白昼夢的歩行のための万物レビュー #2
事物介入による路上観察の記録/-芸術祭「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館」-【前編】

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映画を観た後、小説を読んだ後の帰り道に、私にみえている風景が変容しているように感じられてしまうのと同様に、作品を鑑賞した後に、街の見え方が全く変わってしまう経験がある。「白昼夢的歩行のための万物レビュー」では、散歩や移動に関して私たちが何を見ているのか理解するために、制度的に芸術作品と呼ばれるもののみならず、さまざまな事象を右往左往しながら思考+実験を行なっていく。

第2回となる今回は奈良県で2023年9月16日から11月12日まで開催された芸術祭「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館」へ訪問した際に私の身体に生じたことのレポートを記述する。率直に言えば、肉体的にかなりハードな展示であった。10キロ近く歩くことが前提となる当芸術祭においては、歩行という現実的な問題に衝突する観者にとって、作品と作品以外の境界が曖昧にならざるを得ない。「芸術祭を歩き回る」という経験の一つの様態を筆者の取材をもとに記述していく。前編では芸術祭の概要と肉体に生じた負荷と鑑賞行為の関係について。

Photo:Joh Rimon
Text+Edit:Junpei Ito

◎MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館

奈良県南部・東部に位置する奥大和の中でも吉野町、下市町、下北山村の3つのエリアに分かれてそれぞれ「逢(あう)」「結(むすぶ)」「集(つどう)」をテーマに、土地ごとにディレクションがなされ、多くの作品が展示されている芸術祭「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館」。昨今では観光事業、文化事業、地方創生等さまざまな名目で土地に根ざした芸術祭が行われるなか、2020年よりコロナ禍における観光復興の一環として開催されてきた本芸術祭の最大の特徴は、観者に課された歩行の距離の長さである。観者は「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館(以下「MIND TRAIL」)」というタイトルにもある通り、山野に通ずるあらゆる「トレイル(「道、足跡、手がかり」のこと。林道、砂利道、登山道などを総称)」を各所に配置される作品とともに各7~10kmのコースに沿った移動として経験することになる。「MIND TRAIL」の舞台となっている奥大和は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を含む歴史がある土地でありながら、それを観光や調査等、他なるフォーマットの共有によって見方を固定することをせずに、作品の配置とルートの共有のみを行っているということもまた特異な要素である。

◎来訪があまりにも困難な隔たり

「移動」を前提とした本芸術祭において、会場にたどり着くまでの前提と所感を記述する。「MIND TRAIL」の3会場を巡るため、公式ウェブサイトには簡易的なマップと、現地への辿り着き方が示されている。今回対象として向かった下北山村は[全長:約9km / 所要時間:約3.5時間]。「※東京から電車、バス利用の場合は、土日祝日の来訪が不可です」と赤字で記載されているが、私たちには自ら車を使えないという条件があったので、公共交通機関を利用して東京から奈良県・下北山村へと向かった。どのルートを使っても東京から7、8時間かかる。バスで行くには夕方頃に村に着くバスに乗る以外の選択肢がない。おまけに、村から出るバスは一日一本朝7時台に出るバスしかない。調べるほどに秘境のような土地に行こうとしていることがわかった。もう大人だし旅程を組むことには慣れてきたと思っていたが、今回に関してはどう向かうのがいいのか、数時間真剣に考えてもこれという答えが見つからない。私たちには下北山村の滞在は一泊二日以内に収めたいという条件があった。堂々巡りで考えていてもしょうがないと思い、ダメもとで役場に電話をかけると、こういうのならあるんですが」と村内外の移動を補助する「サポートきなり」というNPO法人を紹介してもらった。予約をして運賃を支払えば近くの駅まで車で送り迎えしてくれるサービスがあるということがわかった。私たちは、新幹線で名古屋まで行き、名古屋からは特急南紀に3時間ほど乗って、三重県の熊野市駅で下車した。小さな駅には軽自動車が何台か停まっていて、そこにお願いしたドライバーが待っていた。本原稿を執筆している現時点においては他に本芸術祭に足を運んだという人に会っていないので知る由もないが、みんなそもそもここにどうやって辿り着いているのかが気になった。

◎輸送

人口が少ない地域は交通量も減少し、結果としてアクセス自体が悪くなってしまう、ということは往々にしてある。下北山村も例に漏れない。展示会場の最寄駅で、三重県にある熊野市駅から下北山村へは車で40分ほどで、乗せてくれたドライバーは昔から下北山村の周辺に住んでいる人だった。下北山村は、古くから修験道の聖地として開かれ、近代以降はダムの開発などによって人口が増えた時期もあったが、今は人口が減少してしまったらしい。道路に対する解像度が高く、通る道の名前と由来、どことどこを繋いでいるものなのか丁寧に教えてくれた。現在村を訪れる人といえば、工事関係者や、巨大なスポーツ施設を合宿や試合で利用する学生がほとんどのようだ。ドライバーは軽快に話す人で、道の一つ一つにまつわる個人的な記憶(「この辺でパトカーに捕まりそうになった」など)を教えてくれた。ここまでは、記載されたルートの外部の体験だ。

◎歩き始め 不慣れなスポーツへの参加のように

下北山村のトレイルのルートは、約9km、所要時間は3.5時間だ。あまりに広大なルートを目の前にして私たちがまず取る行動は、入念な準備体操や水分の確保といった、生存するためのリスクヘッジだ。

