【ニューメランコリー】ポストシティーボーイの臨界点#3/六本木にて

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――大きな銀行やオフィスの床の色や、静けさや異様な清潔さ、煌々と光る蛍光灯のように。完璧なロゴやサインの直線と曲線、指定色は異様に美しい。そしてカチッとした文字や機械や建築などの構造物(産業を構成する要素)のもつ安心感と美しさは現実の脆さを際立たせ、この国、強いては資本主義の社会の終わり、インフラの崩壊を感じさせる。(――おおつきしゅうとの雑記録より)

グラフィックデザイナーのおおつきしゅうと(ポストシティボーイ)は、パブリックな視覚芸術である「グラフィックデザイン」において、特に資本主義経済下にある都市部で訴求力を求められる看板や記号(符号)などの視覚芸術に着目し、それらの収集・リサーチと共に「記号らしきもの」の制作を続けてきた。本連載では終わりゆく社会の構造に感じる、大きな違和感と破綻に趣き深さを感じる新しい視点を「ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)」と定義し、都市におけるイメージを観察し、そこにある破綻と儚げな美学を見つけていく。

Text+Graphic:SHUTOOTSUKI
Edit:Moe Nishiyama

《ニューメランコリー》

ニューメランコリーとは、終わりゆく現代の社会の構造に感じる、大きな違和感と破綻に趣き深さを感じる、新しい視点である。グローバル資本主義の台頭する世界で、生まれた瞬間から大都市で過ごしてきたポストシティボーイは、臨界点をむかえた。憂鬱なわけではないが、確実な絶望がある。ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)とは、西洋文化への憧れによって形成されてきた文明によって作られた仕組みの限界、その終焉を肌で感じるミレニアム世代以降の、たった今のムードだ。ユニクロ、マック、サブウェイ、スタバ、Google、Amazon、etc。世界的大企業が打ち出す施作や商品に、幼い頃から日常的にふれ、明るい未来に向けたポジティブで健康的なイメージに囲まれて育った。しかしながら、現実世界は決して明るく健康的だとは限らず、その距離は計り知れない。それでもなお、破綻することのない経済や生活は、決して灰色ではなく、蛍光灯の下で見る指定色でつくられたコーポレートカラーの上に成り立っている。都心の巨大なビル群、広告、商品パッケージ、出版事業、企業VI、オフィス製品等、巨大なグローバル資本から生まれたイメージはその根本の成り立ちに破綻があるように感じる。このアイデンティティのイメージを観察し、そこにある儚げな美学を見つけたい。

◉六本木everywhere

パリにもローマにも、アムステルダムにもベルリンにも*1、いわゆる「都会」と称される地には、必ず「六本木」のような光景があると感じている。資本主義がつくり出す「土地性のない土地」。六本木は国際的な街ではないが、「無国籍な街」だ。赤い看板に長体のかかったアルファベットのケバブ屋の看板、金色の漢字が書かれた中華料理屋、黒いスーツを着た巨体のクラブのドアマン、薄い水色のシャツを着たサラリーマン、垢抜けない格好の観光客。道端に落ちているAmazonの段ボール箱やスーパーのビニール袋、壁に描かれたグラフィティ、建物の内部で行われるクラブのパーティーとサーブされるコカコーラの味。ローカルという概念の真逆の景色。資本主義経済が、合理性だけを求めた結果生み出した貧相なイメージ*2が、結果として六本木のような無国籍な街をつくり上げる。旅行中*3、アムステルダム在住の邦人曰く、「ヨーロッパの旅とはそれ即ち田舎に行くこと」。つまり、土地性の明確な場所(=田舎)に足を運ぶことが旅行が単なる移動ではなく、「旅行」として成り立つ条件で、都心では土地性を感じられないので訪れても旅行とはいえない、という意味にとれる。世界中の都心に点在する「六本木」、それは果てしなく広がる砂漠のように、ローカルな資本を飲み込み、グローバルで「どこでもない場所」をつくり出す。

