Text+Graphic:SHUTOOTSUKI
Edit:Moe Nishiyama
◉九段下
永田町、半蔵門、九段下、千代田区には、国の中枢となる主要な官庁施設が多く存在する。高層ビルの連なりは数えきれない。さながらコンクリートで完璧につくられた威厳の塊*1である。
都心の中でも、特に中心部に接近し過ぎると、情報へアクセスする道はかたく閉ざされ、民には開かれることのない、生活文化が姿を消したかのような景色と遭遇する。最高裁判所、新聞社など元々国営だったメディア機関も多い。関係者以外は立ち入り禁止な高層ビル。東京で最も情報の集まる場所は、しかしその場所自体はすべてが閉ざされているのである*2。情報は、紙に、電波に画面に載りあらゆる経路を通じて数多の地区に行き届く。文化ホールや美術館はあるが、美術館や博物館より身近な存在としての文化施設、本屋やCDショップ、服屋やカフェが九段下にはない。
*1 直線で区切られ計算尽くされた街からは、容易に抜け出すことができない。完璧な設計によって動かされる体。合理化される歩幅と思考のパターン。
*2 Apple Musicでランダム機能を再生し、曲順を確認すると、次の曲以降の再生曲とその順序が全て明記されている。それはまるで、ある人生の分岐点での選択の後、その後の人生の全てを見せられている気分。選択を変更した瞬間に見せられたルートには二度と合流出来(再生され)ない。音楽再生アプリの非情で無情な機能。
◉UFOの形
幼い頃、近所の煙突の天辺の形を、 UFO*3だと思い込み、極度に怖がっていた。UFOと言われてイメージされる形は、直線や円弧で作られた近未来的な造形。未確認飛行物体だから、巨大なホウキやニンジンでも良いのに、映画等フィクションで見る宇宙からの来訪者の乗り物や光線の造形や色彩は、無感情で精密で、文化的にも先進的で優れている印象を与える。そもそも、円や直線をはじめとした幾何学図形は、太陽や月など元々宇宙に存在していた形態であり、数学的な概念(二次曲線や三次曲線等、より高度な計算式によって作られる)を具象化したものともいえる。
また色彩については、なるべく無感情なイメージを与えるために灰色が選ばれる。(灰色はアルミニウムや鉄等の硬い素材を簡単に加工できる技術も想起させる。)赤や黄色は、安易に人が意味を与え易いからか、UFOの印象には与えられない。宇宙人にキャトルシュミレーション*4されるに、じゃあ一体何をされているのか?という具体的な発想は、病院で体験する検査がもとにしているに違いない。そこには人が命を預けていいと思えるだけの造形や色彩の存在が欠かせない。検査、手術される際、施術を受ける人間は、専門的な知識が無いために、実際それがどれほど高度な技術によって下支えられている物なのかを確認することはできない。そこで、機械のプロダクトデザインは、あらゆるイメージをもってして患者を安心させる。
最先端の技術は、検査や手術を受ける身としては認識することはできない。機械のプロダクトデザインの側によって作られたイメージが患者を安心させる。人が命を預けていいと思えるだけの造形や色彩の存在。
*3 UFOとエイリアンは切っては離せない存在。このエイリアンという単語には宇宙人、異星人と言う意味に加えて、異質に見える人、見知らぬ人という意味合いもある。[出典:精選版日本国語大辞典])
エイリアンといえば、アメリカ合衆国の異星人に対する関心の高さは異常だ。大冒険の末に発見した新大陸とその地で行われた開拓は、原住民からしたら突如現れた見知らぬ人、つまりエイリアンによる建国とも見てとれる。アメリカ合衆国におけるUFO、もといエイリアンへの想いは、もはや一種のアイデンティティの探求とも見てとれる。
*4 動物の体が切り取られ血液が抜き取られた事件から命名された単語。
◉灰色の球体
地球上で最もおしゃれの最先端に位置する場所は都会、なんでもかんでも新しい場所、そんな暗黙の了解的コピーが東京含め、世界中の都会を形容する。最先端のワケは情報が集まり、またそこに人も集まるからだ。人が集まることでまた情報も更新され続ける。その原理でいえば都心は1番最初に未来が訪れる場所となる。数多の人と情報が集まった結果、そこには、グローバル化の進んだ世界の縮図が生まれる。世界中の巨大な企業が地域や国を跨いで進出し、都会はよりグローバルな印象をまとう。段ボールのパッケージから広告、商品のロゴマークに至るまで、原色で彩られたさまざまな記号が散乱する。さまざまな文化が巨大な資本の力で散りばめられ、結果として地球上を色鮮やかに彩る。青や赤や黄色や緑、カラフルで平滑なロゴマークはイメージ上で混ざり合う。色はすべて混ざり合うと、灰色になる。地球は美しい灰色の球体*5に向かうのかもしれない。それはユートピアでもディストピアでもなく、ただこの時代に生きる私たちが無意識のうちに世界に対して抱いているリアルな印象、すなわちニューメランコリーなのである。
《ニューメランコリー》ニューメランコリーとは、終わりゆく現代の社会の構造に感じる、大きな違和感と破綻に趣き深さを感じる、新しい視点である。グローバル資本主義の台頭する世界で、生まれた瞬間から大都市で過ごしてきたポストシティボーイは、臨界点をむかえた。憂鬱なわけではないが、確実な絶望がある。ニューメランコリー([和]新しい憂鬱)とは、西洋文化への憧れによって形成されてきた文明によって作られた仕組みの限界、その終焉を肌で感じるミレニアム世代以降の、たった今のムードだ。ユニクロ、マック、サブウェイ、スタバ、Google、Amazon、etc。世界的大企業が打ち出す施作や商品に、幼い頃から日常的にふれ、明るい未来に向けたポジティブで健康的なイメージに囲まれて育った。しかしながら、現実世界は決して明るく健康的だとは限らず、その距離は計り知れない。それでもなお、破綻することのない経済や生活は、決して灰色ではなく、蛍光灯の下で見る指定色でつくられたコーポレートカラーの上に成り立っている。都心の巨大なビル群、広告、商品パッケージ、出版事業、企業VI、オフィス製品等、巨大なグローバル資本から生まれたイメージはその根本の成り立ちに破綻があるように感じる。このアイデンティティのイメージを観察し、そこにある儚げな美学を見つけたい。
PROFILE
おおつきしゅうと
グラフィックデザイナー。1996年、東京生まれ。
クライアントワークと並行し、アイコニックと複製の関係性、都会のイメージを探求し、ドローイングや書体、書籍を刊行する、おおつきしゅうと自主出版を主催。
https://www.instagram.com/otsukishuto/