◎ルートを信用する、という選択

「トレイル」に沿って芸術祭を体験するという試みで参加者の移動を支えるのは、コースの経路、すなわちガイドとして存在する「ルート」になる。この「ルート」だが、参加者に共有されるのは、ホームページでダウンロードできるあまりにも簡素な地図と、YAMAPという登山用アプリを介したルート機能だ。そこには移動に最低限必要な施設や、経路に即して番号が付された作品の位置などが記載されている。展示の鑑賞を希望する観者は、都市の美術展示で、順路を逸れることを避けてしまうのと同様に、この「ルート」を信じるという過程を通じて鑑賞体験に参加する可能性が高い。この「ルート」に沿って行けば、ある特別な体験を獲得できるかもしれないというようにどこかで思っている。

観賞の集中力

しかし一度「ルート」を信じれば、私たちは単なる作品の鑑賞者として参加することが困難になる。「地図に記載されている」作品を例えば一つ観賞したとすると、次の作品にたどり着くのに、30分以上も歩くことがある。こうした過程の連続のなかで「バカ正直な鑑賞者」としての私は次第に影を潜めていく。膨大な距離を歩いているなかで私は率直に不安になり、注意散漫になり、飽きてきさえする。気がつけば自分が何をしているのかすらわからないという状態に陥っていた。「MIND TRAIL」の展示形式においては、「個別の作品を観賞する」という行為に対して、「各作品にたどり着くために歩行する」という行為の割合がかなり高い。美術館という空間のフォーマット、また、ある施設内に展示を成立させるという方法は、移動の距離をある程度制約するという物理的な性質、ひいてはそこから生じる「観賞する」ということを繋ぎ止める力を持っているのだという当たり前のことに気がつく。

◎観賞行為とトレイルの同居

観者は余程集中していない限り「観者としての自己」を忘却しながら、彷徨わざるを得ない。観者である以前にそもそも、具体的な経路の中で、迷わないよう効率よく歩く集中力を要するからだ。一度「歩行者」としてトレイルに参加してしまえば移動は目的地にたどり着くための手段ではなくなる。そこで出くわす事物、景色に心を打たれ、足を止めてみたくなる。土砂崩れを防ぐための擁壁の異様な形態、木々が斬られ山肌が露出する遠くの山、あるいはいい感じに曲がっている道、それらの組み合わせに感動する。

移動する者は歩くことができる道をいつでも探している。選択した経路には常に、ある景観が生じる。風景は、道それ自体、道の先にある景色、道とは関係のない遠景から足元の近景に及ぶまで、無機物/有機物、人工物/自然物などあらゆる事物の集合を、経験者の意識を通じて何らかの形で知覚される。そうして知覚されたものを愉しむということは、トレイルあるいは登山、散歩などの徒歩旅行に備わっている一つの前提となっている。

歩き始めれば、キュレーションによって配置された作品を丁寧に観るという態度を一貫してとること自体が難しいということがわかってくる。ルートに沿って、それを回りきるということが想像以上にハードな上に、2、3時間も先のことを考えながら移動しなければならない。険しい道を歩くという身体的な負荷や、日没までに歩き切るといった時間的な条件、あるいはスマートフォンをあまり使うと充電が切れてしまうなどというリソースの制約によって、作品を観るということ自体がよく分からなくなってくるタイミングが何回かあった。閉館間際に駆け込みで美術館に行って、学芸員の視線を気にしながら回る時のような安定感のなさに、見知らぬ野良の道を歩くという要素が加わるという表現が近いかもしれない。

一方でまた、上で述べたように、作品として経験されること自体が前提となっていない事物に対する鑑賞体験も発生する。歩行に伴って移り変わっていく景色のプロセス自体がとてもリアルで具体的に感じられる。作品も、作品以外の景観を構成する事物も、「ルート内の土地に置かれる事物」という点では水準を同じくしている。川にかかる作品も、川にかかる橋も、橋にかかる蜘蛛の巣も、そのすべてのモノのありさまの同居に感動している時、また、自分の体験自体に対するわからなさが生じてくる。後編では、いくつかの作品についても触れながら膨大な歩行の中で蓄積された経験、一つ一つの事象や事物との出会いについてのレビューを行う。

後編に続く>

INFORMATION

MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館
会期:2023年9月16日(土)〜 11月12日(日)
会場:奈良県 吉野町、下市町、下北山村
主催:奥大和地域誘客促進事業実行委員会、奈良県、吉野町、下市町、下北山村
協力:永和実業株式会社、FM COCOLO、在日スイス大使館、パナソニック コネクト株式会社、Peatix Japan株式会社、豊永林業株式会社、株式会社ヤマップ(50音順)
後援:株式会社奈良新聞社、奈良テレビ放送株式会社(50音順)

プロデューサー:齋藤 精一(パノラマティクス主宰)

エリアディレクター:
吉野町エリアディレクター 矢津 吉隆(美術家、kumagusuku代表)
下市町エリアディレクター SKWAT
下北山村エリアディレクター 浅見和彦(プロジェクト・ディレクター)、ゴッドスコーピオン(メディアアーティスト)、吉田山(アート・アンプリファイア)

参加アーティスト:(50音順)全18組
吉野町|北山ホールセンター、kumagusuku / 𡧃野湧 + 武内もも、signplay(染谷聡+矢野洋輔)、副産物楽団ゾンビーズ(佐々木大空)、副産物産店(山田毅+矢津吉隆)、MAGASINN(CORNER MIX、井上みなみ、武田真彦 & 糸魚 健一)
下市町|SKWAT(中村圭佑、山口イレーネ、岩崎正人、城正樹、植田歩夢)
下北山村|大小島真木(大小島真木、辻陽介)、ゴッドスコーピオン、contact Gonzo、SandS(浅見 和彦、林 直樹、佐々木 星児、高井 勇輝)、そめやふにむ(プロジェクトマネージャー)、花形槙、Hertz(Discont + Riki Osawa)、松岡湧紀、やんツー+齋藤 帆奈+吉田山、yuge (hoge)
​​吉野町、下市町、下北山村|齋藤 精一

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