    *1 東京に積もる閉塞感から抜け出すため、思い立って訪れたヨーロッパの都会も同じ世界を共有していた。都心で生まれ育ったポストシティボーイには、異なる視点で都心の現実を見るための視点が必要で、このエッセイのタイトル「ニューメランコリー」という概念の仮説を立てた。ちょうどその時期、イーロン・マスクは宇宙を目指していた。月に行ったってすぐにセブン-イレブンが展開されたりしてしまうだろう。

    *2 Booking.comで宿を探す際、安いのは味のあるボロ宿なんかではなく、白いクロスの壁に、薄茶色のクロス、蛍光灯と薄い木の色のベッドで構成された部屋だった。ライムグリーンや赤、オレンジ等、原色のプラスチック用品が完備された、私たちの見知った光景。

    *3 旅行者は幽霊と同じかもしれない。人は土地に根付き仕事をし、家族を持ち、暮らしている。旅行者は、訪れた土地で起こっていることをただ傍観するだけで役割をもたない。もちろん観光地に行けば、良いカモになったりすることもできるが、忙しい都心では誰も気に留めない。

◉街とポスターの色彩関係

ローマに降り立ち、一番最初に驚いたのが、悠久の時を感じる街並みと建造物、その上に乱雑にベタ貼りされる広告やATM*4の看板とのコントラストだった。地震の起きることが稀な都市では、歴史的建造物は取り壊されず内側の店だけが変わっていく。石や煉瓦で建てられ、美しい赤茶色、すすだったオフホワイトが通りに風情を醸し出す。その壁の上から何連も貼られたポスター。洗練された造形の書体、完璧なライティングの広告写真は、赤や青、黄、黄緑、ピンク、誰もが見分けられるように、強い視認性を持つ色彩で均一に印刷され、商品の値下げ、あるいは特売を激しく主張する。両者の持つ時間の流れは、視覚的なイメージにも大きな差を生み出し、異様にポスターが目立って見えた。同じ空間の中で対比し合うこの二つは、長い歴史の中で資本主義経済の活動がほんの一瞬の出来事であることを、ありありと見せつけた。それは、早い頻度で建て壊しを繰り返す東京と比べると、異様な光景であった。

    *4 とくに空港では、土地ごとのあたり前の景色、アイデンティティを限界まで消し去った最大公約数的な伝達方法が多い。Helveticaで記載された英語表記のサービスや観光地の広告、複雑な感情を排除した名詞のみで説明できるような写真、巨大な文字や矢印、ロゴなどの記号etc。それらの情緒のない視覚情報からは、受け手がどのような文化的背景を持っていても、すぐに最低限の意味内容を共有できるようにという、「グローバル」な配慮がある。

◉駆け込み寺サブウェイ

世界最大の飲食店チェーンSUBWAY*5は、グローバル資本主義を礼拝する簡易な教会だ。海外旅行に行ってもマックやSUBWAYに行けば、とりあえずいつもと同じ食事を安心して摂ることができる。安価な値段で与えられるサンドイッチは、マニュアル化されたメニューの取り方、パンのカットの角度、具材の内容、入れる量、パッケージの包装の仕方、どこを取っても均一で、世界中で変わらぬ味と体験を与えてくれる。ロゴだけでなく、サンドイッチの造形や、それを支えるサービス自体(注文方法や作り方)が、私たちに「SUBWAY」という存在を印象付ける記号になっている。また、そこで行われるコミュニケーションの量も重要である。たとえば、スターバックスは店員が客側にプライベートな笑顔や声色を用いてくる。右から左にパンの具材を挟み込むだけの作業に徹するSUBWAYの店員の態度は、ロゴタイポの均一な太さと同じく、余計な叙情を省いたその先にある美しさ*を感じさせるのだ。

    *5 ユニクロセブン-イレブンは日本企業から世界企業へと成長した。彼らの夢は現実となった。その先には一体なのがあるのか。

PROFILE

おおつきしゅうと
グラフィックデザイナー。1996年、東京生まれ。
クライアントワークと並行し、アイコニックと複製の関係性、都会のイメージを探求し、ドローイングや書体、書籍を刊行する、おおつきしゅうと自主出版を主催。
https://www.instagram.com/otsukishuto/

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