先駆者として活躍する世界中のアーティストを紹介するプラットフォームとして生き続けている。

おおつきしゅうと
1996年生まれ。東京生まれ。グラフィックデザイナー。主に、文化事業にまつわる宣伝広告やロゴマークなどを制作。クライアントワークと並行し、アイコニックと複製イメージと都会の関係性を探求し、ドローイングや書体、テキストを自主的に制作し、発行している。
https://www.instagram.com/postcityboy/



